24 第一部完 もうちょっとだけ続くんじゃ
第一部最終話 帰る場所
エレオノーラを無事に助け出した翌日、俺たちは一度も異世界へ行かなかった。
正確に言えば、行かなかったというより、行けなかった。
日本へ戻ったのは深夜だったが、家に着いてから風呂に入る気力すらほとんど残っておらず、三人とも最低限のことだけ済ませると、そのまま眠ってしまった。俺が次に目を覚ましたのは昼を大きく過ぎてからで、リビングへ行ってみてもエレオノーラとセラフィナの姿はなく、二人ともまだ部屋で眠っていた。
結局、その日は三人揃ってほとんど寝て過ごした。途中で腹が減って起き、適当に食事を作って食べたものの、しばらくするとまた眠くなって横になる。セラフィナに至っては夕食の時間になっても起きてこなかったので、さすがに心配になって様子を見に行ったほどだ。
もっとも、呼吸も顔色も問題なく、単純に疲れ切って眠っていただけだった。
市場で十人以上を相手に戦い、そのままエレオノーラを追って森へ入り、男爵たちまで制圧したのだから当然なのかもしれない。俺だって人のことは言えず、傷そのものは《ヒール》で治していたが、身体に残った疲労までは消えていなかった。翌日になっても全身が重く、ソファから立ち上がるだけで億劫に感じるほどだった。
そんなわけで、俺たちが再び異世界へ向かったのは翌々日の昼になってからだった。
いつもの場所へ《異世界転移》すると、エレオノーラとセラフィナの様子を確かめてから冒険者ギルドへ向かう。
ギルドの扉を開けた途端、何人もの視線がこちらへ向いた。
「おっ、来たぞ!」
「主役のお出ましだ!」
「姫さんも無事そうだな!」
あちこちから声が飛んでくる中、俺が思わず足を止めていると、受付にいたミレーユが笑いながらこちらへやってきた。
「おはようございます、タケシさん。エレオノーラさんもセラフィナさんも、お身体はもう大丈夫ですか?」
「はい。昨日は丸一日、ほとんど寝てましたから」
「それは何よりです。一度もいらっしゃらなかったので、皆さん心配していたんですよ」
「すみません。さすがに動けなくて」
「謝る必要なんてありませんよ。あれだけのことがあったんですから」
ミレーユによれば、俺たちが日本へ戻ったあとも、こちらでは事件の処理が続いていたらしい。
ベルニエ男爵、その護衛二人、男爵と会っていた男。そして、エレオノーラを連れ去った五人。
全員を冒険者ギルドで一時的に拘束したあと、ギルドを代表してミレーユが国の役人へ事件を報告し、身柄を引き渡したという。
「私も昨日は大変だったんですよ。朝から役人の方に何度も同じ説明をさせられて、書類も山ほど書かされました」
「ミレーユさんが行ったんですか?」
「ギルドマスターは現場の後始末がありましたから。それに、ベルニエ男爵のことなら、私も無関係ではありませんので」
そう言って笑っているが、ミレーユ自身も以前、ベルニエ男爵が依頼した盗賊に誘拐されている。今回の件だけではなく、十年前のアルセニア王国滅亡について調べる中でも、ベルニエ男爵の名前は何度も浮かんできた。
「取り調べは?」
「すでに始まっています。ただ、貴族が関わっている事件ですので、結果が出るまでには時間がかかると思います。何か分かればギルドにも連絡が来ることになっていますから、タケシさんたちは、しばらく休んでいてください」
「そうします……と言いたいところなんですけど、今日は別の用事があるんですよ。ガルドさんたちは来ていますか?」
「奥にいますよ。一昨日の捜索に参加した方も何人か来ています」
「ちょうどよかった。じゃあ、今日は飲みましょう」
「……はい?」
ミレーユが目を瞬かせた。
俺が今回の捜索を依頼するとき、ギルドにはかなりの金を預けていた。エレオノーラの命が懸かっていたのだから金を惜しむつもりなど最初からなく、必要なら全額使ってくれて構わないと伝えていたのだが、幸い捜索はそれほど長期化しなかったため、かなりの金が残っている。
返してもらうこともできるのだが、俺たちだけでは絶対にエレオノーラを助け出せなかった。だったら、その金は助けてくれた人たちのために使ったほうがいい。
「余った分、一昨日手伝ってくれた人たちに使おうかなって。ギルドの飲み屋、貸し切れます?」
「それは構いませんけど……皆さんに好きなだけ飲ませたら、余ったお金が全部なくなるかもしれませんよ?」
