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神様に轢かれて【天神地祇】を授かりました ~東京と異世界を行き来する二重生活~  作者: 廻間 朔夜


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18 いちおう異世界ものなんだし、たまにはバトルも必要かなって

 翌朝、エレオノーラとセラフィナを市場まで送り届けた俺は、屋台の準備をひと通り手伝ってから冒険者ギルドへ向かった。


 ベルニエ男爵のことも、十年前にアルセニア王国へ物資を運んでいた商会のことも気になっているし、調べたいことならいくらでもある。ただ、だからといって毎日そればかりを追いかけているわけにもいかない。ミレーユには受付嬢としての仕事があるし、十年前の出来事なのだから、こちらが焦ったところで都合よく新しい証拠が出てくるわけでもなかった。


 それに最近は、異世界へ来ても屋台の手伝いや調査ばかりで、冒険者らしいことをほとんどしていない。せっかく剣術や身体強化といった能力を身につけたのに、使わなければいざというときに身体が動かなくなりそうなので、たまには実戦の感覚を確かめておきたいと思ったのだ。


 もちろん、二人を置いて丸一日出かけるつもりはない。今日は近場の依頼を選び、遅くとも昼過ぎには戻ると伝えてある。セラフィナには、何かあれば売り物も道具も放ってエレオノーラを連れてギルドへ逃げるよう念を押したし、夕方にはいつも通り迎えに来て、日本へ連れ帰るつもりだった。


 そんなことを考えながらギルドの扉を開けると、朝の依頼を探す冒険者たちの声が一斉に耳へ飛び込んできた。


 異世界へ来るようになった当初は、剣を腰に下げた人間が何十人も集まっている光景だけでも物珍しかったものだが、今ではすっかり見慣れてしまった。それどころか、俺自身もその一人として普通にギルドへ出入りしているのだから、人間というのは案外どんな環境にも慣れるものらしい。


「あ、タケシさん。おはようございます」


 受付にいたミレーユが俺に気づき、笑顔で手を上げた。俺も挨拶を返しながら受付へ向かい、今日は何か適当な討伐依頼がないか尋ねてみると、なぜか彼女は少し意外そうな顔をした。


「討伐依頼ですか?」


「俺、一応冒険者ですよ?」


「それは知ってますよ」


「今、ちょっと考えましたよね?」


「考えてません」


 そう答えながら目を逸らしている時点で、あまり説得力はない。


 まあ、ミレーユからすれば無理もないのだろう。ここ最近の俺がギルドへ顔を出す理由といえば、ベルニエ男爵や十年前の護衛依頼について話を聞くことばかりで、普通の依頼を受けるために受付へ来ること自体が久しぶりだった。


「タケシさんはFランクですから、普通に受けられるものなら薬草採取か、街道近くに出るホーンラビットの討伐あたりですね。それとも採取系にします?」


「もう少し上はありません? できれば昼過ぎまでに戻れるものがいいんですが」


「上ですか?」


「久しぶりなので、少し身体を動かしておきたいんですよ。別に強い魔物と命懸けで戦いたいわけじゃないですけど、今の自分がどのくらい動けるのか確かめておきたくて」


 俺がそう説明すると、ミレーユはしばらく考えてから依頼掲示板へ向かい、何枚かの依頼票を確認したあとで一枚を外して戻ってきた。


「それなら、これくらいですかね。ただしEランク指定ですし、普通に歩けば現地まで半日ほどかかりますよ」


「場所次第ですけど、移動はもう少し早くできると思います。俺、Fランクですけど受けられるんですか?」


「一つ上までなら、受付側で能力が足りると判断すれば受けられます。ただし、危険だと思ったら必ず撤退してくださいね。タケシさんの場合、一人でオーガを倒した実績もありますから許可はできますけど、だからといって何をやっても大丈夫という意味ではありませんから」


 差し出された依頼票を受け取って内容を確認すると、街から北東へ向かった場所にある森で目撃された、アーマーボアという魔物の討伐だった。


 名前の通り猪に似た魔物だが、普通の猪よりかなり大きく、肩から背中にかけて硬い皮膚に覆われているらしい。畑を荒らすだけでなく、近くの街道を通る人間を襲うこともあり、すでに周辺の村から何度か目撃情報が寄せられているという。


