4 奴隷商人にいるのがいつも美人だと思わぬことだな
「……来ちゃったよ」
アドリアノープルの大通りを歩きながら、俺は小さく呟いた。
記憶を頼りに奴隷商へ向かうと、店の前には前回と同じ男が立っていた。
「おや、旦那。やっぱり気になりましたか?」
「まあ、ちょっと。話を聞いてみたくて」
「どうぞ。見るだけなら金はいただきませんよ」
促されて入った店内は、想像より清潔だった。鉄格子で区切られた部屋はあるが、床は掃除され、嫌な臭いもしない。
「もっと酷いところを想像してました」
「商品ですからね。病気になられたり、死なれたりしたら、こちらが損をします」
言い方は気に入らないが、商売としてはそういうものなのだろう。
男について奥へ進むと、白銀の髪の女は壁にもたれて座っていた。こちらに気づいて顔を上げたとき、顔と首元に残る傷痕が目に入った。
「この人、火傷してるんですか?」
「ええ。この女に買い手がつきづらい、一番の理由ですよ」
男は彼女へ声をかけ、頷くのを待ってから左腕の布を少しずらした。
手首から肩近くまで、広範囲に火傷の痕が残っていた。傷は塞がっているものの、皮膚がところどころ引きつれ、肘も伸ばしにくそうだった。
「腕だけではありません。背中や脇腹、左脚にもあります」
「治癒魔法じゃ治せないんですか?」
「傷を負った直後ならともかく、今はもう、この形で治りきっていますから。普通の治癒魔法では難しいですね」
俺の《ヒール》も、古傷を消したり、失った身体を元へ戻したりできる能力ではなかった。もっと上の魔法なら違うのかもしれないが、今の俺には使えない。
念のため《簡易鑑定》を使うと、状態が頭に浮かんだ。
【種族:人族】
【状態:重度熱傷瘢痕・左上肢可動制限・左下肢可動制限】
【魔力:高】
【適性:水魔法・風魔法・治癒魔法】
「魔力、高いんですね」
「鑑定がおできになるので?」
「簡単なものですけど」
そう答えた直後、表示の続きを見て、息が止まった。
【身分:アルセニア王国第三王女】
思わず彼女を見ると、こちらの反応に気づいたのか、女の顔に緊張が浮かんだ。
「……この人と、少し話してもいいですか?」
「もちろん。私はあちらにおりますので、ご用があればお呼びください」
男が入口へ戻るのを待ってから、俺は鉄格子のそばへしゃがみ、声を落とした。
「鑑定に、アルセニア王国の第三王女って出たんだけど」
女の顔から、はっきりと血の気が引いた。
「安心して。誰かに言うつもりはないから」
「……なぜ、それがわかったのですか?」
「俺のスキルが、そう表示した。それ以上の事情は知らない」
彼女はしばらく俺の顔を見つめ、やがて小さく息を吐いた。
「店主も知りません。知られれば、どう扱われるかわかりませんから」
「どうして王女様が、ここに?」
「もう王女ではありません。私の国は、滅びました」
十年前、アルセニア王国は隣国との戦争に敗れ、王都が陥落したという。父母や兄たちは捕らえられ、王族の多くは処刑された。生き残れば反乱の旗印にされるため、彼女も見つかれば同じ運命を辿るはずだった。
「城に火が放たれたとき、私はこの火傷を負いました。逃げることはできましたが、遠くまでは行けませんでした」
彼女は動かしづらそうな左手へ視線を落とした。
「追手を避けている途中で、奴隷を集めて移送している商人たちに出会いました。戦争で家を失った者や、捕虜となった者が大勢いましたから、その中へ紛れ込んだのです」
「奴隷になるほうが、追手から逃げられると思った?」
「はい。身元のわからない傷ついた女を、王女だとは思わなかったのでしょう。食べ物や手当ての代金を借金として記録され、そのまま債務奴隷として、ここまで運ばれてきました」
淡々と話す声が、かえって痛々しかった。
「処刑されるよりは、幸運だったのでしょうね」
彼女はわずかに笑ったが、俺には何と返せばいいのかわからなかった。
* * *
「……店主さん。この人、いくらですか?」
呼び戻した男は、待っていましたとばかりに笑った。
「金貨十二枚です」
頭の中で、金額を日本円へ置き換えた。
この世界へ来たばかりの頃、手持ちの金を用意するために覚えたスキルが《等価交換》だった。価値の釣り合う物を交換する能力で、日本円をこちらの通貨へ換えることもできる。
