2-13アルベルト商会
昨日、丸一日馬に乗ったせいか歩くたびに太腿の内側が痛む。身体強化を使っていても、慣れない姿勢で踏ん張り続ければこうなるらしい。隣を歩くセラフィナが何度か俺の脚へ目を向けていたので、心配をかけないよう、なるべく普段どおりに歩きながら受付へ向かった。
「おはよう、ミレーユ。ローデリックさんは、もう来てるかな?」
「はい。少し前にいらして、グレンさんとお話しされています。皆さんがいらしたらご案内するよう伺っていますので、こちらへどうぞ」
案内された執務室では、ローデリックがグレンと向かい合って座っていた。俺たちの姿を見るとすぐに立ち上がり、エレオノーラへ頭を下げてから、俺にも顔を向ける。
「タケシさん、ガルドさんのことを伺いました。私があの書類の話を持ち出したばかりに、あの方を危険な目に遭わせてしまったのではないかと……昨夜から、そればかり考えております」
「書類を預けたことも、ガルドさんに受け取りを頼んだことも、間違っていたわけじゃありませんよ。悪いのは襲った連中ですから、ローデリックさんがご自分を責めることはないと思います」
俺自身、もっと早く探しに行っていればと考えていたので、そう簡単に気持ちを切り替えられないことは分かる。それでも、ローデリックにまで自分を責めてほしくはなかった。
彼はしばらく目を伏せていたが、グレンに椅子を勧められると、俺たちが座るのを待ってから腰を下ろした。
「昨夜、何かの印が見つかったと伺いました。私に分かるものかどうか、見せていただけますか」
「はい。地面に残っていた傷を写したものと、ガルドさんを襲った男が持っていた印です。形が似ているので、これを残そうとしたんじゃないかと思っています」
俺は懐から紙を取り出し、机の上へ広げた。
ローデリックは地面の傷を写した方から順に目を通し、完成した印を見ると、紙へ顔を近づけた。向きを変えて確かめているうちに、その眉間へしわが寄る。
「……ヴァルデン商会の印です。王宮の納入書類で、何度も見たことがあります」
「ヴァルデン商会……ああ、その名前でしたわ」
エレオノーラが声を上げ、俺たちは彼女へ顔を向けた。
「父上が大臣の方とお話しされているときに、何度か聞いたことがあります。その名前には覚えがあったのに、昨夜はどうしても、この印と結びつかなかったのです」
「王宮へ品物を納めておりましたから、陛下のお手元に届く書類にも使われていたのでしょう。北部の砦への輸送も多く請け負っていた商会でして、以前お話しした不審な記録の中にも、この商会が納入した物資が含まれていました」
「それじゃあ、ガルドさんが受け取りに行った書類にも、この商会の名前があるんですね?」
「はい。納入記録の写しに加えて、受領書が差し替えられた経緯も記してあります。誰が新しい書類を持ち込んだのか、誰の指示だと説明されたのか、その場で確認できた名前も書き添えました」
数量の食い違いだけでなく、書類を差し替えた者の名前まで残っているのなら、当時の関係者にとっては放っておけない記録だろう。男たちがガルドの荷物から書類を探し出して奪った理由も、分かる気がした。
グレンが紙を自分の方へ引き寄せ、印を眺めながら尋ねる。
「その商会は、今もあるのか? 俺は長いこと名前を聞いてねえが」
「ヴァルデン商会という名では、もう営業していません。王都の本店は陥落の際に焼失したと聞いておりますし、代表者の消息も分からないままです。ただ、各地に倉庫や取引先を持っていましたので、関係者が別の土地で商売を続けていても不思議ではありません」
「なくなった商会の印を、今でも持ち歩いてる奴がいるってことか。書類を狙った奴が持ってたんじゃ、昔の取引と関係がねえとも思えんな」