 簡単な地図も見せてもらうと、以前に通ったことのある街道の少し先だった。《身体強化》を使って移動すれば、森で探す時間を含めても昼過ぎまでには戻れそうだ。


「これにします」


「本当に一人で行くんですか?」


「危なくなったら逃げますよ」


「タケシさんの場合、本当に逃げ切れそうなのが困るんですよね……」


「逃げられるなら問題ないでしょう」

「そういう問題でしょうか?」



 納得していない顔をしていたものの、最終的には受付印を押してくれた。地図も渡してもらい、予定より長引きそうなら今回は諦めると約束してから、俺は久しぶりの討伐依頼へ出発した。


 ◇ ◇ ◇


 街を出てしばらく街道を歩き、人目がなくなったところで《身体強化》を使うと、それまで普通に歩いていた身体が一気に軽くなった。


 初めて使った頃は加減が分からず、走り出した勢いのまま転びそうになったこともあったが、今ではすっかり扱いにも慣れている。そのまま速度を上げ、見通しの悪い曲がり角や旅人の姿があるところでは足を緩めながら街道を進むと、徒歩で半日と聞いていた道のりを、一時間ほどで走り切ることができた。


 地図に記された場所から森へ入り、今度は《索敵》を使って周囲の気配を探ってみる。鳥や小動物と思われる小さな反応がいくつもある中で、一つだけ明らかに大きな気配があった。位置としてもアーマーボアが目撃された場所とそれほど離れていないので、俺は剣の柄へ手を添えながら、そちらへ向かって慎重に進んでいった。


 途中、ぬかるんだ地面には俺の手のひらより大きな足跡が残っており、その少し先では木の幹の低い位置が荒々しく削られていた。おそらく牙でも擦りつけたのだろうが、《索敵》のおかげで足跡を一つずつ追う必要もなく、森へ入ってから十分もしないうちに木々の向こうに目的の魔物を見つけることができた。


「……でかいな」


 猪と聞いて想像していたものより二回りほど大きく、体格だけなら牛に近い。黒褐色の身体は肩の辺りが大きく盛り上がり、そこから背中にかけて岩のように硬そうな皮膚に覆われている。口元から伸びた二本の牙もかなり立派なもので、まともに突進を食らえば《身体強化》を使っていても無傷では済みそうになかった。


 念のため《簡易鑑定》で確認すると、やはり依頼にあったアーマーボアで間違いない。俺は静かに剣を抜き、《身体強化》を維持したまま《先読み》を発動し、《剣術》によって身についた動きを意識した。


 以前なら、この瞬間にはもっと緊張していただろう。いくらスキルがあったところで、ここはゲームの世界ではない。攻撃を食らっても数字が減るだけでは済まず、あの牙に腹を突かれれば本当に穴が開く。それが分かっているからこそ、今でも魔物との戦いを軽く考えるつもりはなかった。


 それでも以前ほど恐怖を感じなくなったのは、これまで何度か実戦を経験し、自分に何ができるのか分かってきたからなのだと思う。


 こちらの存在に気づいたアーマーボアが顔を上げたかと思うと、地面を蹴って一気に突っ込んできた。巨体から想像していた以上の速度だったが、《先読み》を使っている俺には、頭の向きや前脚の踏み込みから次に牙が通る位置がなんとなく分かる。


 半歩では避けきれないと判断して大きく左へ身体をずらすと、ほんの少し前まで俺が立っていた場所を巨体が駆け抜けていった。すぐに追撃しようと足を踏み出しかけたところで、《直感》がそれを止める。理由を考えるより先に身体を引くと、向きを変えようとしていたアーマーボアが突然後ろ脚を蹴り上げ、その蹄が目の前を通り過ぎた。


「なるほど。そういうこともするのか」


 もしそのまま追いかけていたら、まともに腹か胸へ食らっていたかもしれない。俺は改めて距離を取り、相手の身体を見る。硬いのは肩から背中にかけてで、それ以外まで同じように覆われているわけではないのだから、わざわざ一番硬い場所へ剣を当てる必要はなかった。


 アーマーボアがこちらへ向き直り、再び地面を蹴る。今度は俺も待つだけではなく、突進してくる相手へ向かって踏み込んだ。《先読み》で軌道を捉えながら直前で身体を横へ滑らせ、すれ違う瞬間に硬い皮膚に覆われていない首の下へ剣を振り抜く。


