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神様に轢かれて【天神地祇】を授かりました ~東京と異世界を行き来する二重生活~  作者: 廻間 朔夜


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2-12 捜索

 今日は屋台を休みにしてある。昨夜、エレオノーラとセラフィナが相談して決めたことで、二人ともガルドに別れを告げてから、俺と一緒に事件の現場へ行きたいと言っていた。


 冒険者ギルドへ着くと、受付にはすでにミレーユの姿があり、俺たちに気づくと手元の書類を置いて立ち上がった。


「おはようございます、タケシさん。エレオノーラさんとセラフィナさんも、お待ちしていました。グレンさんは奥のお部屋にいらっしゃいますので、すぐにご案内しますね」


「ありがとう。朝から悪いな」


「いえ。それと……私も昨夜、ガルドさんにお会いしてきました。グレンさんが一緒にいてくださって、昔、依頼でご一緒したときのお話を聞かせてくださったんです」


 ミレーユの目元には、まだ少し赤みが残っている。いつものように話そうとしているのが分かったので、俺も声を落として答えた。


「そうか。ミレーユも顔を見られたんだね」


「はい。まだ、明日になったら普通に受付へいらっしゃるような気がしてしまうんですけれど……最後にお会いできてよかったです。連れて帰ってきてくださって、ありがとうございました」


「俺も、見つけられてよかったよ」


 もっと早く行けていれば、という思いは今も消えていない。ただ、それをミレーユに言ったところで困らせるだけだろう。


 俺が頷くと、彼女は受付にいた別の職員へ声をかけ、俺たちを奥へ案内してくれた。


 グレンの執務室には、本人のほかに三人の冒険者が待っていた。


 一人は四十歳前後に見える短髪の男で、腰に長剣を下げ、使い込まれた革鎧を身につけている。その隣には弓を背負った細身の女性がおり、もう一人の若い男は、大きな盾を壁際に立てかけていた。


「来たか。今日はこいつらにも同行してもらうことにした。現場を調べてる間に周囲が手薄になっちゃ困るし、何か見つかったときにも手があった方がいいからな」


 グレンは短髪の男から順に、カイン、リディア、マルクと紹介してくれた。


「カインには追跡と現場の調査、リディアには周囲の警戒を頼んである。マルクは俺たちの護衛だ。俺も行くから、全部で七人になる」


「カインです。よろしくお願いします」


 差し出された右手を握ると、剣を使い込んできたらしい硬い感触が伝わってきた。


「タケシです。こちらがエレオノーラとセラフィナになります。今日はよろしくお願いします」


「こちらこそ。ガルドさんとは、こちらへ来てから何度か仕事をご一緒しました。昨日、話を聞いたときは信じられませんでしたよ。あの人なら、多少厄介な相手でも切り抜けてくると思っていましたから」


「ああ。俺もそう思ってたんだがな」


 グレンが低い声で答え、それから俺たちへ目を向けた。


「カインは少し前に、別の街のギルドから移ってきたんだ。こっちでも行方の分からなくなった商人を見つけたり、逃げた盗賊を追ったりしてくれている。今回も力になってくれるはずだ」


「残っている跡がどの程度あるか、まずは見てみないと分かりませんけどね。できる限りのことはします」


 リディアとマルクにも挨拶を済ませると、グレンは机から鍵を取り、俺たち三人を促して地下へ向かった。


 昨日ガルドを寝かせた部屋には、簡素な寝台が運び込まれていた。身体を覆う布も新しいものに替えられ、そばの小さな台には水の入った器と、畳んだ手拭いが置かれている。


 顔や手をきれいにしてくれたのだろう。グレンが顔にかかった布をめくると、エレオノーラは小さく息を呑み、寝台のそばへ歩み寄った。


「……ガルドさん。私たちのために、遠くまで行ってくださったのですよね」


 呼びかけても返事はなく、彼女はガルドの顔を見つめたまま、胸の前で両手を重ねた。


「戻られたら、お礼を申し上げようと思っていたんです。屋台にもまた来ていただいて、今度はゆっくりお話を伺いたかったのに……何もお返しできないままで、申し訳ありません」


 隣へ進んだセラフィナも、しばらく言葉を探していたが、やがて静かに頭を下げた。


「ガルド様は、新しい料理をお出しすると、いつも召し上がってくださいましたね。カレーパンも気に入ってくださって、次にいらしたときには揚げたてをお渡ししようと、エレオノーラ様と話していたんです」


