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「ここまできたら、多少は説明してやっても構わんけど──」
そう言って椅子に腰を下ろすと、西嶽は改めて黎珠に語り始めた。
「その前に、大前提を確認する。お前、主上は知っているね? 我が堯国、皇帝陛下のことだ」
「はい。存じております」
「我が国の皇帝陛下は、『天宝貝』という特殊な宝貝をお持ちだ。玉座は天宝貝とともに、世襲によって継承される。シガクもまた然りだ」
「シガクとはなんでしょうか?」
「………………」
「………………」
長く、重い沈黙が場に流れる。
かあー、かあー、とどこか遠くで鴉の平和な鳴き声がした。
……どうやらまた、やらかしてしまったらしい。
「あ、あの……申し訳ありません」
そろそろと、両者の顔色を窺いながら謝罪する。
とうとう殴る気力も失せたらしい北嶽が、脱力して西嶽に訊ねた。
「西嶽、おれもう帰っていいか?」
「駄目だ! 気張れ、北嶽! 僕も頑張るから!」
そう言って宙に字を書きながら、西嶽は早口でまくしたてた。
「シガクは『四嶽』と書く。要するに、東西南北を治める州公のことだ。四つあるから『四嶽』。ちなみに北嶽は北方を司るから『北嶽』、僕は西だから『西嶽』、簡単だろ。わかった?」
東西南北、四名で四嶽。確かにわかり易い。
心のつかえが取れ、健やかな気持ちで黎珠は深く頭を下げた。
「ご丁寧にありがとうございます。理解いたしました。差し支えなければ教えていただきたいのですが、北嶽様は玄州の北のどちらを治めていらっしゃるのでしょう?」
「この、ど阿呆がぁ────‼」
北嶽渾身の裏拳が、後頭部を直撃した。
「ぶぎゃ!」
「大莫迦女がッ! 今、西嶽が『州公』っつっただろ! おれの領地は、玄州全土だ!」
「玄……ぅええええええええええぇ────ッ⁉」
「遅ぇ! この女、死ぬほど反応が遅ぇ────‼」
「ちなみに僕ら、身分的に主上の次に偉い龍だからね。そこらへんもよろしく」
北嶽の脇からにゅっと頭を出し、西嶽が笑顔でつけ足す。
ひっ、とあまりの衝撃に呼吸が引き攣れた。
「しゅしゅっ、主上の次⁉ そ、そんな御方が何故わたしの前に⁉」
「あぁー、まじあり得ねぇー‼」
「あははははははははははッ‼」
三者三様の反応が展開される中、いち早く我に返った北嶽だった。
ずっと笑い転げている西嶽に対し、声を張り上げる。
「西嶽! お前笑ってる場合か! 討師! てめえもほかに言うことはねぇのか!」
「もももっ、申し訳ございません! 本当に、まことに申し訳ございませんでした!」
もう、黎珠はひたすら土下座するしかない。否、それ以外の行為は許されない。
位が高いとは思っていたが、これほどまでに高位の龍だったとは。
「お前はいっぺん死ねッ! 死んで人間一からやり直してこい!」
「はい、やり直します! 人間ができておらず、本当に申し訳ございません!」
「うはははははッ! も、もう駄目、死ぬ! 僕、笑い死ぬッ!」
ばんばん膝を叩いて大笑する西嶽に対しても、黎珠はただただ平服することしかできない。
「北嶽様、西嶽様におかれましては大変な無礼の数々、まこと慙愧に堪えません。ひらに、ひらにご容赦くださいませ」
「はははっ。こんなに笑ったのは百年ぶりくらいかなぁ。こんなに気分が良いのも久しぶりだから、お前にはもう少しだけ補足してやろう」
上機嫌な西嶽が言うことには、四嶽とは州公の別称であるらしい。北嶽は玄州公を意味し、西嶽は白州公を指す。そしてこれらは童でも知っている常識である、とのことだった。
黎珠は地べたに額ずき、しきりに恐縮して聞き入った。
「──とまあそんなわけで、四嶽の位も宝貝とともに、原則直系血族へと継承される。宝貝は四嶽らが道を誤らないよう、その神通力でいろいろ助けてくれるってわけ。
北方守護の北嶽には『黒影の剣』、西方守護の西嶽には『白亜の鏡』。今は不在だが東嶽、南嶽も同様に宝貝がある。そして四嶽には宝貝の声を聞くための耳、すなわち『聞耳』の力が授けられるわけだ」
「聞耳、でございますか」
「そう。宝貝の声を『聞く』。これすなわち四嶽の証だ。けどね、これは人はおろか、同じ龍にだって秘密にしてることなんだよ。聞耳は本来、四嶽の継承者にしか伝えられない。あ、もちろん主上は例外だけどね? つまるところ四嶽と主上以外、どれほど高位の龍だって宝貝が喋ることは知らないし、聞こえないってわけ」
なるほど。確かに思い返せば、黒影と話をしていたのは常に夏楠で、黒影と孝燕の会話は聞いた憶えがない。てっきり黎珠は皆に聞こえているものとばかり思っていたが、実際は夏楠と黎珠のやり取りで察していたのだろう。
黎珠に語り終えると西嶽は足を組み替え、「うう寒っ」と身震いをした。確かに日が傾き、川にはいつの間にか西日が射している。
しかし武邑──いや、今は洛邑か──は、玄州でも指折りの温暖な地域だ。黎珠はさほど気にならない。玄州生まれの北嶽も、すました顔で西嶽を眺めていた。
