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 朝の水汲みを終えてしまえば、一昨日と同じく時間がく。

 賊については、昨夜のうちに調べを受けていた。北嶽の口添えもあり、その場にいた黎珠の潔白は証明されている。今日も昼までひまだ。


(連日の訪問になってしまいますが……)


 彼女のところへ行こう。

 鳳炬ほうきょの庭園に、黎珠は足を向けた。道すがら警備を確認すると、今日はたるんでいる兵が少ない。すれ違う龍兵の数も増えている。昨夜の襲撃を経て、さすがに彼らの意識も変わったようだ。


 とは言え、官奴婢かんぬひの黎珠が呼び止められることはない。すんなり蓮池に着くと、橋の上をうろうろする鳳炬を見つけた。


「あっ黎珠! 昨夜、賊が出たって聞いたわよ、大丈夫だった?」


 眼が合うなり駆け寄ってくる鳳炬に、黎珠はぺこりと頭を下げた。


「はい。ご心配おかけしたようで、申し訳ありません」

「そんなことは全然……」


 鳳炬は言いかけ、黎珠の左腕に視線を落とした。昨夜負傷した箇所だが、そでに隠れて見た目にはわからないはずだ。

 しかし、鳳炬は大きな瞳を伏せて黎珠に言った。


「黎珠、あなた腕を怪我したでしょう? かばう動きでわかるんだから。わたくしの眼は誤魔化せなくってよ。ちょっと見せて!」


 言うが早いか、黎珠の袖をめくりあげると、鳳炬は声を荒げる。


「ほら、ほらやっぱり! ちょっとちょっと何これ? 大怪我じゃない!」

「いえ、数針縫っただけで、たいしたことは──」

「数針! それ大怪我! 女子的に大怪我だから、それって! 縫ったらあとが残っちゃうじゃないのよ~、もうっ!」


 我がことのように心配してくれる鳳炬を見ていると、なんだかこそばゆい気持ちになる。だが、決して嫌な感覚ではない。

 もだえる鳳炬に、黎珠はおずおずと支障がないことを伝えた。


「大丈夫です、本当に。骨も筋も無事ですし」

「でもでもでもー!」


 なおも喰い下がってくれる鳳炬は、とても有難いが……あまり心を煩わせるのも忍びない。

 話を逸らすため、黎珠は別の話題を彼女に振った。


「ところで鳳炬様は、武術をたしなんでらっしゃいますよね?」


 すると、鳳炬はぴたりと動きを止め、黎珠に横目で視線を送った。


「あら……やっぱり露見バレてた?」

「はい。鳳炬様の所作には、まったく隙がありませんから。恐れながら、かなりの武芸者とお見受けいたします」


 実は、鳳炬とは最初に出逢ったときから、かなり腕の立つ龍女だろうと予測していた。夏楠も北嶽もそうだが、一流の名手は姿勢や動作、まとう空気にどうしても違いがあらわれる。


「そうよねぇ、黎珠も武闘できる子だもの。そりゃ露見わかっちゃうわよね。あーあ、女らしく振舞っていたのに。まあ、天武兄様とあれだけ修練にはげんだら、嫌でも野性味が出ちゃうってもんよね」

「そのようなことはないです! 鳳炬様はとてもおしとやかですよ!」


 すぐに黎珠が否定すると、鳳炬は大輪の花のような笑顔を浮かべた。


「あら、ありがとう、黎珠。そう言っていただけると嬉しいわ」

「鳳炬様は、天武様と修練を積まれたのですね」

「ええ。最初は『女に武術など教えられない』って断られたのだけど、三年粘って向こうが折れたわ」


 えへん、と鳳炬は豊満な胸を張る。

 あの夏楠が性別を理由に断るとは意外だ。黎珠には積極的に勉学を勧めていたので、そのような思考をするとは思わなかった。女が武をたしなむのは、そこまで悪いことなのだろうか。


「女性が武術を学ぶのは、悪いことなのでしょうか?」


 黎珠が問うと、鳳炬はきっぱりと真顔でそれを否定した。


「いいえ、悪くはないわ。『武術にしろ勉学にしろ、学びたいという意思に性別は関係ない。そのことに、私は気づいた』」


 そう言い、打って変わって悪戯っ子のような表情を見せて続ける。


「始めて手ほどきを受けたとき、兄様がわたくしに言ってくれた言葉よ。あのね、黎珠。武術を習うの、半分は兄様が目当てだったけど、もう半分は本当にやってみたかったの。昔から身体を動かすのは大好きだったから」


 そんな鳳炬の語る夏楠を、黎珠は容易に想像できた。

 少女の懸命な言葉にやがて感銘を受け、彼はその考えを改めたのだ。夏楠の公平で誠実なものの見方は、多分、鳳炬がきっかけだったのだろう。


「兄様にいって言ってもらえたとき、わたくし、涙が出るほど嬉しかったの。ずっと父にも母にも疎まれて、否定されていたから。ああ、わたくしは外に出てもいいんだ、って。わたくしね、『女が史書など読むな。おとなしく二胡にこでも奏で、華をでておれば良い』って、ずっと言われ続けてたの。もうほんと、あれは暗黒時代だったわぁ」

「鳳炬様……」


 彼女には、そのような苦労があったのか。

 生れ持った性差で、勉学も武芸もままならない。堯国における女性の立場は、こんなにも低かったのだ。風花かざはなの里は女ばかりだったので、まったく知らなかった。


「あらやだ、ごめんなさい。余計なことべらべらと喋っちゃったわね」

「とんでもありません! 素敵なお話をありがとうございます。鳳炬様は本当に天武様のことが好きなのですね」

「ええ! この世でいっとう大好き!」


 その破顔を眩しく思いながら、黎珠はゆるく笑みを返す。

 ああ、自分にこれだけの素直さがあれば、もっと違った結果になっていたはずなのに──。そう思うと、悔やんでも悔やみ切れない。


 黎珠がそんなことを考えていると、唐突に鳳炬が手を叩いた。


「あっ。そうだわ、兄様の畑!」


 何かに思い当たったように呟くと、鳳炬は改めて黎珠に向き直った。


「あのね黎珠、この奥に兄様の畑があるのだけど、一緒に薬草も育ててるの。湯船に受かべると傷に効くのがあったから、ちょっと待ってて──」

「薬草──そうでした、鳳炬様のところには薬草が!」


 鳳炬の語尾を遮るように、黎珠は声を上げる。

 別のことに気を取られて、すっかり失念していた。

 昨日、鳳炬には「怪我をしても、ここでは薬草を栽培しているから、すぐに手当てができる」と言われていたではないか。


「あの! 具体的に何があるかおきしても⁉」


 喰い気味にたずねる黎珠に、やや身をけ反らせて鳳炬は答えた。


「え? えっと、実はわたくしも詳しくないのよ、あそこの薬草。ただ、とにかく種類はたくさんあったわよ? ああでも、毒と薬は紙一重だから、教えてないものには触れるなって、昔兄様に言われてて……」

「鳳炬様、お願いがあります!」


 ──数少ない、自分の取り柄。

 それをようやくかせるときが来た、と黎珠は思った。


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