表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/81

30

 再度、鳳炬ホウキョを訪ねると、蓮池はいつになく賑わっていた。

 何名もの女官がせわしなく行き交い、物品を運ぶなどしている。鳳炬は蓮池に面した宮の前で、帳簿のようなものを片手に何事か話していた。


 忙しそうで気が引けるが、何と言ってもこちらの用事には州公が関わる。黎珠は様子を見て、そろそろと鳳炬に声をかけた。


「あのう、鳳炬様。お忙しいところ、たびたび申し訳ないのですが……」

「あら、黎珠? 大丈夫よ、ちょっと待ってて!」


 そう言い、図面を指差しながら女官に指示を出す。やり取りがひと段落すると、鳳炬は嫌な顔一つせず、黎珠に向き直った。


「お待たせ、黎珠! ごめんなさいねぇ。さっき急に茶会の手配をしろとか言われて、『はあ? 何それ頭ぶったたいていい?』と、内心思いながら色々やっていたところなの。黎珠の耳にも入っているかしら?」

「はい。わたしも先ほど李君に聞いたばかりです。昨夜の件がありますから、日の高いうちに、ということなのでしょうが」


 黎珠が言うと、鳳炬は両腕を組んでうなだれた。

 急な準備で、疲れているのだろう。


「ぶっちゃけ、振り回されるわたくしたちは、げんなりよねぇ。……あ、それよりどう? お薬は雲将軍にお渡しできた?」

「はい。それはもうばっちりです! 実は別件で、またおきしたいことがありまして……」

「あらら。何かしら?」


 ぱちぱちと瞳をまたたかせる鳳炬に、黎珠はさっそく北嶽についてたずねた。


「北嶽様がこちらの方角にいらっしゃると聞きました。茶会の件でお伝えしたいことがあるので、お探ししています。居場所をご存じでしょうか?」

「ああー……北嶽公の居場所ね。ええ、心当たりは、あるわ」


 歯切れの悪い口調で、渋りながらも鳳炬は答えた。


「多分、コウキュウよ」

「コウキュウですか? 後ろの宮と書いて?」

「ええ。その『後宮』よ」


 げんなりしたような表情で、黎珠に同意を求めるように鳳炬は言う。

 後宮、という言葉は初めてだ。何か明確な目的を持った宮のようだが、黎珠には想像もつかない。

 仕方がないので、素朴にいてみることにした。


「なるほど。ちなみに、後宮とはどのようなところなのでしょうか?」

「………………ごめんなさい、黎珠。公の居場所なんて、わたくしさっぱりだわぁ」


 びっくりするほど、白々しい嘘が返ってきた。

 話を逸らしたい意図がばしばし伝わってくるが、黎珠も引き下がるわけにはいかない。夏楠を真似まねて、畳みかけるように問いかけた。


「北嶽様は後宮にいらっしゃるのですよね? どのような場所なのですか?」

「ほ、本当に困ったものだわぁ。北嶽公はどこにいらっしゃるのかしら~。全然まったく、見当もつかないわぁ~」

「お言葉が棒読みです、鳳炬様」


 笑顔で黎珠が指摘すると、鳳炬はぷうっと頬を膨らませる。そして視線を横に逸らしたかと思うと、ぶるぶるくびを左右に振り、声高に宣言した。


「駄目よ! 駄目駄目駄目ですー! 後宮なんて、黎珠は絶対、行っちゃ駄目ー!」

「ですが、大切な言伝ことづてが……」

「平気平気! どうせ伝えたところで出やしないわ。朝議にすら出ないんだから、あの男は。今日に限らず毎度こんな調子だから、欠席扱いにしちゃって大丈夫!」

「でも、今回はお出になられるやもしれませんし……」

「だ、駄目よ! そんな捨て猫みたいな眼をしたって駄目なんだからね!」


 少し怯む、その反応に付け入る隙あり、と黎珠は踏んだ。

 すかさず胸の前で両手を組む。さらに上目遣いで、瞳を潤ませるようにして鳳炬に懇願した。


「お願いします、鳳炬様。北嶽様に会えねば、わたしがお叱りを受けてしまいます……」

「だ、だ、駄目なんだからね……っ」

「鳳炬様……」


 ずい、と鳳炬に身を乗り出して黎珠は訴える。

 鳳炬は両手を前に突き出し、それに必死で抵抗した。


「だ、駄目よ、鳳炬! 屈しては駄目! あんな野獣けだもののところへ黎珠をやったら、その場のノリで喰われかねないわよ!」

「なッ、そんなにも危険な場所なのですか? では、なおのこと北嶽様をお護りせねば!」


 わかった。つまり後宮とは、過酷な修練の場なのだ。

 あの北嶽がさらに己を鍛えるのだから、死と隣り合わせの危険な場所に違いない。だから小童こどもはもちろんのこと、鳳炬は黎珠を行かせまいとしているのだ。

 喰われるということは、獰猛な虎や熊が放し飼いにされているのだろう。そうだ、そうに違いない。


「いや、違うわよ⁉ 喰われるのは黎珠の方よっ⁉」

「おっしゃることはわかります。確かにわたしは、北嶽様にはるかに及びません。喰われる可能性はわたしの方が高いでしょう。けれど、盾になることぐらいはできます」

「うん、思いっきり勘違いしてるっ‼」


 鳳炬はそう言うものの、頑として後宮の詳細を教えようとはしない。

 そのまましばらく押し問答を続けたのち、最終的に鳳炬が折れた。がっくりと肩を落とし、うなるような声で黎珠に告げる。


「もう……わかったわ。行き先を教えます。こんな真昼間ですし、まさか自分の奴婢ぬひに手を出すことはないでしょう。それに黎珠はちょっと、現実を知った方が良いでしょうし……」

「ありがとうございます、鳳炬様!」

「どういたしまして。でも、くれぐれも気を付けてね。何かあったら、大声で誰かを呼ぶのよ?」

「はい、警戒は怠りません。武器は手元にありませんが、体術も多少は心得ていますので」


 これでも山育ちだ。虎や熊相手に引けは取らない。

 やる気満々の黎珠に対し、鳳炬はどこまでも不安げだった。


「いえ、だからそうではなくて……いや、体術はとても有効だけど」

「ご安心ください! わたし、山で熊と戦った経験もあります。必ず生き延びてみせますので!」

「いえ、後宮に熊は出ないわよ。熊なんて──」


 と言いかけ、鳳炬はぴたりと動きを止める。


「……って、熊ぁ────⁉」


 鳳炬の素っ頓狂な声が、蓮池に響き渡った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