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神様に轢かれて【天神地祇】を授かりました ~東京と異世界を行き来する二重生活~  作者: 廻間 朔夜


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17 ただのモブと思わせて実は重要キャラムーブをさせて本当は重要なキャラ

 翌朝、俺が二人を市場へ連れていくと、いつもの場所にはすでに借りている屋台が用意されていた。


 二人で営業するようになってからは、預かり場の人に頼み、開店前に区画まで運び出してもらうことにしている。朝は食材や道具を並べるところから始められるので、俺が日本へ戻る前に準備を確かめる時間も取りやすかった。


 昨日あんな話をしたばかりなので、エレオノーラが店を開けることに少しくらい迷うかと思っていたのだが、実際には俺が心配していたほどの変化はなく、屋台へ着くなりいつものようにエプロンを着けていた。セラフィナが鍋や食器を出すあいだに、彼女も会計用の台へ帳面と釣り銭を並べ始める。


 ただし、セラフィナの目つきだけは明らかに普段と違った。


 準備をしながらも何度となく周囲を確認し、市場へ入ってくる人間を一人ずつ目で追っている。腰にはいつもの剣を下げており、たまたまこちらを見た男性客が彼女と目を合わせた途端、何もしていないのになぜか気まずそうに視線を逸らしていった。


「セラフィナ」


 呼びかけると、何事もなかったような顔で振り返る。


「昨日も言ったけど、威圧するのは怪しい奴だけだからな。普通の客まで睨むなよ」


 セラフィナは「睨んでいない」とでも言いたげに首を傾げたが、その直後に屋台の前を通った男へ鋭い視線を向けたので、説得力はまるでなかった。


「今の人も普通に歩いてただけだろ。そんな顔してたら、怪しい奴が来る前に普通の客が来なくなるぞ」


 それは困るらしい。


 セラフィナは少し考えたあと、意識して表情を和らげようとした。ところが、もともと愛想笑いが得意な性格でもないため、口元だけが不自然に持ち上がった妙な顔になる。


「……無理に笑わなくていい」


 俺がそう言うと、隣で準備をしていたエレオノーラが吹き出した。


「セラフィナはいつもどおりで大丈夫ですよ。お客様がいらしたときだけ、少し優しいお顔をしてください」


 セラフィナはエレオノーラを見たあと、素直に頷いた。


 俺が言ったときとはずいぶん反応が違う気もするが、そこを指摘すると面倒なことになりそうなので黙っておく。


 準備が終わるころには、巡回中の衛兵も二人で立ち寄ってくれた。昨日ギルドから伝えられた話を確認し、エレオノーラたちの顔と屋台の場所を覚えてから、不審な者に声をかけられたら近くの衛兵かギルド職員へ知らせるよう伝えていく。


 それだけで心配がなくなるわけではないが、少なくとも事情を知っている人間が市場にもいる。俺は二人と、店を閉めてギルドへ行く場合の道順をもう一度確かめた。


「今日は俺も仕事に戻るから、ずっとここにはいられない。夕方には迎えに来るけど、それまでに何かあったら二人でギルドへ行くこと。ミレーユさんがいなくても、職員に言えば話は通る。エレオノーラも、一人でどこかへ行かないようにな」


「はい。分かっています」


「セラフィナも、怪しい奴を見つけたからって追いかけるなよ」


 念を押すと、セラフィナは昨日のやり取りを思い出したのか少しだけ不満そうな顔をした。それでも最後には頷き、今度は俺へ向かって早く行けとでも言うように手を振る。


「なんか追い出されてる気がするんだけど」


「タケシ様にもお仕事がありますから。こちらのことは、わたくしたちにお任せください」


 エレオノーラにまで笑顔で送り出され、俺は仕方なく市場を離れた。


 店を始めてまだ数日しか経っていないが、もう俺がいなくても二人だけで準備から営業までできるようになっている。心配だからといつまでも横についていては、かえって邪魔になるのかもしれない。


 もっとも、昨日の今日なので心配がなくなったわけではない。


 市場を出る前に一度だけ振り返ると、ちょうど最初の客が屋台の前へ来たところだった。エレオノーラが椅子へ座ったまま笑顔で注文を聞き、セラフィナが鍋の蓋を開けると、漂い始めたカレーの匂いにつられたのか、通りかかった別の男まで足を止めている。