「ローデリックさん、この印をつけた金属板は、商会の人間なら誰でも持っていたんでしょうか?」
「私が見ていたのは書類や荷札ですが、輸送を取り仕切る者が、身分を示す徽章を持っていたという話は聞いたことがあります。荷を受け取る際などに使っていたのでしょう」
俺は紙の模様へ目を戻した。ガルドも、あの男が腰へ下げていた印に見覚えがあったのだろうか。
考えていると、ローデリックが少しためらってから言葉を続けた。
「それと、商会の取引について、もう一つお伝えしておきたいことがあります。ヴァルデン商会は軍需物資のほか、王宮で使う調度品や薬品も納めておりまして、当時、アルセニア王宮の財務に関わっていたベルニエ男爵とも、つながりがありました」
「……ベルニエですか」
思わずグレンを見ると、彼もこちらへ目を向けていた。
以前のミレーユ誘拐事件で黒幕として名前が挙がった男だ。外患誘致の疑いでお家取り潰しとなり、領地も財産も没収されている。本人も拘束されたまま、国の役人による取り調べを受けているはずだった。
「男爵が商会の経営に関わっていたということですか?」
「そこまでは存じません。ただ、商会の取引が急に増えたころ、男爵が後押ししているという噂はありました。私の立場では、それを確かめることもできませんでしたが」
「ベルニエが捕まって、昔の取引まで調べられるようになったんなら、困る奴もいるだろうな。本人が指示を出せなくても、残った連中が動く理由にはなる」
グレンはそう言って、机の端から新しい紙を取り出した。
「当時の関係者の名前を覚えてるか? 商会の名前が変わってても、そっちから調べられるかもしれねえ」
「代表者は、アルベルト・ヴァルデンという男です。会計を担当していた者と、北部への輸送責任者の名前も覚えておりますので、書き出しておきましょう」
ローデリックが三人の名前を書き出す間、俺は机の引き出しへ目を向けた。昨日、グレンがしまった留め具が入っているはずだ。
前回は、犯人たちが逃げた道を確かめようとして、森の記憶を中心に追った。最初に見えた小屋の様子も、もう少し丁寧に調べておけばよかったかもしれない。
「グレンさん、昨日の留め具を、もう一度調べさせてもらえますか。見落としたものがあるかもしれないので」
「ああ、構わねえぞ。隣の部屋を使ってくれ」
グレンは布包みを取り出し、執務室に続く小部屋を示した。俺はローデリックへ少し席を外すと断り、扉を閉めてから、留め具を手のひらに載せる。
曲がった片側には、革が擦れた跡が残っていた。馬具につけられていたころの様子を確かめようと、俺はサイコメトリーを使った。
◇ ◇ ◇
最初に浮かんだのは、昨日も見た薄暗い小屋だった。
男の手が革紐を引き、留め具へ通している。前回は顔を確かめようとするうちに次の景色へ移ってしまったが、今回はその手元へ意識を集中させ、近くから聞こえる声に耳を澄ませた。
『……まだ使えるだろ。替えるなら、そっちで買ってこいよ』
『途中で外れたりしねえだろうな。荷を積むんだから、ちゃんと締めてくれ』
言葉はところどころ途切れるものの、馬具を直している会話らしい。男が最後に革紐を引いて確かめると、馬が歩き始め、小屋の入口から石造りの建物が並ぶ通りが見えた。
その先で門をくぐったとき、上に掲げられた紋章が一瞬だけ視界に入る。円形の枠の中に、交差した二本の槍が描かれていた。
俺はそこで能力を解き、紋章を紙へ描き留めた。どこの門かは分からないが、グレンなら見覚えがあるかもしれない。
もう一度留め具に触れ、今度は門を出たあとの記憶を追う。
街道の土と馬の脚が浮かび、揺れる荷物の向こうから、男たちの声が聞こえてきた。