「そのために使うんだからいいですよ」
俺がそう答えると、近くで聞き耳を立てていたらしい冒険者が勢いよく立ち上がった。
「おい! 今、好きなだけ飲んでいいって言ったか!?」
「まだ言ってません!」
「言っただろ!」
「言ってねえよ!」
途端にギルド内が騒がしくなり、「タケシの奢りだ」「酒だ」「肉も頼め」と勝手な声が飛び交い始める。まだ昼だぞと誰かが突っ込めば、今日は休みだから関係ないと別の誰かが言い返し、最後には受付の職員から「勝手に休むな!」と怒鳴られていた。
……荒くれ者というのは、本当にこういうところだけは元気だ。
結局、貸し切りとまではいかなかったものの、その日の夕方から、ギルドに併設された酒場の一角を使って宴会を開くことになった。
◇ ◇ ◇
「かんぱーい!」
いくつもの木製ジョッキがぶつかり、大きな音が響いた。
昼間から待ちきれずに飲み始めた連中も何人かいたらしいが、本格的に宴会が始まった頃には、捜索に参加していた冒険者の大半が集まっていた。テーブルには肉料理や煮込み、パン、チーズなどが所狭しと並び、酒の樽まで運び込まれている。
「いやあ、悪いなタケシ!」
ガルドが大きなジョッキを持ち上げる。
「遠慮なく飲んでください。一昨日は本当にありがとうございました」
「俺は大したことしてねえよ。むしろ一番暴れたのはセラフィナだろ」
ガルドが隣を見ると、セラフィナは少し困ったような顔をしていた。今日はまだ完全に疲れが抜けているとも思えなかったので酒は飲ませておらず、本人もそれほど興味がないらしく、手にしているのは果実水だった。
「ほら、タケシ! こっち空いたぞ!」
「はいはい、今行きますよ」
呼ばれて酒瓶を持っていく。
今日は俺とエレオノーラ、それにセラフィナの三人で、助けてもらった冒険者たちへ酒を注いで回ることにしていた。もちろんセラフィナに無理をさせるつもりはなく、まだ疲れているなら座っていていいと言ったのだが、本人がどうしても手伝うと言って聞かなかった――正確には喋れないので、身振りで断固として主張してきたのだ。
「おっ、姫さん! 俺にも頼む!」
「は、はい」
エレオノーラが少し緊張しながら、大柄な冒険者の差し出したジョッキへ酒を注ぐ。
「おお、悪いな!」
「いえ。助けていただいたお礼ですから」
「俺なんか森走ってただけだぞ!」
「そのおかげで助かったんです」
「そう言われちゃ飲むしかねえな!」
「結局飲むんじゃねえか!」
周囲から笑いが起き、エレオノーラもつられて笑った。
ただ、しばらくすると俺は、彼女がときどき自分の顔へ手をやっていることに気づいた。
日本で治療を始めているとはいえ、まだ手術を始めたばかりで、顔に残った古い火傷が消えたわけではない。屋台では少しずつ慣れてきたものの、大勢の人間に囲まれると、やはり気になるのだろう。
そんなエレオノーラが次に向かったテーブルには、いかにも冒険者らしい男たちが座っていた。一人は左目の上から頬まで大きな傷が走り、別の男は片耳が半分欠けている。向かいに座っている男に至っては、右手の小指と薬指がなかった。
「お酒、いかがですか?」
「おう、頼む!」
エレオノーラが酒を注ぐと、男は受け取ったジョッキを一気に半分ほど空け、「くぅー、うめえ!」と声を上げた。隣から何杯目だと突っ込まれても本人は数えていないらしく、また周囲に笑いが起こる。
誰もエレオノーラの顔を気にしていなかった。
いや、見ていないわけではない。普通に顔を見て、普通に話している。ただ、それだけなのだ。
珍しそうに火傷を見つめる者もいなければ、気まずそうに視線を逸らす者もいない。魔物や盗賊と戦い、ときには命を懸けて依頼をこなす彼らにとって、身体に傷がある人間など珍しくもないのだろう。
顔に火傷があるから何だ。
そんなことより、酒を注いでくれるなら早く寄越せ。
おそらく、その程度なのだ。
それがエレオノーラには心地いいらしく、しばらくすると顔へ手をやることもなくなっていた。
「タケシさん」
酒を取りに戻ってきたエレオノーラが、俺の隣で小さな声を出した。
「冒険者の方たちって……不思議ですね。誰も、私の顔を気にしません」
「ああ。自分たちも傷だらけだからじゃない?」
「そうかもしれません。屋台のお客さんも、最近は慣れてくださった方が増えました。でも、初めて会う方はどうしても……」