 刃が肉を断つ手応えが腕へ伝わり、アーマーボアは勢いのまま数歩走ったものの、やがて大きく体勢を崩して地面へ倒れ込んだ。土と枯れ葉を巻き上げながらしばらく脚を動かしていたが、それも次第に弱くなり、やがて完全に動かなくなる。


「……終わったか」


 久しぶりの戦闘だったので、もう少し苦戦するものだと思っていた。


 もちろんアーマーボアが弱かったわけではないし、一度でもまともに突進を受けていれば結果は違っただろう。ただ、《索敵》で先に獲物を発見し、《身体強化》で動きを補い、《先読み》で攻撃の軌道を読み、《直感》で予想外の危険を避け、最後は《剣術》で急所を狙う。一つ一つは圧倒的な力ではなくても、こうして組み合わせれば以前とは比較にならないほど安定して戦える。


 剣についた血を拭いながらそんなことを考えていると、頭の中に久しぶりの感覚が浮かび、レベルが一つ上がったことが分かった。


「三十四か。久しぶりだな」


 上がって困るものでもない。俺は少しだけ気分を良くしながら、念のため《索敵》でも周囲に接近する反応がないことを確かめ、アーマーボアを《アイテムボックス》へ収納した。


 そのままギルドへ戻ろうと歩き出したところで、誰かに見られているような感覚が妙に残った。音がしたわけでも、視界の端に人影が映ったわけでもない。それでも気のせいだと無視するには最近の状況が悪すぎるので、俺は足を止めずに、改めて周囲の気配へ意識を向けた。


 《索敵》の範囲の端に、一つだけ人間らしい反応がある。先ほども同じ辺りに気配はあったが、こちらへ近づいてくる様子がなかったため、森へ入った別の冒険者だろうと思っていた。ところが、少し歩いてから進む方向を変えてみても、その反応は一定の距離を保ったままついてくる。


 《直感》は警鐘を鳴らしていないが、それだけで安全な相手だと決まったわけではない。今すぐ襲われる心配はなさそうでも、黙って後をつけられているとなれば話は別だった。


 ベルニエ男爵について調べている最中で、向こうもエレオノーラのことを探っている。ミレーユを盗賊にさらわせた人間が関係している可能性まであるのだから、こんなところで誰かに監視されていると感じて、のんきに放っておく気にはなれなかった。


 俺は気づいていないふりをしたまま森を歩き、もう一度進む方向を変えてみた。それでも相手は離れず、こちらから姿が見えない距離を保ちながら動いている。


「やっぱり、ついてきてるな……」


 小さく呟き、反応のある方向へ目だけを向ける。おおよその位置は分かるものの、相手もかなり慣れているらしく、木々や地形を利用して姿が見えない位置を選び続けていた。このまま振り返って追えば逃げられる可能性が高いし、相手がベルニエ男爵の手の者なら、できれば正体くらいは確認しておきたい。


 こちらから追いかけるより、一度俺を見失わせて、相手が探しに来るところを押さえたほうがよさそうだ。ちょうどレベルが上がったばかりで、新しいスキルを取得できる。意識を【天神地祇】へ向け、自分の姿そのものではなく、足音や呼吸、存在感を相手に悟られにくくする能力を探していくと、目的に合いそうなものが見つかった。


 《気配遮断》


「これなら使えそうだな」


 取得して発動してみても、身体そのものに大きな変化はなかった。透明になるわけではないので姿を見られれば普通に気づかれるのだろうが、自分の存在が周囲へ伝わりにくくなったような、不思議な感覚がある。


 俺は何も気づいていないふりをしたまま歩き続け、少し先にあった大きな岩の陰へ入った瞬間、《身体強化》を使って一気に横へ走った。そのまま木々の間を大きく回り込み、《索敵》で相手の位置を確認しながら《気配遮断》を維持する。


 追跡者は一度足を止めたあと、俺が姿を消した岩のほうへ慎重に進み始めた。俺はその進路を避けてさらに回り込み、大きな木の陰から相手が通り過ぎるのを待った。


 やがて姿を現したのは、五十歳前後に見える大柄な男だった。短く刈った髪には白いものが混じり、服装そのものは一般的な冒険者と大差ない。腰には剣を下げているが、その歩き方は明らかに普通ではなく、周囲を警戒しながらほとんど足音を立てずに移動している。


