3 44歳は探偵界隈で半ライスと呼ぶらしい
翌朝、《異世界転移》で街に近い草原へ移ると、遠くに巨大な城壁が見えた。
「……何度見てもすげえな」
名前はアドリアノープル。周辺では最大規模の城塞都市だと、村の人に教わった。
これまでも遠くから眺めてはいたが、中へ入るのは今日が初めてだ。腰には剣、鞄には充電済みのスマホとモバイルバッテリー。財布代わりの革袋には、この世界の金も入っている。
最初に使う金は日本円から用意し、その後は村で売った素材の代金を足していた。フォレストウルフの牙や、簡単に外せるホーンラビットの角などは買い取ってもらえたが、魔物を丸ごと運ぶ方法も、ほかに何が売れるのかも知らない。
今日は、その辺も含めて色々と教わるつもりだった。
門へ近づくと、城壁は遠くから見たときより遥かに大きかった。高さは十メートル以上ありそうで、積み上げられた石の壁が左右へ延々と続いている。
門の前には荷馬車や旅人が並び、その両脇には槍を持った兵士が立っていた。俺も列の最後尾へ加わり、少しずつ前へ進んでいく。
「身分証を」
順番が来たところで、門番にそう言われた。
「持ってないんです。今日、初めて来ました」
「なら入市税は銅貨五枚だ。名前と、街へ来た目的を聞こう」
名乗って冒険者登録に来たと伝えると、門番は帳面に書き込み、金を受け取ってから小さな木札を渡してくれた。
「今日の入市証だ。身分証ができるまでは持っておけ。ギルドなら、この道を真っすぐ行って噴水のある広場を右だ。剣と盾の看板が出ている」
「ありがとうございます」
礼を言って門をくぐった俺は、思わず足を止めた。
石造りや木造の建物が道の両側に並び、石畳の上を荷馬車が音を立てて進んでいく。パン屋の隣では色鮮やかな果物が売られ、その先には武器屋や防具屋まで見えた。
呼び込みの声、人々の話し声、どこかから漂ってくる肉の焼ける匂い。四十四歳にもなって、完全に観光客の気分だった。
「お兄さん、串焼きどうだい! 一本銅貨三枚だよ!」
声をかけてきた露店のおばちゃんの前では、大きな肉を刺した串が網の上で焼かれていた。脂が落ちるたびに煙が上がり、見ているだけで腹が減ってくる。
「……一本ください」
受け取った串へかぶりつくと、肉は思ったより柔らかかった。塩と香草だけらしい味付けだが、噛むほどに旨味が広がる。
「うまっ。これ、何の肉です?」
「ホーンラビットさ。柔らかくてうまいだろ?」
「……あれ、食えるんだ」
「何言ってんだい。うまいから人気なんじゃないか」
これまで何匹も倒してきた魔物だが、角以外はほとんど放置していた。どうやら俺は、食べられる肉まで森へ置いてきたらしい。
残りの串を食べながら歩き、噴水のある広場を右へ曲がると、周囲より二回りほど大きな三階建ての建物が現れた。入口には、教わった通りの剣と盾の紋章が掲げられている。
「ここか……冒険者ギルド」
口にしただけで、妙にわくわくした。
「四十四にもなって、何浮かれてんだか」
一人で苦笑しながら、俺は扉を開けた。
* * *
正面には長いカウンターがあり、何人もの職員が冒険者らしき連中を相手にしていた。右の壁には依頼書を貼った大きな掲示板、反対側には酒場のような場所もある。
昼前から酒を飲む男に、依頼書を眺める若者たち。鎧を着た大男の横を、杖を抱えた少女が通り過ぎた。
「おお……テンプレだ」
ゲームや小説で見た光景そのままだったが、実物は想像より騒がしい。話し声に食器の音、装備品が触れ合う金属音まで聞こえてくる。
金髪の間から尖った耳を覗かせた女が目に入り、俺は思わずそちらを見た。エルフまで本当にいるらしい。もう少し見たい気持ちをこらえて視線を戻すと、カウンターから声がかかった。
「次の方、どうぞ」
