表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/81

31

 そうして紆余曲折を経て、辿り着いた後宮は存外華やかな宮殿だった。

 入り口からざっと眺めた印象だが──もともと豪奢な斜陽宮だったが、さらにきらびやかな装飾がほどこされているような気がする。


(庭園の造りも、他所よそよりいろどりが多いような……)


 何やら想像した雰囲気と異なるが、黎珠は元龍討師だ。物事を見てくれで油断するようなへまはしない。そう、これは、立ち入るものを試すための装飾なのだ。この後宮を見て慢心した者は、内部なかで放し飼いにされた虎や大蛇に襲われ、たちまち命を落としてしまうという──そういう仕掛けなのだ、多分。


 とにもかくにも、今も後宮で死闘を繰り広げている北嶽に逢いに行かねば。

 頬を叩いて気合を入れ、黎珠は両のこぶしを握った。


「いざ!」

「そこのお嬢ちゃんや~。入らんのかぇ~?」

「入りますー!」


 入り口付近で入出者の帳簿をつけているらしい老婆に呼ばれ、黎珠は勢い良く返事を返した。



 手続きを終えて中に入ると、ちり一つない清潔な回廊や、鮮やかな朱塗りの柱が眼に入る。ふと上を見ると、精彩な神獣や紋様の描かれた天井が奥まで続いていた。


 驚いた、なんと徹底した造りなのだ。何事もないかのように回廊の美観を保持し、かつ、飼っている猛獣の気配を完全に封殺している。これは気を引き締めて行かねば、一瞬ではふられてしまうかもしれない。


 ごくりと唾を呑み、黎珠は入り口の老婆に教えられた道順に沿い、慎重に歩を進めた。だが、行けども行けども虎は現れない。どうやらこの後宮は、回廊ではなくへやの中に仕掛けがあるようだ。


 猛獣に遭遇することなく目的のへやの前に着き、黎珠は大きく深呼吸する。さあ、ここから北嶽の元へ行くまでが勝負だ。


「いざ!」


 気合を入れて扉を開け放った黎珠は、直後、びたりと固まった。


「は、派手ッ! 眩しい!」


 つい、そんな言葉が口をついてしまう。

 黎珠が辿り着いた大広間は上下左右、どこもかしこも黄金色に輝いていた。一面に金箔を張り巡らしたのだろう、広間の壁面から天井に至るまで、色とりどりの花鳥風月が描かれている。しかも恐ろしく緻密だ。室内には風雅ながくが流れ、さらには天女のように着飾った龍女が、数えきれないほどひしめいていた。


 ──なんだろう、このけばけばしさ満載な空間は。


 つい、足を引いてしまう。

 酒と甘ったるいこうの強烈な匂いが鼻を突き、黎珠は反射的に手で鼻を覆った。


 この匂いには、憶えがある。

 以前、北嶽が身に纏っていたかおりだ。あのときは、こんな女向けのこうを北嶽が好むことを不思議に思ったが、こういうことだったのか。


 黎珠が考えを巡らせていると、突如奥から黄色い喚声かんせいが上がる。

 次はなんだと声の方向に視線を向けると、そこには大勢の美女をはべらせ、したたか酔った様子の北嶽が立っていた。


 お世辞にも整った身なりとは言えない。頬は酒で紅潮し、今朝ほどではないにしろ、着物がはだけたその姿は──それでもなお、周囲の美女をも圧倒する美しさを誇っていた。ちなみに、黎珠が再三帯剣を懇願した黒影は、かろうじて床に転がっている。


「ねぇ北嶽様、あれをお見せくださいまし!」

「私も見たい! お願いします、北嶽様!」

「わたくしも!」


 龍女にはやし立てられ、上機嫌の北嶽は無造作に飾剣かざりたちを手にした。心得たように北嶽を中心として美女たちは後ろに下がる。あけられた空間に立つ北嶽が剣を抜くと、へやは水を打ったように静かになった。


 そして──すっ、と踏み出された一歩。

 ただそれだけの動作で、彼はその場に居合わせた者すべての眼を奪った。

 それは、あれほど感性にまかせ、型も何もない剣を振るっていた北嶽とは、到底思えぬ所作だった。


 極めて美麗、かつ精密な動きでつるぎが差し出され、弧を描く。

 積み重ねた年月と研鑽を確信させるその剣舞を、黎珠は呼吸も忘れて魅入っていた。


 どこまでも流麗な──神舞と言っても過言ではないような、舞。

 見ていて心が締め付けられる。本当に、なんて綺麗なのだろう。

 この舞を永遠に見ていたい、とすら思ってしまう。


 あっという間に北嶽が剣舞を終えると、盛大な歓声が沸き起こった。

 その大音量に、黎珠ははっと我に返る。北嶽の舞は神がかって素晴らしかったが、黎珠には彼に言伝ことづてを伝える、大事なお役目がある。今は修練の休憩中なのだろうが、なんとしても茶会には出てもらわねば。


