2-14カイン捕獲
グレンが執務室へ戻ってきたのは、それから三十分ほど経ったころだった。
扉の向こうから二人分の足音が聞こえてきたので、誰かを連れてきたのだろうとは思っていたが、後ろに続いて入ってきたのは衛兵の制服を着た四十代くらいの男だった。短く刈り込んだ髪に、左の頬から顎へかけて古い傷跡があり、腰には使い込まれた長剣を下げている。
「待たせたな。衛兵隊の副隊長を連れてきた。こいつとは昔からの付き合いでな、今回の件も話してある」
「ハロルドだ。グレンから事情は聞いたが、まずは倉庫を見てきた者から詳しく聞かせてもらいたい」
「タケシです。よろしくお願いします」
挨拶を交わすと、ハロルドは机に広げられた地図へ目を向けた。俺も隣へ移動し、倉庫の位置や周囲の地形、見張りの人数、馬車が二台あったことなどを順番に説明していく。
特に詳しく尋ねられたのは、裏口から逃げた場合の経路と、建物の中にいる人数についてだった。
「中の人数までは分からないんだな?」
「はい。倉庫の奥までは見られませんでしたし、荷物を運び出していたので、今も同じ人数が残っているとは限りません。ただ、カインと、ガルドさんを襲った男がいたことは確かです」
「分かった。こちらからも偵察を出してあるから、その報告と合わせて配置を決めよう。裏手の林は、街道へ抜けられるんだな?」
「ええ。木の間を通っていけば出られます。逃げるなら、正面よりそちらを選ぶと思います」
ハロルドは地図の上で指を動かし、正面の門と裏手の林を確かめてから、グレンへ顔を向けた。
「問題は書類だな。包囲に気づかれてから踏み込んだんじゃ、その間に燃やされるかもしれん。逃げ道を押さえるだけでなく、奥の部屋まで一気に入る必要がある」
「俺もそれが気になってた。あいつらが持ってるのは、ガルドから奪った書類だけじゃねえかもしれねえ。できるだけ残したまま押さえてくれ」
「ああ。正面の見張りを取り押さえるのと同時に、横手からも人を入れよう。ただ、毒を使う奴がいるという話だったな」
尋ねられ、俺はガルドが襲われたときの様子を、分かっている範囲で説明した。
「何かを吹きつけられたあと、身体が思うように動かなくなったようです。どんな毒かまでは分かりませんが、顔に浴びたり、吸い込んだりしないように気をつけてください」
「厄介なものを使うな。口と鼻を覆わせるにしても、それだけで防げるとは思わん方がいいだろう。妙な道具を取り出したら近づかず、盾で防ぐよう伝えておく」
相談が進むにつれ、俺たちの役割も決まっていった。
俺とセラフィナは予定どおり裏手へ回り、衛兵と一緒に逃走者を取り押さえる。エレオノーラには倉庫から離れた場所で、護衛とともに待機してもらい、ローデリックはギルドに残って、回収した書類を確認することになった。
グレンも現場へ同行すると言っていたが、ハロルドはすぐには頷かなかった。
「お前が来るのは構わんが、捕らえるのはこちらの仕事だ。カインを見つけても、勝手に追いかけるなよ」
「分かってる。だが、ガルドのこともあるんだ。あいつが本当に関わってたなら、俺も自分の目で確かめてえ」
「だったら俺と一緒に来い。現場では指示に従ってもらうが、それでいいな?」
「ああ、約束する」
グレンの返事を聞くと、ハロルドは部下へ指示を出すため、執務室を出ていった。
俺たちも出発の準備をすることになったが、その前に済ませておきたいことがある。
「グレンさん、少しだけ時間をもらえますか。出発する前に、用意しておきたいものがあるんです」
「何か足りねえのか? 必要なもんなら、こっちでも用意するぞ」
「いえ、大丈夫です。すぐに済みますから」
俺は部屋の隅にある椅子へ腰を下ろし、昨日から考えていた能力を思い浮かべた。
ガルドを襲った男たちは、毒で動きを鈍らせてから斬りつけている。同じ相手を捕まえに行くのだから、こちらにも使ってくると考えておいた方がいい。