「えっと、まあそんなわけで、間に誰も介せないもんだからね。仕方なく危険を冒して、お前は恐れ多くも四嶽直々に尋問されているわけだ。人間のお前に聞耳を教えた、不遜極まりない輩の正体を知るためにね。
これは我々にとって、極めて遺憾な事態なのだよ。どこの馬の骨とも知れん者が龍の名を騙り、龍討師を操り、聞耳の秘法をも吹聴している。とても放置はできない」
そこで西嶽は言葉を切ると、がらりと明るく語調を変えて続けた。
「でも、討師のお前は手掛かりはおろか、常識もなーんも知らんようだからね。どうやらもう少し、生かしとく必要がありそうだ」
「え……?」
不自然に厚い恩情に、黎珠は驚きを隠せない。北嶽、西嶽の地位を知った今ではなおさらだ。当然、北嶽は反対するだろうと思いきや、彼の反応も淡白なものだった。
「なんだ、殺らねぇのか」
「だってさー。この娘ってば名呼びはおろか、四嶽すら知らないんだよ? てんで話にならないじゃない。きっと、それと知らないうちに、取りこぼしている情報がたくさんあると思うんだ。もうちょい常識を教えてから問いたださないと、得るものも得られない」
一見、筋が通っているような話だが、黎珠には不信感しかない。
それではむしろ危険だ。自分でこんなことを言うのもなんだが、正体不明の龍討師など、下手に知恵をつける前にさっさと葬るべきである。
「ふーん、まあいいや。次の尋問からは西嶽だけでやれよ。んなことより討師、今からおれの問いに答えろ」
そう言い、北嶽が眼前に立ち塞がる。足が長いので、跪いている黎珠には靴しか見えない。顎を上に反らし、黎珠は北嶽を見上げた。
「東嶽や、おれの命を狙ったのは、お前か?」
「東嶽様? いいえ、どちらもわたしではありません」
「西嶽」
「白い。嘘じゃないね」
ひらひらと手を振って西嶽は答える。
「本当だな?」
「ほんとだって、僕を信じろ。それにあんな白昼堂々、龍討師は暗殺なんかしないよ。ていうか、あれじゃ暗殺にならないし。討師は普通、龍脈が見やすい夜に狙うんだ」
「くそッ。じゃあ、また振り出しかよ」
「そう気を落とすな。そっちの賊もいずれ縛につくさ。──では、北天北嶽公」
妙にかしこまった口調で、西嶽はぽんと北嶽の肩に手を置いた。
なんとなく、嫌な予感がする。同じものを北嶽も感じ取ったらしく、不快感を露わにして西嶽の手を払った。
「なんだよ。気色悪ぃな」
「貴公にこの娘の扱いを一任しよう。危険な娘だが、剣に長けたそなたなら安心だ。無論、不審な動きがあった場合は即、斬り捨てて構わない」
「はあ⁉ なんだそりゃ!」
それは、黎珠も同じ気持ちだ。
あり得ない。いくらなんでも、北嶽が危険である。龍討師に精通している西嶽なら、そのようなことは百も承知のはずだ。
驚愕する両者を無視し、西嶽は屈託のない笑顔で話を続けた。
「だからー、北嶽の手元で預かってよ。この娘の証言は貴重だ。でも、牢に入れっぱなしじゃ手に入るものも入らない。かと言って、事情を知らん者に預けるのも避けたい。だからさ、強くて格好いい北嶽サマの官奴婢にしてあげてよ。近くに置いて見張っとけば一番安心じゃん。あ、大丈夫大丈夫! ちゃんと確認はするから。お前、我らに反旗の意志はあるかい?」
「あ、ありません」
「僕や北嶽を害す気は?」
「まったくございません」
即答する。
その言葉に偽りはないが、西嶽への疑念は拭えない。
「僕らへの協力は惜しまない、聞耳については他言しない、そして逃げ出さないと誓えるね?」
「はい。ご命令には逆らいませんし、逃げも隠れもいたしません」
「うん、白く良い返事だ。枷を解いてやろう」
こともなげに言う西嶽に唾を飛ばし、北嶽は断固拒否した。
「おいこら、待て糞爺ッ! なに勝手に進めてやがる! てめえが預かれよ、てめえが!」
「やだよぅ。僕は爺じゃないけど、北嶽ほど強くはないし? ちょっぴり危険じゃないか」
「おれだって危ねぇだろ!」
「あれえ? 北嶽は、こんなちんちくりんの小娘が怖いのかい?」
ことりと頸を傾げ、西嶽は問う。
当然のように北嶽は否定した。
「まさか! こんなちんちくりん、屁でもねぇ!」
「はい。じゃあ北嶽の了承も得られたので決まりね! あー、もう日が暮れちゃったじゃないか! これは帰ったら怒られるなぁ……おお寒っ。尋問の続きはまた今度。僕はもう宮に帰るから。じゃ、またねー」
「ちょ、こら待てッ! 逃げんな西嶽!」
「あ、あの! 申し訳ありません北嶽様、最後に一つだけお教えください!」
西嶽を追う北嶽の背中に、黎珠は急いで問いを投げかけた。
「北嶽様は──天武公の、ご親類なのでしょうか?」
ぴたりと北嶽の足が止まった。黎珠の位置から彼の表情は見えない。
何も答えぬ北嶽に代わり、問いには西嶽が応じた。
「あはは、何言ってるんだか。親類も何も──」
丘を下った先で、西嶽がくるりと振り返り、告げる。
「天武の倅だよ、北嶽は」
「あいつを親だと思ったことは、一度もない」
間を置かず、北嶽は西嶽に反駁する。
情感豊かな北嶽のものとは思えないほど、それは抑揚のない声だった。