そこで言葉が途切れたが、何を言いたいのかは分かった。
見られるのも、驚かれるのもつらい。だからといって気を遣われ、あからさまに見ないようにされるのも、結局は傷を意識させられるのだろう。
エレオノーラが改めて酒場を見渡すと、ちょうど片耳の欠けた男が隣の男と肉の取り合いを始めていた。自分の皿から取っただの、早い者勝ちだのとくだらない言い争いを始め、最後には「冒険者が細けえこと気にすんな」「気にするわ!」と怒鳴り合っている。
それを見たエレオノーラは吹き出し、楽しそうに笑いながら言った。
「……私、こういうの好きかもしれません」
「うん。俺も嫌いじゃないよ」
その日の宴会は、結局かなり遅くまで続いた。
そして予想通り、依頼金の残りはかなり減った。
だが、不思議と惜しいとは思わなかった。
◇ ◇ ◇
それから数週間が経った。
エレオノーラとセラフィナの屋台も再開し、最初の数日は心配した常連客が次々と顔を出した。誘拐されたことまでは知られていないものの、突然店を休んだので、体調でも崩したのかと思われていたらしい。
エレオノーラも最初は少し不安そうだったが、何日かすると以前と同じように客と笑顔で話せるようになり、セラフィナも隣で黙々と仕事をこなしていた。
俺も毎日付きっきりになることはなくなり、冒険者として依頼を受けたり、日本へ戻って自分の生活を送ったりしながら、二人の様子を見に来る日々が続いた。あの騒ぎが嘘だったかのように穏やかな時間が戻り、俺自身も事件のことを考えない日が少しずつ増えていった。
そんなある日の午後、屋台の営業を終えた俺たちが冒険者ギルドへ立ち寄ると、受付にいたミレーユが俺たちを見つけ、いつもより真剣な表情で呼び止めた。
「タケシさん、少しお時間よろしいですか?」
「何か分かったんですか?」
俺が尋ねると、ミレーユは小さく頷いた。
「取り調べについて、国から正式に連絡がありました」
俺たちは顔を見合わせ、そのまま奥の部屋へ通された。そこにはすでにギルドマスターが待っており、三人で席につくと、ミレーユも俺たちの向かいへ座って何枚かの書類を机へ置いた。
「まず、ベルニエ男爵についてです。今回の誘拐だけではなく、以前から国が把握していたいくつかの事件についても改めて調べられました。その結果、十年前のアルセニア王国滅亡に関わる件を含め、外国勢力に利益を与える行為へ関与した疑いが極めて強いと判断されたそうです」
「外患誘致……」
「はい。少なくとも、国はその疑いがある以上、男爵家をこのまま存続させることはできないと判断しました。ベルニエ男爵家はお取り潰しが決定し、領地と財産は没収。男爵本人については、引き続き取り調べが行われます」
「……そうですか」
俺は隣に座る二人へ目を向けた。
エレオノーラもセラフィナも何も言わなかったが、その表情は硬い。ベルニエ男爵が十年前のアルセニア王国滅亡にどこまで関わっていたのかは、まだ完全には分かっていない。ただ、少なくとも無関係ではなかったことだけは確かなようだった。
「それから、男爵と一緒にいた男ですが……亡くなりました」
「え?」
思わず聞き返すと、ミレーユは沈んだ表情で続けた。
「取り調べが始まって間もなく、自ら命を絶ったそうです。拘束されていたにもかかわらず隙を突いて自害したと報告されていて、身元についても調べられていますが、所持していた物からは本人を特定できるものが見つかっていません」
「何も喋らなかったんですか?」
「ほとんど何も」
答えたのはギルドマスターだった。
「捕まった直後から黙秘を続け、名前も所属も、男爵と何を話していたのかも明かさなかった。そして口を割る前に死んだ、ということらしい」
それを聞いて、背中に嫌なものを感じた。
ただ金で雇われた人間なら、命まで捨てて秘密を守るだろうか。むしろ男爵より、あの男のほうが重要な情報を握っていたのではないかと思えてくる。
「ベルニエ男爵は、その男について何と?」
「知らないと言っています」
「そんなわけないでしょう」
「私もそう思います。ただ、男爵もすべてを話しているわけではありませんから、国としては引き続き取り調べを行うそうです」
ミレーユはそう答えてから、別の書類を手に取った。
「一方で、エレオノーラさんを連れ去った五人からは、かなり話が出ています。全員、いわゆる闇ギルドを通して仕事を請け負った者たちでした。ただし、依頼そのものは闇ギルド内部から出たものではありません」