対応してくれたのは、栗色の髪を後ろでまとめた、二十代半ばくらいの女性だった。白いシャツに濃紺のベストを重ね、柔らかく笑っているが、手元の動きには無駄がない。
「冒険者ギルド・アドリアノープル支部のミレーユと申します。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「冒険者登録をしたいんですけど」
「新規登録ですね。では、こちらにお名前と年齢をお願いします」
差し出された紙は《語学理解》のおかげで読めた。これまでは読むことと話すことばかりだったので、書けるかどうか少し不安だったが、ペンを持つと自然に手が動いた。
どうやら、読み書きまでまとめて面倒を見てくれるらしい。
「タケシ様、四十四歳ですね」
「はい」
ミレーユさんが書類から顔を上げたので、何か問題があったのかと聞くと、彼女は少し申し訳なさそうに笑った。
「冒険者登録をされる方としては、珍しい年齢でしたので。多くの方は十五歳から二十代前半で登録されるんです」
「ですよねえ……」
四十四歳、新人冒険者。自分で考えても、なかなかの遅咲きだ。
「戦闘経験はございますか? 使用する武器や魔法、討伐経験のある魔物も教えていただけますか」
「武器は剣で、魔法も少し。ゴブリンやホーンラビット、それからフォレストウルフは倒したことがあります」
「ほかには?」
「一昨日、三メートルくらいある灰色のやつを倒しました。角が二本生えてて、でかい棍棒を持ってる魔物です」
そこで、ミレーユさんのペンが止まった。
彼女はカウンターの下から分厚い本を取り出し、何枚かページをめくって、一枚の絵を見せてくれた。
「こちらでしょうか?」
「あ、それです。何て名前なんです?」
「オーガです。……そのオーガを、お一人で討伐されたのですか?」
「はい。何かおかしいですか?」
「新人の方が一人で相手をするような魔物ではありませんので」
「ああ、そうなんだ」
ミレーユさんは、返事に困ったような顔をした。
名前くらい鑑定で調べておけばよかったのだが、あのときは相手の動きを見るのに必死だった。危険なら転移して逃げるつもりで戦い、倒したあとは、そのまま帰ってきてしまったのだ。
「討伐を証明できる角などは、お持ちでしょうか? 素材として価値のある部位もございますので、当ギルドで買い取れますよ」
「取ってないですね。死体もそのままです」
「それは、かなりもったいないことをしましたね」
「そんなに?」
「状態次第ですが、一体でまとまった金額になります」
村で牙や角が売れることは知っていた。しかし、あんな巨体まで換金できるとは思っていなかった。
「村では、持ち運べるものだけ売ってたんですけど……魔物を丸ごと持ってきてもいいんですか?」
「裏手に解体場がございます。大型の魔物は運搬も大変ですから、現地で必要な部位だけ採ってくる方が多いですね」
「……もっと早く来ればよかった」
心からそう言うと、ミレーユさんはおかしそうに笑った。
続いて説明された冒険者のランクは、下からF、E、D、C、B、A、S。新規登録者は原則Fから始まり、依頼や討伐の実績に応じて上がっていくらしい。
「タケシ様も、まずはFランクとなります」
「オーガ倒してても?」
「証明がございませんので」
「まあ、そうですよね」
「今後、実績を確認できれば昇格の審査もできます。次はぜひ、素材をお持ちください」
登録料を払うと、名前とランクの刻まれた金属製のカードを渡された。
【タケシ Fランク】
手のひらに収まる小さなカードなのに、妙に嬉しかった。
「これで正式な冒険者です。わからないことがございましたら、遠慮なくお尋ねください」
「ありがとうございます、ミレーユさん」