 男は俺の隠れている木の前を通り過ぎ、岩の向こうを見ながら足を止めた。


「……妙だな」

「何がです?」


 木の陰から声をかけると、男の肩がわずかに動いた。振り返るより早く《身体強化》で距離を詰め、相手が剣へ手を伸ばす可能性を考えて腕を掴む。


 男も反射的に振りほどこうとしたが、その動きを《先読み》で察して身体を入れ替え、腕を背中側へ捻り上げた。


「おっと……これは参ったな」


「動かないでください。誰です?」


 捕まったというのに、男の声には焦りがなかった。それどころか、どこか楽しそうにすら聞こえる。《直感》も相変わらず危険を告げていないが、だからといって、この妙な落ち着きまで信用する気にはなれなかった。


「離してくれれば答えよう。逃げたりはせん」

「さっきまで黙って人の後をつけていた人を、どうやって信用しろと?」


「それもそうだな」


 男は苦笑しながらも抵抗をやめた。俺は剣へ伸ばしかけていた手が下がったのを確かめてから、腕を押さえる力を少し緩める。


「まず名前を言ってください」

「ああ、悪かった。俺はグレン。この街の冒険者ギルドで、ギルドマスターをやっている」

「……ギルドマスター?」


「胸の内ポケットに身分証がある。自分で取るか?」


 言われた通りに取り出した金属製の証には、ギルドの紋章と名前、それから役職が刻まれていた。偽物かどうかまで俺に分かるわけではないが、街へ戻って確認すればすぐにばれる嘘をついているようにも見えない。


 それでも念のため相手の剣から距離を取れる位置へ移動してから腕を離すと、グレンは捻られていた肩を軽く回し、感心したように俺を見た。


「途中までは完全にこちらが追っていたはずなんだがな。急に気配が消えたと思ったら、今度は後ろから出てくるとは思わなかった」

「感想より先に、なんでギルドマスターがFランク冒険者を尾行してるんですか」


「一度、お前の腕を自分の目で見ておきたくてな」


「だったら最初から普通に声をかければいいでしょう」


「見られていると分かっていては、普段の動きは見られんだろう」


 まったく悪びれずに言われて、返す言葉に困った。ミレーユの上司だと聞いて、なぜか少しだけ納得できてしまった自分が嫌だった。


 ◇ ◇ ◇


 森を抜けたところに、街道を行き来する旅人向けの小さな休憩所があった。屋根と簡単な腰掛けがあるだけの場所だったが、周囲に人はいなかったので、俺たちはそこで話をすることにした。


「まず、試すような真似をしたことは謝っておこう。悪かった」


 向かいに座ったグレンは、先ほどまでの楽しそうな様子を消し、真面目な顔で頭を下げた。


「ミレーユを助けた妙なFランクがいると聞いてな。話だけでは分からんこともあるから、一度確かめておきたかった」


「妙な、は余計ですよ」


「六人の盗賊がいるところへ一人で乗り込み、うちの受付嬢を無傷で連れ帰ってきた登録したばかりのFランクだぞ。十分妙だろう」


「それは……まあ」


 否定しきれずに言葉を濁すと、グレンは少しだけ口元を緩めた。


「本人から話を聞いても、肝心なところになると『タケシさんに助けてもらいました』『詳しいことは本人に聞いてください』の一点張りだ。あれはあれで口が堅い」


「ミレーユさんらしいですね」


「それだけなら俺も放っておいた。冒険者には事情を抱えた奴なんていくらでもいるし、犯罪者でもない限り、ギルドが一人一人の秘密を暴いて回る必要はないからな」


 そこまで話したところで、グレンの表情が少し変わった。


「だが最近、お前とミレーユが十年前の依頼記録を調べ始めた。アルセニア方面へ向かった商隊の護衛依頼、すでに潰れた商会、それからベルニエ男爵――そこまで来れば、さすがに俺も知らん顔はできん」


「そこまで知ってるんですね」


「俺はここのギルドマスターだぞ。うちの職員が盗賊にさらわれたんだ。何もしないほどお人好しじゃない」


 考えてみれば当然だった。俺とミレーユが調べていることばかりに意識が向いていたが、ミレーユは冒険者ギルドの職員なのだ。その職員が盗賊に誘拐されたとなれば、組織として調査していないほうがおかしい。


