6 よーく考えよー おかねは大事だよー
必要なのは、あと二十万円。異世界の通貨に換算すれば、金貨二枚だ。
俺は自宅のダイニングテーブルに頬杖をつき、この一週間で稼いだ金をもう一度確認した。オーガを回収して売り、ポーションを作り、日本から持ち込んだパンを売った。最後にはカレー屋までやり、昨日は東京で一日タクシーを走らせた。
新たに稼いだ金は、合わせて金貨十六枚分。最初から残してあった九枚を足しても、今日払う二十七枚には二枚足りない。
百八十万円のうち、百六十万円までは来た。あと一歩なのに、その一歩が簡単には思いつかなかった。
「……とりあえず、ギルドに行ってみるか」
今日中に売れる素材や、短時間で済む仕事があるかもしれない。自分一人で考えているより、現地の事情に詳しい人に相談するほうがいい。
俺は必要な荷物を《アイテムボックス》へ入れ、《異世界転移》を発動した。
* * *
休息日明けのアドリアノープルは、朝から賑わっていた。
大通りを荷馬車が行き交い、開いたばかりの商店から呼び込みの声が聞こえてくる。パン屋の香りに腹を刺激されながらギルドへ向かうと、依頼掲示板の前にも、すでに大勢の冒険者が集まっていた。
受付を見渡したが、ミレーユさんの姿がない。担当する場所が違うのかと少し待ってみたものの、奥から出てくる様子もなかった。
「すみません。ミレーユさんっています? 相談したいことがあるんですけど」
空いた受付で尋ねると、職員の女性がわずかに表情を強張らせた。
「ミレーユのお知り合いですか?」
「何度か世話になっています。この前、カレーを売ったときも手伝ってもらいました」
「そうでしたか……。実は、今日は出勤していないんです。勤務日のはずですが、休むという連絡もなくて」
「寝坊……する人には見えませんね」
「私が一緒に働くようになってから、一度もありません」
心配した同僚が自宅を訪ねたところ、呼んでも返事がなく、管理人に確認してもらった部屋にも姿がなかったという。近所の人は昨日の夕方に帰宅する彼女を見ていたが、それ以降の行き先はわからなかった。
「玄関の近くに、鞄が落ちていたそうです。今は衛兵と、うちの職員が周辺を調べています」
胸の奥に、嫌な感覚が走った。
《直感》だった。あの交差点で車を止めたときに似ている。考えすぎだと打ち消そうとするほど、早く確かめろという感覚が強くなった。
「俺も、何か手伝えませんか。探すのに使えそうなスキルがあるんです」
女性は少し迷ったあと、捜索を担当している職員を呼んでくれた。事情を説明すると、彼が自宅まで案内してくれることになった。
* * *
ミレーユさんの家は、ギルドから歩いて十分ほどの住宅街にあった。
周辺には衛兵がいて、住人へ話を聞いている。俺はギルドカードを見せ、同行した職員から説明してもらって、家の外から様子を見ることを許された。
玄関のそばには荷物が散らばった跡があり、少し離れた路地で、片方だけの靴が見つかったという。
「その靴も、ミレーユさんのものですか?」
「はい。同僚が確認しました」
どこかへ出かけただけ、とは考えにくかった。
《索敵》を使っても、この辺りには人が多すぎる。そもそも本人がここにいないのなら、反応を探しても仕方がない。《先読み》は過去を見る能力ではなく、《直感》も、彼女の居場所を具体的に示してくれるわけではなかった。
今日の【天神地祇】は、まだ使っていない。
俺は欲しい能力を思い浮かべた。知らない道でも現在地がわかり、目的地まで案内してくれるもの。できれば、知っている人の居場所を探せるもの。
東京で仕事をしていれば、毎日のように世話になる、あれのような能力だ。
候補が浮かんだ。
【《異世界ナビ》を取得しますか?】
「……あるのかよ」
取得を念じると、使い方の知識とともに、頭の中へアドリアノープル周辺の地図が広がった。街路や城門が表示され、今立っている場所には現在地の印がある。
人物の検索もできる。ただし、対象にできるのは実際に会って認識した相手で、探せる範囲にも限りがあった。名前だけ知っている見知らぬ人を、世界のどこからでも見つけられる能力ではない。
「検索……ミレーユ」
彼女の顔を思い浮かべると、地図が西へ移動した。街から数キロ離れた森に印が現れ、その近くに古い建物を示す表示が浮かぶ。
【目的地付近:廃狩猟小屋】
「……見つけた」
隣の職員が、驚いた顔で俺を見た。
「街の西の森です。古い狩猟小屋がある場所、わかります?」
「ありますが……そこにいると?」
「俺のスキルでは、そう出ています」
それ以上のことはわからない。彼女が無事なのか、誰といるのかまでは表示されなかった。
俺が場所を伝えている間にも、印がわずかに動いた。小屋の中か、その周辺を移動しているらしい。
嫌な予感が強くなった。
「衛兵に伝えてください。連れ出される前に、俺が先に様子を見てきます」
「一人で乗り込むおつもりですか?」
「まずは確認します。危険なら無理はしません」
道順と場所を繰り返して伝え、俺は走り出した。
* * *
《異世界ナビ》は、森の中でも進む方向を示してくれた。
