07.今だけでもゆっくりと
ヒック、ヒックとまるで幼い子供のように泣くユウナの頭を撫でながら、静かに見守った。
よほど溜め込んでいたのだろう。先ほどもこのような状態になり沢山涙を流していたが、まだまだ止められないようだ。
最初に彼女が倒れていたのは、生い茂る木々の中、ポッカリと丸く穴があいたようにそこだけ何も生えていない空間だった。
駆け寄って、どこかの貴族のお嬢様が野盗にでも襲われたのかと思った。
ただ、ここはめったに人が通らない、危険な手つかずの区域だ。
そんな所を、貴族が通るか?
いくら逃げてきたとしても、人の足では到底たどり着けるようなところではない。
そして、市井ではまず見ることはないだろう服に装飾品。
こんなものを身に着けていれば、賊ならば真っ先に奪い取るはず、と仲間も訝しがっていた。
うっすらと瞼を持ち上げたことで生きていることはわかったがそれ以上はピクリとも動かない。
朦朧としているであろう意識を呼び戻そうと大きな声で呼びかけると、彼女何かを言ったがかすれていてよく聞こえない。
水を飲ませてやろうと上半身を起こそうとした瞬間、彼女が短く呻き声を上げ顔を歪めた。
彼女の視線がこちらに動くのを感じたが、微妙に視線があわず、焦点が定まっていないことを悟る。
そのまま、放っておいてほしいと絞り出した彼女は、また意識を飛ばした。
ふと、足元が目に入った。
気が付かなかったが、足が血まみれだ。
爪が剥がれかけているのだ。
流石に見なかったことにはできない。彼女の懇願を聞かなかったことにする。
先ほどの呻き声の原因になるひどい怪我があるはずだと、確かめようと服に手をかけたが、彼女の服のボタンがやけに透明で美しいことに気がついた。
貴族ならば、男に肌をみられるのを嫌がるかもしれない。
緊急の事態ではあるが、隣にはアピスがいる。
アピスは治癒魔法を使えるのだ、彼女に任せた方がいいだろう。
馬を木につないで水を飲ませようとしていた仲間に簡潔に事情を説明し、今はあまり見ないでやってくれと伝え、2人がこちらに背を向けるのを確認すると、自身も立ち上がって、反対側へ移動する。
移動の際、傷だらけになった足裏が目に入ったが、ボタンに手をかけたアピスが視界に端にはいって、慌てて背を向けた。
万が一のことがあってはいけないと背後とその周辺に意識を向けて警戒していたが、何事もなく治療を終えたようだ。
「終わりました、もういいですよ」
アピスの声に向き直り、彼女を見ると先ほどよりもほんの少しだけ顔色が良くなっているのがわかった。
離れていた2人も近づいてきて、立ったまま彼女をのぞき込んだ。
「この子、何があったんだろう。
服の下、痣だらけだったよ……
ほおが腫れて、口の中も切れて出血して、足も、膝の上まで小さな傷がたくさん……」
「頬が腫れていたということは、殴られたんだろうか」
「そう、みえたよ……
足の裏がもう血と土で真っ黒で……
普通なら立ってるだけで痛いはずなのに、きっと、必死に走の思いで走ってきたんだ……」
「もう、大丈夫なのか?」
「それが……魔法が効きにくいみたい。
3回、治癒魔法をかけて、やっと塞がったの。
たぶん、肋骨が折れてるんだけど、治癒魔法は一度に効果が出る回数に上限があって、今日はこれ以上治らいみたい。
この効き方じゃ、すぐに完治とは、いかないかな……」
「……魔法が、効きにくい……」
「治癒魔法ってのはだな、本来、対象個人が持っている自然治癒力を、かける魔法士の魔力を使って底上げする仕組みなんだよ。
それが効きにくいってことはだ、よっぽど対象が弱ってるって可能性が高ぇ。
肉体的に、体力が底をつきかけてるか、精神的に、回復を望まねぇ程疲弊してるか、どっちかだな。」
「事情が説明できてるくらいまで回復すれば、充分ではないか。
依頼でもないのだ、今の時点で、それ以上は必要無かろう。
本人が回復を望んでいないのならば、尚更だ」
先程まで黙って様子をみていた2人が口を開いた。
ベルンとフェルだ。
「回復を望まない、って……そんな悲しいこと言わないでよ、フェルさん。そんなの、聞いてみなきゃわかんないよ……」
アピスは、目を潤ませてフェルを見上げた。
俺とベルン、フェルの3人は付き合いが長い。2人とも、自分と同じで冒険者としての実力は言わずもがな。強さ、依頼の完遂率、信頼、どれも最高の評価を受けなければ到達できない、Sランクだ。
そんな二人と何度も依頼をこなしてきたからこそわかる。
フェルは、冷たい物言いをすることもあるが、常に冷静で的確な判断のできる信頼の置けるやつだ。
何か意図があると察した俺とベルンは、静かに次の言葉を待つ。
「だから今の時点で、と言ったのだ。それよりも、ソイツをどうするのか、という議題を優先させるべきではないか?