 そこで声が詰まり、セラフィナは指で目元を押さえながら、もう一度ガルドへ顔を向ける。


「私たちを気にかけてくださって、ありがとうございました。どうか、安らかにお休みください」


 グレンは二人の言葉を黙って聞き終えると、ガルドの顔へそっと布を戻した。


「こいつも喜んでるだろうよ。若い娘さん二人にそこまで言ってもらえりゃ、生きてたら俺のところへ来て、何度でも同じ話をしてたに違いねえ」


「……ええ。おいしいと言ってくださったあとも、ほかのお客様に勧めてくださる方でしたから」


 涙を拭いながら答えたセラフィナに、グレンが頷いた。


 俺も屋台でのガルドの姿を思い返した。食べ終わってからも少し残って話をしていくことがあったし、こちらが忙しければ、邪魔にならないよう早めに席を空けてくれる人だった。


 次に来たときには何を出そうかと、二人が相談していたのも覚えている。


 俺たちはもう一度寝台へ頭を下げ、グレンと一緒に地下の部屋をあとにした。


 ◇ ◇ ◇


 現場までは、ギルドが用意した馬で向かうことになった。


 俺たち三人も一頭ずつ借り、グレンたちに続いて東門を出たものの、馬に乗った経験のほとんどない俺は、街を出る前から鞍の上で苦戦していた。


 身体強化のおかげで落ちそうになることはないが、馬が歩くたびに腰が揺れ、どう座っていれば楽なのかが分からない。手綱まで強く握ってしまっていたらしく、隣へ来たセラフィナが俺の手元を見て声をかけてくれた。


「タケシ様、もう少し手を緩めても大丈夫ですよ。それから、腰にも力が入っていらっしゃいますので、馬の動きに合わせてみてください」


「合わせたいんだけど、どっちへ動くのか分からなくてな。つい踏ん張っちゃうんだよ」


「でしたら、まずは肩の力を抜いてみましょう。背中まで固くなってしまうと、余計に揺れが気になると思いますので」


 言われたとおりに息を吐き、肩を下げると、さっきよりは座りやすくなった気がする。それでもセラフィナのようにはいかず、彼女は俺の様子を見ながら、馬の進む速さまで合わせてくれていた。


 反対側を進むエレオノーラも、落ち着いた手つきで手綱を扱っている。


「エレオノーラも乗れるんだな。二人とも久しぶりだって言ってたから、もう少し苦労するのかと思ってたよ」


「私も、乗るまでは少し心配でしたわ。でも、歩かせてみると案外覚えているものですね。昔はセラフィナと一緒に乗ることもありましたから」


「お小さいころは、もう少し速く走らせたいと、よくおっしゃっていましたね」


「それは……せっかく外へ出られたのですもの。ゆっくり歩くだけでは、物足りなかったんです」


 エレオノーラが少し困ったように笑い、セラフィナも懐かしそうに頷いた。二人が馬で出かけていたころの様子を想像しながら、俺はようやく手綱を握る力を緩める。


「俺も帰るころには、もう少し慣れてるといいんだけどな」


「ええ。今日だけでも、ずいぶん違うと思いますよ。もっと練習なさりたければ、私がお付き合いしますので、いつでもおっしゃってください」


 前を進んでいたグレンが振り返り、俺の座り方を見て口元を緩めた。


「何だ、タケシ。馬はあまり乗ったことがねえのか」


「ええ。普段は必要がなくて、ちゃんと習う機会もなかったんです」


「なら、せっかく教えてくれる奴がいるんだ。今のうちに覚えとけ。遠くの依頼を受けるようになりゃ、乗れた方が楽だからな」


「そうですね。今日だけでも、必要なのはよく分かりましたよ」


 街道を進むにつれて家が減り、畑の向こうには森が広がり始めた。


 昨日はバイクで走った道だが、馬では思うように距離が縮まらない。休憩のたびにナビで位置を確かめながら、俺はガルドもこんなふうに馬を休ませて村へ向かったのだろうかと考えていた。