「それなら、どうして俺の腕まで確かめる必要が?」


「お前が、これからどこまで関われる人間なのか知りたかったからだ」


 グレンはそう答え、俺の目をまっすぐ見た。


「ベルニエは腐っていても貴族だ。盗賊を何人か捕まえるのとは訳が違う。しかも、お前たちが調べていることが本当に十年前のアルセニアまでつながっているなら、男爵一人を捕まえて終わる話ではない可能性もある。自分の身も守れない人間を、そのまま危ない調査へ行かせるわけにはいかんだろう」


「それで戦っているところまで見に来たんですか?」


「ああ。もっとも、予想以上だったがな。アーマーボアを見つけるまでが異様に早いうえ、戦闘はほぼ一撃。そのあと俺の尾行に気づき、最後には逆に捕まえた。少なくともFランクになったばかりの新人の動きではない」


「いろいろありまして」


「そこは聞かん。言いたくないことまで聞き出すつもりはないし、ギルドが知りたいのはお前の秘密じゃない」


 グレンはそこで一度言葉を切り、腰掛けに置いていた手を膝へ移した。


「腕は分かった。あとは、何のつもりでミレーユと一緒に調べているのか聞いておきたい。危なくなったとき、お前はどうするつもりだ?」


「逃げますよ」


 俺が即答すると、グレンがわずかに眉を上げた。


「勝てないと思ったら普通に逃げます。死んだら終わりですから。命を懸けること自体が立派だとも思ってませんし、俺には守りたい人もいますからね。ただ、自分が関わったことで危険になった人を置いて、自分だけ安全なところへ逃げるつもりはありません」


 ミレーユだけではない。エレオノーラもセラフィナもそうだ。


 俺がベルニエ男爵を調べ始めたから彼女たちが狙われたわけではないとしても、事情を知ってしまった以上、もう俺には関係ありませんと東京へ戻り、何事もなかったようにタクシーを走らせることはできそうになかった。


「危ないなら、まず全員が逃げられるようにしたいです。そのために調査を止める必要があるなら止めますし、無理に一人で何とかしようとも思ってません」


 しばらく俺の顔を見ていたグレンは、やがて小さく頷いた。


「その考えなら話ができる。ミレーユを助けたことは聞いているし、今の言葉も覚えておこう。俺も少し手を貸す」


「ギルドマスターが?」


「勘違いするなよ。お前個人のためじゃない。ギルドとして、うちの職員を盗賊にさらわせた人間を調べるだけだ」


「それを普通は味方になったって言うんじゃないですか?」


「好きに解釈しろ」


 ミレーユとはずいぶん違う性格だが、どうやら頼れる人ではあるらしい。


「それで、何か分かったんですか?」


「ああ。まずベルニエ男爵だが、あいつがギルドの古い記録に興味を示したのは今回が初めてじゃない。十年前、正確にはアルセニア王国が滅んだ直後にも、男爵家の人間がここへ来ている」


「十年前から?」


 思わず身を乗り出すと、グレンは頷いた。


「ベルニエ本人ではない。当時男爵家に仕えていた者が、『アルセニア方面へ向かった商人の安否を確認したい』という理由で、護衛依頼について問い合わせている。ただ、記録を読む限り、そいつが本当に知りたがっていたのは商人の安否ではなかったらしい」


「何を調べていたんです?」


「護衛を担当した冒険者の名前だ。当時対応した職員が不審に思って、そのことを書き残している」


 その話を聞いた瞬間、ガルドの顔が浮かんだ。


 最後の護衛依頼に参加し、アルセニア国境手前で突然契約を打ち切られた男。その夜、忘れ物を取りに戻ったことで、商隊が二十人以上の武装集団と立派な箱馬車に合流しているところを目撃している。


「もしかして、何かを見た冒険者がいないか探していた……?」


「その可能性はある。ただし、今のところは可能性だけだ。十年前の問い合わせが、今お前たちが調べている商会についてだったという証拠もない。そこは分けて考えろ」


 グレンの言う通りだった。怪しいからといって、都合よく全部を一本の線で結んでしまえば、かえって真相から遠ざかるかもしれない。


「ガルドさんは大丈夫なんですか?」


「今朝からギルド側で見ている。本人には警戒が必要だということだけ伝えてある。詳しい話はまだだが、一人きりにはしていない」


 俺たちだけで調べていたときとは、やはり動ける範囲が違う。冒険者ギルドそのものが動いてくれるなら、少なくともミレーユやガルドの安全について、俺一人で気を揉む必要はなくなる。


