7 仲間になりたそうにこちらを見ている。仲間にしますか?
再び奴隷商の扉をくぐると、帳場にいた男が顔を上げた。
「お待ちしておりました」
俺は腰から革袋を外し、卓上へ置いた。金貨が触れ合う重い音を聞いて、ようやく肩の力が少し抜ける。
「残りの二十七枚です。確認してください」
「では、失礼いたします」
男が一枚ずつ数える間、俺は店の奥を見た。床は以前と同じように掃除されていたが、鉄格子の並ぶ廊下は薄暗く、人の気配がするわりに静かだった。
長い一週間だった。
傷んだオーガを運び、材料もないのに薬を作ろうとして失敗した。その後は薬草を集め、パンを売り、カレーを作り、東京でタクシーまで走らせた。
最後の二枚が、ミレーユさんを助けた報奨金になるとは思わなかった。それでも、どうにか間に合ったのだ。
「確かに、二十七枚ございます。手付金と合わせて、代金は全額お支払いいただきました」
男は控えの書類を確認すると、奥へ二人を呼びに行った。
戻ってきたエレオノーラとセラフィナは、俺の姿を見て足を止めた。粗末な服は一週間前と同じで、エレオノーラの顔には驚きが浮かんでいる。
その隣で、セラフィナが何か言おうとした。だが、唇が動いても、漏れるのは掠れた息ばかりだった。
初めて会ったとき、奥から何か言っているように見えたのに、声をうまく聞き取れなかった理由は、あの日、店主に聞いていた。
彼女は喉に重い火傷を負い、それ以来、声を失っているのだという。
「待たせたな」
エレオノーラは何かを答えようとしたが、すぐには声が出なかった。セラフィナも俺と革袋を見比べ、そのあと深く頭を下げた。
店主が所有権を移す手続きを説明し、俺に確認を求める。署名を済ませると、続けて別の書類が出てきた。
「解放のお手続きも、先日のお話どおり進めてよろしいですね?」
「はい。今すぐお願いします」
男は頷き、二人へ向き直った。
「タケシ様の申請により、これからお二人の奴隷契約を解除します。解放後は、どちらへ行くのもお二人の自由です」
エレオノーラが俺を見た。
「本当に……」
「そのために金を用意したんだからな」
最初からそう話していた。それでも、実際にこの場へ来るまでは信じきれなかったのだろう。
書類の確認と契約解除は、俺が思っていたより短い時間で終わった。二人を縛っていた魔法の契約が消え、解放を証明する書類が渡される。
エレオノーラは胸元へ手を当て、何かを確かめていた。セラフィナも同じように服の上から胸へ触れ、そのあと目を閉じた。
「これで、お二人は自由の身です」
店主の声を聞いても、二人はしばらく動かなかった。
「……じゃあ、行こうか」
俺が声をかけると、エレオノーラがゆっくり頷いた。
* * *
店を出て少し歩いたところで、エレオノーラが足を止めた。
「タケシ様。どうお礼を申し上げればよいのか……」
「礼のためにやったわけじゃないよ。自由になったんだから、これからどうしたいか考えてくれればいい」
「ですが、あれほどのお金を……」
「放っておけなかった。それだけだって」
それ以上うまく言えず、俺は頭を掻いた。
セラフィナも何か伝えようと唇を動かしたが、やはり言葉にならない。悔しそうに喉へ手を当てた彼女を見て、ようやく自由にしただけでは終わらないことを実感した。
二人が受けた傷は、そのまま残っている。
「とりあえず、今日は宿を取ろう。飯を食って、身体を洗って、ゆっくり寝ればいい。これからの話は明日でもできるだろ」
エレオノーラは迷ったあと、小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
宿では三人で食事をした。二人は最初こそ遠慮していたが、温かい料理を口にするうちに、少しずつ表情が緩んでいった。
