06.情けないところをお見せして
「こんなことがあるのか、自分自身でも信じられないのですが……
私、この世界の人間ではないようです」
言葉を失うリオンさん。
まぁ、突然こんなことを言われても、普通なら信じられるわけがない。
彼の立場になって考えれば、こんな森の中で軽装どころか着の身着のまま何も持たず裸足で倒れていた不審な女が、荒唐無稽で突飛な発言をしたとして、嘘をついているか、精神に異常をきたして倒錯的な妄想を口にしているのだと真に受けないのは当然の拒絶反応である。
話をしたいだけだ、と優しく寄り添ってくれたが、これで急激に距離ができてしまうかもしれない。
仕方がない。どうなっても後悔はしないと決意し、包み隠さず自分の状況と情報を開示すると覚悟を決めたのだ。
少しだけ、寂しく感じる。
「この世界の人間ではないと言うことはミヤケユウナは、どこか別の世界からやって来て、この森に倒れていたということか?
そのせいで、怪我をしていたのか?」
「えっ……」
喫驚のあまり声を漏らした私を見て、真剣な面持ちをほどき口元を緩ませたリオンさんは、落ち着いた穏やかな口調で言葉を続けた。
「話をしたいと、言っただろ?
君が何か混乱しているのは今までの様子を見ていればわかるさ。
何かわからないことがあれば、先ほどのように俺が知っている範囲で答えよう。
無条件で何でも信じるとは言ってやれないが、君の話を聞いてやることはできる。
……実のところ、不寝番は退屈でな。
皆が起きるまで、俺に付き合ってくれると助かるんだが」
最後に、穏やかな笑みを崩してニッカリと笑った。
胸の中いっぱいに、温かい何かが満たされて、息ができなくなった。
たまらなく苦しいはずなのに、晴れやかな充足感と心地よい解放感。
「……ありがとう、ございます」
熱い雫がいくつも頬を滑って、止められず。情けない声でかろうじて伝わる程度の声量しか出ない。
必死で堪えようと両手で強くカップを握りこみ、体を硬直させる。
そんな私の頭をポンポンと撫でたリオンさんに、いよいよ涙が止まらなくなった私はカップを膝に放り出して、子供のようにしゃくりあげて泣いてしまった。
この人でよかった。
今の私のこの状況が解決したわけではないし、疑問もとけたわけではないが、この人に出会えたことが、現状の唯一の救いだった。
少しの間泣きじゃくって、やっとこさ落ち着きを取りもどし、改めて彼に向き直った。
「情けないところをお見せして、申し訳ございませんでした。
改めて、お話をよろしいでしょうか」
小さくクスっと笑った彼に、先ほどの自らの醜態に羞恥を覚えたが、今は考えないよう蓋をする。
「そうだな。
だが、その前に……」
そう言って立ち上がった彼は、少しここで待っていてくれるか、と言い残して火のそばへ静かに歩いて行った。
彼をじっと観察するが、火のそばにある何かを手に取ったことだけは認識できたが、何をしているのかまではわからない。
先ほどの件もあり、心許なく感じていると、いくつか作業をし終えた彼は、両手に何かを持って帰ってきた。
「さあ、これで顔を拭くといい」
受け取ると、水にぬらした布きれだった。
日本でいうところの手ぬぐいのようなものだろうか。
「ありがとう、ございます」
かなりの量の涙が流したのだろう。
顔だけでなく、首元や腕まで不快感が残ってしまっていたので、正直、助かる。
一通りぬぐって、ほっと息をつくと、次は反対の手に持っていた物を差し出された。
「体力を使っただろう。腹が減っていてはまともに頭が回らなくなる」
私の膝の上にころがっている、先ほど水が入っていたカップより大きいサイズのボウルに、スープが入っていた。
私が立ち去ろうとしたときに勧められたものだろう。
今度は素直に受け取り、先が沈められていた木のスプーンを手に持ち、口に運ぶ。
「おいしい……」
「ハハッ!それはよかった。足りなければまだあるからな。ちゃんと、食ってくれ」
そんなにたくさんは食べられないと思うが、リオンさんが喜んでくれているような気がして頷いて返した。
スープには人参とじゃがいも、大豆のような豆、お肉が入っていて、塩味だった。
お肉はベーコンになっていたが、私の知る味とは少し違った。
ボウルをちゃんと空にして、食べきれたことにまず一息。
「ん。食い切ったな。これ以上は……ちょっと無理そうか……?」
「はい、すみません……」
「いや、上出来だ」
ボウルを私の手から攫って自らの傍らに無造作に置くと、私に手を差し出して膝の上のカップを寄こすようにと言った。
「実は……ワインもあるんだが……酒は好きか?」
「お酒は嗜む程度ですが……今は結構です。リオンさんは気にせずのんでください。」
「いや、俺も不寝番だしな……
それに、君の話をちゃんと聞きたい。
今日はこれで十分だ」
そう言って、革袋から2つのカップにそれぞれ水を注いで、一つを私に手渡してくれた。