 その様子を見届けてから街の外へ向かい、人目につかない場所で《異世界転移》を使った。


 * * *


 日本へ戻ってからは、久しぶりに朝からタクシーの仕事へ集中した。


 ここ数日は二人の店を手伝うため、異世界にいる時間がかなり長くなっていた。個人タクシーなら自分で働く時間を決められるとはいえ、休めばそのぶん売上は減る。二人が治療費を稼ぐために店を始めた横で、俺自身の収入がなくなっていては笑い話にもならない。


 午前中は新宿周辺を中心に走った。


 駅までの短距離や病院から自宅までといった客が何組か続き、大きな仕事はないものの、空車で走り回る時間もそれほど長くない。昼前になり、そろそろどこかで昼飯でも食おうかと思い始めたころ、新宿にあるホテルの車寄せへ入った。


 順番を待っていると、しばらくしてホテルのスタッフがこちらへ手を上げる。大きなスーツケースを持った男女二人が立っていたので、車を寄せてトランクを開け、荷物を積み込んでから運転席へ戻った。


「どちらまででしょうか?」


「山中湖までお願いします」


「山中湖ですか?」


「はい。山梨の」


「承知しました」


 もちろん場所は分かる。


 ただ、新宿から山中湖となれば、ちょっとそこまでという距離ではない。昼飯はしばらくお預けになりそうだが、その代わり今日の売上としてはかなりありがたい仕事になる。


 ホテルを出ると首都高から中央道へ入り、そのまま山梨方面へ向かった。


 乗客は夫婦らしく、最初のうちは二人で旅行の予定について話していたものの、高速へ入ってしばらくすると奥さんのほうは眠り、旦那さんもスマートフォンを見ながら、ときどき車窓へ目を向けている。


 都心を離れるにつれて周囲の景色も変わり、大月を過ぎて富士吉田方面へ向かうころには、東京とはまるで違う山の景色が広がっていた。


 やがて山中湖へ着き、客に指定された宿の玄関前へ車を止める。


 トランクから二人分の荷物を下ろし、料金を精算すると、旦那さんが湖のほうを眺めながら満足そうに息を吐いた。


「やっぱり東京より涼しいですね」


「だいぶ違いますね。ゆっくりしてきてください」


「ありがとうございます。長い距離、すみませんでした」


「いえ、こちらこそありがとうございました」


 二人を見送って運転席へ戻り、メーターの金額を改めて確認すると、朝から細かく積み上げてきた売上が一気に伸びている。


「これはありがたいな」


 思わず独り言が出た。


 もっとも、ここは俺の営業区域ではない。


 東京から客を乗せて山中湖まで送ることはできても、ここを拠点に、近くの駅や別の宿へ行く客を拾って営業するわけにはいかない。東京の営業区域内へ戻る客なら話は別だが、今日はそんな予約もないので、回送で帰ることにした。


 長距離が出たぶん帰りは空車になるが、それも最初から分かっていることである。


 俺は表示を回送にして宿を離れた。


 来た道をそのまま戻りながら、頭に浮かんできたのは昨日見つかった護衛依頼のことだった。


 荷車の数に対して不自然に多い護衛を雇い、相場より高い報酬を払いながら、わざわざ関所の少ない遠回りの道を使っていた商会。しかも最後の依頼では、アルセニア王国の国境へ到着する前に護衛契約そのものを打ち切っている。


 その依頼に参加した冒険者の一人が、今も現役で活動しているという。


 本人から話を聞くことができれば、ギルドの記録には残っていない何かが分かるかもしれない。


 途中の休憩で遅い昼食を済ませ、東京へ戻るころには昼を大きく過ぎていたが、朝からの売上を考えれば悪くない。夕方には二人を迎えに行くと約束していることもあり、その日は無理に夜まで営業を続けず、何組か客を乗せたところで早めに仕事を切り上げることにした。