身体強化でどこまで耐えられるのかは分からないし、ヒールも、意識を失ってからでは自分に使えなくなる。毒を受けてから対処するより、最初から効かないようにしておく方が確実だろう。
今日の【天神地祇】で取得する能力は、もう決めていた。
【状態異常無効】
毒や麻痺、睡眠など、身体の正常な働きを妨げる状態を無効化する能力だ。
無事に取得できたことを確認し、手を開いたり握ったりしてみたが、特に変わった感覚はない。身体強化のように、使えばすぐ分かるものではないらしい。
わざわざ毒を浴びて試す気はないものの、これで少なくとも、ガルドと同じように動けなくなる心配は減った。
「タケシ様、何か新しい能力を覚えられたのですか?」
近くへ来たセラフィナが声を落として尋ねたので、俺も彼女にだけ聞こえるように答えた。
「ああ。毒や麻痺を受けなくなる能力だよ。あいつらが使った薬にも、これなら対処できると思う」
「それは心強いですけれど、だからといって無理はなさらないでくださいね。タケシ様に効かなくても、近くにいる者が巻き込まれるかもしれませんから」
「分かってる。セラフィナも、妙なものを取り出したら近づかないでくれ。捕まえるのは、そのあとでもいいんだから」
「はい。逃がさないことばかり考えて、毒を浴びてしまっては困りますものね」
セラフィナはそう言って頷くと、自分の剣の具合を確かめ始めた。俺もアイテムボックスに入っている装備を確認し、椅子から立ち上がった。
◇ ◇ ◇
倉庫へ向けて出発したのは、それから一時間ほど経ってからだった。
衛兵たちは数人ずつに分かれ、時間をずらして南門を出ていく。俺たちも最後の一組に加わり、旧街道の途中までは馬車で移動したが、倉庫が近づくと徒歩に切り替えた。
昼過ぎの街道には、荷車を引く商人や、畑の間を行き来する農夫の姿がある。見える範囲ではいつもと変わらないものの、道から離れた林には、先に到着した衛兵たちが身を潜めているはずだった。
ハロルドに案内されて木陰へ入ると、待っていた衛兵が近づき、小声で報告を始めた。
正面の見張りは二人で、馬車も二台とも残っている。荷物の積み込みは続いているが、まだ出発する様子はないという。
「なら、配置が済み次第始める。裏へ回る者にも伝えてくれ」
衛兵を送り出したハロルドは、エレオノーラへ向き直った。
「あなたには、ここから少し離れた場所で待っていてもらう。護衛をつけるし、街道にも別の者を置いてあるから、何かあればその者たちの指示に従ってくれ」
「分かりました。どうぞ、皆様もお気をつけて」
エレオノーラは頭を下げると、俺とセラフィナにも顔を向けた。
「お二人とも、書類を取り戻すために無理をなさらないでくださいね。私は、ここでお待ちしておりますから」
「大丈夫だよ。裏口を押さえるのが俺たちの役目だから、中まで追いかけたりはしない。終わったら迎えに来るから、護衛の人と一緒にいてくれ」
「はい。セラフィナも、タケシ様をお願いね」
「お任せください。ですが、タケシ様は私がお止めしても、先に動いてしまわれることがございますので……」
「分かったって。ちゃんと気をつけるよ。セラフィナも、自分のことを忘れないでくれよな」
そう答えると、エレオノーラは少しだけ表情を緩めた。その顔を見てから、俺たちは裏手へ向かう衛兵について林へ入った。
倉庫の裏側には、すでに数人の衛兵が待機していた。
そのうちの一人に手招きされ、木の陰から建物をうかがう。午前中に見た裏口は閉じており、窓の向こうにも人影は見えない。
「こちらからは、少し前に男が一人出てきました。建物の横を通って正面へ向かいましたが、それからは誰も出てきていません」
「分かりました。少し様子を確かめてみます」
俺は木陰に身を寄せたまま索敵を使い、建物の中の反応を探った。
