2-11 明るい話を書きたい
まったく伸びないから2章で終わろう
俺は血の付いた柄を握り直すと、ガルドに何があったのか確かめるため、もう一度サイコメトリーを使った。
周囲の木々が薄れていき、代わりに古びた木造の家の中が浮かび上がってくる。小さな机を挟んでガルドと向かい合っているのは白髪の老人で、膝に載せた木箱の中を探りながら、しまってある物を一つずつ取り出していた。
『確か、この下に……おお、ありました。ローデリック殿からお預かりしたのは、こちらです』
老人が差し出した布包みをガルドが受け取り、机の上で広げると、端の黄ばんだ書類が何枚も重なっている。紙には細かな数字や名前が並んでいるようだが、目を凝らそうとすると景色全体がぼやけ、老人の声も一瞬遠くなった。
『十年も前の物だって聞いてたが、よく残しておいてくれたな。虫に食われたりしてねえか心配だったんだが、これなら大丈夫そうだ』
『決してなくさないようにと、念を押されておりましたからな。ただ、これほど長く預かることになるとは思っておりませんでしたよ』
『ローデリックさんも助かるだろうよ。わざわざ取りに来て、何もありませんでしたじゃ、俺も帰りづれえからな』
ガルドが笑いながら紙をそろえると、老人も安心したように頷き、空になった木箱へ蓋をかぶせた。
『あの方は、お元気でしたかな? もう長いことお会いしておりませんので、紹介状を拝見して懐かしくなりまして』
『ああ、元気そうだったぜ。俺は今回初めて会ったんだが、預けた相手のことまでよく覚えていたし、あんたには随分感謝してるようだった』
『そうですか。では、お役に立てて何よりですとお伝えください。いつかまた、ご本人ともお会いできるとよいのですが』
その先の会話はところどころ聞き取れず、ガルドが布を結び直す手や、立ち上がった老人の姿が途切れながら見えた。やがて書類を収めた鞄がガルドの肩に掛けられ、戸口で二人が挨拶を交わすところで、家の中の景色が消えていく。
ガルドは、確かに書類を受け取っていた。
ローデリックが十年前、王宮で書き換えられた物資の納入記録について、改竄前後の数字や受領書の内容を書き写して残したという証拠だ。老人が大切に保管していたそれを、ガルドは鞄に入れて持ち帰ろうとしていたのだ。
次に浮かび上がったのは、森の中を通る街道だった。
馬具のきしむ音に混じって蹄の音が続き、ガルドの腰にある短剣の近くで、鞄が馬の歩みに合わせて揺れている。道の先には三人の男が立っており、こちらが近づいても脇へ避けようとはしなかった。
『おい、そこの爺さん。その辺で止まってもらおうか』
革鎧を着た男が声をかけ、残る二人が道の左右へ広がった。三人とも顔の下半分を布で覆い、腰には剣を下げている。
ガルドは手綱を引いて馬を止めると、男たちの顔を順に見渡した。
『何だ、追い剥ぎか? 年寄りを狙ったところで、大した金は持ってねえぞ。もっと景気のよさそうな奴を待った方がいいんじゃねえか』
『金はいらねえよ。村で受け取った書類があるだろう、それを鞄ごと渡してもらいてえんだ』
ガルドの手が、肩から下げた鞄に触れる。
『……村の誰かと間違えてねえか? 俺は知り合いに顔を見せてきただけで、そんな物を持ってる覚えはねえんだがな』
『あの家から出てきたのは見てるんだよ。余計な手間をかけさせずに渡せば、こっちだって手荒な真似はしねえ』
『そりゃまた、ご親切なことで。だが、人から預かった物を、顔も見せねえ連中に渡すわけにはいかねえんだ。誰に頼まれたかくらい教えてくれりゃ、少しは話を聞いてやれるんだがな』