セラフィナは俺を気にするように何度か見たものの、出された料理はきれいに平らげていた。食欲があるなら、ひとまず安心だ。
二人には同じ部屋を取り、俺は別の部屋へ入った。寝る前に何か足りないものがあるか聞いたが、エレオノーラは首を振り、セラフィナも頷いた。
「じゃあ、明日の朝な」
そう告げて扉を閉め、俺は久しぶりに期限や金額を気にせず眠った。
* * *
翌朝、二人の部屋を訪ねると、返事がなかった。
宿の主人に聞くと、日が昇って間もないころに二人で出ていったという。
「……そうですか」
自由になったのだから、行き先を俺に知らせる義務はない。帰りたい場所や、訪ねたい人がいたのかもしれない。
それでも、何も言わずにいなくなったのだと思うと、少し寂しかった。
俺は自分の部屋へ戻り、荷物をまとめて宿を出た。
そこで、足が止まった。
「……いるじゃん」
宿の脇に、エレオノーラとセラフィナが立っていた。
二人とも服が変わっている。質素ではあるが、昨日までのものよりしっかりした作りで、セラフィナの腰には剣があった。
「どこへ行ってたんだ?」
「奴隷商へ、預けられていた私物を受け取りに行っておりました」
身分を隠すために着ていた旅の服や、セラフィナの剣は、入店時に取り上げられ、店の倉庫で保管されていたという。前日は倉庫の担当者がすでに帰っていたため、今朝になって受け取れたらしい。
「タケシ様がお休みの間に済ませようと思ったのですが……先にお伝えしておくべきでしたね」
「いや、行き先を報告しろってわけじゃないよ。ただ、もう会えないのかと思ったから」
口にしてから、少し照れくさくなった。
エレオノーラは俺を見つめ、セラフィナと顔を見合わせた。
「そのことで、お願いがございます」
人通りを避けて宿の脇へ寄ると、二人が揃って膝をついた。
「ちょっと待て。何してるんだよ」
「昨日までのわたくしたちは、自分で行く先を選べませんでした。ですが、今は違います」
エレオノーラは顔を上げ、まっすぐ俺を見た。
「国を失い、帰る場所も失いました。王女として果たせる役目も、今はありません。それでも、一人のエレオノーラとして、これからの生き方を選ぶことはできます」
隣のセラフィナも頷いた。
「どうかわたくしたちを、タケシ様のお側に置いていただけないでしょうか。今度は、自分たちの意思でお願いしております」
セラフィナが胸へ手を当て、エレオノーラと俺を順に指さした。言葉にならない息を漏らしながら、何度も頷いている。
「セラフィナも、同じ気持ちです」
エレオノーラが言うと、彼女はさらに大きく頷いた。
「今は声を出せませんが、本来は、とてもよく喋るのですよ」
途端に、セラフィナが勢いよく隣を向いた。何か抗議しているらしく、エレオノーラの袖を引っ張っている。
「本当に、驚くほどよく喋ります」
今度はもっと強く引っ張った。
「ははっ……そうなのか」
俺が笑うと、セラフィナはこちらへ抗議の目を向けた。声がなくても、言いたいことは案外わかる。
「わかった。二人とも、まず立ってくれ」
俺はしゃがみ、手を差し出した。
「一緒に来るのはいい。でも、仕えるとか、そういうのはなしな。俺は王様でも貴族でもないし、せっかく自由になったんだから」
「では、どのように……」
「仲間でいい。一緒にやれることを考えよう」
エレオノーラは差し出された手を見つめ、そっと握った。
「……はい。喜んで」
その上へ、セラフィナの手も重なった。
二人を立たせた俺は、昨日より明るく見える顔を眺めた。エレオノーラには火傷の痕が残り、セラフィナの喉にも傷がある。
自由にしただけで、すべて元に戻るわけではない。
それでも、これからは三人だ。
「まずは朝飯を食おう。これからのことは、それから考えようか」
エレオノーラが頷き、セラフィナは待っていましたとばかりに大きく頷いた。