 昼を挟んでさらに進み、見覚えのある街道の曲がり方と、ナビに示された位置が重なったところで、グレンへ声をかける。


「この先です。もう少し進んだところに血の跡があって、ガルドさんを見つけたのは、そこから森へ入った場所になります」


 グレンが手を上げると、一行の速度が落ちた。


「リディア、周りを見てくれ。カインはタケシと一緒に道の跡を確認しろ。マルクは馬を頼む」


 三人がそれぞれ返事をし、俺たちは街道の脇へ馬を寄せて下りた。


 ◇ ◇ ◇


 黒ずんだ血の跡は、昨日と同じ場所に残っていた。


 俺が指し示すと、カインはその周囲へしゃがみ込み、土に残る足跡や、道の端で折れている草を順に確かめていく。


「この辺りで争ったようですね。蹄の跡もありますが、街道ですから、関係のない馬のものも混じっているでしょう。何頭いたかまでは分かりそうにありません」


「森へ入った跡は、こっちにあります。昨日はそれをたどって、ガルドさんを見つけました」


 血の跡から少し離れたところには、草が倒れ、土の表面が擦れた場所がある。俺が先へ進もうとすると、カインは手を上げて足元を示した。


「すみません。できれば、この跡の上は歩かないようにお願いします。端から追ってみますので、少し待っていただけますか」


「ああ、分かりました」


 俺たちは彼の後ろへ回り、昨日自分が通ったところも伝えながら森へ入った。


 木の根元が見えると、グレンは足を止め、周囲を見渡してからガルドが横たわっていた場所へしゃがみ込んだ。


「……ここまで運び込まれたのか。街道を通るだけじゃ、まず気づかねえな」


「はい。昨日も、道からは見えませんでした」


 エレオノーラとセラフィナは少し後ろに立ち、倒れた草や木の根を見つめている。俺は二人へ目を向けてから、ガルドの右手があった辺りを指さした。


「それと、この辺りに短剣でつけたような傷があるんです。ガルドさんは短剣を握ったままだったので、何か残そうとしたんじゃないかと思ったんですが、昨日はそこまで確かめられなくて」


「その短剣は持ってるか?」


「はい。これです」


 グレンへ渡すと、彼は柄を握り、鞘から抜いた刃をしばらく眺めていた。


「昔から使ってたやつだ。ずいぶん研いでるから、最初に見たころより細くなってるな」


「そんなに長く使っていたんですか?」


「ああ。新しいのを買えって言っても、こいつが手になじむからいいんだと聞かなかった。剣は替えても、これだけはずっと持ってたんだよ」


 グレンは刃を鞘へ戻して俺に返し、もう一度地面へ視線を落とした。


「手の届く範囲から調べよう。土を払うときも気をつけろよ。せっかく残ってるものを、こっちで消しちまっちゃ困る」


 俺たちは木の根元を囲み、積もった葉や細い枝を取り除きながら、地面の傷を探し始めた。


 ◇ ◇ ◇


 しばらくして、カインがしゃがんだままグレンを呼んだ。


「ギルドマスター、ここを見てください。浅いものと重なっていますが、この線だけ少し深く入っています」


 集まって覗き込むと、土の表面に細い溝があり、途中で折れ曲がっていた。そのすぐそばにも短い傷が残っているが、足で擦られた部分と重なり、端がどこまで続いていたのかは分からない。


 俺が昨日見つけたのも、この辺りだったはずだ。


「確かに、これかもしれません。ガルドさんの右手も、ちょうどこの近くにありました」


「文字なのか、何かの印なのか……これだけでは判断が難しいですね。向きを示そうとした可能性もありますが」


 カインは細い枝を傷のそばへ置き、その先を森へ向けた。


「連中が立ち去った方を残そうとしたってことか?」


 グレンに尋ねられ、彼は周囲へ目を向けながら答える。


「その可能性もある、という程度です。この先に古い作業道がありますから、馬を連れて逃げるなら、そちらを使ったのかもしれません」


 逃げた方向だろうか。


 昨日見た記憶では、ガルドが短剣を動かし始めたとき、まだ男たちの声が近くで聞こえていた。あの傷が逃走方向を示していると決めてしまう前に、もう一度、その場面を確かめておきたい。


「ひとまず、残っている形を写しておきませんか。方向とは限りませんし、あとから誰かに見てもらえるかもしれません」


「そうだな。タケシ、頼めるか?」


「はい。紙は持ってきていますので」


 俺は紙と筆記具を取り出し、地面へ顔を近づけて傷を写した。はっきり残っているところは実線にし、途切れた先や土が擦れて分からない部分には、勝手に続きを描き足さないよう注意する。