奥には数人がまとまっていて、正面の入口付近にも人がいる。裏口の近くには一人分の反応があるものの、壁沿いを行ったり来たりしているため、何をしているのかまでは分からない。
「扉の近くにも、一人いるようです。今すぐ出てくる様子はありませんが、気をつけてください」
衛兵は閉じた扉と俺を見比べたものの、詳しく尋ねることはせず、盾を持ち直して頷いた。
「合図が出たら、正面と横手から突入します。我々はここを押さえますので、逃げてきた者の確保をお願いします」
「はい。毒を使う者がいるので、取り押さえたら腰の袋や袖の中も調べてもらえますか」
「承知しています。縛るまでは油断しないよう、副隊長からも言われていますから」
俺とセラフィナは裏口から少し離れた木陰へ移動し、衛兵たちが左右に分かれるのを待った。
しばらくすると、正面の方から鳥の鳴き声に似た短い音が響いた。
直後に男の怒鳴り声が上がり、何かが倒れる大きな物音に、金属のぶつかる音が重なる。
「衛兵隊だ! 武器を捨てろ!」
「その場を動くな! 両手を見えるところへ出せ!」
俺は索敵で人の動きを追いながら、裏口へ目を向けた。正面から奥へ下がった反応のうち、二つがこちらへ近づいてくる。
「二人来る。セラフィナ、扉の正面には立たないでくれ」
「はい。こちらから回り込みますので、タケシ様もお気をつけて」
彼女が木の陰を離れたところで、裏口が勢いよく開いた。
飛び出してきたのは、午前中、馬車のそばで指示を出していた革鎧の男だ。ガルドを襲った記憶の中にもいた顔を見て、俺は逃げ道を塞ぐように前へ出た。
「止まれ。もう裏も囲まれてるぞ」
「なっ……くそっ!」
男は足を止めるなり、腰の剣へ手を伸ばしたが、それよりもセラフィナが踏み込む方が早かった。
抜きかけた剣の柄を押さえ、その腕をひねりながら足を払うと、男の身体が横倒しになる。彼女は相手が起き上がる前に背中側へ回り、腕を押さえたまま近くの衛兵を呼んだ。
「こちらをお願いします。まだ武器を持っているかもしれませんので、身体も調べてください」
「ぐっ……放せ、この女!」
「暴れると腕を痛めますよ。じっとしていただければ、それ以上はいたしませんから」
駆け寄った衛兵が男の剣を取り上げ、両手を縛り始めるのを横目に、俺は裏口から目を離さずにいた。
もう一人は扉の向こうで足を止めている。外の様子をうかがっているらしく、しばらく動かなかったが、やがて開いた扉の陰から顔を出した。
カインだった。
俺と目が合うと一瞬だけ表情をこわばらせたものの、すぐにほっとしたような顔を作り、片手を上げてみせる。
「タケシじゃないか。ちょうどよかった、あんたからも話してくれ! ここの連中を調べていたら、いきなり衛兵が踏み込んできたんだ。俺まで仲間だと思われちゃかなわねえ」
昨日までと変わらない口調を聞きながら、俺はカインの両手へ目を配った。
「それなら、一緒に衛兵のところへ行こう。何を調べていたのか話してくれれば、向こうも分かるだろう」
「ああ、そうしてくれると助かる。グレンも来てるのか?」
「正面の方にいるはずだよ。ガルドさんの件で、あんたにも聞きたいことがあるらしい」
「……俺に?」
カインは倉庫から出てきたものの、そこで足を止めた。視線が一度だけ林へ向いたので、俺はそちらへの道を塞ぐ位置へ動いた。
「昨日も一緒に調べてくれただろ。あのあと分かったこともあるから、話を聞いてもらいたいんだ」
「分かったことってのは、あの地面の傷か? ずいぶん気にしていたが、何かの印だったのかよ」
「ガルドさんが、最後に残した手掛かりだったんだ。あの人のおかげで、ここまで来られたよ」
「……あんなもので、よく分かったな」
カインは笑おうとしたが、その顔はすぐに元へ戻った。俺の向こう側へ目をやり、衛兵がいるのを確かめると、今度は声を落として尋ねてくる。
「ほかにも何か見つけたんだろ? グレンには、どこまで話したんだ」
