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  一日の為事しごとを終え、火の始末をし、薄い布団にもぐり込む。

 床の硬さが身体に伝わるが、里の寝床によく似て妙に懐かしい。日々の緊張も手伝い、黎珠が横になるとすぐに睡魔が訪れた。

 夢を見る間もなく、闇に吸い込まれるように眠りに落ちる。


 だから脈絡なく夜中に目覚めたとき、黎珠は即座に襲撃を予感した。


 布団をねて、飛び起きる。

 頬が熱い。眠っていただけだというのに、軽い動悸がする。


(胸騒ぎがする。この感覚は──)


 戦いの、最先いやさきの空気。

 そうして真っ先に浮かんだのは、北嶽の顔だった。


 考え過ぎだとは、思う。

 だが、安易に気の所為せいだと切り捨てられない。

 孝燕にも言われたが、龍討師は殺意に敏感だ。暗殺を生業とする以上、そうらねば討師として成り立たないのも事実である。


 黎珠は素早く身支度を整えると、離れの戸に手をかけた。そのまま外に出ようとし、ふと立ち止まる。くるりと反転して居間に戻ると、寝る前に手入れをした黒影を手に取った。


 輝きを取り戻し、夏楠の黒影それと瓜二つになった黒影を掲げる。

 鞘と柄は丁寧に磨き、剣首には新品の穂を付けた。黎珠には鞘から剣を抜くことができず、剣身だけは手付かずのままだが、これは恐らく問題ないだろう。


 黒影は、宝貝ほうばいだ。

 北嶽との戦闘でぼろぼろだった彼も、刃だけは見事な黒影だった。察するに、黒影の剣に研磨は不要なのだ。でなければ、あえて剣身以外の手入れを怠る理由がわからない。


 あとはどうにかして、黒影を北嶽の手に戻す算段をつけねば。主である彼なら、黒影を抜くことができる。戦闘ではきっと、彼の力が必要だ。


「ご同行、お願いします。黒影殿」

〈────。──────────〉


 今、黒影の声はまったく聞こえない。

 だが、なんとなく、黎珠は彼が同意してくれたように感じた。


 黒影とともに出ると、想像以上に外は暗い。空を仰ぐと、糸のように細い三日月が雲に覆い隠され、黎珠の不安を掻き立てた。

 暗く、月の光りの届かぬ夜。

 それは、龍討師が最たる真価を発揮するときでもある。


 周囲に気を配りながら、黎珠は慎重に先を急いだ。真っ暗な宮中は静まり返り、不寝番の数も異様に少ない。信じられないことに、中には眠りこけている者すらいる。


 これはたまたまなのか、もしくは単純に、彼らが怠惰なだけか。だが、仮にも国土の四分の一を統べる州公のおわす宮に、そのような状況があり得るだろうか。


(あるいは──何者かの意図が作用している?)


 例えば、その何者かに睡眠薬を盛られている、だとか。

 症状を診れば、黎珠でもある程度のは可能だ。不寝番かれらを調べてみたい気持ちはあったが、今は時間が惜しい。北嶽の安否が最優先だ。


 闇に眼を凝らし、重い足取りで庭園にわを通り抜ける。

 何事もなければと心中で祈りながら、黎珠は北嶽の寝所を目指した。


(……やはり、おかしい)


 一歩進むごとに、疑念が確信へ変わっていく。

 これだけ歩いて、道中誰とも遭遇しない。異常だ。いくら玄州兵がぼんくらとはいえ、さすがに不自然である。


 毒を盛られたか、故意に配置を変えられたか、金で買収されたか──いずれにしても、しずかに計算された敵意を感じる。


(早く、北嶽様のもとへ)


 わずかな灯籠のあかりを頼りに、闇深い回廊を急ぐ。

 不自由は感じない。

 討師は夜眼がく。

 龍殺には龍脈がえる夜間が、もっとも適しているからだ。


 すんなり北嶽の寝間に辿り着くと、黎珠は扉の前で足を止めた。

 この期に及んで、しばし迷う。

 確たる証拠もなく、呼ばれてもいない主の寝間に、このまま入室して良いものか。本当に異常がないか、今一度周囲を確認すべきではないか。


 北嶽は命を狙われているのだ。何事もなかった場合、罪に問われるのは黎珠である。『叛逆はんぎゃくの意志あり』と入室はいった途端、くびを刎ねられても文句は言えない。

 しかし幸いにも、その逡巡は長くは続かなかった。


 結論を待たず、室内から家具を引き倒す騒々しい音が響く。

 瞬時に張り詰めた空気を感じ、黎珠は足を踏み出した。

 呑気に迷っている場合ではない。


「北嶽様ッ!」


 蹴破るように扉を開く。鍵はかかっていない。

 強引に寝間へ押し入り、最初に黎珠の眼に飛び込んだのは、乱れた室内だった。


 天蓋から垂れた布が、ずたずたに裂けている。敵の攻撃を防いだのか、刃物の突き刺さった書卓が横倒しになっていた。


 その木の葉のような形をした、柄のない特徴的な刃を、黎珠はっている。

 暗器あんき──討師が好みつかう、隠し武器の一つだ。

 