 * * *


 車を置いて《異世界転移》を使い、市場へ向かうと、屋台はまだ営業を続けていた。


 昨日ほどではないものの何人かの客が順番を待っており、エレオノーラが注文と金を受け取りながら、セラフィナが手際よくカレーを盛りつけている。


 俺が近づいても、二人ともすぐには気づかなかった。


「カレーを一つ。ご飯で」


 客のふりをして声をかけると、エレオノーラが反射的に「はい」と答えかけ、途中で俺だと気づいた。


「タケシ様」


「ちゃんとやってるな」


「もちろんです」


 少し得意そうに笑うエレオノーラの横で、セラフィナが俺を見る。


 帰ってきたことを喜んでくれるのかと思ったら、最初に指さされたのは腕時計だった。


「仕方ないだろ。今日は山中湖まで行ってたんだよ」


 当然ながらセラフィナに山中湖と言っても分からないので、東京からかなり離れた場所まで客を乗せていったのだと説明すると、今度は両手を使って大きな円を作った。


「売上?」


 頷く。


「まあ、今日は結構いったよ」


 セラフィナは満足そうに親指を立てた。


「そこは褒めてくれるんだな」


 昨日は帰宅時間を気にしていたくせに、売上がよかったと分かると機嫌が直るあたりが妙に現金である。


「今日は何か変わったことあった?」


 俺が尋ねると、エレオノーラは首を横に振った。


「特にはありませんでした。何人か初めてのお客様もいらっしゃいましたが、わたくしについて尋ねられるようなこともありませんでしたし、セラフィナも今日はきちんと普通のお客様と怪しい方を区別していました」


 最後の部分だけ妙に強調されている。


 セラフィナは褒められたと思ったのか、少し得意そうに胸を張った。


「普通の客を睨まないのは、褒められるようなことじゃなくて当たり前だからな」


 途端に不満そうな顔をされた。


 そのまま閉店まで手伝おうとしたところで、背後から聞き慣れた声がした。


「タケシ様、ちょうどよかったです」


 振り返ると、ミレーユさんがこちらへ歩いてくるところだった。


「何かありました?」


「昨日お話しした冒険者の方が、ギルドへ来ています」


「最後の護衛依頼に参加した?」


「はい。事情を話したところ、昔のことなのでどこまで覚えているか分からないけれど、それでもよければ話してくださるそうです」


 思ったより早かった。


 俺は屋台を見る。まだ客はいるものの、鍋の中身はほとんど残っていないらしい。エレオノーラも話を聞いていたようで、俺に向かって頷いた。


「こちらは大丈夫です。行ってきてください」


「でも、片づけがあるだろ?」


「二人でできます。それに、せっかくその方がいらしているのなら、お待たせしないほうがよろしいでしょう?」


 そのとおりなので頷くと、隣ではセラフィナも早く行けと言わんばかりに手を振っている。


「昨日は一人で行くなって散々言ってたのに、今日は追い出すのかよ」


 セラフィナは少し考えたあと、ミレーユさんを指さした。


「一人じゃないからいいって?」


 満足そうに頷く。


「分かったよ。じゃあ、終わるころには戻る」


 念のためそう伝え、俺はミレーユさんと一緒に冒険者ギルドへ向かった。


 * * *


 ギルドの中は、夕方ということもあって昼間より賑わっていた。


 依頼を終えて戻ってきた冒険者たちが受付へ報告し、併設された酒場ではすでに酒を飲み始めている者もいる。ミレーユさんはその間を進み、壁際のテーブルに一人で座っている男を指した。


「あちらの方です」


 年齢は五十代半ばくらいだろうか。短く刈った白髪交じりの髪に、日に焼けた顔。左頬には古い傷があり、椅子の横には使い込まれた槍が立てかけてある。


「ガルドさん、お待たせしました」


「おう。そいつが話を聞きたいって男か?」


「はい。タケシ様です」


「タケシです。時間取ってもらってすみません」


「構わねえよ。十年以上も前の依頼について聞きたいっていうから、何事かと思ったがな」


 ガルドと呼ばれた男はそう言いながら、向かいの椅子を顎で示した。


 俺とミレーユさんが腰を下ろすと、彼はテーブルの上に置いていた酒の杯を少し端へ寄せる。


「先に言っとくが、細かいところまでは覚えてねえぞ。依頼なんて何百と受けてきたからな」


「もちろんです。覚えてる範囲で構いません」


「で、どの依頼だ?」


 ミレーユさんが、閲覧を許可された記録から当該依頼の内容を写した紙を見せる。ガルドさんは最初こそ特に反応もなく眺めていたものの、商会の名前と印を見たところで眉を寄せた。