「倉庫で見聞きしたことは全部話したよ。あんたが、ガルドさんを襲った男と一緒にいたこともな」
カインの口元から笑みが消えた。
右手が腰の袋へ動いたので、俺はそちらへ目を向けながら声をかけた。
「手は見えるところに出してくれ。続きはグレンさんたちの前で聞くから」
「……見てたのかよ、お前」
低い声とともに、カインが袋から小さな筒を引き抜いた。
その先がこちらを向いた途端、細かな霧が噴き出してくる。俺は横へ身をかわし、背後にいたセラフィナへ「下がれ!」と声をかけたが、顔の左側に冷たいものが触れるのまでは避けられなかった。
追いかけるように筒を向け直したカインの手首をつかみ、その先を誰もいない地面へ押し下げる。
「タケシ様! お顔に……!」
「俺は大丈夫だ。近づかないでくれ!」
「はっ、強がってんじゃねえよ。ガルドもそいつを浴びたら、まともに剣を振れなくなったんだ。今にお前も――」
言いかけたカインが、顔をしかめて俺の手を見た。
つかんだ手首を引き抜こうとしているのに、こちらの力が緩まないことに気づいたらしい。
俺自身も呼吸や手足の感覚を確かめたが、痺れも息苦しさもなく、目の前の景色もはっきり見えている。【状態異常無効】は、きちんと働いてくれているようだ。
「離せ……! 何でまだ動けるんだよ!」
「そんなことより、その筒を放してくれ。まだ使うつもりなら、こっちも手加減できなくなるぞ」
カインは答える代わりに、空いている手で剣を抜こうとした。
俺は身体強化で力を上げ、つかんでいた腕を外側へひねりながら背後へ回る。筒が地面へ落ちたところで足を払い、そのままうつ伏せに押さえ込むと、カインは土に頬を擦りつけながら声を上げた。
「ぐあっ! てめえ、腕が……!」
「抵抗しなければ緩めるから、剣から手を離せ。もう逃げられないのは分かるだろ」
それでも身体をよじっていたが、衛兵が剣を抜き取ると、ようやくカインは動きを止めた。
俺は両手が縛られるまで腕を押さえ、近くにいた衛兵へ顔を向けた。
「今の話は聞こえましたか。ガルドさんにも、同じ毒を使ったと言っていました」
「はい。あなたへ吹きつけたところから、すべて見ています」
「違う、俺は聞いただけだ! ガルドに使ったのは、俺じゃねえ!」
カインが顔を上げて叫んだので、俺は押さえていた手を緩めながら答えた。
「だったら、それも衛兵に説明してくれ。少なくとも、俺に毒を使ったのはあんただろ。倉庫を調べていただけなら、どうしてそんな真似をする必要があったんだ」
返事はなく、カインは歯を食いしばって俺を睨んだ。
衛兵が左右から腕を取って立ち上がらせると、今度はこちらへ身を乗り出し、声を荒らげる。
「お前、どうやって調べた! あの傷だけで分かったわけじゃねえだろ。誰から聞いたんだ!」
「ガルドさんが残してくれたものを調べたんだよ。あんたに話せるのは、それだけだ」
なおも何か言いかけたカインを、衛兵が林の端へ連れていく。先ほどの革鎧の男もそこに座らされており、二人とも武器や持ち物を取り上げられたうえで、見張りをつけられた。
落ちた筒にはまだ近づかないよう伝えてから、俺はようやく息をついた。
セラフィナがそばへ来たのは、霧がすっかり散ってからだった。
「タケシ様、本当に何ともないのですか? お顔にもかかっていたように見えましたけれど」
「ああ。痺れもないし、息も普通にできる。念のため、顔と手は洗っておいた方がよさそうだけどな」
「では、お水をお使いください。能力があっても、見ているこちらは気が気ではありませんでしたよ」
差し出された水袋を受け取り、俺は礼を言って顔を洗った。手も十分に洗い流してから、彼女が渡してくれた布で拭いていると、正面で続いていた物音が、いつの間にか収まっていることに気づいた。
◇ ◇ ◇
しばらくして、倉庫の横からグレンとハロルドが姿を見せた。