「その声は莫迦女ばかおんなか!?」


 存外近くから北嶽に呼ばれる。

 声の方を向くと、夜着のまま護身用の剣を握る北嶽がいた。

 怪我はなさそうだ。壮健なその姿に安堵して、黎珠は北嶽の隣に並んだ。 


「はい、北嶽様! 危急の事態ゆえ、ご無礼をお許しください」

「お前がここにいるってことは、あれは別口か」


 なるほど、北嶽は黎珠を疑っていたようだ。

 確かにこの状況では、それが一番自然だろう。


「北嶽様、あの者に見憶えは?」


 たずねながら、敵を検分する。

 寝台を挟んだ寝間の奥に、外套を頭から被った人影がえた。顔は視えないが、華奢な手足と身体つきから女だとわかる。小柄なので少女かもしれない。彼女はその手に、複数の刃物を握っていた。


「お前、あいつが視えるのか? この暗さで」

「はい。討師は夜眼が利くのです。北嶽様はいかがですか?」

「影くらいは視える。あのっせぇ武器はなんだ?」

「『ひょう』です。木の葉型の小さな刃物で、敵に投擲とうてきします。毒を仕込むことが多いので、ご注意を」


 ひょうは飛刀に次ぐ代表的な暗器だが、玄州で扱う者はごく少数だ。飛刀には柄があるのに対し、鏢は柄がない。片手に乗るほどの刃を、指の間に握り込むようにして、打つ──つまり、投擲するのだ。