革鎧の男は答える代わりに舌打ちをし、左右にいる二人へ顎をしゃくった。
片方が剣を抜いて馬へ近づくと、ガルドは手綱を引いて馬の頭をそちらへ向け、男が足を止めた隙に反対側へ飛び降りた。そのまま腰の短剣を抜いた途端、それまで輪郭の曖昧だった景色が、急にはっきりしてくる。
ガルドの指が柄を握り込み、切っ先が近づいてくる男へ向いた。
『そんなに欲しけりゃ、取りに来いよ。ただ、爺さん一人が相手だからって、怪我しねえとは限らねえぞ』
『この野郎、いつまでも調子に乗ってんじゃねえ!』
男が振り下ろした剣をガルドは横へかわし、伸びきった腕を短剣で切りつける。相手が悲鳴を上げて腕を引く間にもう一人が踏み込んできたが、ガルドはそちらの剣も身を引いて避け、馬から離れるように道の端へ移った。
短剣では間合いが短い。それでもガルドは無理に打ち合おうとせず、相手が斬り込んでくるたびに足を動かし、二人に挟まれない位置を保っている。
『おい、こいつ、本当にただの爺さんかよ! 話が違うじゃねえか!』
『いいから鞄を取れ! いつまでもこんなところでやり合ってたら、人が来るだろうが!』
少し離れたところにいた革鎧の男が怒鳴る間にも、ガルドは二人の攻撃をしのぎ、隙を見つけて片方の脇腹へ短剣を走らせた。斬られた男が身体を折ると、その向こうで革鎧の男が懐へ手を入れるのが見える。
取り出したのは、細い筒のような物だった。
男がそれを口元へ持ち上げた直後、ガルドの身体がびくりと揺れた。短剣はまだ相手へ向いていたが、後ろへ引こうとした足がもつれ、踏みとどまった膝も次第に曲がっていく。
『……てめえ、何を……』
『ようやく効いたか。おい、今のうちに押さえろ、先に書類を確かめるぞ』
ガルドは片膝をつきながらも、近づいてきた男へ短剣を突き出した。相手が慌てて退くと、もう一人が横へ回り込み、ガルドの背後へ剣を振り下ろす。
『ぐっ……!』
柄を握る指が震え、短剣の刃が地面にぶつかった。
ガルドは倒れまいとして片手をついたが、その腕にも力が入らず、肩から土の上へ崩れ落ちる。動こうとするたびに苦しそうな息が漏れ、服の下から流れ出した血が脇腹を伝って地面へ落ちていった。
『馬鹿、そこまでやれとは言ってねえだろ! 書類が足りなかったら、こいつに聞かなきゃならねえんだぞ!』
『うるせえな、まだ刃物を振り回してたんだよ! だったら、お前が押さえりゃよかったじゃねえか!』
『いいから鞄をよこせ。お前は馬の荷物を調べろ、ほかにも入ってるかもしれねえ』
革鎧の男がガルドの肩から鞄を引きはがし、結び目をほどいて中身を探り始めた。ガルドは顔を上げようとしたものの、男に肩を踏まれると、呻きながら再び地面へ伏せる。
俺は思わず、短剣を握る手を緩めかけた。
目の前にいるのは記憶の中のガルドで、俺がどれだけ近づこうとしても手を貸すことはできない。分かっていても、倒れた身体を起こそうとしてしまい、そこで現実の自分の指に食い込む柄の感触に気づいた。
まだ、終わっていない。
俺は柄を握り直し、男たちの声へ意識を向けた。
『あったぞ、古い紙がまとまって入ってる。これで間違いねえだろうな』
『全部持って帰りゃいいんだよ。こっちは着替えと食い物くらいしかねえが、馬はどうする?』
『連れていけ。荷物もそのままでいい、ここでより分けてる暇はねえからな』
男たちの足が離れていくと、ガルドの手がゆっくりと動き始めた。
短剣を持ち上げるほどの力は残っていないらしく、柄を地面に引きずりながら刃の向きを変え、切っ先を土へ押しつけている。腕が止まっても、しばらくするとまた動き、何度か同じような仕草を繰り返した。
何かを書いているのか?