二人とも怪我はなさそうだったが、衛兵に囲まれたカインを見つけると、グレンの足が止まった。
「……そいつも、裏から出てきたのか」
「はい。もう一人と一緒に逃げてきました。倉庫を調べていたと言っていましたが、話を聞こうとしたら毒を使われまして」
「毒だと? お前、大丈夫なのか?」
「俺は平気です。ほかにも浴びた人はいません」
そう答えると、ハロルドはそばにいた衛兵から報告を聞き、落ちている筒を慎重に回収するよう指示した。
グレンはその間もカインから目を離さず、ゆっくりと近づいていく。気づいたカインが腰を浮かせようとしたが、すぐに衛兵に押さえられた。
「グレンさん、違うんです。俺は、こいつらのことを調べようとして……」
「調べてたんなら、どうして逃げた。タケシに毒まで使って、何から逃げようとしてたんだ?」
「それは、こいつがいきなり……!」
俺を指そうとしたのか、縛られたカインの肩が動いた。グレンはそちらへ目を向けることもなく、相手の顔を見据えたまま続けた。
「ガルドに書類を取りに行ってもらうと決めたとき、お前にも話したな。行き先も、何を受け取ってくるのかもだ。あいつが戻らなくなってからは、捜索にも力を貸してくれた。だから俺は、お前を疑おうともしなかった」
「……グレンさん」
「そのお前が、ガルドを襲った連中と一緒にいたんだな」
カインは口を開きかけたものの、今度は何も言わなかった。
グレンはしばらく返事を待っていたが、やがて大きく息を吐き、ハロルドへ振り返った。
「悪い。あとは頼む。今の俺じゃ、こいつから冷静に話を聞けそうにねえ」
「ああ。ガルドの件も含めて、こちらで調べる。お前は少し離れていろ」
ハロルドが頷くと、グレンはそれ以上カインを見ようとせず、倉庫の方へ歩き出した。
カインはその背中へ顔を上げたが、結局、呼び止める言葉は出てこなかった。衛兵に立つよう促され、革鎧の男とともに正面へ連れていかれる。
俺たちもあとに続こうとすると、ハロルドが倉庫へ目を向けながら教えてくれた。
「中は押さえた。抵抗した奴もいたが、こちらに大きな怪我はない。お前の話にあった残りの二人らしい男も捕らえてあるから、あとで顔を確かめてくれ」
「ありがとうございます。書類は、残っていましたか?」
「それも見てもらいたい。奥の部屋に、古いものがまとめて置いてあった」
その言葉を聞き、俺はグレンと顔を見合わせてから、倉庫の中へ向かった。
◇ ◇ ◇
正面の入口では、衛兵が捕らえた男たちの持ち物を調べていた。床には倒れた椅子や木箱が転がり、荷物を積みかけた台車が通路を塞いでいる。
その横を通って奥へ進むと、小さな部屋に木製の机が置かれていた。上には何枚もの書類が広げられ、壁際の暖炉のそばには、油の入った壺と焚きつけらしい木片が用意されている。
「踏み込んだとき、一人が机の紙を集めようとしていたそうだ。先にこちらの者が入れたから、燃やされずに済んだ」
ハロルドの説明を聞きながら机を見渡すと、端が擦り切れた紙や、何度も折り畳まれた紙に混じって、布で包まれた束が目に入った。
村の老人がガルドへ渡していたものと、よく似ている。
「グレンさん、これかもしれません」
俺が指さすと、グレンはハロルドへ一言断ってから布を開いた。
中にあったのは、日付や数量、納入先の名前が細かく書かれた古い書類だった。ところどころに注釈もあり、紙の端には、元の記録から書き写したものらしい日付が添えられている。
「……ローデリックが言ってた写しってのは、これだろうな」
「本人に見てもらわないと断定はできませんが、探していたものだと思います」
グレンは頷き、一番上の紙へ目を落とした。俺も隣からのぞくと、十年前、アルセニア王国北部の砦へ送られた物資について記されている。
矢や食料、医薬品、武具などの数量が並び、その脇には、受領書に記されていた数と思われる書き込みがあった。納入済みとされている数との差は、事情に詳しくない俺が見ても分かるほど大きい。