「それからもう一つ、最近になってベルニエ男爵の屋敷へ見慣れない連中が出入りするようになった。確認できているだけで六人いるが、全員この街の人間ではない」


「ギルドを通した依頼ですか?」


「いや。だから気になっている。装備や身のこなしを見る限り、冒険者崩れか傭兵に近い連中だ。今のところ表立って犯罪を犯したわけではないから拘束はできんが、こちらでも身元を調べさせている」


 その話を聞いて、真っ先に浮かんだのは市場にいる二人だった。


 セラフィナなら、その程度の人数に簡単に負けるとは思わない。だが、問題は勝てるかどうかではなく、ベルニエ男爵がエレオノーラについて調べ始めたという話が出た直後に、素性の分からない人間が男爵邸へ集まっていることだった。


「市場にいる二人には、改めて注意するよう言っておきます」


「そのうち一人が、男爵が調べている火傷の女か?」


 俺は答えなかった。グレンもこちらの反応を見ただけで、それ以上追及してこない。


「事情を全部話せとは言わん。ただ、もし周りに怪しい人間が現れたら、こちらにも知らせろ。本人たちを囮にして調べようとはするなよ」


「それは俺もするつもりありません。ミレーユさんにも護衛をつけたほうがいいんじゃないですか?」


「もうつけてある。本人には内緒だがな」


「バレたら怒られません?」


「怒るだろうな。だから、バレたときはお前も一緒に謝ってくれ」


「嫌ですよ」


 即答すると、グレンが声を上げて笑った。


「命の恩人のお前から言えば、少しは機嫌も直るだろう」


「そういうときだけ仲間扱いしないでください」


「もう遅い。さっき協力すると言っただろう」


 ずいぶん勝手な人だが、不思議と嫌な感じはしなかった。


 これまでは俺とミレーユが手探りで調べ、エレオノーラとセラフィナの記憶から十年前の出来事を少しずつ拾い集めてきた。しかし、二人は事件の当事者だからこそ危険な調査へ出すわけにはいかないし、俺にもこの世界で使える伝手はほとんどない。そこへ、冒険者ギルドを動かせるグレンが加わったのは、心強いことだった。


 もちろん、それだけで十年前の真相が明らかになるわけではない。商会がなぜ武器らしきものを偽装して運んでいたのか、なぜ王宮の軍用倉庫へ夜間に搬入していたのか、そしてなぜアルセニアが滅びる三か月前に供給が突然止まったのか。セラフィナが倉庫の近くで見たという外国人らしい男の正体も、まだ何一つ分かっていない。


 それでも、これまでより調べる手段が増えたのは間違いなかった。


「そろそろ戻るか。お前も討伐報告があるんだろう?」


「そうでした。ギルドマスターに尾行されてたせいで忘れかけてましたよ」


「人のせいにするな」


「そういえば、ギルドマスターがFランク冒険者を尾行して、逆に捕まったって話、ミレーユさんにしてもいいですか?」


「やめろ」


 返事が妙に早かったので、俺は思わずグレンの顔を見た。


「どうしてです?」


「あいつは絶対に笑う」


「でしょうね」


「分かっているなら言うな」


 それはちょっと見てみたい。俺が笑いを堪えながら歩き出すと、グレンが疑わしそうな目を向けてきた。


「お前、さっきより楽しそうじゃないか?」


「気のせいですよ」


「本当だろうな?」


「もちろんです」


 そう答えながら、俺たちは街へ戻った。


 ◇ ◇ ◇


 帰りも人目のない区間では速度を上げたが、グレンは大して息を切らすこともなくついてきた。俺を尾行していた時点で足が速いのは分かっていたものの、ギルドマスターというのは机に座ってばかりの役職ではないらしい。


 街へ着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。予定から大きく遅れずに済んだことにほっとしながら、俺はグレンと別れてギルドの買い取り場へ向かい、アーマーボアを《アイテムボックス》から取り出した。


 職員に討伐の確認と買い取りを頼むと、首の傷以外はほとんど損傷がないことを褒められた。硬い皮膚や牙には素材としての需要があり、肉も食用になるらしい。解体は任せることにして、討伐証明用に外してもらった牙と確認票を持ち、受付へ戻った。