『受け取りに来るのは、ガルドって冒険者だろ? 腕が立つって話だが、三人で足りるのかよ』
『だから薬を持ってきたんだ。まともにやり合う必要はねえ。村を出たところで待ってりゃ、書類も持ってるはずだ』
『情報は確かなんだろうな。わざわざ来て、別の奴を襲ったんじゃ笑えねえぞ』
荷物が揺れるたびに声が遠のき、俺は意識を集中させたまま、次の返事を待った。
『カインからの話だ。向こうから知らせてきたんだから、間違いねえよ』
その名前を聞いて、俺は思わず留め具を握り込んだ。
昨日、一緒に現場を調べたカインだろうか。別の街から来たという話も、ガルドの行き先を聞いていたことも、ついさっき思い返したばかりだった。
すぐに執務室へ戻りたい気持ちを抑え、俺は記憶の続きを確かめた。ここで聞くのをやめてしまえば、男たちが誰の話をしていたのかも、曖昧なままになってしまう。
『ギルドの奴が、仲間の行き先を売るとはな。今度はこっちのことを売らねえだろうな』
『金を払ってる間は大丈夫だろ。お前も余計なことをしゃべるなよ。書類を取ったら、いつもの倉庫へ戻ればいい』
『南の旧街道の方か? あんな古いところ、まだ使ってるのかよ』
『荷を置くには十分だ。昔は穀物を入れてたんだからな。そこで待ってりゃ、上の連中が受け取りに来る』
そのあとは馬具のきしむ音が重なり、声を聞き取れなくなった。
俺は一度休んでから、街道の記憶をもう少し追ったが、行き先を絞れそうな会話は、それ以上聞こえてこない。やがて昨日見た森の場面が現れ、荷物が枝へ引っかかって留め具が外れたところで、能力を解いた。
分かったことを紙へ書き足し、留め具を包み直す。カインという名前だけで本人だと決めることはできないが、少なくとも、冒険者ギルドから情報が漏れていた可能性は高い。
俺は扉を開ける前に廊下の物音へ耳を澄ませ、近くに人がいないことを確かめてから執務室へ戻った。
◇ ◇ ◇
「グレンさん、カインは今日、ギルドに来ていますか?」
「いや、別の依頼へ出てるはずだが……あいつがどうかしたのか?」
グレンの顔つきが変わり、俺は声を落として答えた。
「ガルドさんを襲った連中が、情報をくれた相手として、その名前を口にしていました。冒険者ギルドの人間だとも話していたので、昨日のカインと無関係とは思えません」
エレオノーラが小さく息を呑み、グレンは机へ置いていた手を止めた。ローデリックも何か尋ねかけたが、彼の表情を見て口を閉じる。
「……確かに、行き先は俺から伝えた。ガルドが戻らなかったときに、捜索へ出てもらうつもりだったからな」
「まだ、あの人だと決まったわけではありません。ただ、疑っていることを知られると、相手に連絡されるかもしれません。先に、連中の行き先を確かめたいんです」
「そこも分かったのか?」
「南の旧街道沿いにある倉庫へ戻ると話していました。昔は穀物を保管していた建物だそうです。それと、門にこの紋章がありました」
俺が描いた紙を見せると、グレンはすぐに指を置いた。
「これはアドリアノープルの門だ。修理した馬を、この街から連れ出したってことか」
「そうだと思います。倉庫もこの近くにあるなら、今日のうちに様子を確かめられるかもしれません」
グレンは地図を広げ、南門から延びる街道をたどった。
「今の街道が整備される前は、こっちを使ってたんだ。古い倉庫も残ってるが、穀物を入れてた大きな建物なら、俺にも一つ心当たりがある。昔、ヴァルデン商会が使ってたところじゃなかったか……」
「この街にも、商会の拠点がありました。私も輸送記録で見た覚えがあります」