見えているのは柄を握る手と、そのすぐ近くにある土だけだった。何を残そうとしているのか確かめようとしたが、ガルドの袖がかぶさり、刃先の動きも途切れてしまう。
『おい、こいつをこのまま道端に置いとくのか? 誰かに見つかったら面倒だぞ』
『なら、そっちの林へ運べ。奥に入れときゃ、そう簡単には見つからねえだろ』
男に腕をつかまれ、ガルドの身体が引きずられ始めた。短剣の刃が土を削り、草に引っかかるたびに手首が揺れるが、指はまだ柄を離そうとしない。
木の根元で身体が止まると、男の一人が顔の近くへしゃがみ込んだ。
『まだ息があるぞ。どうするんだ、こいつ』
『放っておけ、もう立てもしねえだろ。書類は取ったんだし、俺たちの顔も見られてねえんだから、さっさと戻るぞ』
足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
ガルドは木の根元に横たわったまま、浅い呼吸を繰り返している。短剣を握る手が一度だけ持ち上がりかけたものの、すぐに落ち、その指が柄の上でわずかに動いた。
『……すまねえな。せっかく、頼ってくれたってのに……これじゃ、顔向けできねえや……』
声はひどくかすれていたが、誰に向けているのかは分かった。
『……頼まれた物……持って帰れそうにねえ……』
そのあとは呼吸の音だけが続き、景色が薄れるにつれて、それも聞こえなくなっていった。
◇ ◇ ◇
森の景色が戻ってきても、俺はすぐには手を動かせなかった。
足元に横たわるガルドの服には、記憶の中で見たのと同じ傷がある。最後まで握っていた短剣は今、俺の手の中にあり、柄に残った血はすっかり乾いていた。
男たちは、まだ息があると分かっていて置き去りにした。
書類さえ奪えば、ガルドがどうなろうと構わなかったのだ。誰も来ない森の中で、動くこともできずにいた時間を思うと、胸の奥が詰まり、うまく息を吸えなくなる。
「……持って帰れなかったことなんて、謝らなくていいでしょう。そんなことより、帰ってきてくれれば……」
そこまで言っても、続きを口にできなかった。
もう少し早く探しに来ていればと思わずにはいられないが、今さらここで考えても、ガルドは何も答えてくれない。俺はしばらくそばにしゃがんだまま、短剣を持つ手を膝へ下ろしていた。
やがて鞘へ収めようとして、地面に切っ先を押しつけていた動きを思い出した。
あの状態で、わざわざ短剣を動かしていたのだ。偶然そうなっただけとは思えず、俺は立ち上がると、ガルドが運ばれてきた方向を確かめた。
草の倒れた跡や、木の根元に残る擦れた土をたどって街道へ出ると、記憶の中で見た道の曲がり方と、脇にある木の位置が重なる。道端には黒ずんだ血の跡も残っており、襲われたのはこの辺りで間違いなさそうだ。
俺はその近くに膝をつき、土の表面を調べてみた。
細い傷はいくつもあるが、男たちの足跡や馬の蹄に踏み荒らされ、どれが短剣でつけられたものなのか分からない。指で土を払っても文字らしい形にはならず、もう一度サイコメトリーを使っても、袖に隠れた刃先までは見えなかった。
「……何を残そうとしたんですか、ガルドさん」
問いかけながら柄や鞘も確かめたものの、何かが刻まれているわけでも、紙が挟まっているわけでもない。俺は周囲の木や街道の形を覚えてからガルドのもとへ戻り、短剣を腰の鞘へ収めた。
アイテムボックスから毛布を取り出し、身体の下へ少しずつ通していく。傷に触れないよう気をつけながら包んでも、もう痛がることはないのだと思い、そのたびに手が止まりそうになった。
このまま置いてはいけない。
俺は毛布の端を重ね、ガルドをアイテムボックスへ収納した。
何の抵抗もなく、その姿が消える。
生きている人間は入らないはずの場所へ、ガルドは入ってしまった。何度もヒールを試して、もう助けられないことは分かっていたのに、それを別の形で突きつけられたようで、俺は空になった木の根元をしばらく見つめていた。