 ミレーユは差し出した牙と確認票を見比べてから、まず俺に怪我がないか尋ねてきた。


「ありませんよ。思っていたよりあっさり倒せました」


「Eランクのアーマーボアを一人で倒して『あっさり』ですか……。本当にFランクなんですよ


「カードにはそう書いてあります」


「そのうちランクのほうが追いつくんでしょうね」


 呆れたように笑うミレーユから報酬を受け取っていると、ちょうどギルドの奥からグレンが出てきた。


「あれ? ギルドマスター、今日は外へ出てたんじゃないんですか?」


「ああ、少し仕事でな」


「どこへ行ってたんです?」


「まあ、いろいろだ」


 さっきまであれだけ堂々としていた男が、急に歯切れの悪い答えをする。しかも俺と目が合った瞬間、明らかに「言うなよ」という顔をした。


 なるほど。この人、ギルドマスターのくせに意外と分かりやすい。


「実はですね――」


「タケシ」


 低い声で名前を呼ばれたので、ミレーユが不思議そうに俺たちを交互に見た。


「……二人とも、何かあったんですか?」


「何もない」


「ありましたよ」


「タケシ」


 もう一度止められたが、ここまで来たら黙っているほうが不自然だろう。


「実は今日、ギルドマスターが俺のことを尾行してたんですよ」


「……はい?」


 ミレーユの視線がゆっくりグレンへ向く。


「それで、途中で気づいたので逆に後ろへ回って捕まえました」


 数秒ほど沈黙したあと、ミレーユの口元が震え始めた。


「ふっ……」


「笑うな」


「だ、だって……ギルドマスターが、Fランクのタケシさんを尾行して……逆に捕まったんですか?」


「だから言いたくなかったんだ!」


「す、すみません……でも……ふふっ……あはははっ!」


 とうとう我慢できなくなったらしく、ミレーユは受付台へ片手をつき、腹を抱えるようにして笑い始めた。身体を震わせるたびに豊かな胸まで大きく揺れ、受付嬢の制服がその動きに合わせて上下しているが、本人はそんなことを気にする余裕もないらしく、目尻に浮かんだ涙を拭いながら何度も息を整えようとしている。


「ほら、言っただろう。こいつは絶対に笑うって」


「本当に笑いましたね」


「分かっていたなら言うな!」


「だ、だって……ギルドマスターが……ふふっ……!」


 一度は身体を起こしたミレーユだったが、グレンの不機嫌そうな顔を見るなりまた吹き出した。その様子を見たグレンは、もう何を言っても無駄だと悟ったのか、深いため息をついた。


「はぁ……すみません。こんなに笑ったの、久しぶりです」


「俺は二度とお前の前で失敗はしないと決めた」


「でも、ギルドマスターがタケシさんに捕まったのは失敗じゃなくて事実ですよね?」


「ミレーユ」


「はい、すみません」


 そう答えた直後にまた小さく吹き出すのだから、まったく反省していない。


 久しぶりに冒険者らしい依頼を受けただけのはずだったが、結果としてアーマーボアを討伐し、レベルは三十四になり、新しく《気配遮断》まで手に入った。そのうえ、これまでほとんど接点のなかったギルドマスターまで、ベルニエ男爵を調べるうえで協力してくれることになったのだから、今日一日の収穫としては十分すぎるくらいだろう。


 もっとも、喜んでばかりもいられない。ベルニエ男爵側が十年前からアルセニア方面の護衛記録を気にしていた可能性があること、そして最近になって男爵邸へ少なくとも六人の素性の分からない人間が出入りしていること。その二つは、どう考えても無視できなかった。


 俺はまだ時折思い出し笑いをしているミレーユと、その隣で苦虫を噛み潰したような顔をしているグレンを眺めながら、まずは市場へ戻ってエレオノーラとセラフィナに知らせようと考えた。


 特にセラフィナには、怪しい人間を見つけても絶対に一人で追いかけるなと念を押しておいたほうがいい。もっとも、そう言ったところで彼女は平然と紙に『分かっている』と書き、そのすぐ下へ『襲ってきた場合は?』と付け足すような気がする。


