表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/81

24

 その日の昼餉ひるげも、やはり北嶽は荒れていた。


「あークソッ、畜生! 頭痛ぇ……飲み過ぎた……」


 入室するなり長椅子に身を投げ出し、靴を脱ぎ捨てる。黎珠は北嶽の長靴ちょうかを拾い、椅子の端にそろえて置いた。近寄ると強い酒の臭いとともに、甘ったるい花の香りが黎珠の鼻に届く。


 室内で香を焚き、酒宴にでも耽っていたのだろうか。だとするなら、あとで北嶽にへやの換気を進言した方が良さそうだ。

 それにしても、彼がこんな女性向けの甘い香りを好むとは意外である。


「なにぼっと突っ立ってる」

「はい?」


 へやすみに控えていた黎珠を、北嶽は三白眼で睨めつける。


「茶の一つも出せねぇのかよ、お前は! ッ、てぇー……このおれが二日酔いなんて……」

「は、はい! 申し訳ございません、すぐにお持ちします!」

「大声で喚くな、頭に響く。っとに使えねぇな、お前は」

「面目ございません。しばし、お待ちくださいませ」


 大急ぎで棚から茶器を取り出し、孝燕の見よう見まねで準備する。茶壷や茶盤を使った高級茶の淹れ方は、層雲宮で毎日見ていた。なんとかなる。

 念のためこっそり味見をしてから、黎珠は茶器一式を円卓に置いた。


「お持ちいたしました」

「遅い。身体起こすのも面倒だ。早く茶ぁこっちに寄越せ、莫迦女ばかおんな

「はい、どうぞ」


 そっと両手で掲げるように、茶杯を差し出す。北嶽はぞんざいな手つきでそれを受け取り、茶をすする寸前でぴたりと動きを止めた。

 ほとんど垂直落下するように、茶杯が円卓の上に戻る。

 脈絡のないその行動に、黎珠は眼を丸くした。


 北嶽は杯に口を付けていない。ということは、茶が口に合わなかったわけではない。手には茶杯を持ったままだから、淹れた茶が熱いというわけでもない。


「あの、北嶽様?」


 茶杯を握った北嶽の手が、すいと持ち上げられる。──と、そのまま勢い良く振り下ろされた。

 陶器の砕けるかろやかな音が響く。

 高価な茶杯が、床の上で粉々に散っていた。


「こんな不味まずそうな茶が飲めるか」

「は、はい。申し訳ありません」

朝餉メシはどうした?」

「そろそろ李君が運んでくださるかと」

「ふうん。で、お前は何もしないのかよ?」

「そのつもりだったのですが、お出しする料理の順などが複雑なので、また日を改めてと……」

「役立たずここに極まれりだな」


 返す言葉もなく俯いていると、背後で戸を叩く音がした。料理が盛られた膳とともに李が入室し、手際よく皿を並べてゆく。

 北嶽は李の背を爪先つまさきで小突き、注意を自分に向けさせた。何も知らない李は、くびかしげて北嶽を見上げる。


「?」

「気が変わった。朝餉これは全部下げろ。それから食事メシについてだが、明日以降も配膳はお前がやれ。この莫迦女ばかおんなには絶対運ばせるな。絶対にだ」


 あごで黎珠をしゃくり、北嶽は指示を下す。李は小さく頷いて、並べかけていた食器の回収を始めた。


「おい、何をしてる」

「え?」


 急にこちらに矛先を向けられる。

 北嶽は金の双眸そうぼうすがめ、冷ややかに黎珠に問いかけた。


「割れた湯飲みも片せねぇのか? お前は?」

「も、申し訳ありません! 今すぐに」

「ったく。びる以外なんもできねぇな、お前。存在価値なさ過ぎて、使い道に困る」

「……精進、いたします」

「掃除が終わったらおれの視界から消えろ。お前見てると、いらつくんだよ」

「はい。申し訳ございません」


 我ながら覇気のない、消え入りそうな声で平伏する。

 配膳すらままならない己の無能を恥じながら、黎珠は砕けた茶杯を拾い上げた。


 李はいたわるような視線で黎珠をねぎらい、北嶽の言いつけ通り、膳を手にしずしずと退室する。李がいなくなると、あたりはしんと静まり返った。静寂の中、黎珠の拾う破片のかすかな音だけが聞こえる。


 黙々と清掃に従事しながら、黎珠は先ほどの北嶽の行動について考えた。

 彼は、何故茶杯を割ったのだろうか。不味そうだと言っていたが、黎珠が確認した限り、見た目には問題なかった。直前まで飲む様子だったことを考えると、味が原因ではない気がする。器に不備があったのだろうか。


(例えば、茶杯が汚れていたとか。あるいは……)