「それでは……改めて、よろしくお願いします」
「あぁ、こちらこそ、よろしく頼む」
何から話せばいいのか、纏まっているわけではないが。
「ええと、まずは、怪我の原因について、を話しますね。」
とりあえず、答えられていなかった質問からだ。
これがきっかけでもあるのだし。
「私、お付き合いをしていた男性がおりまして。
大学を卒業と同時に、結婚を前提に同棲をはじめて、彼のご両親が経営する会社で一緒に働いていました。
その彼が、何度もほかの女性に浮気をして、今回、その現場に出くわしてしまったんです。
話をしようと思ったんですが、頬を、叩かれまして……頬の腫れはそのせいで、その時に口の中を切ってしまったようです」
自分が粗雑に扱われていた事実が恥ずかしくて、彼の顔を見れずに少し離れた焚火の火を見つめながら話し始めた。
この時点で一度ちらりと彼を覗いみると、険しい表情。
予想通りだ。こんな優しい人からすれば、浮気だの彼女を叩くだの、ありえないことなんだろう。
「その拍子に、階段から転げ落ちちゃったんです。骨や痣はおそらくその時に。
他にも耐えられないことがあって、限界が来てしまったんです。
裸足で、逃げ出して、走って、森に逃げ込みました。
もう戻るつもりもなかったので、彼に見つからないように、奥に、奥に走って。
途中、追いかけてきた彼に見つかったのですが、振りほどいてなんとかもう一度逃げました。
足の傷は裸足で走りまわったせいですね」
「そいつは、」
地を這うような低い声に、慌てて振り返ると憤慨を必死に抑え込んでいるようなリオンさんが視界に飛び込む。
先ほどまで地面に座っていたはずなのに、いつの間にか随分近くに顔が来ていた。
「そいつは、いま、どこにいる」
この敵意を向けられたら、私なら恐怖のあまり気絶してしまうかもしれない。
慌ててリオンさんの両肩を手でおさえ、できるだけ落ち着いた声で話しかけた。
「ま、待ってください!まだ話は終わっていません!」
「これ以上ひどいことをされたというのか!」
「ち、ちがいます!彼との話はここまでです!ひとまず、最後まで聞いてくださいませんか!
それに、大きな声を出すと皆さんが起きてしまいますよ!」
「………………」
「この後彼には会っていません!
ここからが、わからないことだらけなんです。
リオンさんに聞いていただきたいのはむしろ、この後なんです!」
「………………わかった。ひとまずは最後まで聞こう。」
怒りを通り越してしまったのだろうか。なぜか彼のほうが苦し気な表情を浮かべ、話の腰を折って悪かったな、と小さく謝って、私のそばに座りなおした。
「ええと、走って、逃げている最中のことでした。
突然、本当に何の前触れもなく、足元から、私の周辺を強い光が覆って……
今まで経験したことがないくらい、強くて、まぶしい光で。もちろん目を開けることなんてできなくて……でも、そのまままっすぐ進んだんです。
そしたら急に、意識が曖昧になって、体がフワッと、浮いたような感じがして……
気が付いた時には、リオンさん達に助けられていました」
このあたりの記憶が曖昧で、慎重に思い出しながらゆっくりと口に出す。
一通り話し終えたが、リオンさんの反応がない。
そっと視線を向けると彼は、強い光……と小さく呟き、顎に手を添えて考え込んでいるようだった。
先ほどまでの怒りはいったん収まったようで、小さく安堵する。
「どうか、されましたか……?」
「ん?ああ、いや……なんでもない」
何か心当たりがありそうな素振りだった。
けれど、なんでもないと彼はそう言った。
彼がこれ以上話そうとしないということは、本当に何でもないことなのか、もしくは話すつもりがないということではなかろうか。
引っかかるが、仕方がない。
他にも話しておきたいことがあるので、この疑問は一旦保留にして、次に進もう。
「えーーーーー……
では、なぜ私がこの世界の人間ではないかもしれないと言ったか、についてなんですが」
「あぁ。」
「私のいた世界とは、違うことが多すぎるんです。
まず、リオンさんの恰好。
私のいた国、日本では基本的に、武器である剣の帯刀は認められていません。
法で禁じられ、見つかれば逮捕される可能性があります。
そしてあの馬。えっと……ケラス、フォロス?は私の知りうる限り存在しません。
そもそも、魔獣というものがいないんです。
スライムや、ゴブリンについては、名前に聞き覚えがありますが、物語などにしか登場しない、架空の生物とされています」
ここまで話していいものか迷ったが、聞き覚えのある単語とそうでないものがあるようだし、隠して後々疑われることは避けたかった。
リオンさんの反応が怖くて、一気に話を続ける。
「魔法も、同じです。
どのような仕組みの物かはわかりませんが、私のいた世界では空想の中のものと認識しております。
怪我をしたら、医療技術をもって、科学的に、治療を施します。