ローデリックが身を乗り出して地図を見ると、グレンは倉庫のおおよその位置を示した。ただし、今の持ち主までは知らないらしい。
「商業ギルドに、古い記録を扱ってる顔なじみがいる。そいつに直接聞いてこよう。さっき書いてもらった名前も借りるぞ」
「問い合わせたことが、倉庫の方へ伝わったりしませんか?」
「事情を話して、内々に調べてもらう。相手へ確認を取るようなことはさせねえよ。お前たちはここで待っててくれ」
グレンはローデリックの書いた紙を受け取り、執務室を出ていった。
扉が閉まると、セラフィナが机の地図へ目を落としたまま口を開く。
「昨日は、ガルド様のことをあれほど気にかけていらしたのに……本当にあの方が知らせていたのなら、私たちと現場へ行ったのも、調査の様子を知るためだったのでしょうか」
「そうかもしれないな。ただ、追ってくれた道は、犯人たちが通ったところで間違いなかったんだ。調査そのものは、ちゃんとやっていたと思う」
「では、あの留め具を見つけてくださったことも?」
「ああ。普通なら、誰の持ち物かも分からないようなものだからね。俺たちに渡しても、手掛かりにはならないと思ったんじゃないかな」
セラフィナは布包みへ目を向け、それ以上は何も言わなかった。
俺がこれを調べて、過去の会話まで聞けるとは、カインも考えていないはずだ。こちらが疑っていることを知られないうちに、どこまで確かめられるだろうか。
◇ ◇ ◇
グレンが戻ってきたのは、一時間ほど経ってからだった。
「今の持ち主は、ラウレンス商会だ。十年ほど前にできた商会で、穀物や日用品を扱ってる。倉庫には荷を置いてるらしいが、最近は大きな取引の記録もなく、出入りは少ないそうだ」
「ヴァルデン商会との関係は、何か分かりましたか?」
「ああ。設立時に資金を貸し付けた者の記録が残ってた。アルベルト・ヴァルデンだ。名前を書いてもらってたおかげで、向こうもすぐ気づいてくれたよ」
ローデリックが紙を受け取ると、そこに書かれた名前をしばらく見つめていた。
「本人でしたら、王都を離れたあとも、商売に関わっていたことになりますね。亡くなったという噂も聞きましたが、私は確かめたことがありませんでした」
「表向きの代表者は別の男だ。アルベルトが今も資金を出してるのか、昔の貸し付けだけなのかは、記録じゃ分からねえ。ただ、あの倉庫を調べる理由にはなるだろう」
俺は地図に示された場所を見ながら、グレンへ尋ねた。
「一度、外から様子を見てきてもいいですか。人の出入りがあれば、ガルドさんを襲った男たちがいるかもしれません」
「分かった。だが、中へは入るなよ。相手が毒を使うのは分かってるし、逃げ道も知らねえ場所でやり合うことはねえ」
「ええ。何か見つけても、まず戻って報告します」
セラフィナが俺へ顔を向けたので、続けて二人にも声をかけた。
「今回は一人で行かせてくれるか。気配を消して近づいて、外から分かることだけ確かめてくるから」
「ご一緒したいのですけれど……様子をご覧になるだけでしたら、こちらでお待ちします。その代わり、相手を見つけても、お一人で追いかけたりなさらないでくださいね」
「ああ。書類のこともあるし、捕まえるなら準備を整えてからにするよ」
エレオノーラも頷き、俺はグレンから道順を聞いてギルドを出た。
◇ ◇ ◇
南門を抜けて旧街道へ入ると、沿道の建物が減り、畑や草の伸びた空き地が目立つようになった。
教えられた倉庫は、街道から少し外れたところにある。石造りの大きな建物を低い塀が囲み、木製の門の脇には、詰所らしい小屋も見えた。
俺は手前の林へ入り、気配遮断を使ってから索敵で周囲を確かめる。倉庫の中には複数の人間がおり、門のそばと建物の外にも反応があった。