「ああ……こいつか」


「覚えてます?」


「全部じゃねえがな。この商会の護衛は何度かやった。報酬がよかったんだ」


「やっぱり高かったんですね」


「相場よりかなりな。最初はよほど危険な道を通るのかと思ったが、実際には大したことなかった。魔物が出たことはあるが、十五人も護衛を雇うほどじゃなかったな」


「荷物の中身は見ました?」


「箱と樽ばかりだ。中までは見てねえ。商人から勝手に開けるなと言われてたしな」


「普通の護衛依頼でも、そういうものなんですか?」


 俺が尋ねると、ガルドさんは少し考えてから肩をすくめた。


「珍しくはねえよ。高価な品なら冒険者にだって中身を見せたがらない商人はいる。ただ、あの商会は今思えば少し神経質だったな。野営するときも荷物のそばには必ず商会の人間が残ってたし、俺たちが荷車へ近づくのを嫌がってた」


「最後の依頼については覚えてます?」


「国境の手前で帰されたやつか」


 こちらが説明する前に答えが返ってきたので、俺はミレーユさんと顔を見合わせた。


「覚えてるんですね」


「あれは妙だったからな」


 ガルドさんは杯を手に取ったものの、飲まずに指先でゆっくり回しながら記憶をたどっていった。


「あの日までは、いつもと変わらなかった。街道を外れて南の道へ入り、三日くらい進んだところだったと思う。夕方になって野営の準備を始めようとしたら、商会の責任者が突然、護衛はここまででいいと言い出したんだ。国境まではまだ距離があったし、契約ではアルセニア国内の町まで護衛することになってたから、俺たちは当然文句を言ったさ」


「それでも帰された?」


「ああ。ただし報酬は全額払うと言われた。それどころか、余計に銀貨まで乗せてきた」


 それはギルドの記録には残っていなかった。


「口止め料だったとか?」


「今になって考えりゃ、そうだったのかもしれねえな。当時の俺たちは、途中で仕事が終わったうえに金まで余計にもらえたんだから、むしろ喜んでたよ。俺も今ほど慎重じゃなかったし、面倒がなくなって金が増えるなら文句なんてなかった」


 ガルドさんは自嘲するように笑った。


「そのあと、商隊がどうしたかは?」


「普通なら知らねえところだ。ただ、その日の夜になって、仲間の一人が財布を落としたことに気づいたんだ。そいつは商隊を離れる直前まで荷物の近くで休んでたから、そこじゃないかって話になった。大した金は入ってなかったが、本人がどうしても取りに戻るって聞かなくてな。仕方ねえから俺ともう一人が付き合った」


 ミレーユさんが少し身を乗り出した。


「商隊に追いついたのですか?」


「追いついたというより、まだ同じ場所にいた。俺たちが離れてから、そこまで時間は経ってなかったからな。ただ、近くまで戻ったところで妙なことに気づいた」


「何があったんです?」


「人が増えてたんだよ。俺たちが護衛してた間、商会の人間は十人もいなかったはずなのに、戻ったときには倍以上になってた。馬も増えてたし、見たことのない連中が荷車の周りに集まっていた」


「別の冒険者ですか?」


「いや、少なくとも俺にはそう見えなかった。新しく来た連中は全員が武装してたし、装備もそれなりに揃ってた。立ち方や動きもそこらの傭兵とは違ったから、たぶん何かしら訓練を受けた連中だ」


