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「さて、そろそろ本題に入ろう。あまり長く不在にすると、臣が気づく。お前には聞きたいことがわんさとあるんだ。速やかに僕らの質問に答えたまえ。ああ、最初に忠告しておこう」
そう言うと、西嶽は袖から小ぶりの鏡を取り出した。
上品な銀製の鏡で、よく見ると虎や唐草の精緻な文様が彫られている。装飾の飾り紐も高度な技術がうかがえ、さすがは高位の龍だ。
その鏡を黎珠の鼻先に突きつけ、西嶽はこう告げた。
「我が宝貝、白きハクアの能力は『真理』。人龍を問わず、相対した者の心を読む。嘘偽りを口にしたところで無駄だ。くれぐれも、栓なきことは慎むように。ああ、念のため確認するが、我々に害を為す気はないね?」
白きハクア。
ならば、字は『白亜』で間違いないだろう。
「はい。毛頭ございません──痛ッ!」
黎珠が西嶽の問いに答えた途端、北嶽の拳骨が頭上で炸裂した。脳天で軽く火花が散る。
北嶽は口をへの字に曲げ、痛みに頭を押さえる黎珠を見下ろした。
「誰がジキトウを許すと言った! 頷きゃいいだろうが!」
「あの、申し訳ありません、ジキトウとは?」
「こいつッ」
再び北嶽の手が上がる。
反射的に眼を瞑る黎珠の横で、いきり立つ北嶽を西嶽が宥めた。
「そう目くじら立てるな、北嶽。この娘の無礼は今に始まったことじゃない。いちいち腹を立ててたら身が保たんよ」
そうして北嶽を牽制すると、西嶽はわずかに蔑みを込めた金の眼を黎珠に落とした。
「直に答える、すなわち『直答』とは、仲介を挟まずに受け答えをすることだ。高位の龍を前に、人は直接話さない。許しを得るまで待つか、基本は御付きの者、あるいは書面を間に通すのさ。あーでも面倒だから、今回お前は喋っていいよ。我が名において許す」
「では、お言葉に甘えまして。何故、龍は人と話さなくなったのでしょうか? 少し、寂しいような……」
「へ?」
頬杖をついた姿勢のまま、ぽかんとした顔で西嶽が訊き返す。
すかさず黎珠に、北嶽の張り手が飛んだ。
「ぶぎゃ!」
手加減されているのだろう。さして痛みはなかったが、変な声が出た。
「寂しかねぇよ! 阿呆か、お前? とにかく大昔の決まりで、無礼なもんは無礼なんだ!」
「そ、そうなのですか? これはとんだ失礼を。申し訳ございませんでした」
「遅ぇよ、莫迦がッ!」
北嶽の罵声が飛ぶ。
大昔ということは、夏楠の時代にもあった常識なのだろう。つくづく、層雲宮の龍たちは例外だったのだと気づかされる。
北嶽とのやり取りを眺めていた西嶽は、やや考えるそぶりを見せてから黎珠に訊ねた。
「娘、最初の質問だ。何故、我々を龍と知りながら名を口にした?」
その言い回しで、西嶽が問わんとするところをすぐに黎珠は察した。
「申し訳ございません、存じませんでした。龍の御名を口にすることは、著しく礼を欠く行為だったのですね」
「はああッ!? 今さら何ぬかすんだ、この莫迦女は!」
激昂する北嶽とは対照的に、西嶽は極めて冷静な口ぶりで黎珠に応じた。
「ほう。お前、龍討師にしちゃ飲み込みが早いね。その聡さに免じて教えてやると、名呼びは龍にとって最大の侮辱だ。親や主君といった特定の者を除き、諱で呼ぶことは極めて無礼な振る舞いとされている」
なるほどねぇ、と西嶽は自身の膝を叩くと立ち上がり、傍らの北嶽を仰いだ。
「ようやく合点がいった。北嶽、この娘は異人なんだよ。異国人」
「はあ? どう見たってこの顔は玄州人だろ。言葉通じんぞ?」
「物心ついたときから、わたしはずっと玄州で育ちましたが……」
北嶽が小莫迦にしたように言い、黎珠がおずおずと申告する。
両者の発言に西嶽はこれ見よがしな溜息を吐き、肩を落とした。
「僕だってそれぐらいわかる。これはものの喩えだってば。ねぇ龍討師、お前玄州のどこで育った?」
「女郡です」
「女郡のどこ? 邑の名は?」
「邑ではなく、里に住んでいました。その……ある山に」