交換比率には多少の変動があるが、目安は金貨一枚で十万円、銀貨一枚で千円、銅貨一枚で百円ほど。こちらでは金貨一枚が銀貨百枚、銀貨一枚が銅貨十枚に当たる。
十二枚なら、およそ百二十万円だ。
「見た目だけなら、金貨五十枚でも欲しがる客はいるでしょう。しかし、この身体では仕事が限られます。読み書きができ、教養もあるので、その辺を評価しての値段ですね」
手持ちは、ちょうど金貨十二枚分あった。かなり痛い出費だが、出せない金額ではない。
ただ、人を買うことそのものには抵抗があった。
「買ったあと、奴隷から解放することはできます?」
「この女なら可能です。所有者が解放を申請すれば手続きできます。犯罪奴隷など、扱いの違う者もおりますが」
俺は彼女へ目を向けた。
「俺が買って、そのあと解放するって言ったら? 自由になったら、俺についてくる必要もない」
「……なぜ、そのようなことを?」
「うまく説明できないんだけどな」
気になったから来た。事情を聞いてしまった。助けられるのかもしれないと思うと、今度はそのまま帰ることが難しくなった。
「知らなかったときは、俺には関係ないって思えたんだけど。話を聞いちゃったから、かな」
彼女は長い間、俺を見ていた。
「もし本当に、そのおつもりでしたら……お願いがあります。私一人では、ここを出たくありません」
彼女が目を向けた先には、もう一つ鉄格子で区切られた部屋があった。壁際に座る女は二十代半ばくらいで、短い赤茶色の髪に日に焼けた肌、右腕には包帯が巻かれている。
「彼女は私の護衛騎士です。城が落ちたとき、最後まで守ってくれました。火傷を負った私を背負って逃がし、奴隷の一団に紛れることを提案したのも彼女です」
奥の女が顔を上げた。
しかし、何か話している様子だが聞き取ることが出来ない。
「彼女がいなければ、私は死んでいました。私だけが自由になることはできません」
俺は店主を見る。
「あちらの人はいくら?」
「金貨十八枚です。喉をやられて話すことができませんが、護衛に使えます。剣の腕も相当なものらしいですからね」
「二人合わせて三十枚か……」
約三百万円。日本に戻って貯金を換えれば済む、とは簡単に言えなかった。
個人タクシーは、売上がそのまま給料になる仕事ではない。燃料、整備、保険、税金。車が故障すればまとまった金も必要になる。生活資金や事業資金を削って、人助けのために三百万円を出すほどの余裕はなかった。
黙り込んだ俺へ、彼女は申し訳なさそうに言った。
「身勝手なお願いだとはわかっています。ですが、どうか……」
「置いていかないよ」
俺は片手を上げた。
「まだ二人分出せるとは言ってないけど、買うなら一緒にする。一人だけ連れていくようなことはしない」
彼女が目を見開き、奥の騎士も俺を見た。
言ってしまった以上、あとは金だ。
「取り置きはできます?」
「手付金を金貨三枚いただければ、今日から七日後の閉店まで、ほかへは売りません。購入時には、その三枚を代金から差し引きます」
「……お願いします」
革袋から金貨三枚を取り出した。店主は金を数えると、控えの書類を用意するため、入口の机へ戻っていった。
その隙に、俺は彼女へ声を落として尋ねた。
「名前、聞いてもいい?」
「エレオノーラです。エレオノーラ・アルセニア」
彼女は奥へ視線を向けた。
「あちらはセラフィナ。アルセニア王国近衛騎士団に所属していた、私の護衛騎士です」
「俺はタケシ。……二人とも、迎えに来るから」
エレオノーラは、何か言いかけて唇を閉じた。隣ではセラフィナが、座ったまま深く頭を下げていた。
手持ち十二枚から三枚を払い、残ったのは九枚。購入時に必要なのは二十七枚だから、新たに用意しなければならないのは十八枚だ。
約百八十万円。期限は七日後の閉店まで。
店主から控えを受け取って外へ出た俺は、人通りのある大通りまで戻ってから、長い息を吐いた。
「……あと百八十万円分、どうやって稼ごう」
俺には【天神地祇】がある。強くなるためだけでなく、金を稼ぐために使える能力もあるはずだ。
異世界へ来て以来、初めて本気で、その使い道を考えることになった。