「誰が頼んだんです?」
「ある商会の会長です」
商会という言葉を聞いた瞬間、十年前のアルセニア王国へ物資を運んでいた商会のことが頭に浮かんだ。
「まさか……」
「タケシさんたちが以前調べていた件と関係がある可能性は、国も考えているようです。ただし、現時点では断定できません。その会長についてはすでに身柄を確保しており、なぜエレオノーラさんを狙ったのか、十年前の件をどこまで知っているのか、ベルニエ男爵との関係も含めて現在取り調べが続いています」
やっと辿り着いた――そう思う一方で、おそらくここが終点ではないのだろうとも感じていた。
男爵と会っていた男は何も話さずに死んだ。闇ギルドへ依頼した商会の会長も、その先にいる誰かから命令されていた可能性がある。そして何より、十年前にセラフィナが目撃したという上等な服を着た外国人については、まだ何一つ分かっていない。
「まだ先がありそうですね」
「だろうな。だが、それは国の連中にも働いてもらえ。お前らだけで全部調べる必要はねえぞ」
ギルドマスターにそう言われ、俺は苦笑しながら頷いた。エレオノーラを助けたときには《異世界転移》のことまで忘れて戦い続けたのだから、もう少し人に頼れと言われれば何も言い返せない。
「それと、もう一つある」
ギルドマスターは話を切り替えると、机の脇へ置かれていた大きな袋を持ち上げた。見るからに重そうなそれが机へ置かれた瞬間、ジャラッという聞き覚えのある音が響く。
「……まさか」
「そのまさかだ。今回の件に対する国からの報奨金だ」
袋の口が開かれると、中には大量の金貨が詰まっていた。
「えっ……これ、いくらあるんですか?」
「ベルニエ男爵の捕縛、誘拐事件の解決、それに以前から疑われていた男爵の不正を明るみに出すきっかけを作ったことも含まれている。貴族一人を潰すほどの事件だ。これくらいは出る」
聞かされた金額を頭の中で日本円へ換算してみると、思わずもう一度袋を見てしまった。俺たちがこれまで必死になって稼いできた金額と比べても桁が違い、これだけあれば今後の選択肢が一気に広がる。
「……これだけあれば、どっちか一人なら治療費をかなり賄えるんじゃない?」
俺が呟いた瞬間、エレオノーラとセラフィナが同時に顔を上げた。
エレオノーラの全身に残る火傷と、セラフィナの喉。どちらも日本で治療を続けるには金がかかるため、今までは二人自身に屋台で稼いでもらいながら、足りない部分を俺がどうにかするつもりでいた。しかし、目の前にある報奨金があれば、少なくとも一人分についてはかなり余裕を持って治療を進められるはずだ。
「全部の治療が終わるかは分からないけど、少なくとも一人分なら、かなり余裕ができると思う」
そう説明すると、エレオノーラとセラフィナは互いの顔を見た。
嫌な予感がした。
「では、セラフィナの治療に使ってください」
案の定、エレオノーラが迷うことなく言い切った。
当然ながらセラフィナはすぐさま首を横へ振り、エレオノーラの顔を指差す。
「いや、そうなると思ったけど……」
「セラフィナは声を取り戻せる可能性があるんですよね? 何度か手術が必要になるかもしれないのでしたら、なおさらセラフィナから治療してください」
しかし、セラフィナはまったく譲る気がないらしい。何度も首を横へ振ったあと、自分の喉ではなくエレオノーラの頬を指差し、先に火傷を治せと訴えている。
「私は後で構いません」
首を振る。
「セラフィナ」
また首を振る。
「私は大丈夫ですから」
今度はさらに強く首を振った。
「いや、ちょっと待って。本人同士で譲り合っても絶対決まらないから」
俺が二人の間へ手を出すと、エレオノーラはこちらを見て、少し考えてからとんでもないことを言い出した。
「では、タケシさんが決めてください」
「なんで俺!?」
思わず声を上げると、セラフィナまで名案だと言わんばかりに勢いよく頷く。
「いやいや、無理だって。どっちを先に治すかなんて俺に決めさせないでよ」
「ですが、このままでは決まりません。それに私はもう声がありますし、普通に話すこともできます。でも、セラフィナは十年間も――」
エレオノーラが最後まで言い切る前に、セラフィナが両手を伸ばして彼女の頬を挟んだ。
「んむっ!?」
突然のことにエレオノーラが目を丸くする。