「ふうん。山の名は?」
「……獄法山という、討師の里です」
やや逡巡して、霊峰の名を告げる。掟を破ることになるが、自分はもう龍討師ではない上、すでに里は壊滅している。話してしまっても差し支えないだろう。
黎珠が答えると、すぐさま玄州育ちらしい北嶽が反応した。
「嘘こいてんじゃねぇ。獄法山なんて山、聞いたことねぇぞ?」
「地図に載っていないのです。討師の隠れ里ですから」
黎珠が答えると、西嶽は得意顔で胸を張った。
「ほら、わかったろ? この娘は極めて閉鎖的な環境で育ったんだよ。おかげで、びっくりするほど常識が欠けてるってわけ。そもそも龍殺しなんて不遜極まりない連中が、礼儀を弁える必要なんてないしね。ろくな教育を受けていないのさ」
上機嫌の西嶽とは対象的に、北嶽は不機嫌な様子で、頭髪を掻きながら呟いた。
「なんだよ。つまるところ、ものすげぇ田舎女ってことじゃねぇか」
「北嶽風に言えばそうなるね。で、討師。その物騒な隠れ里とやらは、女郡のどこにあるんだい?」
「もう、この世に存在しません」
「何故、存在しない?」
「それは、夏――」
夏楠の名を出しかけ、黎珠は意図的に言葉をすり替えた。
「とある龍の討伐を受けました。わたし以外の討師はもう、生きてはいないかと」
「白いか。ふむ、嘘ではないようだな」
(白い?)
西嶽の呟きを吟味する前に、北嶽が黎珠を問いただした。
「その討伐した龍ってのは、どこのどいつだ?」
「……存じません」
答えた途端、西嶽の声が割って入った。
「黒い。それは嘘だな。お前はその龍を知っている。少なくとも、ある程度の目星はついているはずだ」
見破られた。
西嶽には本当に、心を読む能力があるらしい。
だが、語らずに真意が読めるというなら、この尋問自体が無意味なはずだ。言葉を交わすまでもなく、一方的に黎珠の考えを読めばいい。それをしないということは──。
心は読める。だが、詳細はわからない。
今までのやり取りから察するに、彼の能力は万能ではないのだ。嘘は見破れても、白か黒、発言を二択でしか判じられないのではないだろうか。
「さっさと吐け! ぶっ殺すぞ」
考える間にも、北嶽に先を急かされる。
とにかく、虚偽の発言は控えるべきだ。黎珠は観念して、両公に夏楠の情報を明かした。
「彼は、玄州の龍だと思います」
「お前が、公衆の面前で喚き散らした名も?」
「その龍に聞きました」
「誰だ、そいつは?」
剣呑な声音で北嶽が詰め寄る。
黎珠は言葉を選びながら、その問いに答えた。
「わたしも、彼のことをよく知らないのです。ほんの三ヶ月ほど前に、危ういところを救われまして……」
「ふーん、物好きがいたもんだ。で、その龍の名は知ってるかい? どんな容姿だった?」
西嶽が核心をついてくる。白状したところで、こんな突拍子もないことを信じるか不安だが、仕方がない。
腹を括り、黎珠は口を開いた。
「白銀の髪の、美しい龍です。北嶽様と瓜二つのお顔で──名を、夏楠」
「……なんだって?」
北嶽の表情が険しさを増す。
西嶽は顎に手をやると、不敵な笑みを深めた。
「ふふ。やっと話が見えてきたね、北嶽」
「西嶽、こいつ本当のこと言ってんのか?」
「白いよ。嘘じゃないね。この色は、気がふれてるわけでもなさそうだ」
「おい女ッ! その偽者は、おれと同じ宝貝を持ってたのか?」
「偽者?」
復唱してから、少し遅れて「そうか」と思い至った。
北嶽は、夏楠の名を騙る何者かに黎珠が騙されたと解釈したのだ。冷静に考えれば、時空を飛び越えたなどと思うより、その方が自然である。
「さっさと答えろ! どうなんだ、宝貝を持っていたのか⁉︎」
「こ、黒影殿のことですよね? はい。よく似たものを手にしていました」
しどろもどろに黎珠が言うと、あとを継ぐように西嶽が問いを重ねた。
「その黒影は喋った?」
「はい。言葉を交わしました」
