04.先を急ぎますので
ハッと、目を覚ました。
意識の焦点が合わず、体が宙に浮いているような感覚で茫然としていた。
数拍後、自分があおむけになって眠っていたのだと理解するが、今だふわふわと、脳が現実感を掴めずにいる。
なにが現実で、なにが夢だったのか。
そっと折れているであろう右の肋骨に手を添えれば、ピリっとした痛みが走り、一番信じたくない部分が現実だったか、と思い知る。
その後はどうだったか。
暴力的なまでの光に包まれたところで意識が途切れ、目を覚ますと誰かに声をかけられた。捨て置いてくれと懇願したような記憶がぼんやりと残っている。
あの暴力的なまでに眩い光は、なんだったのだろうか。
あの声の主達は現実に存在していたのだろうか。
そこまで考えたところで、パチッと小さな爆ぜる音が耳に入った。
どうやら自分は意識を飛ばしていたようだが、このところずっと続いていた頭と体の倦怠感が軽くなっていることに気づく。
徐々に覚醒してきた頭が様々な情報を拾う。周囲が暗く、木々の隙間から星がちかちかと輝いているということから現在は夜で、自分は仰向けに地面に寝ているということ。
頭の下と背中にも、何か敷かれているような感触、頬で感じる気温よりも体が暖かく感じるのは、薄手の毛布が2枚、重ねてかけられているということ。
そうしてくれた、自分以外の誰かが居るということ。
彼、だろうか。だとしたら────
首から上だけを使って周囲を見回すと辺りは木々に囲まれており、近くに焚火を囲んでいる複数の人間がいることが分かった。
私はその円より少し離れたところで寝かされていたようだ。
一人はこちらに背を向けて座っている。体格の良さから男性だということしかわからないが、そのほかの人間は横たわっているのを見ると、火の番をしているのだろうか。
眠っているであろう他の人間は性別や人相まではわからないが、人数は3人。背格好から彼ではないことが分かる。
追いかけて来ていた彼は、どうしたのか。
あの後も追いかけてきたのならば、私が死んだと勘違いして逃げたのだろうか。
ひとまず、彼につかまったのではないと分かり、ほっと息を吐きだした
「ん?起きたのか?」
火の番をしていたのであろう男性が振り返り、声をかけてきた。
あぁ、この声、さっきの人だ。
優しいけど芯のある、力強い声。
ということは、あの光も、その後の出来事も、現実だったということか。
そのまま立ち上がり、静かにこちらに歩いてきた男性は、私の横に膝をついた。
焚火の炎を背にしているため顔ははっきりと見えない。
先ほどはぼんやりとした輪郭しか分からなかったが、今度は影の中のこちらをうかがう目と、しっかりと視線が合った。
その男性は、起き上がろうとする私を片手でそっと補助してくれ、手に持っていたものを差し出した。
「ひとまず、水だ。飲むといい」
他の皆を気遣ってなのか、こちらをのぞき込みながら小さな声で言った男性の手元に視線を移すと、ブリキのカップを持っており、確かに水のような透明な液体が入っている。
喉が渇いて仕方がなかったが、これ以上無関係な人に迷惑をかけたくないと思い、かすれた声で返した。
「助けてくださって、ありがとうございます。これ以上ご迷惑をおかけするのも忍びないですし、先を急ぎますので、お礼もできず大変申し訳ないのですが、ここで失礼しようかと思います。」
そういいながら立ち上がろうとすると、彼は驚いた様子で慌てて私の肩を抑えた。
「ま、待て待て!まだ夜だぞ!こんな真っ暗な中、何の装備もなく森を歩くのには無理がある!
それに君は怪我をしてるじゃないか」
「いえ、大丈夫です。特に支障ありませんので」
「そうだ!腹は減ってないか?スープがあるぞ、少しでも何か腹にいれておいたほうが──」
「お気遣いありがとうございます。なにも、いりません。他の皆様にはお礼も言えず大変失礼なことは重々承知しておりますが……」
いつ彼に見つかるかわからないため一刻も早くここから離れたい、との焦りからそこまで口にしてハタと気づいた。
頬を打たれた際に切ったはずの口内の傷が、塞がっている。
自分の記憶通りなら結構スッパリと切れていて、たくさん血も出ていたはずだ。
今はもう血の味もしないし、舌で探ってみても、そんな形跡はなくなっている。
足のほうもだ。
茂みを抜けた際、草や枝でひっかけたし、裸足で走ったがために地面の感触もわからなくなるくらいには全体に傷だらけだったはずが、両足をすり合わせてみても今は痛みがないどころか、風呂上がりのようにさらさらとしていた。
どういうこと……?