書類を預かっていた老人の家は、ここから数キロ先の村にある。
様子を確かめたい気持ちはあったが、家を見張っていた連中がまだ近くにいるかもしれないし、俺一人で訪ねたところで、そのあとも老人を守れるとは限らない。まずはガルドを連れて帰り、グレンに事情を伝えるべきだろう。
俺はバイクを収納した場所まで引き返すと、異世界ナビで帰り道を確かめ、アドリアノープルへ向かった。
◇ ◇ ◇
東門へ着くころには日が傾き、街道にも長い影が伸びていた。
門から離れた場所でバイクを収納し、歩いて街へ入ると、そのまま冒険者ギルドへ向かう。中は依頼の報告に来た冒険者たちで賑わっており、受付にいたミレーユも、俺に気づくといつもの笑顔を向けてくれた。
「タケシさん、お帰りなさい! ガルドさんは見つかりましたか? グレンさんも、そろそろ何か分かるころだろうとおっしゃっていたんですよ」
その声を聞くと、ここへ来るまで考えていた言葉が出てこなくなった。
ミレーユは俺の後ろへ視線を向け、誰も続いてこないのを確かめてから、もう一度こちらを見る。笑顔が少しずつ消えていくのが分かり、俺は受付へ近づいて声を落とした。
「グレンさんを呼んでもらえるかな。先に、二人で話したいことがあるんだ」
「……はい。少しお待ちください、すぐにお呼びします」
俺の顔を見て何か察したのだろう。ミレーユはガルドのことを重ねて尋ねず、隣の職員へ一言伝えて奥へ向かった。
出てきたグレンも俺を見た途端に足を緩め、挨拶をする代わりに奥の部屋を示した。
「こっちへ来い。座って話せる場所の方がいいだろう」
部屋へ入り、扉が閉まるのを待ってから、俺はガルドが亡くなっていたことを伝えた。
村から戻る途中の街道近くで見つけたこと、背中に剣で斬られた傷があり、馬も荷物もなくなっていたことを話す間、グレンは机に手をついたまま黙って聞いている。
「……遺体は、そこへ置いてきたのか?」
「いえ、連れて帰ってきています。アイテムボックスに入れてあるので、人目につかない場所を借りられれば、すぐに出せます」
グレンは一度目を閉じ、それから机を離れた。
「地下へ行こう。今は使ってねえ部屋があるから、そこなら静かに寝かせてやれる」
廊下にいた職員へ部屋を開けるよう頼み、俺を連れて階段を下りていく。案内された部屋には古い机や椅子が置かれていたが、職員が場所を空け、敷物を用意してくれたので、俺はその上へ毛布に包んだガルドを取り出した。
グレンはそばに膝をつき、顔にかかる毛布をめくった。
しばらく見つめてから、乱れた髪を手で直し、口元へ目を向ける。その仕草が妙に丁寧で、俺は何も言えずに立っていた。
「こいつ、仕事に出る前に、帰ったら酒に付き合えって言いやがったんだ。どうせまた昔の話を何度も聞かされると思ってたんだが……聞いてやりゃよかったな」
グレンは小さく息を吐くと、毛布を顔まで戻した。
「若いころから、何度も一緒に危ねえ仕事をした。俺がしくじったときにはこいつに助けられたし、逆のこともあったからな。今回も、どこかで面倒事に巻き込まれて、帰りが遅れてるだけだと思いたかったんだが」
「……俺が、もっと早く探しに行っていれば」
「それは俺も考えてる。だが、お前に言っても仕方ねえだろうし、お前も自分に言い聞かせるな。連れて帰ってきてくれたんだから、それで十分だ」
グレンは立ち上がり、部屋の隅にある椅子を引いた。俺にも座るよう促してから、ガルドの方を一度見て、声を低くする。
「何があったか、ほかに分かってることはあるか? 馬と荷物がねえなら追い剥ぎにも見えるが、この仕事の帰りだと思うと、それだけで済ませるわけにはいかねえ」
「実は、物に残った記憶を読み取るスキルが使えるようになったんです。ガルドさんの上着と短剣を調べて、襲われたときの様子を見ました」