 そこで俺が「エレオノーラを連れて逃げるのが先だぞ」と言えば、今度は『追ってくる相手だけ峰打ち』と返してくるところまで簡単に想像できた。逃げるために必要な反撃まで禁止するつもりはないが、そのまま追撃に移らないよう、念入りに言っておこう。


 せっかく頼れる味方が一人増えたその日に、セラフィナが怪しい相手を追いかけ、そのまま男爵邸へ乗り込んだのではたまらない。


「それじゃ、俺は市場へ戻ります。二人にも伝えておきたいので」


「ああ。だが、その前にカードを出せ」


 グレンに呼び止められ、俺は腰の袋へ伸ばしかけた手を止めた。


「カードですか?」


「冒険者カードだ。ミレーユ、タケシをEランクへ上げる。今日の討伐記録と、これまでの実績をまとめて昇格の処理をしてくれ。承認は俺が出す」


 思わずグレンとミレーユの顔を交互に見ると、ミレーユはもう笑っていなかった。それどころか、ようやくその話になったと言わんばかりに頷いている。


「分かりました。私からも推薦しようと思っていたところです」


「そんな急に上がれるものなんですか?」


「FからEは、基礎的な依頼を任せられるだけの実績と能力があるかを見るんです。タケシさんは以前のオーガの討伐も確認できていますし、今日は正式に受けたEランクの依頼を一人で達成していますから」


 ミレーユが説明しながら、俺の登録記録を取り出す。その横でグレンも腕を組み、さっきまでとは違う仕事の顔で口を開いた。


「ミレーユを助けた件も含めて、実績は十分ある。今回の討伐は俺も直接見たから、能力の確認もできている。いつまでもFに置いて、毎回一つ上の依頼を許可していたんじゃ、受付の手間が増えるだけだ」


「尾行して逆に捕まったことも、評価に入るんですか?」


「それを何度も言うな。警戒と対処ができることは分かったが、昇格は討伐と救出の実績で決めている」


 また笑いそうになったミレーユが、慌てて口元を引き締める。俺はこれ以上からかうと話が進まなくなりそうなので、素直に冒険者カードを差し出した。


 ミレーユは必要な書類をまとめ、グレンの署名を受けてからカードの更新に取りかかった。待っている間に、Eランクになれば今日のような依頼を通常の手続きで受けられることや、さらに上の依頼はこれまで通り能力を見て判断することなどを説明してくれる。


「ランクが上がったからといって、無理に難しい依頼を受ける必要はありませんからね。薬草採取だって、引き続き受けられます」


「それは助かります。できることを少しずつ増やしていきたいだけなので」


「そのくらいのつもりでちょうどいいですよ」


 やがて、手続きの済んだカードが受付台の上に置かれた。ついさっきまでFと記されていた場所が、今はEに変わっている。


「おめでとうございます、タケシさん。これで正式にEランク冒険者です」


 ミレーユから渡されたカードを受け取り、俺は改めてその文字を眺めた。たった一段階上がっただけで、身体が強くなったわけでも、新しいスキルが増えたわけでもない。それでも、これまでやってきたことを認めてもらえたと思うと、予想していたより嬉しかった。


「ありがとうございます。これでようやく、冒険者らしくなってきましたね」


「屋台の手伝いをしていても、冒険者なのは変わりませんよ」


「最初に討伐依頼って言ったとき、意外そうな顔をした人が言います?」


「そんな顔してません」


 今度は目を逸らさずに言い切ったので、俺もそれ以上は追及せず、カードを腰の袋へしまった。グレンはその様子を見届けてから、念を押すように言った。


「市場の二人に伝えるべきことを伝えたら、今日は余計な調査へ出るなよ」


「分かってます。まずは約束通り、屋台へ戻ります」


 昼の市場は、そろそろ忙しくなる頃だろう。エレオノーラとセラフィナには注意してほしい話があるが、そればかりで不安にさせる必要もない。アーマーボアを倒したことや、ギルドマスターが協力してくれること、それからEランクに上がったことも、一緒に話しておこう。


 セラフィナはカードを見れば、また何か紙に書くかもしれない。『次はDか』と急かされるのか、『これで少しは冒険者らしい』とからかわれるのか分からないが、どちらにしても、今日は少しだけ胸を張って報告できそうだった。


 俺は二人に見せるためのカードが入った袋を軽く押さえ、昼の賑わいが聞こえる市場へと足を向けた。


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