木の陰から入口を見ると、止められた馬車へ男たちが木箱を運んでいる。その中に、見覚えのある革鎧を着た男がいた。
顔を隠していた布は外しているものの、体格と鎧には覚えがある。腰から下がる小さな金属板を見つけ、俺は目を凝らした。男が木箱を指さして何か指示すると、ほかの者が向きを変えて積み直す。
声までは届かなかったが、ガルドの荷物を奪った男に似ていた。
もう少し確かめようと待っていると、倉庫の扉が開き、中からカインが出てきた。
思わず木の幹へ手をつき、俺はその顔を見直した。昨日と同じ革鎧に、腰の長剣も同じだ。カインは馬車へ近づくと、革鎧の男に紙を渡し、倉庫の方を指さしながら話し始めた。
男は紙を開いて目を通し、何か言い返している。二人とも遠慮のない様子で、やがて一緒に建物へ戻っていった。
俺は索敵で外にいる者の位置を確かめ、木々の陰を使って倉庫の裏側へ回った。塀は低く、向こう側に誰もいないことを確認してから越えると、建物に沿って窓へ近づく。
一つだけ、少し開いている窓があった。
その下へ身を寄せると、カインの声が聞こえてきた。
『明日までには片づけろって話だろ。まだ、こんなに荷が残ってるじゃねえか』
『書類を調べろだの、ほかに写しがねえか確かめろだの、あとから仕事を増やされたんだぞ。先にそれを済ませろって言ったのは、そっちだろうが』
返事をした声にも覚えがあった。サイコメトリーで聞いた、革鎧の男だ。
『俺が決めたんじゃねえよ。アルベルト様が確認するまでは燃やすなって話だ。あの中に、ほかの記録の置き場所でも書いてあったら、処分してからじゃ遅いだろ』
『だったら、さっさと来てもらえよ。こっちはガルドを始末して、書類まで持ってきたんだ。それで終わりだと思ってたのに、いつまで待たせる気だ』
『確認が済んだら書類は燃やして、荷も運び出す。それまでは、余計なことをするな。ベルニエの取り調べが続いてるんだから、アルベルト様だって気が気じゃねえんだよ』
俺は窓の下で息を抑え、二人の声を聞き続けた。
書類はまだある。だが、アルベルトがいつ来るのかは分からない。明日まで置いておくという話ではなく、確認が済めば、その場で燃やすつもりらしい。
『それより、昨日の調査はどうだったんだ? ギルドマスターまで出てきたって聞いたぞ』
『死体のあったところと、逃げた道を調べただけだ。地面に傷があって、何か残そうとしたんじゃねえかって話になったが、形もろくに残ってねえ。あれだけで、ここの場所まで分かるとは思えねえよ』
『ガルドが短剣を動かしてたのは見たがな。あんな状態で、何が書けたっていうんだよ』
『俺に聞くな。ただ、死体を見つけたタケシって男は気にしてた。グレンにも、何か話してるかもしれねえ』
自分の名前を聞いて、俺は窓から少し身体を離した。
『面倒になる前に、そいつも何とかした方がよくねえか』
『やめとけ。腕が立つって話だし、今あいつに何かあれば、グレンが黙ってねえよ。こっちへつながるものは見つかってないんだから、書類を片づけて、しばらくおとなしくしてりゃいい』
そこで椅子を動かすような音がして、二人の話題は馬車へ積む荷物に移った。
カインが俺を警戒していることは分かったが、印の正体を突き止めたことまでは知らないらしい。これ以上ここにいて見つかるわけにもいかないので、俺は足元に気をつけながら窓を離れた。
塀の外へ戻り、林からもう一度倉庫を見渡す。馬車は二台あり、一台にはすでに荷が載っていた。門の脇に見張りが一人、建物の横にも一人いる。裏側には小さな扉があり、そこから人が出入りしないかもしばらく確かめてから、来た道を引き返した。
◇ ◇ ◇
執務室へ戻ると、セラフィナとエレオノーラが席を立った。