 護衛の冒険者を帰した直後に、別の武装集団と合流した。


 それなら最初から、そこから先を冒険者に見られたくなかった可能性がある。


「その連中がどこの人間か分かるものは?」


「そこまでは分からねえ。暗かったし、俺たちも見つかりたくなかったから近づかなかった。ただ、そいつらと一緒に一台だけ立派な箱馬車が来てたのは覚えてる」


「箱馬車?」


「ああ。俺たちが護衛してた荷車とは明らかに違う。貴族か、相当な金持ちが使うようなやつだった」


「紋章は見えませんでした?」


「残念だが、そこまではな」


 さすがに、ここでベルニエ男爵の紋章が出てくるほど都合よくはいかない。そもそも、今の男爵と十年以上前の商隊を、直接つなぐものはまだ見つかっていなかった。


「それで、財布は?」


「諦めた。あの状況で取りに行くほど馬鹿じゃねえよ。遠くから様子を見て、そのまま引き返した」


「そのことをギルドには?」


「報告してねえ。依頼そのものはもう終わってたし、別の護衛と合流しただけだと言われりゃそれまでだからな。それに余計なことに首を突っ込むなって仲間にも言われた」


 それも無理はない。


 当時のガルドさんたちにとっては、多少変わった商隊というだけで、自分たちが犯罪に巻き込まれていると考える理由まではなかったはずだ。


「もう一ついいですか。その商会の荷物が何だったのか、本当に一度も見てない?」


「中身を直接見たことはねえ。ただ、妙に重い箱があったのは覚えてる。四人がかりで運んでたし、動かしたときに金属同士がぶつかる音がしてたから、農具でも入ってるんだろうと思ってた」


 俺はミレーユさんを見る。


 彼女も、昨日の記録にあった農具や調理器具を思い出したようだった。


 ただ、俺にはもう一つ、彼女に話していない情報がある。セラフィナは同じ商会の印がついた箱を王宮の軍用倉庫で見ており、その中には剣や鏃、防具が入っていたという。


「それと、これは今思い出したんだが、一度だけ箱の一つが壊れたことがあった気がする。俺は離れたところにいたから中身までは見えなかったが、商会の連中が妙に慌てて布をかけてな。それを見た仲間が『農具を隠すのに必死だな』って笑ってたのは覚えてるよ」


 当時なら冗談で済んだ話でも、今になって聞けば意味が違ってくる。


「その商隊を担当してた商会の人間で、今でも覚えてる人っています?」


「顔だけなら何人か思い出せるかもしれねえが、名前までとなると一人だけだな。毎回ついてきてた商会側の責任者だ」


 ガルドさんは少し考え、机の上を指で二度叩いてから顔を上げた。


「ダリオ・フェルナー。そうだ、フェルナーって呼ばれてた。契約を途中で終わらせるときも、あいつが話をしたんだ」


 ミレーユさんがすぐ紙へ名前を書き留め、依頼主側の責任者を記した欄と見比べた。


「記録にある名前と一致します」


「この人物について、ギルドの記録で調べられますか?」


「商人ですから、冒険者ギルドだけでは詳しいところまでは難しいと思います。ただ、依頼主側の責任者として何度も記録に残っていますので、当時の連絡先くらいなら分かるかもしれません。調査に必要な確認として、上司にも相談してみます」


「お願いします」


 話を聞けたのはそこまでかと思い、俺が礼を言って席を立とうとすると、それまで昔話でもするような調子だったガルドさんが、不意に真面目な顔で俺を呼び止めた。


「兄ちゃん。何を調べてるのか知らねえが、あの商会のことなら気をつけろよ」


「どうしてです?」


「あの最後の依頼から半年くらいあとだったかな。仲間の一人が妙なことを言ってたんだ。俺たちが護衛してた商会は、アルセニアが滅びる少し前に潰れたって話だったのに、別の国で同じ印がついた荷物を見たってな」


