第4-1話 帳簿にない荷物(1)
「今日はここまでだ。戻るぞ」
護衛官ベネディクトの声には、倉庫へ来た時とは違う硬さがあった。
第七倉庫から商人組合本館へ戻ったエリアスとヒルデガルドは、そのまま監査官室へ入れられた。窓は閉じられ、机の上にはエリアスが持ち帰った門簿の写しと、ヒルデガルドがまとめた聞き取り記録が置かれている。
年長の監査官は最後まで黙って読み、紙を置いた。
「まず確認する。二人が見つけたのは、不正の証拠ではない」
「はい」
ヒルデガルドが答え、エリアスも頷いた。
「第七倉庫では、通過貨物の荷札を変更する運用がある。年長の荷役人は、その説明を避けるような反応をした。そして、異なる積載地から来たと記録された三台の荷車に、よく似た泥が付着していた。フェルマー生が門簿を確認したところ、通過貨物量と西門からの陸送記録にも追加確認を要する差がある。ここまではいいな」
「はい」
「では、その先は?」
エリアスが門簿を見る。
「荷物の一部が、第七倉庫から記録通りには出ていない可能性があります」
「可能性だな」
「はい」
「アルトハウゼン生」
「荷札変更について、詳しく知っている人と、作業として処理しているだけの人がいる可能性があります」
「それも推測だ」
「はい」
二人とも、そこは譲らなかった。
監査官は椅子の背に身体を預け、少しだけ口元を緩めた。
「よろしい」
エリアスが顔を上げる。
「何がですか?」
「ここで『不正を発見しました』などと言い出したら、二人とも今日で実習終了にするところだった」
ヒルデガルドが小さく息を吐いた。
「ここからは監察の仕事だ」
監査官は机上の呼鈴を鳴らした。澄んだ金属音が響き、すぐに書記官が入ってくる。
「第七倉庫の西門簿、荷札変更指図、運送商の届け出記録を過去六か月分保全。組合側へは、まだ確認対象を知らせるな。王都街路局には、南岸陸送として申告された荷車の車軸税記録を照会する」
「承知しました」
エリアスが口を開いた。
「あの」
「何だ」
「僕たちは?」
「明日の朝まで待て」
「でも――」
「フェルマー生」
監査官の声が少し低くなる。
「調べるべきものを見つけることと、調べる権限を持つことは別だ。学生を不正の疑いがある商人のところへ出して、帳簿を出せと言わせるつもりはない」
エリアスは黙った。
「……はい」
横でヒルデガルドが、ほんの少し笑った。
「何?」
「別に」
自分から倉庫へ行きたがった人の顔ではない、とエリアスは思ったが、言わなかった。
*
翌朝、二人が監査官室へ入ると、机の上には昨日までなかった記録が増えていた。
街路局の車軸税台帳、組合登録運送商の受託記録、それに第七倉庫から保全された荷札変更指図の写し。
エリアスの表情が変わった。
ヒルデガルドには、それが少し面白かった。人間にはあれほど無頓着なのに、帳簿や記録が増えると分かりやすい。
「座れ」
監査官が言った。
「正式調査に関わる部分は除いてある。実習生に見せてよい記録だけだ。フェルマー生、昨日の仮説を確かめろ」
「はい」
「アルトハウゼン生。昨日会った人間を整理しろ。誰が何を知っている可能性があるか。ただし、反応だけで関与を決めるな」
「はい」
二人は向かい合って仕事を始めた。
*
一刻ほどして、エリアスの机には三系統の記録が横に並んでいた。
第七倉庫の出庫簿、運送商の受託記録、街路局の車軸税記録。
それぞれに一体ずつ補助精霊を付けてある。
エリアスが行っているのは転記ではなかった。日付、荷札番号、貨物種別、荷車番号を照合条件として指定すると、補助精霊が該当記録を拾い、同じ項目を一枚の比較表へ並べていく。不一致があれば、その欄だけを空けて残す。
「四月十二日。青札。南岸陸送。麦四十八袋」
出庫簿にはある。
運送商の受託記録にはない。
街路局にも、該当する荷車番号の南橋通過記録がない。
次。
四月十四日。乾燥豆三十二箱。
同じ。
十六日。羊毛十九梱。
これは三つとも一致した。
補助精霊は定型的な照合を続ける。エリアスは結果の並び方を見ながら、照合条件を一つずつ変えた。荷車番号。商会名。日付のずれ。荷種。記載時刻。
作業そのものは地味だった。
ただ、複数の精霊との細い接続を長時間乱さず維持するのは、エリアスが得意とするところだった。大きな魔力を一度に出すことはできない。その代わり、低出力の制御を長く続けられる。