グレンの視線が俺へ戻り、短剣のある辺りへ落ちた。
「……あいつが何をされたか、お前は見たんだな。なら、話してくれ。途中でつらくなったら、少し休んでからでいい」
俺は老人の家で書類を受け取ったところから、順に説明した。
三人組は家から出てくるガルドを見ていたこと、最初から書類を要求し、抵抗すると筒のような物を使って動きを封じたことまで話すと、グレンは眉間に深いしわを寄せた。
「口にくわえて使ったなら、吹き矢だろうな。刺さった場所によっちゃ、針が服に隠れて見えなかったのかもしれねえ。何を塗ってたかまでは分からんが、そのあと動けなくなったなら、毒を使った可能性が高い」
「二人と戦っている間に、離れていた男が使ったんです。ガルドさんはそれでも短剣を離さなかったんですが、背後から斬られて……」
「もういい、そこは分かった。書類を奪ったあとは、何か話してたか?」
俺が覚えているやり取りを伝えると、グレンは腕を組んでしばらく考え込んだ。
「家から出てきたのを見てたってことは、少なくとも村には先回りしてたわけだ。ガルドを街から追ったのか、書類のある場所を別に知ってたのかで、調べ方も変わるな」
「ローデリックさんにも聞いてみます。それと、書類を預かっていた老人のことが心配で……今日は先にガルドさんを連れて帰ってきたんですが」
「ああ、そっちは俺が手を回す。口の堅い奴を二人選んで、今夜のうちに出せるようにしよう。家の場所が分かる物を、ローデリックから借りてきてくれるか」
「分かりました。もう一つ気になることがあるんですが、ガルドさんは倒れたあと、短剣で地面に何かを書こうとしていたんです。現場も調べてみたものの、足跡に踏み荒らされていて、見つけられませんでした」
グレンは腕をほどき、ガルドへ目を向けた。
「あいつなら、ただではやられまいとしただろうな。場所は覚えてるか?」
「はい。周りの木と、街道の曲がり方を見てきました。同じ場所へは戻れます」
「なら、明日俺を連れていってくれ。何も残ってねえかもしれんが、自分の目でも確かめておきたい」
俺が頷くと、グレンは扉を開けて職員を呼び、ガルドを安置するための準備を頼んだ。俺がローデリックから戻るまでに調査へ向かう者も選んでおくと言い、それから少し声を落とす。
「そのあと、お前は帰って休め。こいつのことは俺が見てるから、今日はもう無理をするな」
部屋を出る前に振り返ると、グレンは再びガルドのそばへ腰を下ろしていた。俺は声をかけずに扉を閉め、ローデリックのもとへ向かった。
◇ ◇ ◇
ローデリックは、俺の姿を見ると机の上の書類を置き、ガルドの消息を尋ねてきた。
見つかったものの、すでに亡くなっていたと伝えると、椅子から立ちかけた身体が止まる。机の端をつかんだまま、しばらく俺の顔を見ていたが、やがてゆっくりと腰を下ろした。
「……書類を取りに行っていただいた帰りに、ですか?」
「はい。受け取るところまでは無事だったんですが、村を出たあとで襲われています。遺体はギルドへ連れて帰って、グレンさんに預かってもらいました」
俺はサイコメトリーについて説明してから、老人との会話で聞き取れたことを伝えた。ローデリックは懐かしい言葉でも聞いたように目を伏せ、膝の上で両手を組み直す。
「オスカー殿は、まだ私を気にかけてくださっていたのですね。十年も預けたままにした揚げ句、このようなことになってしまうとは……」
「そのオスカーさんの無事を確かめるために、グレンさんが人を出してくれます。家の場所が分かる物を借りてくるよう頼まれたんですが、お願いできますか?」
「もちろんです。紹介状の控えと、家の場所を説明した紙がありますので、そちらをお持ちください」
ローデリックは引き出しから紙を取り出し、俺の前へ並べた。指で示しながら道順を補足してくれたが、その手がわずかに震えている。