 その間にカインは周囲の地面へ移り、グレンも木の反対側を調べ始めた。


 写し終えた紙を畳み、俺は短剣の柄へ目を落とした。昨日は襲撃の様子に気を取られ、最後にガルドが何を見ていたのかまでは考えられなかった。


「グレンさん、少し離れます。昨日通ったところも、もう一度見てきますので」


「ああ。あまり遠くへ行くなよ」


 頷いてその場を離れ、俺は街道へ戻る途中の木陰へ入った。皆の姿は木々の間に見えているが、こちらへ目を向けている者はいない。


 念のため周囲を確かめ、短剣を握り直してサイコメトリーを使った。


 ◇ ◇ ◇


 目の前の木々が薄れ、男たちの声とともに、昨日見た光景が浮かび上がってきた。


 革鎧の男が鞄の中を探り、布に包まれた書類を引き出している。隣では別の男が馬の荷物を調べ、腕を負傷した男は、その様子を見ながら苛立った声を上げていた。


『あったぞ。古い紙がまとまって入ってる。これで間違いねえだろうな』


『全部持って帰りゃいいんだよ。こっちは着替えと食い物くらいしかねえが、馬はどうする?』


『連れていけ。荷物もそのままでいい。ここでより分けてる暇はねえからな』


 革鎧の男が書類を戻したとき、腰に下がっている小さな金属板が揺れた。


 昨日も視界には入っていたはずだが、今はそれが妙に気になる。男がかがむと板の表面がこちらを向き、中央に刻まれた模様が一瞬だけ見えた。


 途中で折れ曲がる線と、その先に交差する短い線。


 さっき地面で見た傷に、どこか似ている。


 男が立ち上がると模様は見えなくなり、その後、ガルドの身体は木の根元へ運ばれた。乱暴に下ろされた衝撃が伝わり、近くで男たちが何か話している間に、短剣を握る手がゆっくりと動き始める。


 切っ先が土に触れ、横へ引かれたあと、向きを変えてもう一度押しつけられる。しかし、手首にはもう十分な力が入らないらしく、刃は同じところを浅く擦っていた。


 俺は一度能力を解き、息を整えてから、もう一度短剣へ意識を向けた。


 確かめたいのは、男の腰にあった模様だ。書類を取り出す場面を待ち、揺れる金属板がこちらを向いたところへ意識を集中させる。


 地面に残っていた線は、模様の一部とよく似ていた。傷だけでは分からなかった短い線の位置も、金属板を見れば納得がいく。


 ガルドは、これを残そうとしたのかもしれない。


 顔を布で隠した男たちの名前は分からなくても、持ち物の印なら、誰かが知っている可能性がある。そう考えて、動かなくなりかけた手で何度も短剣を引いたのだとすれば、あの動きにも説明がつく。