「おっもしろいなー。この討師、かなり完成度の高い偽者に騙されてたみたいだよ? 腹話術かな? 喋る黒影まで用意するとは、手が込んでる。ま、白罌粟を使った洗脳は龍討師の得手だからねぇ、それくらいは楽勝か。うん、納得、納得」
と言って、うんうんと西嶽は相槌を打つ。その横で、黎珠は『洗脳』という穏やかではない単語に意識を奪われていた。
白罌粟を使った、洗脳。
ああ、そうか。そうだったのかと、底冷えに理解する。
だから里では、常に白罌粟の香を焚いていたのだ。討師の心から、思考を奪うために。自身の意のままに動く、繰り人形を作るために。
──時を置けば、また毒素も抜けるだろう。
優しく告げた、夏楠を思い出す。
彼は最初から、この事実を知っていた。だから最初に真相を語ることを避け、待ち続けたのだ。黎珠が正常な思考を身につける、そのときまで。
「どこが納得だよ! つーか、ありえねぇだろ? んなことして、その偽者になんの得があんだよ⁉」
声を荒げて癇癪を起こす北嶽に、西嶽は頸を傾げて問い返した。
「うーん。ちなみに北嶽、生き別れの兄か弟に心あたりは?」
「ねぇよ。いるわけがない」
「だよねー。北嶽は天涯孤独の身だもんね。じゃあ僕らの知らん、のっぴきならない理由があるんだろうよ」
簡潔にざっくりと西嶽がまとめる。
動機については、現時点ではこれ以上考察しても仕方がないと判断したのだろう。そしてその判断は、そもそも夏楠の偽者という仮定が間違っているので、対応として正しい。
立腹中の北嶽を脇に置き、西嶽は新たな問いを黎珠に投げた。
「その偽者について、ほかに知っていることは?」
「ええと……いつも忙しそうにしていたので、西嶽様がお知りになりたいようなことは、あまり話せないと思うのですが……」
矛盾のないように。頭を最大速度で回転させて答える。
嘘はつかず、真実を。しかし、話は繋がるように。「時空を超えてきた」などと莫迦正直に答えれば、本当に狂人として処刑されかねない。それだけは避けねば。
「たいそうな美男子で、穏やかな、とても優しい方でした。剣に長け、聡明で博識で、皆に分け隔てなく接するので、周囲の者にとても好かれているようでした」
「ぷふふっ、なるほど。具体的に、その龍のことを周りはなんと言っていた?」
小さく笑いをこぼす西嶽を不思議に思いながら、さらに正直に黎珠は話す。
「具体的には……その治世、天下に並びなしと」
「うっは! 天下に並びなし! 大きく出たもんだねぇ、北嶽?」
膝を叩いて爆笑する西嶽の横で、北嶽は怒声とともに手近な椅子を蹴り上げた。
「うっせえ、黙れ! とにかく、そいつが何者だろうが、このまま見過ごすわけにはいかねぇ」
「ああ、それは僕も同意見だ。その龍は『キキミミ』について知っている。放置はできないね」
「あの、『キキミミ』とは、どういった意味なのでしょうか?」
黎珠の問いには答えず、西嶽は北嶽と顔を見合わせた。彼らはお互い目配せを交わすと、黒影の剣に視線を移す。
「その前に、確かめねばならないことがある。黒影、何か喋ってくれるかい?」
〈──────────────?〉
……おかしい。
黒影の声に耳を澄ませるが、黎珠には何も聞こえない。
訝る黎珠を確認すると、西嶽は先ほどの鏡──白亜を手に持ち、空いた手でその鏡面をつついた。
「白亜、お前も何か言ってみて」
〈──────────────?〉
彼らは何か、言葉を発しているらしい。
しかしいくら待っても、黎珠の耳はなんの音も拾わない。
黎珠にだけ、黒影と白亜の声が届いていないようだった。
「うん。問うまでもなく、やっぱり聞こえないみたいだね。安心したよ」
「当然だ。宝貝の声が人に聞こえてたまるか」
「宝貝とは、黒影殿や白亜殿のことを指すのでしょうか?」
白亜と呼ばれた鏡の声は聞こえないが、黒影と同じく意思を持っているようだ。白亜に敬称をつけて黎珠が問うと、唇に指を添え、西嶽が答えた。
「ここまできたら、多少は説明してやっても構わんけど──」
そう言って椅子に腰を下ろすと、西嶽は改めて黎珠に語り始めた。