もうすぐ日が落ち始めるぞ」
「まぁ、俺の立場としちゃあ、ソイツを放り出して先に進むか、とは言えねぇな。保護してギルドに報告してもらわんと、後々面倒なことになりかねねぇ」
「ならばここで野営するか、ソイツを拘束して先に進むか、どちらかだな」
「まぁ、そうだな。
幸い、今回の依頼は予定より早くきり上げられて、あとは街に戻るだけだしなぁ。帰りの道中も魔物に出くわさねぇでサクッと進めたおかげで、水にも食料にも余裕がある。
俺は、野営に一票だな」
フェルとベルンが淡々と話を進める。
アピスが慌ててベルンの案に乗っかった。
「わ、わたしもっ!もう少しこの子、治してあげたいから!野営に一票!」
「リオン、お前はどうだ。何か意見はあるか?」
「いいや、何も異論無いよ。
野営で決まりだ。」
あっさりと決まって、野営の準備を始める。
冒険者になるまでは知らなかったが、野営は案外装備も手間もかかり、面倒だ。
特にこのような深い森や危険な場所では、突然魔物や不定の輩に襲われないとも限らない。
木がなるべく生えていない場所を探して移動したり、軽く草を刈ったりして空間を確保するのだ。
俺やベルンはその辺はこだわらない質で、と言えば聞こえがいいが草刈りや移動を面倒くさがって、場所とメンバー次第ではその辺の空きスペースにゴロンと寝転び、暗黙の了解で、寝るのが一番遅かったやつが最初の不寝番な、というようなことが多々ある。
意外にも、フェルもこのやり方を気に入っており、初めてベルンとフェルの3人で遠征に出た際は驚いたものだ。
とまぁ、これは、俺たちがそれなりの実力と自信を持っているからこそ、できることである。
それに今回は女性が同行しているため、野営の際には通例通りの形で、何度か野営を行った。
ただ、今日は、彼女の倒れていた周辺をそのまま野営地点とした。
彼女の倒れていた場所は、木どころか草も生えていなかったからだ。まるで俺たちのためにそうしてくれていたように、きれいに何もない地面。万が一何かの襲撃があっても、剣を振れる空間。
準備が楽だ、と小さなことで気分が上がる。
心なしかベルンとフェルの機嫌も良いように思う。
ベルンは焚き木を起こすため枯れ枝を集めに森に入り、アピスは夕飯のスープの材料を準備し始めた。フェルが馬たちに餌をやっているのを確認し、俺は自分の荷物から外套と薄手の毛布を取り出した。
彼女の正体がわからない以上、自分たちに害意がある可能性を考慮しなければならない。
何かあっても対処できる距離を確保して、自分たちの寝床──火の周りからは少し離れた位置へ、彼女の身体の大きさに合わせて毛布を折りたたみ、地面に敷いた。
できるだけ骨に響かないようそっと抱えてその毛布の上に移動させる。
着ていた上着を脱いで、軽く畳んで頭の下に入れてやった。
彼女の服には袖がない。
焚火から距離があるし、ただでさえ弱っているのに風邪をひいてはいけない、と
外套をそっと首から下にかけた。
これでよし、と立ち上がると、顔をしかめてこちらを見ているフェルと目が合った。
「なんだ、何か文句があるのか」
「お前は……まったく……
充分治療はしたんだ。放っておけば良いものを……」
「別にいいだろう。俺の毛布と上着だ。
一番冷える深夜から明け方の不寝番は俺がやる。
火にあたって起きていれば、さほど体温も下がらない」
彼は警戒心が強い。言いたいことも理解できる。
いくらSランク冒険者が3人もいるとはいえ、まだ依頼の完遂前に、危険な森の中で、実害の恐れがないと言い切れない不審者にあまり構うなと言いたいのだろう。
けれど、この時期この森は、深夜から明け方にかけて気温がぐっと下がる。
凍えることはないだろうが、彼女のこの格好では寒さで震えるのは目に見えているのだ。
随分と疲弊しているが、育ちのいいお嬢様の可能性だってあるのだ。
もしそうならば、あんな怪我をしてボロボロになるような過酷な状況は、生まれて初めての経験だったかもしれない。
まだ幼さの残る少女が、今だけでもゆっくり眠れるといいと思っての行動だった。
まだ少し心許ないが、ないよりはマシだろうと。
フェルはもう一つ、ため息をついた。
馬から離れて自分の荷物から毛布を引っ張り出し、こちらに持ってくる。
「2枚持っている。俺は一枚しか使わない」
これがコイツ、フェルの気に入っているところだ。
お互いに信頼できているからこそ、俺の行動を尊重して受け入れてくれる。
そして、歩み寄る姿勢を見せてくれるのだ。