 形を覚えて目を開けると、俺は紙の空いているところへ模様を描き、地面の傷を写したものと見比べた。


 やはり似ている。ただ、それを今ここで皆に見せれば、地面に残っていない部分までどうして分かったのかと聞かれるだろう。


 俺は紙を畳んでしまい、短剣を手に木の根元へ戻った。


 ◇ ◇ ◇


 グレンはセラフィナと一緒に、ガルドが横たわっていた場所の周囲を調べていた。カインは少し離れたところにおり、木々の向こうではリディアが街道の方へ目を向けている。


 俺が隣へしゃがむと、グレンは手を止めずに尋ねた。


「ほかに何かあったか?」


「少し、確かめられたことがあります。詳しくは戻ってから、お話ししてもいいですか」


 声を落として答えると、グレンはこちらを一度見て、短く頷いた。


「ああ。帰ったら俺の部屋へ来てくれ」


 それ以上は話さず、俺も地面の調査へ加わったが、新しい傷や持ち物は見つからなかった。


 やがてカインが戻ってきて、街道の先を手で示した。


「ギルドマスター、少し先に馬が道を外れたような跡があります。ここへ人を運び込んだ跡とは別で、古い作業道の方へ続いています」


「さっき言ってた道か?」


「はい。途中までしか見ていませんが、草が倒れている場所もありました。ただ、何日か前のものか、もっと古いものかは分かりません」


 グレンは立ち上がり、俺たちにも声をかけて街道へ戻った。


 カインの案内した場所は、襲撃現場から少し進んだところにある。道の端には蹄の形をした窪みが残り、その先の茂みには、人と馬が通れそうな隙間があった。


「俺とリディアで、少し先まで見てきましょうか。跡が続いているなら、どちらへ抜けたか分かるかもしれません」


「分かった。ただし、深追いはするな。連中が近くにいると決まったわけじゃねえが、用心はしておけ」


「はい。十分ほどで戻ります。リディア、頼めるか?」


 リディアが頷き、二人は馬を置いたまま森へ入っていった。


 待っている間、俺はマルクと一緒に馬の様子を見た。乗ってきた馬の首を撫でると、鼻先をこちらへ寄せてくる。行きは自分のことで精いっぱいだったが、こうして見ると随分おとなしい馬だ。


「この馬、乗り慣れていない人にも貸すんですよ。勝手に走り出したりしませんから、帰りも安心していいと思います」


 マルクに言われ、俺は馬の顔を見ながら苦笑した。


「そうだったんですね。気を使ってもらってたのに、こっちはずっと固くなってましたよ」


「最初はそんなものですよ。俺も初めて乗ったときは、下りてから脚がうまく動きませんでしたから」


 そんな話をしているうちに、森の方から枝を踏む音が聞こえ、カインとリディアが戻ってきた。


「どうだった?」


「少し奥で、道が二つに分かれていました。その辺りからは地面が硬くなっていて、跡を追うのは難しそうです。ただ、途中でこれを見つけました」


 カインが差し出したのは、黒ずんだ金属製の小さな留め具だった。革紐を通すらしい部分があり、片側が曲がっている。


「馬具の一部だと思います。倒れた枝の下に落ちていました」


「誰のものかは分からねえんだな?」


「ええ。馬が通った跡の近くでしたが、それだけでガルドさんの馬と結びつけるわけにはいきません」


 リディアも隣で頷いた。


「枝に革が擦れたようなところはありました。馬を通すには少し狭い場所でしたから、そこで外れたのかもしれませんね」


 グレンは二人から見つけた場所を聞き、留め具を布で包んで鞄へしまった。


 あれにも、何か記憶が残っているかもしれない。


 俺がグレンを見ると、彼は目を合わせて小さく頷き、そのまま皆へ声をかけた。


「今日はここまでにしよう。今から先へ行くと、帰りが遅くなる。ほかに気になるものがなけりゃ、馬のところへ戻ってくれ」


 帰り支度をする前に、俺はもう一度、ガルドがいた木の根元へ足を運んだ。


 傷は紙に写してあるし、男の持っていた模様も覚えている。ここに残るものは雨が降れば消えてしまうだろうが、少なくとも、誰にも見つけてもらえないままにはならずに済んだ。


 そばへ来たセラフィナも地面へ目を落とし、しばらく俺と一緒に立っていた。


「タケシ様、何か分かりそうでしょうか?」


「まだ、はっきりとは言えないけどね。帰ってからグレンさんに話して、ローデリックさんにも見てもらおうと思ってる」


「そうですか。それでしたら、私たちもご一緒させてください。ガルド様が残してくださったものですから、何かお役に立てることがあればと思います」


「ああ。二人にも聞いてほしいことがあるから、頼むよ」


 街道へ戻ると、エレオノーラが俺の馬のそばで待っていた。セラフィナに乗り方を教わりながら鞍へ上がり、俺たちは街へ向けて来た道を戻り始めた。


 ◇ ◇ ◇


 アドリアノープルへ着くころには、日が西へ傾き始めていた。


 ギルドへ戻って馬を返すと、カインたちは調査の報告を済ませ、装備を取りに別の部屋へ向かった。俺たち三人はグレンと一緒に執務室へ入り、扉が閉まるのを待ってから、懐の紙を取り出した。