《身体強化》を使って木々の間を走り、目的地まで五百メートルほどになったところで速度を落とす。《索敵》で探ると、前方に七人の反応があった。
六人は動いているが、一人だけはほとんど同じ場所にいる。その位置は、ナビに表示されたミレーユさんの印と重なっていた。
足音を抑えて近づくと、木々の向こうに古びた小屋が見えた。入口には剣を下げた男が二人いる。周囲を警戒する様子からして、ただ休憩している狩人には見えなかった。
あと少しで建物の様子が見えるというところで、一人がこちらを向いた。
「誰だ!」
隠れていた木陰から出て、俺は二人を見た。
「ギルドに登録している冒険者だ。中の女性を迎えに来た」
「……なんでここがわかった?」
その返事で、場所を間違えていないことは確かになった。
男たちが剣を抜く。右の男が先に踏み込み、もう一人が横へ回る短い映像が、《先読み》で頭に浮かんだ。
最初の斬撃をかわして懐へ入り、力を抑えて鳩尾へ拳を入れる。息を詰まらせた男が崩れたところで、横から来た剣を抜いた自分の剣で受け流し、相手の腕を打って武器を落とさせた。
強い人間がいないとは思わない。だが、この二人の動きなら追える。足を払って転ばせ、もう一人が起き上がる前に、収納していた縄を出して手を縛った。
騒ぎを聞いた小屋の中から、さらに三人が出てきた。一人は短剣を投げ、残る二人は剣を抜いたが、まともな連携は取れていない。
飛んできた短剣を避け、踏み込んだ男の剣を弾く。一度に囲まれないよう入口から離れ、向かってくる順に武器を落とさせて、抵抗できなくなった者から拘束した。
最後に、奥から大剣を持った男が現れた。
「何の騒ぎだ! てめえ、俺たちが誰に頼まれて動いてるかわかってんのか!」
「中にいる女性を返してくれれば、それでいい」
「冒険者風情が! こっちは貴族様から金を――」
男はそこで口を閉じた。
「……貴族?」
「知らねえよ!」
「今、自分で言っただろ」
大剣が振り下ろされた。先ほどの連中より速かったが、軌道は大きい。横へ避け、剣が地面を打った直後に踏み込み、柄で手首を打った。
男が武器を落としたところで体勢を崩し、うつ伏せに倒して腕を後ろへ回す。
「暴れると肩を痛めるぞ。おとなしくしてくれ」
全員を縛り、武器を離した場所へまとめてから、小屋の中を確認した。
奥の部屋に、ミレーユさんがいた。
椅子に縛られ、栗色の髪は乱れている。片頬に赤みがあり、俺は一瞬、外の男たちのところへ戻りたくなったが、まずは彼女の縄を切った。
「……タケシ様?」
「迎えに来ました。どこか痛むところは?」
「腕を少し……。ですが、どうしてここが?」
「その話はあとで。立てます?」
手首と腕に《ヒール》をかけ、大きな怪我がないことを確かめる。彼女が自分の足で立ったところで、ようやく息がつけた。
「……よかった。本当に無事で」
ミレーユさんは俺を見上げ、少し震える声で礼を言った。
外で男が貴族の依頼だと口を滑らせたことを伝えると、彼女の表情が曇った。少し前から、依頼を出すわけでもないのにギルドへ来て、食事や屋敷での仕事へしつこく誘う下級貴族がいたという。
「お断りして、最近は他の職員にも対応してもらっていました。ただ、その方の仕業だという証拠はありません」
「そうですね。そこは衛兵に調べてもらいましょう」
入口の見える場所へ移動して待っていると、ほどなく衛兵とギルド職員が到着した。捕らえた男たちは引き渡され、ミレーユさんは念のため治療院へ向かうことになった。
俺も事情を説明し終えたころには、昼を大きく回っていた。
* * *
ギルドへ戻ると、職員から小さな革袋を渡された。
「捕縛の報奨金です。首領のバルガスには、以前から指名手配の報奨金が設定されていました。衛兵による本人確認も済んでいます」
袋を開くと、金貨が二枚入っていた。
「……二枚?」
「はい。金貨二枚です」
思わず袋の中を見直した。
今朝、どうやって用意しようかと悩んでいた、最後の二十万円だった。
「……揃った」
「何が揃ったのですか?」
振り返ると、治療院から戻ったミレーユさんが立っていた。頬の赤みはほとんど消え、髪も整えられている。
「あと金貨二枚足りなかったんです。これで、二人を買い取って解放するための金が揃いました」
「では、約束を果たせるのですね」
彼女は安心したように笑ってから、俺の手元の袋を見た。
「……私が攫われたことで、最後の二枚が揃ってしまったわけですか」
「結果としては、そうですけど。狙っていたわけじゃありませんからね」
「わかっています。来てくださらなければ、私は今もあの小屋にいたのですから」
笑みが消え、彼女は改めて頭を下げた。
「ありがとうございました。本当に」
「こっちこそ、いつも助けてもらっていますから」
俺は頭を掻き、スマホで時刻を確かめた。まだ余裕はあるが、ここでのんびりしている場合ではない。
「今日が取り置きの期限なんです。これから迎えに行ってきます」
「ええ。お二人を、無事に自由にしてあげてください」
ギルドを出て、革袋の重みを確かめた。
一週間で新たに稼いだ金貨十八枚と、残してあった九枚。これで、払うべき二十七枚が揃った。
だいぶ待たせたが、約束には間に合った。
俺は奴隷商へ向かって歩き始めた。