「タケシ様、お戻りになったのですね。お怪我はありませんか?」
「大丈夫だよ。中へは入ってない。ただ、急いだ方がよさそうだ。グレンさん、倉庫にカインがいました」
グレンは椅子から腰を浮かせ、そのまま俺の話を聞き始めた。
革鎧の男の声を確かめたこと、カインがガルドの殺害や奪った書類について話していたことを伝えると、グレンの顔が険しくなる。さらにアルベルトの指示と、確認後に書類を燃やす予定だという話まで聞き終えると、机へ置いた手を固く握った。
「……あいつは昨日も、ガルドを心配してたような顔で、俺たちと一緒に立ってたんだぞ。何があったか知ってて、あんなふうに話してたってことか」
俺はすぐに言葉を返せず、グレンが視線を落としたまま息を吐くのを待った。
カインを信頼して仕事を任せたのも、ガルドの行き先を教えたのもグレンだ。本人に罪があるわけではなくても、その情報が襲撃に使われたとなれば、簡単に割り切れるはずがない。
「グレンさん、書類はまだ倉庫にあります。今なら、ガルドさんが持ち帰ろうとしたものを取り戻せると思います」
「ああ……そうだな。腹を立ててる間に燃やされちゃ、それこそガルドに顔向けできねえ」
グレンは立ち上がり、地図を広げ直した。
「アルベルトが来る時間は、聞こえなかったんだな?」
「はい。確認が済めば燃やせと言っていましたが、いつ来るのかまでは分かりません。馬車には荷を積んでいましたから、書類も一緒に運び出される可能性があると思います」
「だったら、夜まで待ってられるかどうかも分からねえな。衛兵隊へ話を通して、先に倉庫を見張らせる。踏み込む人数がそろうまで、人も荷も見失わねえようにしないと」
俺が窓や裏口の位置を描き込むと、グレンは正面の門から建物の裏へ指を動かし、周囲の道について尋ねてきた。
林の中は歩けるが、馬車を通すには狭いことや、裏口から塀までは人目を避けて移動できそうなことを説明する。グレンは聞いた内容を地図の脇へ書き留めてから、俺へ顔を向けた。
「衛兵隊の責任者には、俺から直接話す。今回はギルドで人を集めねえ。カインが誰とつながってるか分からねえ以上、いつものやり方じゃ危ねえ」
「俺はどうしましょうか。もう一度、裏側を見てくることはできますが」
「まずは衛兵と相談して、誰をどこへ配置するか決めよう。お前には、裏口の様子を確かめてもらいたい。踏み込むときも、そこから逃げる奴を押さえてくれると助かる」
「分かりました。ただ、こちらに気づいたら、書類を燃やそうとするかもしれません。中へ入る人には、できるだけ早く保管場所を押さえるよう伝えてもらえますか」
「ああ。そこは必ず話しておく。逃げた奴を追うことに気を取られて、肝心の書類を燃やされるわけにはいかねえからな」
セラフィナは地図を見ていたが、俺の担当が決まると、グレンへ向き直った。
「グレン様、裏手へ回るのでしたら、私もタケシ様とご一緒させてください。逃げ出す者が一人とは限りませんし、毒を使われたときにも、お互いに助けられると思います」
「お前さんがいてくれるなら心強いが、剣だけでどうにかなる相手じゃねえぞ。タケシもそうだが、何か吹きつけようとしてきたら、無理に近づくなよ」
「はい。ガルド様が襲われたときのことも伺っておりますので、十分気をつけます。タケシ様も、お一人で飛び出してしまわれないよう、お願いいたしますね」
「分かったよ。俺だって、同じ手を使われたくはないからな。逃げ道を押さえるにしても、二人で動けるようにしよう」
俺たちの話を聞いていたエレオノーラが、膝の上で重ねていた手をほどいた。