「同じ商会が名前を変えて続いてた?」


「さあな。俺もそれ以上は知らねえ。ただ、その話をしてた奴は、それからしばらくして冒険者を辞めた。故郷へ帰ると言ってたが、それきり会ってねえ」


 冒険者が仕事を辞めること自体は珍しくないだろうし、それだけで事件と結びつけることはできない。


 それでも、十年以上経った今もガルドさんが覚えているということは、当時から何か引っかかるものがあったのだろう。


「ありがとうございます。十分参考になりました」


「深入りしすぎんなよ。昔の話だからって、全部終わってるとは限らねえからな」


 そう言ったガルドさんにもう一度礼を言い、俺たちはテーブルを離れた。


 * * *


 市場へ戻るころには営業は終わっており、エレオノーラとセラフィナが片づけをしていた。


 俺の姿を見つけたセラフィナは、まず俺を上から下まで確認し、怪我がないと分かると、今度は隣のミレーユさんまで同じように見る。


「大丈夫だって。今日は誰とも戦ってないから」


 安心したように息を吐いたセラフィナは、すぐに紙を取り出して『何が分かった?』と書いた。


「帰ってから話すよ。ちょっと長くなる」


 すると紙を裏返し、今度は大きく『今』と書く。


「まだ片づけ終わってないだろ。先にそっちやれよ」


 それでも聞きたそうにしていたが、エレオノーラから「セラフィナ」と名前を呼ばれただけで、素直に紙を置いて食器へ手を伸ばした。


「……俺が言うより効くな」


 ぼそっと呟くと、セラフィナはこちらを見て、当然だと言わんばかりに一度だけ頷いた。


「そこは否定してくれよ」


 横でミレーユさんが笑っている。


 さっきまで十年以上前の不穏な話をしていたせいか、その笑い声を聞いて少しだけ肩の力が抜けた。


 片づけを終えたあと、屋台を預かり場へ運び、ミレーユさんと別れた。鍋や食器は俺が収納し、二人と一緒に街の外から日本へ戻る。


 * * *


 夕食を済ませてから、俺は二人にガルドさんから聞いた話を説明した。


 最後の護衛依頼では、アルセニア王国の国境へ着く前に商会側から突然契約を打ち切られ、報酬だけでなく余分な銀貨まで渡されたこと。冒険者たちが去ったあと、商隊が別の武装した集団と合流していたこと。そして荷物の中には、動かすと金属同士がぶつかる音のする重い箱があったこと。


 合流した集団の正確な人数は分からない。ガルドさんが覚えているのは、商会の人間だけだったときより、全体の人数が倍以上に増えて見えたということだった。


 俺は、商会側の責任者としてダリオ・フェルナーという名前が出たことも伝えたが、二人ともその名前には覚えがないらしい。


 エレオノーラは静かに聞いていたが、セラフィナは途中から険しい表情になり、話が終わるころには腕を組んで考え込んでいた。


「セラフィナが王宮の倉庫で見た箱と同じものだった可能性はあると思う。ただ、ここで一つ分からないことがある」


 俺はテーブルの上に紙を置き、簡単に商会からアルセニア王国までの流れを書いてみた。


「商会がアルセニア王国へ武器を運んでたとして、なんでわざわざ農具や調理器具だって偽る必要があったんだろうな。王国が正式に買ってたなら、普通に武器として運べばいいはずだろ?」


 エレオノーラもそれが気になったらしく、しばらく考えてから口を開いた。


「王宮が正式に購入していたものではなかったのでしょうか」


「その可能性もあると思う。王国側の誰かが勝手に買ってたのか、商会側に事情があったのか、それとも別の理由なのか。今のところは何とも言えないな」


 そこでセラフィナが紙を引き寄せた。


 何か思い当たることがあるらしく、すぐに文字を書き始めるのではなく、昔の記憶を整理するようにしばらく考えている。やがてゆっくりペンを動かし、『あの商会の箱は、夜に運び込まれることが多かった』と書いた。


 さらに当時の状況を思い出しながら説明してもらうと、近衛として夜間の警備に就いていたころ、例の商会の印がついた荷車を何度か見たことがあるという。普通の食料や備品は昼間に運び込まれることが多かったのに、その商会の荷物だけは夜になってから軍の倉庫へ運ばれることがあり、周囲にいた兵士たちも中身について口外しないよう命じられていたらしい。


「その命令、誰から出てたか分かる?」


 セラフィナは記憶をたどるように目を細めたものの、やがて申し訳なさそうに首を横に振った。自分たち近衛には上官から伝えられただけで、その上官が誰の命令を受けていたのかまでは知らないという。


「だったら、王国側にも事情を知ってる人間がいた可能性は高そうだな」


 単に外国の商人が勝手に武器を密輸していただけなら、王宮の軍用倉庫まで運び込むのは難しい。しかも夜間に搬入され、兵士に口止めまでされていたとなれば、アルセニア王国内部にも協力者がいたと考えるほうが自然だ。


 ただ、それなら別の疑問が出てくる。


「最初は武器や食料を王国へ運んでたのに、滅びる三か月前になって突然止めたんだよな。もし単純に密輸で金を稼いでただけなら、戦争が近づけば武器はもっと必要になるだろうし、むしろ儲かるんじゃないか?」