一見冷酷。しかし一度心を許してしまえば、誰よりも情に厚い男、それがフェルの魅力の一つだ。
「フェル、お前、そういうところだぞ」
コイツはあまり女にいい印象を持っていない。
本人がいくら冷たくあしらっても、すり寄ってくる女に、辟易としているのを何度も見てきた。
何故ならこの男、圧倒的に顔が良い。いっそ恐ろしいほど、整っているのだ。
「何がだ」
そして顔以外の自分の魅力をわかっていない天然男なのだ。
「……なんでもない」
フェルの分の毛布を彼女にかけてやっていると、
「よぉ、色男ども。さすが、細やかな気遣いだ。
この状態で、俺だけぬくぬく毛布に包まるなんて、できねぇな」
フェルは、不快感を表情全面に出して、ベルンを振り返る。
顔のことを弄られたくないのだ。
これがほかの人物だったら、ブチギレてあの冷たい目で見下し、俺には思いつかないような辛辣な皮肉をぶつけるだろう。
普段は見ないその表情があまりに愉快だったので、俺もその表情を真似して、無言でベルンを見つめる。
「お前ら。2人揃って同じような表情すんじゃねぇ。
せっかくの顔が台無しだぞ。
……おい、いい加減その顔辞めろ」
ベルンは彼女から俺の外套をさっと取り、お前も着ておけ、とそれを軽く投げてよこした。
ベルンは、兄貴肌の面倒見のいい男だ。
一番古い付き合いで、本当の兄のように思っている。
冒険者歴も長く、様々な依頼をこなして得たその知識に助けられた者も多い。
頼り甲斐があって冒険者からだけでなく、街の者からも老若男女問わず慕われている男だ。
「薄着のお嬢ちゃんにこれじゃあ寒いだろう。
俺は体温高ぇからな、いつも使ってねぇから問題ないだろ」
そう言って、先ほどの軽口とは一転、優しくそっと、彼女に自分の毛布をかけてやるのだ。
彼女がぐっすり眠っているのを確認して、各々休むためのルーティンを進める。武器や馬の手入れをして、一通り終わった俺が、アピスと交代して食事の準備をした。
「よし、皆一通り片付いたな。そろそろ食事としようか」
俺が声をかけると、みなで円座になって火を囲む。
話題はもちろん彼女のことだ。
「やはり、貴族か大商人の娘か?」
「そんな者が何の目的でこんな森に入ったのだ。もし貴族や商人ならば、前以てギルドに護衛の依頼が来ていてもおかしくないはずだ。私はそんなもの聞いていないぞ」
「うーん……だれかこわい人に、追いかけられて、逃げ込んだ、とか?」
「にしては服が綺麗すぎる気がするがなぁ……
外側からここまで、奇跡的に一度もトラブルに出くわさなかったとしよう。それでも、女の足じゃあ数日はかかるだろうな」
俺の疑問に、それぞれの答えが返ってくる。
「殴られたあとがあるということは、やはり、なんらかのトラブルに巻き込まれた可能性が高いのだろう。本人の口から聞くしかないな。
怪しい場合は、拘束の必要性もでてくる」
俺の右側に座ったフェルは、最後の一言を念押しするように言い、真っ直ぐに俺を見据えている。
「あぁ、それについては同意だ」
俺とて、冒険者だ。今まで様々な人間を相手にしてきた。
余計な事に首を突っ込んでたちまち命を失った、なんて話は腐るほど聞いてきたし、警戒を怠っているわけではない。
「あのぅ、不寝番、どうする?
わたし、ちょっと怖くなってきちゃった。
今日は二人一組で、お当番しない?」
向かいに座るアピスが、一人じゃ怖いと言う。
うるんだ瞳が見上げてきたが、それについては考えがあった。
「いや、そこは問題ない。今日は俺とベルン、フェルで交代制にしよう。
アピスは今日治癒魔法を何度も使って疲れているだろう。外れてもらって構わない」
「そ、そう……?みんながそれでいいなら、わたしもいいけど……」
アピスはパチパチと目を瞬き、俯いて答える。
後ろめたさなど感じなくて良いのだが……
治癒魔法は通常の一般魔法や攻撃魔法とは違い、術者の体力を大きく奪うと聞いたことがある。
それも本当の理由だったが、フェルは警戒心から、ベルンは責任感の強さから、自分が担当したがると思ったのだ。
案の定、頷いて返した二人にアピスはホッとしたのか、わかったと呟いて就寝の準備を始めた。
「俺はさっきフェルに言った通り、最後を担当するよ」
「そうか、なら俺は最初で良いか?報告書が1枚増えることになったからな。
帰ったらすぐ出せるよう埋められるとこだけでもさっさと終わらせときたい」
「わかった、ならば私は2番目だな」
あっさりと決まり、俺は自分の番が来るまで休もうと、外套をさっと適当に広げ、その上に寝転がった。