「あの体格、女性ですね。歳も若そうです。この気配は──」


 言い終える前に、女が鏢を放った。

 打たれた刃の数が多い。──まずい。

 黎珠は力いっぱい、横に北嶽を突き飛ばした。

 あの龍脈の強さでは、かすっただけで命に関わる。

 黎珠は上体を逸らして鏢を避けたが、一枚躱かわし損ねた。

 二の腕のあたりを鏢にかれ、手にした黒影を落としてしまう。


「くッ!」


 傷口を手で押さえ、黎珠は床に尻をついた北嶽と合流した。

 しくじった。

 思った以上に、鏢の扱いがうまい。この玄州に、これほどの鏢のつかい手がいるとは意外だ。

 刃に毒を塗られていなければ良いが。

「北嶽様、ご無事ですか?」

「この莫迦がッ! いきなり何す──」


 悪態をつこうとした北嶽は黎珠の怪我に気づき、押し黙った。

 二の腕の辺りが、布ごとぱっくりと割れている。

 だらだらと出血して見た目は派手だが、傷は浅い。戦闘に支障はないだろう。

 即死しないということは、即効性の毒は塗られていない。この感覚なら、毒刃ではないように思う。もし仕込まれていたとしても遅効性だ。止血も後回しでいい。


「北嶽様はご無事ですね。良うございました」


 こちらは大事ないという意味も込め、黎珠は北嶽に笑いかけた。

 北嶽は黎珠から眼を逸らし立ち上がると、


「賊を始末する」


 と、聞くだけで息の根が止まりそうな言葉を吐く。

 さすがにこの状況で、それは無謀だ。

 黎珠は襲撃者から北嶽を隠すように、彼の進路を阻んで告げた。


「北嶽様、この場はわたしに任せを。どうぞお逃げください」

「ぬかせ、莫迦女。手負いは引っ込んでろ。このおれが直々にブッ殺してやる」

「なりません、北嶽様! あの者、恐らく龍討師です!」

「──ちッ」


 言い合う間にも、鏢の雨が降る。

 北嶽は手近にあった敷布を掴むと、自分たちの身を覆い隠すように広げた。

 円舞のような回転に合わせてふわりと膨れる布に、すべての鏢が絡め取られる。

 黎珠はその隙に、床に置き去りとなった黒影を手元に引き寄せた。


「北嶽様、黒影殿を!」

「やなこった!」


 即答されるが、ここで引くわけにはいかない。

 龍討師は、龍を殺すことだけに特化した人間だ。

 ましてや今は真夜中。さらに北嶽は夜目が利かない。

 逃げる気がないなら、せめて武器だけでも最上のものを持つべきである。


「北嶽様、お怒りはごもっともですが、どうか黒影殿をお赦しください。黒影殿も、お願いします。北嶽様をお護りください。わたしの顔に免じて、どうかこの場は」


 かたかたと黒影を持つ手が震える。

 右腕の負傷でうまく力が入らない。

 気を抜くと落としてしまいそうだ。

 黎珠は北嶽を──夏楠の血を引く彼を死なせたくない一心で平伏し、彼に嘆願たんがんした。


「お願いします、北嶽様。どうか、どうか!」

〈────────────〉

くそッ! わぁったよ! 持ってりゃいいんだろ!? 持ってりゃ!」


 根負けした北嶽が、黎珠から奪うように黒影を取り上げた。


「……なぜ、庇うの? おなじ討師なのに」


 討師の女が喋った。

 やはり、若い。少女だ。


 ──既視感がある。

 情の欠落した声。ぞんざいに言葉を繋げただけの語り口。それは里にいた頃の自分の口調に、よく似ている。

 討師の少女は、重ねて黎珠に問いかけた。


「これは悪しき龍。だから討伐する。これは良いおこない。……ちがう?」

「違います」


 迷いなく否定する。

 紛れもない自分の意思として。

 それが悩み、苦しみながも黎珠が出した解答こたえだ。


龍討師わたしたちは、ただのちっぽけな人間です。神ではありません。……龍討師わたしたちに、他者の命を奪う権利はない」

「悪いのに、許すの? 遊びほうけて、民のことも考えない、北嶽を?」


 討師の台詞に、北嶽が身じろぎをする。

 しかし、黎珠は討師に一歩を踏み出した。

 その問いに、退くことはできなかった。絶対に。


「罪をゆるせとは言いません。けれど、そこから生まれる可能性を摘んではいけないと、わたしは思うのです」


 夏楠は、黎珠をゆるした。

 そして彼は、常に根気強かった。

 これはつまるところ──そういうことだったのだ。


「北嶽様は苗です。まだお若い。今、見限るのは早計に過ぎます。北嶽様には無限の可能性と、未来がある。手をかけ慈しみ、根気強く水をやるのが、我らの務めではないでしょうか?」

「…………」


 討師は答えず身をひるがえし、窓を破って逃走した。

 確かに、もういい頃合いだ。やや遅れて、事態を知った兵卒が寝所に到着した。これだけ騒げば、いくらなんでもまわりは気づく。


「北嶽様ッ! ご無事ですか!?」

「遅えんだよ、この鈍間のろま! 賊が逃げた、すぐに追え!」


 指示を飛ばす北嶽の横で黎珠は服を破り、止血をする。皮膚が綺麗に割れているので、あとで李に針と糸を借り、縫い合わせる必要があるだろう。とは言え、骨には異常がないので問題ない。

 それよりまずは、北嶽の安否だ。


「北嶽様、お怪我はございませんでしたか?」

「ねぇよ! 見りゃわかるだろ! おれがあんな女に遅れを取ってたまるか!」

「左様でございますか。安堵いたしました」

「お、お前……」

「はい?」


 黎珠は居心地悪そうに語尾を濁す北嶽を見上げた。上から落とされる視線の先には、布を巻きつけた黎珠の腕がある。

 ──ああ、気にしてくれているのだ。


「ご心配には及びません。ただのかすり傷です」

「だ、誰がお前みたいな短躯チビの心配なんかすっか! 莫迦ばっかじゃねーの、お前!」


 ふい、とそっぽを向く北嶽の気持ちが、黎珠にはよくわかった。

 ()()()()()。親切にされることに慣れていないから、どうしていいかわからないこと。つい、憎まれ口を叩いてしまうこと。なかなか素直になれないこと。すぐに認められないこと。

 理解わかる──とても、とても、とても。

 涙が出るほど、黎珠には、わかるのだ。


「まあ、これはとんだ早とちりを。お許しくださいませ、北嶽様」


 少しだけ困った顔を作って、黎珠は頭を下げた。


「仕方のねぇ奴だな。まあ、今回は許してやるよ」

「はい。ありがとうございます、北嶽様」


 黎珠は顔をほころばせて礼を述べる。

 それを見た北嶽は、苦虫を嚙み潰したような顔で顔をそむけた。


「今日はもう寝る!」


 宣言し、北嶽は慌ただしく寝間を横切ろうとして途中、倒れた長椅子の角に足をぶつけた。裸足はだしだったため、小指を思い切りやってしまったらしい。痛そうだ。


「北嶽様、大丈夫ですか?」

うるさいなんともない! お前も早く寝ろ! 明日遅れたら承知しねぇからな!」


 噛み付くように言い返されてしまう。

 どかどかと去って行く北嶽を見送り、黎珠は彼に対して初めて、くすりと笑みをこぼした。



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