「今回、書類を取りに行くことを知っていた人は、ほかにいますか? 男たちはオスカーさんの家からガルドさんが出てくるところを見ていたそうなので、どこから知ったのか調べたいんです」
「私から誰かに話した覚えはありません。ただ……昔、あの記録を扱っていた者なら、私が関わっていたこと自体は知っております。今ここで断言せず、当時のことも含めて思い返してみます」
「ありがとうございます。少しでも思い当たることがあれば、グレンさんに伝えてください。俺たちが見落としていることがあるかもしれませんから」
ローデリックは頷き、机の上に残っている書類を見つめた。
「ガルドさんは、紹介状をお渡ししたとき、帰りを待っていればよいとおっしゃってくださったんです。私も、その言葉に甘えてしまって……」
その先が続かず、俺もしばらく黙っていた。
ここで気にしないようにと言ったところで、気持ちが軽くなるわけではない。ローデリックもそれは分かっているのか、やがて顔を上げ、自分の方から話を戻した。
「明日、私もギルドへ伺います。ガルドさんにお会いしたあとで、調査のお話にも加わらせてください。記憶を頼りにする部分は多くなりますが、できる限りのことはいたします」
「お願いします。グレンさんにも、そう伝えておきます」
俺は二枚の紙を受け取ると、ローデリックに見送られて部屋を出た。
◇ ◇ ◇
ギルドへ戻り、グレンに紙を渡したころには、受付に並ぶ冒険者も少なくなっていた。
ミレーユはこちらを気にしている様子だったが、仕事の手を止めて声をかけようとはしない。俺から近づいて少し話したいと伝えると、隣の職員に受付を任せ、休憩室へ案内してくれた。
「……ガルドさん、帰ってこられないんですね」
椅子を引きながら尋ねられ、俺は頷いた。
「村から戻る途中で襲われていたんだ。見つけたときには、もう助けられなかった。今は地下に連れて帰ってきているから、ここにいるよ」
ミレーユは椅子に座り、膝に置いた手を見つめたまま、しばらく黙っていた。やがて何かを思い出したように唇を動かしたが、声が出るまでには少し時間がかかる。
「私が受付の仕事に慣れていなかったころ、ガルドさんがよく教えてくださったんです。依頼書に書いてあることだけで判断するなとか、怪我を隠している人もいるから、歩き方を見ておけとか……自分の依頼の手続きを待っている間にも、いろいろお話ししてくださって」
俺が黙って聞いていると、ミレーユは口元に手を当て、息を整えてから続けた。
「出発するときも、戻ったら村のお土産を持ってきてやるとおっしゃっていたので、またいつものように、受付へ来てくださると思っていました。何を買ってきてくださるのか、少し楽しみにもしていたんです」
頬を伝った涙を指で拭っても、すぐに次の涙が落ちてくる。
俺は何か言おうとしたが、気の利いた言葉は出てこず、机の上にあった布を彼女の近くへ寄せることしかできなかった。
「……ありがとうございます。タケシさんも、おつらいところへ探しに行ってくださったんですよね」
「連れて帰るくらいしか、できなかったけどね」
「それでも、帰ってこられてよかったです。誰にも見つけてもらえないままなんて、そんなのは……」
ミレーユはそこで言葉を切り、布で目元を押さえた。俺もしばらく席を離れず、彼女が落ち着くのを待った。
やがて地下で会えるかと尋ねられたので、グレンに相談すれば大丈夫だろうと伝えると、ミレーユは仕事が終わったら顔を見に行くと言った。
「ちゃんとお礼を言ってきます。教えていただいたことも、これから忘れないようにしますからって」
「ああ。ガルドさんも、聞いてくれると思うよ」
休憩室を出ると、ミレーユは一度立ち止まり、受付へ戻る前に俺へ頭を下げた。俺は軽く頷いて見送り、ギルドをあとにした。
◇ ◇ ◇
日本へ戻って玄関を開けると、台所からセラフィナの声が聞こえた。
