第5-1話 名前の載る場所(1)
地方国立学院の本館には、三つの掲示板があった。
一つは、授業や行事の予定。一つは、食堂の献立や寮からの連絡。そして最後の一つだけは、いつも人だかりができる。
全国共通課題の成績掲示板だった。
ただし、そこに載るのは全員の成績ではない。各分野、全国上位十名。それだけだ。
王国歴619年5月、15歳の年。
エリアスは人垣の後ろから掲示板を眺めた。前の学生が動いた隙間に、紙の上半分が見える。
交易構造分析。
一位。
そこに自分の名前があった。
「あった?」
隣にいた同級生が聞く。
「うん」
「何位?」
「一番」
「……もう少し嬉しそうにしろよ」
「嬉しいよ」
「見えない」
エリアスは眼鏡を押し上げた。その拍子に、制服の上着の釦が一つ留まっていないことに気づく。
留めた。
商人組合の監査実習中にも、誰かに見られていたような気がする。
誰だっただろう。
少し考えて、やめた。
掲示板へ目を戻す。
二位。
ヒルデガルド・アルトハウゼン。王都第一学院。
今度は覚えていた。
「二位の人、知ってる?」
「うん。監査実習で一緒だった」
「アルトハウゼンって、貴族じゃないか」
「そうなの?」
「名前を見れば分かるだろ」
エリアスはもう一度名前を見る。
「そういうもの?」
「お前、中央へ行ったら苦労するぞ」
その心配は必要ないだろう、とエリアスは思った。
王国の同一年齢人口は八十万を超える。その中から地方国立学院へ進めるのは、一万数千人。自分もすでに、かなり狭いところにはいる。
だが、統学院はさらに狭い。
毎年入れるのは、千百人ほど。
しかも自分が一番なのは、交易構造分析という一つの分野だけだった。
総合ではない。
自分が中央へ行く可能性は、それほど高くない。
*
初夏が過ぎ、学院にも暑い日が増え始めた頃。
エリアスは担任に呼ばれた。
「三十四・一パーセント」
担任は成績票を机に置いた。
総合順位は掲示されない。本人と所属学院、それに中央の選抜機関など、必要な者だけが知る数字だった。
地方学院生の中で、上位三十四・一パーセント。
同年代全体から見れば十分に高い位置にいる。しかし、統学院を目指す者として見れば話は違う。
「前期より二・三ポイント上がったな」
「はい」
「嬉しそうじゃないな」
「この前も言われました」
担任は鼻から息を吐いた。
地方学院の教員室は狭い。壁際には書類棚。窓辺には冬まで使うことのない暖炉。机の上には紙の束と、学生ごとに色分けされた木札が積んである。
魔石灯は二つあるが、昼間は使われない。窓から入る午後の日差しで十分だった。
担任は成績票を指で叩いた。
「統学院の選抜は受けるんだな?」
「受けられるなら」
「何だ、その言い方は」
「三十四・一パーセントですから」
「地方学院生の中で、だ」
「統学院を受ける人も、その地方学院生でしょう?」
担任が黙った。
「普通なら厳しいと思います」
「普通ならな」
担任は別の紙を取り出した。
王立統学院への推薦候補者に関する書類だった。
「だから、お前を専門推薦に出す」
エリアスは紙を見る。
それから担任を見る。
「僕を?」
「他に誰がいる」
「でも、魔法も普通ですよ」
「知ってる」
「身体教練も」
「知ってる」
「礼法はこの前――」
「それも知ってる。黙って聞け」
「はい」
担任は推薦書を指で叩いた。
「統学院が欲しいのは、全部の試験で一番を取る人間だけじゃない」
エリアスは黙る。
「必要な時に、他の者が見つけなかったものを見つける人間も要る」
商人組合から届いた監査実習の評価書が、その横に置かれていた。
「お前には、それがあるらしい」
エリアスはしばらく推薦書を見ていた。
統学院の選抜では、総合成績だけを見るわけではない。専門分野、魔法適性、実習、共同課題、教員評価。そうしたものを合わせて判断する。
それでも、総合三十四・一パーセントという数字が消えるわけではない。
「……受かりますか?」
「知らん」
即答だった。
「そこは励ましてくれないんですか」
「選ぶのは私じゃない」
もっともだった。
担任は推薦書を引き寄せた。
「それと、推薦を出す前に制度の確認をしておく」
「制度?」
「お前も知っているだろうが、地方学院と統学院は同じ種類の学校じゃない」
エリアスは頷いた。
地方学院は教育院の学校だ。
卒業後に家へ戻ってもいい。商人になっても、工房へ入ってもいい。地方官吏や軍、警察を受けてもいい。
統学院は違う。
「合格して入学を選べば、服務誓約を結ぶことになる」
「はい」
「卒業後、原則十年。王国の指定する公務に就く」
「知っています」
「国費だから、というだけの話じゃないぞ」
担任の声が少し低くなる。
「統学院は、国が将来使う人間を育てる学校だ。卒業してから『やっぱり家業を継ぎます』で済むところじゃない」
エリアスは黙って聞いた。
「もちろん、国家も好き勝手にお前を使えるわけじゃない。進路希望は出せる。適性も専門も考慮される。卒業すれば、国にはお前を正規の公職へ任用する義務もある」
給与も身分も保障される。
転任すれば、その費用も出る。
公務で負傷すれば保障される。
国家に十年を差し出すだけの制度ではない。
国家もまた、その十年に責任を負う。
「だが、最後に任命するのは国だ」
「はい」
「分かっているならいい」
担任は一拍置いた。
「家には話したか?」
エリアスは黙った。
担任の目が細くなる。
「まだだな」
「……はい」
「なら、推薦を出す前に話せ」
「推薦が通ってからでは駄目ですか?」
「駄目だ」
即答だった。
「合格したら、入学前にお前自身が服務誓約書へ署名する。未成年だから保護者にも連署してもらう」
エリアスは推薦書を見る。
急に、紙が少し重く見えた。
「推薦を受けるだけなら契約じゃない。だが、家に何も言わず進める話でもない」
「……はい」
「話してこい」