「グレンさん、まずはこちらを見てください。地面の傷を写したものと、もう一つ、現場で確かめた模様です」


 紙を広げると、グレンは二つの形を見比べ、俺へ目を向けた。


「短剣を調べたのか?」


「はい。ガルドさんを襲った男が、腰に小さな金属板を下げていたんです。その表面に、この模様が刻まれていました」


 俺は完成した方の印を指さし、ガルドが短剣を動かしていた場面についても説明した。


「この模様を描こうとしていたとまでは断言できません。ただ、形が似ていますし、男が近くへかがんだときに、ガルドさんからも見える位置にあったんです」


「顔を隠した相手の持ち物か……。あいつが手掛かりになると思ったとしても、おかしくねえな」


 グレンが紙へ顔を近づけると、隣から覗き込んでいたエレオノーラが、小さく声を上げた。


「タケシ様、その印なのですけれど……私も、どこかで見たことがある気がします」


「本当か?」


「はい。ただ、今見てすぐに思い出せるほど、はっきり覚えているわけではなくて。王宮にいたころ、書類か何かで目にしたような気がするんです」


 エレオノーラは紙を受け取り、向きを変えながら模様を見つめた。


「納入された品物につける印だったのかもしれませんし、書類に押されていたものかもしれません。父上のお部屋で見たのか、ほかの場所だったのかも、今は思い出せないのですけれど……」