そして……細かいことなんですが……
リオンさん、私の名前、覚えてますか?」
こんなことで、と思うがついでにきちんと名前を把握してもらおう。
申し訳なさから苦笑いで尋ねた。
「あぁ、ミヤケユウナ、だな」
「はい、宮家、優菜です。
日本ではさほど珍しい響きの名前ではないのですが……
宮家、が家名のファミリーネームで、優菜、が名のファーストネームになります」
「んんん?ならば俺は、君のことをフルネームで呼んでいたことになるのか?」
伝わった。不思議な世界だ。日本語が通じるかと思えば海外のような言葉や文化にも通じるところがある。
「ええ、そうなりますね。
特にそのままでも支障はないですし、こちらの世界ではどういう文化かわからないので、お好きに呼んでもらってかまわないのですが……」
「いや、フルネームで相手を呼ぶなど、一般的ではない。せっかくなので改めよう。
ユウナ、でいいか?」
「はい、ありがとうございます。そのほうが私としてもなじみ深いので助かります
あと、最後に……
リオンさんは私の身なりがいいと仰ってくださいましたが、
この服、あまり高いものではないんです。
大量生産の既製品で、ボタンも、イヤリングも、ベルトのパールも、全てフェイク。
本物に似せて作った、価値としてはおもちゃ程度の模造品、なんです。」
片方しか残っていないイヤリングとベルトを外し、リオンさんに手渡す。
今までで一番驚いている気がする。
茫然と差し出されたものを受け取り、それらをまじまじと見た彼は信じられないというように呟いた。
「模造品……なのか……
俺はてっきり高価な物かと……
すごいな。こんな精巧な偽物は見たことがないぞ。
それにその服も。
そんなにきれいな白い布、よほどでない限りお目にかかることはないが……」
「よろしければ、そちらは差し上げますよ。
……仲間の女性の、アピス……さん?が見たかどうかわかりませんが……」
そう言って、胸元からネックレスを出して見せる。
「指輪が3つ、あるんですけど、これだけは本物なんです。
けど、両親と祖母の唯一残った形見なので、これだけは手放したくなくて……」
身分の良い女だと思っていたから優しくした、というわけではないだろうが、少々罪悪感が募る。
「いや!いや、いい!」
ハッとして、手に持っていたイヤリングとベルトを突き返してきた彼は、私の手を取り、その上にそっと置いた。
「でも、助けてくださったお礼も何もできないのは心苦しいので……
形見を手放したくないという私のわがままでむしろ恐縮しきりなんです。
これがそんなにめずらしいものであるなら、私には必要のない物なので感謝の気持ちとして受け取っていただけないでしょうか」
「いや、ほんとに必要ない。
俺たちはそんな下心で君を助けたわけじゃないんだ。
もしかしたらそれが、今後の君の助けになるかもしれない。
そうならなくとも、数少ない君の持ち物なんだ。大事にしまっておいたほうがいい。
ただ、それも、形見の指輪も、誰が見てもとても価値の高いものだと思う。
洋服に関しては今すぐにはどうこうできないが、見つからないよう、隠しておいたほうがいいな。
他の仲間にも、このことは他言しないよう、強く言っておく」
そう言って、絶対に受け取らないという意思を表明するように彼は両腕を組んで手を隠してしまった。
イヤリングは元カレからのプレゼントだから、本当にいらないんだけどな……と思ったが、いらないものをお礼としてリオンさんに引き取ってもらうのは失礼だったなと考え直す。
それに、無償の彼の厚意を、物を渡して軽んじるような結果になってはいけないのだ。
浅慮だった。
「失礼なことをしてしまったなら、申し訳ありません。
そして、思慮深い助言と忠告を、ありがとうございます。
助けていただいたことをはじめとして、お礼を言うことしかできず心苦しいのですが、重ねて、本当にありがとうございます。」
「そんなに気にしないでくれ。これが俺たちの仕事でもあるんだ
気持ちだけ、受け取っておくよ。
それにしても……うーん……
今聞いた限りの情報だけでも、随分と違う点が多いのだな……
技術力も、随分と差があるようだ」
「そうですね。私たちの世界に魔法はありませんし、もしかしたらそういったことが関係しているのかもしれませんね。
基本的な言語など、共通しているものもあるようですが……」
「よし、わかった。
俺は、ユウナを信じよう」
「え……いいんですか……?」
「あぁ、俺には、君が嘘をついているようには見えない。」
まっすぐと強い目ではっきりとそういってくれた彼に、また涙が溢れそうになる。
慌てて先ほど借りた布で目元を抑えた。
「俺は、今まで色んな人を見てきたつもりだ。
人を見る目には自信がある。
ユウナ、不安だっただろう。俺を信じて話してくれて、ありがとう」
私はまた、子供のように泣きじゃくった。