「タケシ様、お帰りなさいませ! ちょうど夕食の支度をしていたところですから、もう少しだけお待ちくださいね。エレオノーラ様、タケシ様が戻られましたよ!」
エレオノーラもリビングから顔を出し、俺を見るとほっとしたように微笑んだ。
「お帰りなさいませ。ガルドさんは見つかりましたか? 先ほどから、セラフィナとそのお話をしていたんです」
いつもの部屋で、いつもの二人に迎えられたことで、かえって疲れが押し寄せてきた。
靴を脱ぎながら答えようとしたが、二人の顔を見ているうちに言葉が詰まる。セラフィナも手を止め、俺とエレオノーラを交互に見た。
「……少し、話を聞いてもらえるかな。ガルドさんのことで、二人にも伝えなきゃならないことがあるんだ」
セラフィナが火を止め、三人でリビングの椅子へ座った。
ガルドは見つかったが、すでに亡くなっていたこと。帰り道で三人組に襲われ、深い傷を負ったまま森へ置き去りにされていたことを伝えると、エレオノーラは俺の顔を見つめ、セラフィナは膝の上で手を重ねた。
「……ヒールでも、助けられなかったのですか?」
「ああ。何度も使ったけど、何も起きなかった。見つけたときには、もう身体も冷たくなっていたんだ」
セラフィナは唇を結び、しばらく目を伏せてから、隣に座るエレオノーラへ手を伸ばした。
俺は今日の【天神地祇】でサイコメトリーを覚え、上着と短剣に残る記憶を読み取ったことを話した。老人から書類を受け取るところも、三人組を相手に戦うところも見えたが、書類は奪われてしまい、今はグレンたちと取り戻す方法を探そうとしている。
「ガルドさんは、最後まで渡そうとしなかった。相手の一人が毒を使わなければ、逃げられたかもしれないくらい、ちゃんと戦っていたんだ。それなのに……」
そこで言葉が止まった。
男たちに置き去りにされたあと、ガルドが短剣の柄を握り直した光景が浮かぶ。最後に謝っていたことまで話そうとすると、声が詰まり、俺は口元を手で押さえた。
「……ごめん。見てきたばかりだから、まだうまく話せないな」
「急がなくても大丈夫です、タケシ様。私たちはここにおりますから、少しお休みになってください」
セラフィナが静かに言うと、エレオノーラも頷いた。
ただ、その目には涙がたまっており、握られた手を見つめたまま、なかなか顔を上げられない。
「私が昔のことを知りたいと申し上げなければ、ガルドさんがあの村へ行かれることもなかったのですよね。ようやく皆様と暮らせるようになったのに、そのために別の方が亡くなられてしまうなんて……」
「エレオノーラ様……」
セラフィナが手を握り直し、俺も顔を上げた。
「そう考えるのは、エレオノーラだけじゃないよ。俺も、探しに行くのが遅かったんじゃないかと思ってるし、ローデリックさんも同じようなことを言っていた。でも、あの人が襲われていい理由にはならないだろう。書類を取りに行っただけの人を、あんな目に遭わせた連中が悪いんだ」
「……はい。それは、分かっているつもりなのですけれど」
「うん。俺も、今すぐ考えるなとは言えない。ただ、調べるのを頼んだのは俺も同じなんだから、一人で背負わないでくれ。これからどうするかも、ちゃんと一緒に考えよう」
エレオノーラは涙を拭いながら頷き、しばらくして、ガルドがどこにいるのかを尋ねた。
「ギルドへ連れて帰って、グレンさんに預かってもらってる。明日、二人も会いに行こうか。俺ももう一度顔を見たいし、そのあとで今後のことを相談するつもりなんだ」
「ぜひ、お願いいたします。ガルドさんには、きちんとお礼を申し上げたいです。今さらになってしまいましたけれど、何もお伝えしないままにはしたくありません」
「私もご一緒いたします。屋台へいらっしゃったときに、また新しい料理をご用意しておきますとお約束していたのですが……」
セラフィナは台所の方へ目を向け、それから俺へ視線を戻した。