「こんなに足りなかったのか……」
「ああ。これが正しけりゃ、砦の連中は、来るはずの物が届かねえまま戦ってたことになる」
「王宮の記録では全部届いていたなら、足りないと訴えても、まずそこから説明しなければならなかったんでしょうね」
「その訴えが、ちゃんと上まで届いてたかどうかも分からねえな。記録を直せる奴がいたんだ。都合の悪い報告を止めてたとしても、おかしくはねえ」
グレンは紙を重ね直すと、今度はほかの書類にも目を通し始めた。
机の脇には、この倉庫で使っていたらしい新しい帳簿も置かれている。開かれたページには荷物の品目や搬入の日付が並び、添えられた紙に、アルベルト・ヴァルデンの名前があった。
「ハロルドさん、ここに名前があります」
呼びかけると、ハロルドは紙をのぞき込み、近くの衛兵にも確かめさせた。
「これだけで関与を決めつけることはできんが、倉庫との関係を調べる手掛かりにはなる。ほかの帳簿も一緒に押さえよう」
「本人にも、早めに話を聞けませんか。ここの連中が捕まったと知れば、姿を隠すかもしれません」
「先ほど、人を街へ戻した。居場所を確かめさせているところだ。捕らえた連中の話とも照らし合わせて、こちらで進める」
その返事を聞き、俺は少し肩の力を抜いた。
ここから先は、衛兵隊に任せるしかない。少なくとも今は、目の前の書類を無事に持ち帰ることを考えよう。
ハロルドは、どこに何が置かれていたか記録を取らせてから、書類をまとめるよう指示した。ローデリックが確認する布包みについても、衛兵が運び、ギルドで立ち会うことになった。
グレンは開いていた布の端をそろえ、古い紙を傷めないように包み直している。
その手つきを見ていると、俺はこれを運んでいたガルドの姿を思い出した。村の老人から受け取り、中身を確かめていたときには、まさか帰り道で命を落とすとは思っていなかったはずだ。
「グレンさん、ようやく取り戻せましたね」
「ああ。ローデリックにも、ちゃんと渡せるな」
グレンは包みの上へ手を置いたまま、しばらく黙っていた。廊下から衛兵たちの話し声が聞こえてきたところで、ようやく顔を上げる。
「……ガルドにも、見せてやりたかったな」
俺も頷いたが、何か答えようとしても、うまく言葉が出てこなかった。
◇ ◇ ◇
倉庫の捜索が一段落したころ、エレオノーラも護衛に案内されてやってきた。
入口で待っていた俺たちを見つけると、ほっとしたように表情を緩めたが、近づいてからは、服や腕に怪我がないか確かめるように視線を動かしている。
「お二人とも、ご無事だったのですね。物音が聞こえていたので、何かあったのではないかと心配しておりました」
「待たせて悪かったな。俺たちは大丈夫だし、衛兵にも大きな怪我をした人はいないそうだよ」
「それなら、よかったです。……ガルドさんの書類も、見つかったのでしょうか?」
「ああ。ローデリックさんに確かめてもらう必要はあるけど、それらしいものが残っていた。今、ほかの書類と一緒に運び出す準備をしてるよ」
エレオノーラは胸へ手を当て、ゆっくりと息を吐いた。
奥の部屋へ案内し、グレンとともに書類の内容を説明すると、彼女は布包みを見つめながら、しばらく考え込んでいた。
「父上たちも、砦に物資が届いていないとは、ご存じなかったのでしょうか。それとも、気づいていらしたのに、間に合わなかったのでしょうか……」
「そこは、これから調べないと分からないと思う。王宮の記録が書き換えられていたなら、届いていると信じていた人もいるだろうし、おかしいと思って調べていた人もいたかもしれない」
「はい。ローデリック様が残してくださったものを、まずはきちんと読まなければなりませんね」
エレオノーラが顔を上げると、隣にいたセラフィナも布包みへ目を向けた。