あれから結構時間が経っている……?
でも、そんな何日も寝ていたという感覚はない。
それに、まだ混乱しているが、なんだか他にも引っかかる事がある気がする……
突如認識した違和感に固まっていると、不躾だが…と前置きし、男性は優しく諫めるような口調で話し始めた。
「先ほど、うちの仲間の一人が君の体を調べた。あぁ、女性だ。男共は俺も含めて君の衣服の中を見るような真似は誓って、していない。安心してくれ。
その仲間……アピスと言う名だが、アピスによれば、肋骨が折れているらしい。
他にも痣が複数あったと。
それに左頬、殴られたのか?真っ赤に腫れて口の中も切れていた。
君は靴を履いていなかったが、その状態でどれほど歩き回った?足も見えているところは傷だらけで、足の裏に至ってはズタズタだったぞ。
体の痣と、口内や足の傷のほうはうちの魔法士、アピスが治癒魔法で治したが、骨折はすぐには治らないそうだ。
時間を置いて、何度か治癒魔法を重ねてかける必要があると」
「ま、ほう……?」
傷を、魔法で、治した…?
「君のその服、今は汚れているが元はとても良いものだろう。
綺麗な純白の生地、丁寧な縫製、クリスタルのボタンに宝飾品。
おおよそ森の中を散歩する格好ではない。
君は、一体何者なんだ?」
帰宅時の服装を思い出す。
ノースリーブの、白いミモレ丈のシャツワンピース。
これにフェイクパールのチェーンベルト。
昔、学生時代に彼にプレゼントされたイヤリングと指輪。
両親と祖母の形見の指輪をチェーンに通し、ネックレスにして胸元にしまっている。
足元はパンプスで、薄手の淡い水色のニットカーディガンを肩に羽織っていた。
自分の手元を見ると、指輪が無い。
いつからだろう。まだ優しかった彼にもらった、記念日のプレゼント。
咄嗟に両耳に手をやると、イヤリングまで片方失くしている。
どこかで落としたのだろうか。
そのままの流れで胸元に手をやり形見が無事なことを確認して、あっさりと諦める。
…………まぁ、いいか。思い出なんて今更もういらない。これがあればいいや。
カーディガンも階段で落ちた時に脱げたか、森の中を走っているときにひっかけて脱げたかしたのだろう。
それにしても……
ワンピースの生地はポリエステルか何か化繊のもの。ボタンは多分プラスチックか何かだし、ありきたりな、大量生産の既製服だ。特に良いものではない。
フェイルパールのベルトは言わずもがな、高校生でも購入できるような価格のもので、デザインが気に入って大学卒業前にオンラインショッピングサイトで購入したものだ。
イヤリングと失くした指輪も、学生時代の彼との思い出として大切にはしていたがどちらも男性に指摘されたような宝飾品とよばれるような素材では出来ていない。
ネックレスだけは18金や24金の所謂価値があるとされるものだが、この男性の先ほどの話が本当ならば、これはアピスという女性のお仲間にしか見られていないのだろうか。
何かが、ずれているような。
はっきりと言葉にできない、異様な違和感。
何者だ、と聞かれたが、どう答えていいのかわからない。
焚火があるとはいえ、辺りは明かり一つない暗闇。目が暗闇に慣れてきて、曖昧だった男性のシルエットの違和感について意識をやる。
──この人、腰に剣のようなものを差している。
服装も変わっているのだ。特に異様なのは防具のような、両肩を覆う鎧のようなものを身に着けていることだ。革製のようで、胸の前でベルトをクロスする形で固定している。
「こんな森の中で大した装備も持たず、倒れている人間が居たら通常は不審事案としてギルドに報告しなければならない。そのまま立ち去るのを見逃すわけにはいかないんだ」
何をどう答えていいかわからず図らずも沈黙を続ける私に、もう一度カップを差し出した。