ヒルデガルドは途中で一度だけそちらを見る。
――こういう使い方をするのね。
精霊に計算をさせているのではない。
どの記録を何と比べるかは、エリアスが決めている。精霊がしているのは、その指示に従った検索と照合だけだ。
彼女は自分の記録へ戻った。
倉庫長バルデス。現時点で関与を示すものなし。
若い荷役人。荷札変更を通常業務として認識している可能性が高い。
年長の荷役人。質問を遮り、変更指図について回答を避ける傾向あり。何らかの事情を知っている可能性。
本館の荷受け責任者。北部以外からの調達について直接回答せず。
もちろん、どれも「犯人」「共犯」とは書かない。
人間の反応は、証拠ではない。
ただし、次に確認すべき場所を決める材料にはなる。
ヒルデガルドは、昨日の年長荷役人の言葉を思い返した。
――正式な変更です。
正式だと判断するなら、根拠になる指図があるはずだ。
「監査官」
「何だ」
「荷札変更指図には、発行者名がありますか?」
監査官が写しの束を差し出した。
「ある」
ヒルデガルドは受け取り、日付、発行者、変更内容を一枚の表へ並べるよう補助精霊に指示した。
四人の名前が出た。
そのうち一人だけ、回数が明らかに多い。
本館の副組合長代理。
初日に会った荷受け責任者の直属上司だった。
「この人には会っています」
「いつ?」
「初日の挨拶です」
「何かあったか」
ヒルデガルドは記憶を辿った。
形式的な挨拶。
研修生にはほとんど関心を示さなかった。
ただ、一つだけ。
「私たちの実習担当を聞かれました」
「担当?」
「はい。誰が会計記録を見るのか、誰が倉庫や聞き取りへ回るのか」
監査官の表情が少し消えた。
「なぜ今まで報告しなかった」
「その時は普通の確認だと思ったからです」
ヒルデガルドはそのまま答えた。
一度の質問を、後から怪しく見えたという理由だけで意味のある行動に変えてはいけない。
監査官も責めなかった。
「書記官。副組合長代理の職務記録も追加で保全」
「承知しました」
その時だった。
「ありました」
エリアスが言った。
声はいつもと変わらない。
ただ、三体の補助精霊が同時に動きを止め、比較表の不一致欄がまとまって浮き上がっていた。
「何が?」
ヒルデガルドが椅子を寄せる。
エリアスは比較表を二人の間へ置いた。
「第七倉庫から『南岸陸送』として出た貨物。六か月で二百七十一件」
「それで?」
「組合登録の運送商の受託記録と一致するのが百八十九件」
指を置く。
「八十二件、ない」
「別の運送商では?」
「登録商は全部照合した」
監査官が身を乗り出した。
「街路局は?」
「もっと変です」
別の欄を示す。
「その八十二件に対応する荷車が、南橋を通った記録もありません」
ヒルデガルドが比較表を見る。
「……南岸へ行っていない」
「少なくとも、申告された方法では」
エリアスは答えた。
「八十二件分の貨物は第七倉庫を出たことになっている。でも、それを受託した運送商も、南岸へ渡った荷車もいない」
監査官が聞く。
「では、荷物はどこへ消えた?」
エリアスは少し考えた。
「消えていないのかもしれません」
「どういう意味だ」
「王都の中に残った」
部屋が静かになった。
エリアスは第一日目の帳簿を引き寄せた。
「通過貨物なら、市内で売る貨物とは税の扱いが違う。青札のまま第七倉庫へ入れて、帳簿上は南岸へ出したことにする。でも実際には――」
「王都内へ戻す」
ヒルデガルドが言った。
「たぶん」
「だから、青札を白札へ変える」
「いや」
エリアスが首を振った。
ヒルデガルドが眉を上げる。
「何?」
「正式に白札へ変更したら、その記録が残る」
一瞬置いて、ヒルデガルドも気づいた。
「現場だけで変える」
「うん。荷役人には白札として処理させる。でも正式な変更記録には載せない」
「だから若い荷役人には、普通の作業に見える」
「倉庫長も、書面が正式なものだと思っていれば不正だと気づかない」
ヒルデガルドが続ける。
「年長の荷役人は何度も処理しているから、何かおかしいと気づいているかもしれない」
「本館側には、帳簿に残す記録と現場へ渡す指図を分けられる人間が必要になる」
「荷受け責任者か、その上」
そこで二人とも止まった。
監査官が静かに言った。
「そこまでだ」
エリアスが顔を上げる。
「でも――」
「仮説としては十分だ。ここから先は証拠を取る」




