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05.もう、じゅうぶんだ

「宮家……優菜、です。この度は助けていただき、本当にありがとうございました」


 恐る恐る彼の手を握り、握手をする。


 少しかさついていて、固く、でも暖かい、とても大きな手だ。

 私の手などすっぽりと覆われてしまう。

 合わさった手のひらにタコのような感触が触れる。

 剣士と名乗っていたので、剣だこだろうか。


「ミヤケユウナ……変わった響きだな。どこから来たんだ?」


 握手の手をほどいた瞬間、リオンさんの一言に引っかかり、ほんの一瞬固まってしまう。


 変わった響き……?

 特に特徴のある名前とは思わないのだが……


「えっと……生まれは、東京で……1年半ほど前に、こちらの方に引っ越してきたんですけど……」


「トウキョウ……?」


 不思議そうな声色の彼を見つめる。


 まただ。おかしい。

 明らかに、はじめて聞いたと言わんばかりの声だった。日本に住んでいて、首都東京がわからないなんて人、いるのだろうか。旅行客でも、知っているのではないか?

 一体、どうなっているのか……


「すまない、せっかくミヤケユウナが答えてくれたのに、トウキョウがどこの地名なのか、わからなかった」


 困った顔で謝罪してくれたが、それよりもまた、気になる点が出てきた。

 確かに彼は、『宮家優菜』が変わった響きだと言ったが、この会話の流れで、フルネームを使うだろうか。

 一般的には、『宮家さん』、『優菜さん』、『優菜ちゃん』等、上下切り分けて呼ぶのではなかろうか。


「じゃあ、歳は、いくつだ?」


「24です」


「24……!?

 そ、そうか……

 もっと下かと思っていた。

 俺は、27だ。

 そうか……3つしか変わらないのか……」


 大きく見開いた目をパチパチと瞬かせたリオンさんは、いかにも虚を突かれたという顔をしていた。


 日本人は海外の人から見ると若く見られがちだと聞いたことはある。

 けれどそこまで驚くことだろうか。


「そんなに、幼く見えますか……?」


「いや、そんなことは……あまり女性の年齢や見た目についてとやかく言うものではないな。余計なことを言ってしまったようだ。大変申し訳ない」


「いえ、特に気にはしておりませんので……」


 切れ長の目を見開いてじっと私を見つめていた彼は、私が気分を害したと思ったのか、眉尻を下げ、頭をポリポリとかきながら謝罪した。


「じゃあ、話を変えようか。

 ミヤケユウナ、君は、どこに行こうとしてたんだ?」


 ……その質問には答えられない。

 答えを、持っていないのだ。


 森の中を必死に走っていた時のことがフラッシュバックする。

 どこに行けばいいのか、これからどうすればいいのか。

 家を飛び出したのは確かに衝動に任せた行動だった。

 けれど、自分自身を消してしまいたくなったのは、衝動や勢いだけではなかった。


 彼と、彼の家族との生活の中で、いつの間にか考えるようになっていたのだ。

 日々のタスクに追われる中、ふと過ぎるその考えを、無理やり押し込めて無かったことにしていただけだった。

 あの時、あの瞬間、それをついに実行するときが来たのだと、今しかないと。

 このタイミングを逃したら、きっとこれから先何十年も、軽侮され、憫然たる目を向けられ、惨めで侘しい思いを煮詰めながら、孤寂に溺れて生きていくことになるのだ。

 そう確信して、飛び出したのだ。


 手段については様々シミュレーションしていたが、どれも道具が必要で、誰かに察知されてしまえば失敗に終わる。

 ならば衝動に任せて飛び出したこのまま、まずは姿を消してしまおうと。

 ひたすら走り続けて、誰も探しに来られないほど深く、遠く、体力が尽き果てて、倒れ伏すまで逃げていればいずれ。


 そう思っていたのに。


 気が付けば助けられていた。


 この森に逃げ込んだ時には、絶対に誰にも見つかることはないと思っていた。

 樹海と呼ばれるこの森には様々な曰くがあるようで、普段人は寄り付かない。

 にもかかわらず、あっさりと出くわすなんて、お互いとんでもない確率を引き当ててしまったものだ。

 と、憮然とした絶望に浸り、もう一度、計画を実行しようとした。


 杜撰で見切り発車なのは百も承知。

 けれどもう一度、誰かに出くわすなんてことはもうないだろうと、彼らから離れようと思ったのだ。


 だから、先ほどの質問に答えるならば、森の奥深くです、となるのだろうが。


 心も頭も整理できていないまま、膨らんでいく周囲への違和感と疑問。

 頭をどう整理すればいいのかが追いつかないのだ。


 なんとも言えないまるで異界に迷い込んだような……


「答えづらい質問だっただろうか……?」


 ハッと思考が引き戻される。

 顔を上げれば気づかわし気な瞳で視線を向けるリオンがいた。


 思考に沈むあまり、息を止めていたのだろうか。

 無意識に強張っていた体が自然と弛緩し、ふうと息を吐きだした。


「すみません、ちょっと考え込んでしまって……」


「いや、いいんだ。言いづらいこともあるだろう……こちらこそ、すまない。

 あの怪我……何があったかも、聞かないほうがいいか?」


 先ほどから、謝らせてしまってばかりだ。

 こちらが煮え切らない態度をとっていることが悪いはずなのに。

 見ず知らずの他人にも思いやりを持てる、良い人だ。


「あの……この質問に答えられなければ、リオンさんが後々不利益を被ったりしますか……?」


 彼はまた、目を真ん丸に見開いた。


「どういう、意味だ……?」


「あの、手当して、介抱していただいたことは心から、感謝しています。

 けど……先ほど、どこかへ報告しなければ、とリオンさんは仰っておられましたよね。

 私が立ち去るのも、良しとしないと。

 自分が怪しい者かと疑われているのは理解しているつもりです。

 この後、私の身柄がどう扱われるのか想像もつかないのですが、私から何かしらの情報を引き出せなかった場合、リオンさんのお立場として、お叱りを受けたり、非難されたり、するのかな……と……」