カウンターを離れ、もう一度カードを眺める。半年かかって、ようやくこちらの世界でも仕事の入口に立った気がした。
* * *
依頼掲示板には薬草採取やホーンラビット討伐、街道周辺のゴブリン討伐など、色々な仕事が貼られていた。
今まで倒してきた魔物にも報酬が出るらしい。ただし、指定された場所や条件がある依頼も多く、何でも倒して持ち込めば依頼達成になるわけではないようだ。
「それでも、半年ほとんど趣味でやってたんだな、俺……」
今日は登録だけにして、依頼は次回から受けることにした。
ギルドを出たあとは、せっかくなので街を見て回った。呼び込みの声が飛び交う中を子供たちが走り、荷馬車の御者が道を開けろと叫ぶ。武器や魔法の道具を除けば、買い物をし、働き、飯を食う人々の姿は、東京ともそう変わらない。
そんなことを考えながら表通りを外れたとき、妙に頑丈そうな建物が目に入った。
窓には鉄格子があり、入口には屈強な男が立っている。看板の文字を読んだところで、俺は足を止めた。
「……奴隷商?」
この国に奴隷制度があることは、村で聞いていた。犯罪を犯した者や、返せない借金を抱えた者などが奴隷となり、法律でも認められているらしい。
だが、知識として聞くのと、実際に店を見るのとでは違った。
そのまま通り過ぎるつもりだったのに、店の奥から視線を感じ、俺は薄暗い中へ目を向けた。
鉄格子の向こうに、若い女が座っていた。
歳は二十歳くらいだろうか。白銀の髪は汚れて艶を失い、粗末な服から覗く手首は細い。それでも、姿勢や顔を上げる仕草には、不思議と品があった。
何より目を引いたのは、青とも紫ともつかない瞳だった。
助けを求めるわけでも、客になりそうな俺へ媚びるわけでもない。ただ静かに見つめているのに、もう何も期待していないように見えた。
数秒ほど視線が重なったあと、彼女はゆっくりと顔を伏せた。
「旦那、気になるのがいましたか?」
「うおっ」
入口の男に声をかけられ、思わず肩が跳ねた。
「見るだけでも構いませんよ。うちは王国から認可を受けておりますし、違法に連れてこられた者は扱っておりませんので」
「……今日はいいです。珍しかったから、見てただけなので」
男へ軽く頭を下げ、その場を離れた。
この世界には、この世界の事情がある。あの女がどうして奴隷になったのかも知らない俺に、何ができるというのだろう。
そう考えて歩いていたのに、一度だけ振り返ってしまった。
店は行き交う人々に紛れていたが、さっきの瞳だけが、妙に頭に残っていた。
* * *
その夜、東京へ戻って夕飯と風呂を済ませ、ベッドへ入ってもなかなか寝つけなかった。
「……明日、仕事なんだけどな」
スマホの時刻は午前零時を回っていた。寝なければと思うほど、昼間に見た女の顔が浮かんでくる。
一目惚れしたわけではない。綺麗な人だとは思ったが、それだけなら、ここまで気にならないはずだ。引っかかっているのは、あの諦めたような目だった。
寝返りを打ち、俺には関係ないと自分へ言い聞かせたとき、胸の奥に覚えのある感覚が走った。
《直感》だ。
あの女を、このまま放っておくな。
言葉が聞こえたわけではない。それでも、忘れて寝てしまおうとするたびに、何かを見落としているような感覚が強くなった。
「……マジかよ」
俺は身体を起こし、しばらく天井を見つめた。
「次の休み、もう一回行ってみるか」
助けると決めたわけではない。まずは、どうしてあそこにいるのか聞いてみるだけだ。
そう決めると、ようやく少し気持ちが落ち着いた。
翌日は予定通り仕事をした。空車のときに思い出すことはあっても、客を乗せれば運転に集中する。個人タクシーは、俺の生活を支える本業なのだ。
次の休みが来たのは、それから三日後だった。