「十年前のことだからな。今すぐ分からなくても大丈夫だよ。ローデリックさんなら、こういう印にも詳しいんじゃないか?」


「ああ。納入記録を扱ってたんだ。商会や荷を運ぶ連中の印なら、見覚えがあるかもしれねえ」


 グレンの言葉に、エレオノーラも頷いた。


「でしたら、私も一緒にお話を伺いたいです。何の印なのか分かれば、思い出せることもあるかもしれませんから」


「そうしよう。ただ、この形が襲った男の持ち物にあったって話は、しばらく広めない方がいい。地面に残っていた傷を調べてる、というところまでにしておこう」


 グレンはそう言い、俺が写した二つの印へ目を落とした。


「ガルドが何を取りに行ったか、連中は知ってたんだろう。どこから話が漏れたか分からねえうちは、こっちの調べ方まで知らせる必要はねえからな」


「俺も、それが気になっていました。現場では、地面の傷だけを写したことにしてあります」


「ああ、それでいい。ローデリックには俺から話すが、お前の能力についてまで説明する必要はねえだろう。印を知ってるかどうか、まずはそこを聞いてみる」


 俺が頷くと、グレンは鞄から布包みを出し、机の上へ置いた。


「それと、こっちも調べてくれるか。あの道を連中が通ったか分かりゃ、次に探す場所を絞れる」


 布を開くと、カインたちが拾った留め具が出てきた。


 親指の先ほどの大きさで、革紐を固定していたらしい部分には細かな傷がついている。俺はそれを手に取り、三人が見守る中でサイコメトリーを使った。


 ◇ ◇ ◇


 最初に浮かんだのは、薄暗い小屋の中だった。


 壁には道具が掛けられ、床には藁が散らばっている。近くで誰かの手が革紐を引き、金属の留め具へ通していたが、顔までは見えない。


 声も聞こえたものの、言葉として拾えないうちに景色が薄れ、馬の身体や、揺れる荷物が断片的に浮かび上がった。


 そのあとに見えた森の景色は、それまでよりはっきりしていた。


 馬が狭い道を進み、近くからは別の蹄の音も聞こえている。荷物の端が枝へ当たり、そのたびに革紐が揺れていた。


『おい、もっと急げねえのか。こんなところで日が暮れちまうぞ』


『道が悪いんだから仕方ねえだろ。無理に走らせて、馬が脚を折ったらどうするんだよ』


『だったら、しゃべってねえで前を見てろ。荷物も引っかけるんじゃねえぞ』


 最初と最後の声には聞き覚えがあった。ガルドの鞄を奪い、ほかの二人へ指図していた革鎧の男だ。


 さらに進んだところで、荷物が大きく揺れた。何かに引っかかったらしく、革紐が強く張り、すぐ近くで金属の擦れる音がする。


 視界が傾いて地面へ落ちると、馬の脚が遠ざかり、声も蹄の音も小さくなっていった。


 そこからあとは、薄暗い地面と草しか見えない。俺は能力を解き、手の中の留め具を机へ戻した。


「……あの三人組が使っていた物で、間違いないと思います。革鎧の男の声が聞こえました。馬で森の中を進んでいて、荷物が引っかかった拍子に外れたようです」


「じゃあ、カインたちが調べた道を通ったんだな」


「はい。行き先までは分かりませんでしたが、少なくとも、あの道を調べる価値はあります」


 グレンは留め具を見ながら腕を組み、しばらく考えていた。


「その先で道が分かれてると言ってたな。どこへ抜けるか、古い地図も調べてみよう。明日すぐに人を出すにしても、何も分からねえまま奥へ進ませるわけにはいかねえ」


「まずは印を確認してからでもいいと思います。何の印なのか分かれば、探す相手にも見当がつくかもしれませんし」


「ああ。ローデリックとは明日会えるようにしておく。お前たちも来てくれ」


「分かりました」


 グレンは留め具を包み直して引き出しへしまい、それから机の上の紙を俺へ返した。


「それと、ガルドの行き先を知ってた奴については、こっちで調べておく。出発前に誰と話したか、途中で誰かに会う予定があったか、その辺りも確かめねえとな」


「ギルドの中でも、何人かは知っていたんですか?」


「ああ。俺が仕事を頼んだし、帰りが遅れたときに備えて、行き先と戻る予定を伝えてあった奴もいる。カインにも話してあった。何かあったら、捜索を頼むつもりだったからな」


 俺は紙を畳む手を止め、グレンを見た。


「書類を取りに行くことも?」


「細かい中身までは話してねえが、村の預かり人から受け取る物があるとは伝えた。だからといって、そいつらの誰かが漏らしたと決まったわけじゃねえ。ガルドが道中で話した可能性もあるし、村の方から知られたのかもしれん」


「そうですね。どこで知られたのかも、まだ分かりませんから」


 捜索を頼む相手へ行き先を伝えておくのは、当然の備えだ。それでも、その情報を誰かが別の目的に使っていたとすれば、今後の調査についても慎重に扱う必要がある。


 グレンも同じことを考えているのか、俺たち三人を見渡してから言葉を続けた。


「今日の話も、ひとまずここにいる者だけにしておいてくれ。調査に人手が必要になりゃ、そのときに必要なことを伝える。ガルドに頼んだ仕事を、これ以上誰かが狙われるような形で進めたくはねえからな」


「はい。私たちも気をつけます」


 エレオノーラが答えると、セラフィナも頷いた。


 話が一段落したところで、グレンは椅子へ座り直し、少し声を和らげた。


「二人とも、今日は疲れただろう。明日までに印を思い出さなきゃならねえってことでもないんだ。今夜は休んでくれ」


「ありがとうございます。私も、思い出せないことばかり考えていてはいけませんね。ローデリックさんのお話を伺ってから、もう一度考えてみます」


「ああ。それでいい」


 俺たちはグレンに礼を言い、執務室をあとにした。


 ◇ ◇ ◇


 廊下へ出ると、窓から差し込む夕日が床まで延びていた。


 朝は静かだったギルドにも、依頼から戻った冒険者の声が響いている。受付へ向かう途中で、エレオノーラが俺の持つ紙へ目を向けた。


「タケシ様、その写しを、今夜もう一度見せていただいてもよろしいですか?」


「もちろん。ただ、今日は朝から出かけてたし、疲れてるだろう。夕飯を食べて、少し落ち着いてからにしよう」


「ええ。ずっと考えていれば思い出せるというものでもありませんものね」


 エレオノーラが頷くと、セラフィナが隣から俺の歩き方を覗き込んだ。


「タケシ様も、帰られたら少し休んでくださいね。先ほどから、脚をかばっていらっしゃるように見えますけれど」


「分かるか。馬から下りたら、思ったより脚にきててな。落ちないように踏ん張りすぎたんだと思う」


「慣れるまでは、どうしても余計な力が入ってしまいますから。次に練習するときは、もう少し短い時間からにいたしましょう」


「そうしてもらえると助かるよ。いきなり一日乗るのは、ちょっと無理があったな」


 そう答えると、エレオノーラも小さく笑った。


 受付ではミレーユが帰ってきた冒険者の報告を受けていた。俺たちに気づいて頭を下げたので、こちらも軽く手を上げ、仕事の邪魔にならないよう出口へ向かう。


 紙に描いた印が何を意味するのかは、まだ分からない。森の道を通った男たちも、その先では足取りが途絶えている。


 それでも、明日ローデリックへ尋ねられることはできた。エレオノーラの記憶に残るものと、ガルドが取りに行った書類に関わりがあるのなら、今度はそこから調べていける。


 俺は折り畳んだ紙を懐へしまい、二人と一緒にギルドを出た。


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