「ちょっと、何よアンタ!」

「なんなの、この猿っ? 汚らわしい!」

「なんで薄汚い猿がここにいるのよ! 門番は何してたのっ⁉」


 群がる龍女たちを押し退け、前に進む。悪態をつかれながらも、なんとか黎珠は北嶽に拝謁できる距離まで詰めた。


「北嶽様! ご歓談中、恐れ入ります!」

「なんだよ。なんでてめえがここにいる、阿呆女あほおんな


 声を張り上げると、北嶽は胡乱うろんな瞳を黎珠に向けた。

 酔ってはいるが、きちんと会話は成立している。そこまで深酒ではないようだ。今から酒気を抜けば、茶会にもぎりぎり間に合う。


「急の要件があり、はせ参じました。あの、こちらの書状を」


 書状を捧げ持ち、北嶽の前にひざまずく。

 西嶽は以前、高位の龍には書面を通すとも言っていた。黎珠が下手に説明するより、書状に眼を通してもらった方が齟齬そごもなく確実だ。


 しかし、いくら待てど北嶽が動く気配はない。怪訝に思い黎珠が顔を上げると、北嶽は険しい表情で捧げられた書状を見つめていた。


「北嶽様?」

「いい、捨て置け」

「し、しかし北嶽様。西嶽公もいらっしゃるそうですし」


 見もせずに告げる北嶽に黎珠は喰い下がる。

 断るにしても、せめて内容を見てもらってから判断を仰ぎたい。


「構うもんか。おれがいなくたって、周りがなんとかするだろ。玄州にゃ『優秀な』官吏がそろってるからな」

「ですが、此度こたびは内容が内容ですし──」

「くどいぞ!」

「お断りになるにしても、せめてご一読を! 書状のお目通しもなくお断りになったと知れれば、白州との交易にも影響が出かねません!」

「…………」


 外交を引き合いに出して粘る黎珠に、北嶽は難しい顔で押し黙る。

 ここにきて、ようやく黎珠は北嶽の態度がおかしいことに気づいた。それは周囲の龍女たちも思ったようで、訝しむ表情を彼に向けている。


 居心地が悪そうな。少し、困ったような。

 その様子に黎珠が思い至ったのは、きっと──そんな北嶽が、過去の自分に重なったからだろう。同じ状況で感じた引け目を、黎珠も身をもって味わったからだ。


 ──もしや、字が読めんのか?


「ああ、これはとんだ失礼を。北嶽様に、わざわざ拝読いただくほどのものではございませんでした。お差し支えなければ、わたしが口頭でお伝えしてもよろしゅうございますか?」


 黎珠の申し出に、北嶽は面喰ったように眼をみはる。

 祈るような気持ちで見上げる黎珠を見て、北嶽は鷹揚にあごを引いた。


「許す」

「恐れ入ります。本日午後、白州の方々とのお茶会が開かれるそうです。とても大事な催しとのことですので、北嶽様に置かれましては是非、ご出席いただきたく」

「西嶽は出るんだな? それ」

「はい」

「わかった。ま、そういう話なら出た方がいいだろ。面倒臭めんどくせぇけど」


 絡められた龍女の腕を払い、北嶽は身を起こした。甘ったるい声ですがる美女をすげなく払いながら、存外しっかりとした足取りでへやを出てく。

 北嶽に続いて回廊に出た黎珠は、その場で頭を下げ、感謝を述べた。


「ご出席いただき、ありがとうございます。北嶽様」

「感謝しろよ。おれが直々に顔出すことなんて、滅多にねぇんだからな」

「はい。それはもう」


 その不器用さを微笑ほほえましく思いながら、黎珠は頷く。

 そして先ほどの剣舞を思い出し、さらに彼にげんを重ねた。


「北嶽様、先ほどの剣舞、わたしも拝見しました。その、良い言葉が見当たらないのですが……北嶽様、きらきら輝いておりました!」

「相変わらずあったま悪そうな感想だな、お前」


 もっともな北嶽の指摘に、黎珠は苦笑する。

 北嶽はこう言うが、すぐに適切な言葉が浮かばないほど、彼の剣舞は見事だったのだ。


語彙ごいが貧弱で申し訳ありません。けれど、本当に素敵でした。北嶽様の舞には、人龍を感動させる力があると思います」

〈……──────。──────────、────────────────?〉

うるさい、黙れ。おだてても何も出ねぇぞ」


 前を見たまま低く告げる北嶽に、黎珠は笑みを深めた。

 げんに悪意はない。眼を合わせないのは、きっと心を読まれたくないのだろう。ほんのり耳が赤いのも、酒のせいだけではないような気がする。

 まんざらでもない様子の北嶽に、黎珠は頬を緩ませて後を追った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