 消えてなくなりたい思いはまだ変わらない。

 今すぐ逃げてしまいたい。


 けれど、ここでそんなことをすればこの人に迷惑をかけてしまう。

 この人はこんなにもいい人なのに、踏みにじるようなことはしたくなかった。


 自分がこのあとどうなるのか、警察か、病院にでも引き渡されるのだろうか。

 確信を持っているわけではないが、そうではない気がするのだ。

 どうなっても、優しくしてくれた彼らにこれ以上迷惑をかけないよう彼の質問には真摯に答えたいのだが、自分の常識とかけ離れた情報が多すぎて、処理が追い付いていない。

 言葉が出てこないのだ。


「ハハハッ!!っと……しまった。

 フッ……そうか……ククッ……そんなことを……気にしていたのか……」


 思い切って質問したつもりが、予想だにしない反応をした。

 閑寂な森の中に突如響く笑い声に自分でも驚いたのか、手のひらで口に蓋をした彼は焚火の辺りに視線を向け、皆が寝ていることを確認するとまた、こらえきれないといった様子で笑い出したのだ。

 一通り喉の奥でかみしめるように笑うと、今度はふぅ、と息をつき穏やかな声で言った。


「先ほど俺が報告を上げると言ったからだな。尋問だとでも思ったのか?


 確かに、こういった状況に出くわしたら、一時保護してギルドに報告を上げるのが通例だ。

 犯罪性があるようであれば、しかるべき対処を取る場合もある。

 けど、君からは他者への害意を感じない。

 怪我をしているし、身なりも良いもののようだったから、何か困ったことがあったんじゃないかと少し心配になったんだ。


 答えたくないことは、答えなくていい。


 俺はただ、君と会話がしたかっただけだよ」


 涙が出そうになって、そっと目を閉じる。


 ──あぁ、本当に、優しい人だ。


 今自分の身に何かが起きている。

 それが何かはわからないが、これ以上辛い思いをしたくないと、自分を守るためにどうすればいいのかを考えていた。

 もし、全て話したうえでこの先何か苦しんだとしても、もういいじゃないか。

 最初から、自分を終わらせるために、この森に来たんだ。

 最後に、この人に出会って、優しくしてもらえて、充分じゃないか。


 覚悟が決まった。


「私は今、とても混乱しています。少し情報を整理したいのでお時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 彼は一瞬、虚を突かれたような表情をあらわにしたが、すぐに真剣な眼差しになって、力強く答えてくれた。


「もちろんだ。時間はたくさんある。」


 覚悟した途端、恐怖や混乱で詰まっていた思考が流れを取り戻す。


 目を閉じて、服の上から胸元のネックレスを軽く握りこむ。



 先ほどから感じる違和感。


 現代の日本では見ることのないリオンさんの武器や防具。

 角の生えた馬。

 リオンさんの私の服装への認識。


 物語の中でしか聞かない、日常には馴染みのない単語。

 魔法士。治癒魔法。冒険者。剣士。ギルド。


 言葉が通じていることから、日本だと思いたかったのだが…

 この数々の違和感はどう楽天的に捉えたとて、今まで生活していた私の知る日常に、共存しえない。


「リオンさん、私は日本という国に住んでいたのですが、ここは、なんという国でしょうか」


「レ、レーヴェンライヒ、だ」


「なるほど。ジャパン、ジャポン、リーペン、ジャポーネという言葉に聞き覚えは?」


「いいや、ないな」


 突然目を開けて問いかけた私にはじめこそ一瞬ためらったものの、その後はまた真剣な表情で答えを返してくれる。

 私が知る日本を表す言葉をいくつか並べてみたが、彼には知らない単語のようだった。


「アメリカ、中国、ロシア、フランス、イタリア、ドイツ…こちらはいかがですか?」


「ない。全てだ」


「なるほど…では、あちらの馬についてお聞きしたいのですが、あの馬の額には何かがついているように見えるのですが、もしかしてあれは、角でしょうか?」


「そうだな」


「馬に角が生えているのは、一般的なことなのでしょうか」


「ああ。

 ただ、正確に言うとあれは馬ではない。ケラスフォロスだ。

 馬に、魔獣の血が入っている。

 普通の馬には角は生えていない」


「魔獣……そうですか……


 では最も一般的で、生息域が広い魔獣といえばどんなものが思いつきますか?」


「そうだな、スライムやゴブリンなんかはどこにでも生息している。」


 ますますファンタジーになってきた。やはりここは、私の知る世界ではないようだ。


「ありがとうございます……

 随分と、整理できた気がします」


 ずっと両手で握りしめていたカップを口元へ運び、一気に飲み干した。


「こんなことがあるのか、自分自身でも信じられないのですが……

 私、この世界の人間ではないようです」

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