「私も、当時のことを思い出してみます。近衛にいたころは、王宮の中でお仕えするのが主な務めでしたから、砦の事情までは存じませんけれど、何かお役に立てることがあるかもしれません」
「ありがとう、セラフィナ。私も、覚えていることを整理してみるわ。幼かったからといって、皆様にお任せしたままではいられませんもの」
「無理に思い出そうとしなくてもいいんだぞ。書類を見てから分かることもあるだろうし、今日はひとまず、持ち帰るところまでにしよう」
そう声をかけると、二人とも頷いてくれた。
外では、押収した荷物を馬車へ積む作業が進んでいた。捕らえた男たちもまとめて連行されるらしく、衛兵が人数を確かめながら並ばせている。
カインはその中にいたが、こちらを見ようとはしなかった。
俺はガルドを襲った残りの二人の顔も確認し、ハロルドへ伝えた。記憶の中で見た男たちに間違いなく、これで少なくとも、あの場にいた三人は全員捕らえられたことになる。
「こちらの確認は済みました。あとは、アルベルト・ヴァルデンですね」
「ああ。倉庫の連中が何を話すかにもよるが、手掛かりは揃ってきた。書類の方はギルドへ運ばせるから、ローデリックにも確認を頼んでくれ」
「分かりました。よろしくお願いします」
ハロルドと話を終えると、グレンが馬車の荷台を確かめに来た。
布包みはほかの書類と分けて箱へ収められ、運ぶ間に混ざらないよう、衛兵が蓋に印をつけている。グレンはその作業が終わるのを待ってから、俺たちへ声をかけた。
「じゃあ、戻るか。ローデリックも待ちくたびれてるだろうしな」
「そうですね。見つかったことだけでも、早く知らせてあげたいです」
エレオノーラの返事に頷き、俺たちは書類を積んだ馬車とともに、街へ戻ることにした。
◇ ◇ ◇
林を抜けて街道へ出ると、西へ傾いた日が目に入った。
来るときには遠くで見えていた農夫の姿もなく、畑の間の道を、荷物を背負った人が一人歩いている。馬車の車輪が石を踏む音を聞きながら歩いていると、隣のセラフィナが俺の顔をのぞき込んできた。
「タケシ様、お身体はその後も変わりありませんか? 時間が経ってから具合が悪くなるようなことは、ないのでしょうか」
「ああ、今のところは何ともないよ。もし少しでもおかしくなったら、ちゃんと言うから」
「お願いしますね。毒が効かないと聞いていても、目の前で浴びられると、やはり驚いてしまいます」
「俺も、もう少し取り出すまでに時間があると思ってた。袋から出すと同時に使ってきたから、全部は避けきれなかったよ」
「ええ。私も剣を抜こうとするところは見ておりましたけれど、ああいう道具までは相手にしたことがございませんでした。次は、手を伸ばした時点でもっと離れた方がよさそうですね」
俺が頷くと、セラフィナはようやく安心したように前へ顔を戻した。
あの小さな筒一つで、ガルドは剣を振る力を奪われた。俺には何の異常も起きなかっただけに、改めてその違いを考えてしまう。
戻りが遅いと聞いたとき、もっと早く探しに出ていれば、何か変わっていたのだろうか。
ガルドがいつ襲われたのかも分からないのに、そんなことを考えても答えは出ない。それでも、見つけたときの姿を思い出すたび、もう少し早ければ、という気持ちは消えてくれなかった。
「タケシ様?」
呼ばれて顔を上げると、セラフィナが心配そうにこちらを見ていた。
「いや……ガルドさんのことを考えてたんだ」
「……はい」
彼女はそれ以上尋ねず、俺の隣を歩き続けた。
前の馬車には、ガルドが持ち帰ろうとしていた書類が積まれている。今夜、それをローデリックへ渡せば、村へ向かったときに頼まれた仕事を、ようやく終わらせてやれるのかもしれない。
俺が少し歩調を速めると、セラフィナも何も言わずについてきた。
アドリアノープルの城壁が見えてくるころには、夕暮れの空が赤く染まり始めていた。