セラフィナはそのまま彼女の顔をじっと見つめ、頬に残る火傷の痕を指先で示した。何を言いたいのかは、声がなくても嫌というほど分かる。
「……私の顔から治せと?」
セラフィナが大きく頷く。
「嫌です。セラフィナからです」
今度はセラフィナが即座に首を横へ振った。
エレオノーラが喉を指差せば、セラフィナは頬を指差す。エレオノーラが「あなたからです」と言えば、セラフィナはさらに強く首を横へ振り、無言のまま「お前が先だ」と押し返す。
しばらくそれを見ていた俺は、とうとう頭を抱えた。
「もう二人とも同時に治療すればいいだろ!」
思わず大きな声を出すと、二人の動きがぴたりと止まった。
「ですが、お金が……」
「足りない分はまた稼ぐよ。屋台だってあるし、俺も冒険者を続ける。それでも足りなかったら、また何か考えればいい。日本でも稼げるんだから、どっちか一人だけなんて決めなくていいだろ」
俺がそう言うと、エレオノーラはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、先に口を挟ませないよう続ける。
「そもそも二人とも、自分より相手を先にしろって言ってる時点で、どっちか一人だけ治療したって納得しないでしょ?」
二人は一度顔を見合わせると、揃って気まずそうに目を逸らした。
「ほら、やっぱり」
その様子を見ていたギルドマスターがとうとう堪えきれなくなり、大きな声で笑い出した。
「ははははっ! お前ら、命懸けで助け出したと思ったら、今度は治療の順番で喧嘩か!」
「喧嘩ではありません!」
エレオノーラがすぐさま反論し、その隣ではセラフィナも大きく頷いている。
「どう見ても喧嘩だろ」
「違います!」
ギルドマスターの笑い声がさらに大きくなり、ミレーユまで口元を押さえて笑っていた。
俺も呆れながら、目の前に置かれた金貨の袋へ目を向ける。
最初に二人を助けようと決めたときは、奴隷身分から解放するための金をどうやって稼ぐかで必死だった。オーガを売り、薬を作ろうとして失敗し、素材を集め、それでも足りないからパンやカレーまで売った。
ようやく二人を自由にできたと思ったら、今度は治療費を稼ぐために屋台を始め、その途中で十年前の事件へ巻き込まれ、エレオノーラまで攫われた。
本当に、いろいろあった。
それでも今、目の前ではエレオノーラが「セラフィナからです」と言い張り、セラフィナは猛烈な勢いで首を横へ振っている。とうとうセラフィナが再びエレオノーラの頬を両手で挟むと、彼女は「んむむっ!」と妙な声を上げながら、それでも負けじとセラフィナの喉を指差した。
「だから二人とも落ち着けって!」
俺が止めても、二人は互いに一歩も譲ろうとしない。
……まあ、いいか。
こんなことで言い争えるくらいには、二人とも元気なのだから。
十年前に国を失った王女と、その王女を守り続けてきた元近衛騎士。二人がこれからどう生きていくのかも、十年前の事件の先に何が待っているのかも、俺にはまだ分からない。
ただ、一つだけ分かっていることがある。
もう二人だけで抱え込む必要はない。
困ったことがあれば一緒に考えればいいし、金が足りなければまた稼げばいい。危ない目に遭ったら、今度はもう少し上手く助けに行けばいいし、疲れたら日本へ帰って休めばいい。
「タケシさん!」
「ん?」
「タケシさんからも、セラフィナを説得してください!」
エレオノーラに助けを求められたので隣を見ると、セラフィナは俺が余計なことを言わないようにと、無言の圧力をかけるような目でこちらを見ていた。
「……俺を巻き込まないでもらえます?」
二人が同時にこちらを見る。
「いや、その顔やめて。絶対に決めないからね」
エレオノーラが不満そうに頬を膨らませれば、セラフィナまで同じように眉を寄せる。その妙に息の合った様子がおかしくて俺が笑うと、ミレーユもつられて笑い、最後にはギルドマスターの大きな笑い声まで部屋中に響いた。
結局、その日も治療の順番は決まらなかった。
けれど、別に急いで決める必要もないだろう。
これから先も金を稼ぐ時間はあるし、二人の治療を続ける時間もある。そして、十年前から止まったままだった二人の人生も、ようやく少しずつ先へ進み始めている。
俺たちには、これからがあるのだから。
【第一部 完】
サブタイトルの通り、まだ続きます。
が、あまりに伸びないのでどうするか悩み中