 ──北嶽様のときは毒で、たまたま食事を抜かれていて助かったと聞いています。


 瞬間的に、昨夜の李の話を思い出した。

 そうだ、毒だ。


 北嶽は毒を盛られた経験がある。当然、飲食には気を遣うはずだ。近習きんじゅうである李ならまだしも、信用のない黎珠の出した茶を、そのまま飲み干すわけがない。この場合、目の前で毒見をしてから茶杯を差し出すべきだったのだ。


(曲がりなりにも毒を扱う龍討師わたしが、こんなことを見落とすなんて……)


 己の無神経を猛省していると、突然背後から北嶽の低い声が飛んだ。


「黙れ」

「はい?」


 振り向きざまに訊き返す。

 黙れと言われて返事をするのもどうかと思ったが、先に声が出てしまったのだから仕方がない。

 叱責覚悟で北嶽を仰ぎ見るが、彼は黎珠を見てはいなかった。


「だから黙れっつってんだろ! 宝貝ほうばい風情が!」


 突如、北嶽の罵声が室内に反響する。

 大声で叫ぶなり、彼は帯剣していた黒影を鞘ごと床に叩き付けた。


 先の台詞せりふは、黒影のつるぎに対してのものだったらしい。

 依然として黎珠に黒影の声は聞こえないが、その発言は北嶽の逆鱗に触れるものだったようだ。

 射殺すような眼で睨み、剣身を踏み付けると、北嶽はさらなる罵言を黒影に浴びせかけた。


「高炉に投げ捨ててやろうか、このなまくらが!」

〈──? ──────────────────────────〉

「けっ、反吐が出る。二度とおれの前で口を利くな」

〈──────────────────────────────〉

「黙れッ!」


 黎珠はおろおろと、事の成り行きを見守ることしかできない。割って入るべきか悩んでいると、振り返りざまに北嶽が命を下した。


「お前、この宝貝なまくらを持ってけ!」

「えっ、い、いけません。大切な宝貝を、わたしのような奴婢ものが──」

「いい、持ってけ。二度とこいつをおれの視界に入れるな」

「ですが、ほかの官吏の方が知ればきっと……」

「くどい! この北嶽おれがいいと言ってるんだ、さっさとこいつを持って出ていけ!」

「は、はい! 失礼いたしました!」


 両手で黒影を抱え、逃げるように黎珠はへやを飛び出した。

 夏楠と違い、北嶽と黒影の仲は良くないらしい。いや、夏楠も厳密には池に投げるとかなんとか言っていたが、あれは軽口の叩き合いだ。ここまで険悪ではなかったし、思い返せば北嶽は黎珠と対峙したとき、最初は普通の剣で戦っていた。あれも黒影との対立が理由かもしれない。


 黎珠は逃げるように回廊へ出て、この騒ぎにも微動だにしない衛士の脇をすり抜けた。その際、特に咎められもしない。この程度の癇癪かんしゃくは、日常茶飯事なのだろう。

 人気のない場所まで来ると、黎珠は小声で黒影に話しかけた。


「黒影殿、わたしを憶えておいでですか?」

〈────────〉


 やはり返答は聞こえない。

 彼が黎珠の知る『黒影』なら、すぐに北嶽か西嶽に働きかけてくれそうなものだ。それがないということは、彼にも何か問題が起きているに違いない。


 相変わらず意思の疎通はできないが、自分の声は届いているはずだ。

 黒影に視線を落とし、黎珠はいつかの夏楠の言葉を唇に乗せた。


「黒影殿、どうか北嶽様を見捨てないでください。だって、北嶽様もまだ苗なんです。周囲の者が手をかけ、慈しみ、育てて差し上げなければ」


 長く手入れされていなかったのだろう。すっかり色が黒ずみ、古ぼけてしまった黒影に語りかける。


「李君に磨き粉をいただいてきますね。きちんと手入れをした、ぴかぴかの黒影殿を見れば、北嶽様もお許しくださるやもしれませんし」

〈──────────〉

「わたし、頑張ります。大丈夫、きっとなんとかなります。いいえ、なんとかしてみせます。どうぞ、大船に乗ったつもりで御覧ごろうじください!」

〈──────────〉


 いらえはなくとも、黒影がそばにいてくれるのは心強い。

 それに最近の黎珠は、とても運が良いのだ。幾度も危機に瀕しながら、今も命を長らえている。さらには李や、桃や、鳳炬、黒影にも逢えた。


 離れに戻った黎珠はその日の雑用を終えると、さっそく黒影の手入れを始めた。いつ黒影かれの力が必要になるかわからない。いざというときのため、入念に準備しておこう。


 こうして一日の為事しごとを終え、黎珠は明日への熱意とともにとこに就く。結果として、この判断はこの上なく正しいものとなった。


 ──襲撃はその夜、予期せず訪れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