「明日は、私たちも一緒にお見送りさせてください」
俺は頷き、グレンが老人の安全確認に人を出してくれることも伝えた。エレオノーラは少し安心したようだったが、二人とも、しばらくは話し終えたあとも椅子を離れなかった。
やがてセラフィナが時計を見て、夕食の支度へ戻ろうと立ち上がる。
「すっかりお待たせしてしまいましたね。もう温め直すだけですから、お二人は座っていてくだされば――」
「俺も手伝うよ。皿を並べるくらいならできるし、少し動いていた方が落ち着きそうだから」
「私も、できている物を運ぶわ。どれから出せばよいか教えてちょうだい」
セラフィナは俺たちの顔を見てから、小さく頷いた。
「では、お願いしてもよろしいでしょうか。そちらのお皿に盛ってある物から運んでいただければ、その間に温める方を済ませますので」
三人で台所と食卓を行き来しているうちに、少しだけいつもの動きが戻ってきた。セラフィナが鍋の中を確かめ、エレオノーラが料理を運び、俺は箸と皿を並べて水を注ぐ。
席につくと、セラフィナが俺の前へ一皿を寄せた。
「こちらは、この前教えていただいたお料理です。今日は少し味つけを変えてみたのですが、いかがでしょうか?」
俺が一口食べると、彼女はいつものように感想を待っていた。まだ目元は赤かったが、その顔を見ていると、曖昧な返事はしたくなくなる。
「ああ、うまい。前のもよかったけど、俺はこっちの方が好きだな。味がちょうどいいよ」
「よかったです。それでしたら、次からもこちらの分量で作ってみますね。ガルド様にも、お好みを伺ってみたかったのですけれど……」
セラフィナは皿へ視線を落としたが、エレオノーラが隣から話を続けた。
「屋台では、何をお勧めしても食べてくださったものね。カレーパンを召し上がったときも、これなら歩きながら食べられると喜んでいらしたでしょう?」
「ああ、覚えてる。まだ熱いって言ったのにすぐかじって、しばらく何もしゃべれなくなってたな」
「ええ。それでも、おいしいからもう一つくれとおっしゃって……今度は少し冷めてから召し上がってくださいと、お願いしたんです」
セラフィナがわずかに笑い、俺もそのときのガルドの顔を思い出した。
思い返してみれば、会うたびに何かしら話しかけてくれる人だった。俺たちの屋台にも気負わず顔を出し、料理を食べながら街の様子を教えてくれたことがある。
明日からは、それがなくなる。
箸を動かしながら、そのことが少しずつ実感になっていった。
食卓ではほかにも屋台での思い出が出たが、誰も無理に話をつなごうとはせず、静かになればそのまま食べた。いつもより時間のかかった夕食を終えると、二人が片づけを始め、俺は言われるままソファへ腰を下ろした。
身体は疲れているのに、目を閉じてもガルドの手が浮かんでくる。
あの人は、男たちが鞄を調べている間に、何度も短剣を動かしていた。血を流し、腕を上げることもできない状態で、それでも切っ先を土へ押しつけていたのだ。
何を残そうとしていたのか。
現場を調べても、記憶を見直しても分からなかったが、明日はグレンともう一度確かめに行く。自分にはただの傷にしか見えなかった跡も、あの人なら何か気づくかもしれない。
台所で皿の触れ合う音がして、セラフィナがエレオノーラへ何か話しかけた。声を聞きながら目を開けると、棚に並んだ皿や、食卓に残る水の入ったコップが目に入る。
ガルドも、帰ってから酒を飲むつもりで出かけたのだ。
グレンにそう約束して、俺たちに書類を渡して、また屋台へ顔を出すつもりだったに違いない。
『……頼まれた物……持って帰れそうにねえ……』
あの言葉を思い出し、俺は膝に置いていた手を握った。
「……ガルドさん、あとは俺たちに任せてください」
明日、顔を見たときにも伝えようと思った。
俺はソファから立ち上がると、拭き終えた皿をしまうため、二人のいる台所へ向かった。