「私も、近くまでご一緒してよろしいでしょうか。戦いのお役には立てないと思いますけれど、書類が無事に見つかるか、できれば近くで待っていたいのです」
グレンは少し考え、倉庫から離れた街道の一角を指した。
「この辺りなら、後方で待機する場所を設けられるだろう。ただ、実際にどこで待つかは衛兵隊と相談してからだ。倉庫の近くへは来ず、何かあればすぐに街へ戻ってもらう。それでよければ、一緒に来てくれ」
「はい。衛兵の方の指示に従いますので、よろしくお願いいたします」
エレオノーラが頷くと、セラフィナも彼女へ顔を向けた。
「どうか、お一人では動かないでくださいね。書類が見つかったら、必ずお知らせしますから」
「ええ。私のことは気にせず、タケシ様と一緒に、無事に戻ってきてください。ガルドさんの書類を取り戻せても、お二人が怪我をなさったら、喜べなくなってしまいますもの」
「承知いたしました。タケシ様にも、くれぐれも気をつけていただきます」
「俺のことばっかり言ってるけど、セラフィナもだからな。相手が逃げても、一人で追いかけたりするなよ」
「分かっております。でしたら、お互いに勝手なことをしないと、ここで約束しておきましょうか」
そう言われ、俺も頷いた。グレンは俺たちのやり取りを見てから、ローデリックへ声をかける。
「悪いが、あんたはここで待っててくれ。書類を持ち帰れたら、まず確かめてもらいたい。十年前に預けた物が全部そろってるか、俺たちだけじゃ分からねえからな」
「もちろんです。ほかにも私にできることがありましたら、遠慮なくおっしゃってください。皆さん、どうかお気をつけて」
グレンは地図と書き留めた紙をまとめ、上着を手に取った。
「先に見張りを出すよう頼んでから、こっちへ戻る。準備ができ次第動くから、お前たちも装備を確かめておいてくれ。カインが戻ってきても、今の話はするなよ」
「分かりました。こちらも、いつでも出られるようにしておきます」
扉が閉まると、セラフィナは腰の剣を確かめ、留め帯を締め直した。俺もアイテムボックスの中身を確認し、必要な物をすぐに取り出せるようにしてから、椅子へ腰を下ろす。
懐の紙を取り出すと、エレオノーラが隣へ来て、ガルドの残した傷を見つめた。
「この印が、父上の国へ物を納めていた商会のものだったのですね。ガルドさんは、あの男の持っていた印に、何か心当たりがあったのでしょうか」
「どうだろうな。何の印かは分からなくても、誰かに見てもらえれば手掛かりになると思ったのかもしれない。俺たちがローデリックさんに聞こうとしたのと、同じようにね」
地面の傷を写した線と、その隣に描いた徽章の模様を見比べる。
男の腰で揺れた金属板と、土へ短剣を押しつけるガルドの手が、もう一度頭に浮かんだ。あのときは何を残そうとしたのか分からなかったが、今は十年前の商会とつながり、ガルドを襲った連中のいる場所まで分かっている。
「ガルドさんが届けようとしてくださった書類を、私も拝見したいです。そこに何が書かれているのか確かめて、ローデリックさんからも、当時のお話をもっと伺いたいと思います」
「ああ。まずは取り戻して、それから一緒に確かめよう。何が書いてあるにしても、あの連中に燃やさせるわけにはいかないからな」
エレオノーラは頷き、紙を畳む俺の手元をしばらく見ていた。
廊下から冒険者たちの話し声が聞こえ、誰かが受付へ戻ってきたらしい。セラフィナが扉へ目を向けたので、俺も紙を懐へしまい、足音に耳を澄ませる。
倉庫では、今も荷物が馬車へ積まれているのだろう。アルベルトが来る前に、衛兵が見張りについてくれればいいのだが。
俺は椅子から立ち上がり、数歩動いて脚の具合を確かめると、装備を整えたセラフィナとともに、グレンが戻るのを待った。