逆光で影に隠れた彼の顔をちらと見て、明らかに不審な自分に優しくしてくれているのに何も答えられない申し訳なさで、素直に受け取ることで罪悪感を紛らわす。
「ありがとう、ございます……。いただきます……」
緩慢な動きでカップを受け取った私を見て、ほっと息を吐いた彼は少し待っていてくれ、と立ち上がり火のそばまで歩いて行った。
無意識に彼の腰元をじっと見つめる。
あんなもの持ち歩いていては銃刀法違反で即刻逮捕されるのではないか。余裕がなくて気が回らなかったのか、冷静に考えれば、最初に聞こえた馬の蹄の音も違和感の一つだったのだ。現代で馬を移動手段にしている日本人はどれだけいるのだろうか。というか私の住んでいた場所周辺では牧場も無かったし、馬を飼っているご家庭も無かった。
そう思い今度は傍の木に繋がれている馬に目をやり、驚きで目を見開いた。
馬の額に、角が生えている────
毛の色も、体格もそれぞれで違うが、すべての馬に共通して額から角のようなものが生えているのだ。
あまり大きくはないが、円錐形の、まるでサイの角のような…
馬の角に釘付けになっていると、男性が大きな荷物を持って戻てくる。
私のそばにそっとその荷物を置き、私の頭の下に敷かれていたものを手に取り広げた。
それは革製のジャケットで、内側が表になるように、先ほど置かれた荷物の上にそっと掛けた。
「これにもたれかかってくれ。俺の荷物で、あまり心地の良いものではないと思うが、少しは負担が減ると思う。」
そう言って私の手からカップをさらい傍らに置くと、私の手と肩を支えてくれた。
動揺のあまり言われるがまま助けを受け、焚火に向かうように座り直した。そのまま添える程度の力で型を押され荷物に背を預けると、少し呼吸が楽になる。
「どうだ?苦しかったり、痛かったりしないだろうか?」
「はい、先ほどよりは楽になりました。ありがとうございます」
満足げに、うん、と小さく頷いて、男性は私の隣に座った。
男性の顔を伺いみると、今度は彼の容姿がはっきり見て取れた。
一瞬、固まってしまうほどの見目だった。
意志の強そうな眉、キリっとした目、通った鼻、端正な口元、自分の人生ではもう二度とお目にかかることのないだろうというほどの端正な顔立ちの男だった。
髪は、茶色、だろうか。炎の赤みが映って赤茶に見えるが、日の光の下だとまた違った色に見えるかもしれない。
体のほうも、鍛えて引き締まっていることが服の上からでも見て取れる。
顔の造りや体格から、日本人には到底見えない。
けれど、私が話している言語は日本語だし、男性の話す言葉も、私には訛りもない、流ちょうな日本語に聞こえている。
海外の方なのだろうか。それとも、ハーフ……?
そうだったとしても、魔法という単語と彼の剣や服装、角の生えた馬の説明がつかない。
混乱しながらまたもや沈黙で固まる私に、男性は先ほど除けたカップを再び手に取りのぞき込むと、ムッと顔をしかめた。
「全然飲んでないじゃないか。折角目を覚ましたのに、水も飲ませなかったとなれば、不寝番の俺が、皆に失望されてしまう」
大げさな口調でそう言われ、慌てて彼の手からカップを取り、一口分だけ口に含んだ。
ちゃんと飲みました、少しずつ飲みます、という気持ちを込めてもう一度彼を見上げる。
「フハッ!わかったわかった!冗談だ、焦らせてすまないな」
小さく吹き出して、いたずらが成功したと言いたげに無邪気に笑う。
冗談、と言うことは揶揄われたのだろうか。
困惑や焦りからくる私の緊張を悟り、警戒心を和らげようと、穏やかに、明るく振舞ってくれているように思える。
「リオンだ。冒険者で、剣士をしている」
聞きなれない単語で自己紹介をしてくれた男性──リオンは、優しく笑いかけながら、私のほうに手を差し出した。
「宮家……優菜、です。この度は助けていただき、本当にありがとうございました」