 セラフィナもそれには答えられず、エレオノーラも考え込んでいた。


 やがて彼女は、少し迷いながら口を開いた。


「……もし、最初から王国を助けるためではなかったとしたら?」


「どういうこと?」


「わたくしにも分かりません。ただ、アルセニアへ武器を運んでいたからといって、その方々がわたくしたちの味方だったとは限らないのではないかと思っただけです」


 その言葉に、俺はすぐには答えられなかった。


 確かにそうだ。


 アルセニア王国へ武器を売っていたからといって、その商会が王国のために動いていたとは限らない。金のためならどちらにも武器を売る商人だっているだろうし、最初から別の目的で王国と取引していた可能性もある。


 そして王国が攻め込まれる直前になって供給を止めた結果、アルセニア軍は武器と食料が不足した。


 それが偶然だったのか、それとも最初から計算されたものだったのかは、今の俺たちには判断できない。


 そこまで話したところで、セラフィナが急に顔を上げた。


 何かを思い出したらしい。


 彼女はすぐにペンを取ったものの、最初の一文字を書いたところで手を止め、しばらく目を閉じて記憶をたどっている。やがて確信が持てたのか、今度は一気に文章を書き上げた。


『最後にあの商会の荷物が来たころ、倉庫の近くで知らない男を見たことがある』


 俺がどんな男だったのか尋ねると、セラフィナは身振りも交えながら、覚えている範囲で説明していった。


 年齢は当時四十歳前後。背はそれほど高くなく、服装は上等だったものの、アルセニアの貴族のような派手さはなかった。商会の責任者らしい男と話していたが、二人の態度を見る限り、その知らない男のほうが明らかに立場が上に見え、周囲には数人の護衛らしき者もいたという。


「その男、アルセニアの人間?」


 セラフィナは首を横に振ったあと、少し迷って紙へ補足した。


 正確には分からない。ただ、近くを通ったときに聞こえた言葉がアルセニアのものではなかったらしい。


「どこの国の言葉だったかは?」


 その質問にはすぐ答えが返ってこなかった。


 セラフィナは紙へ国名を書こうとして一度手を止め、何かを思い出しかけたように眉を寄せる。それでも確信が持てなかったのか、結局何も書かずに首を横に振った。


「十年以上前なんだから、無理に思い出さなくていいよ。それだけ覚えてるだけでも十分だ」


 俺がそう言っても、本人は納得できないようだった。


 近衛騎士として王女を守っていた自分が、当時もっと注意していれば何か分かったのではないかと考えているのかもしれない。


 エレオノーラもそれを察したらしく、セラフィナの手にそっと自分の手を重ねた。


「あなたが気にすることではありません。あのころのわたくしたちは、その商会を疑う理由すら知らなかったのですから」


 セラフィナはしばらくエレオノーラを見つめたあと、ようやく小さく頷いた。


 俺も、そこで一度考えを整理する。


 今まで調べていたのは、ベルニエ男爵と、仲介人が所属していた昔の商会だった。


 ところが、その商会のさらに向こう側に別の人間がいた可能性が出てきた。


 ベルニエ男爵自身がアルセニア王国の滅亡を引き起こしたと考えるのは無理がある。一地方の下級貴族一人で国をどうこうできるとは思えないし、そもそも今のところ、男爵が当時どこまで関わっていたのかさえ分かっていない。


 商会へ指図していたように見えた外国の男と、現在のベルニエ男爵。その二人に何か関係があるのかも、まだ確かめられていなかった。


 もしかすると、ベルニエ男爵もまた、もっと大きな何かの一部にすぎないのかもしれない。


 それでも、現在の事件については男爵が中心にいる。


 ミレーユさんが昔の護衛記録を調べたあと、何度も冒険者ギルドへ現れて彼女へ接触し、記録について探りを入れた。そしてミレーユさんが避けるようになったあと、盗賊による誘拐が起きている。


 今度は市場に現れたエレオノーラについて調べ始めた。


 十年以上前に終わったはずの出来事を、ベルニエ男爵は今でも知られたくないと思っているのではないか。少なくとも、今の出来事だけを調べていては分からない事情がありそうだった。


 ならば、次に調べるべきなのは昔の商会だけではない。


 ベルニエ男爵が現在、誰とつながっているのか。そして、あの商会がなくなったあと、その取引を引き継いだ人間がいるのか。


 ガルドさんが覚えていたダリオ・フェルナーという責任者の名前も、その手がかりの一つになるだろう。


 そこまで分かれば、ようやくアルセニア王国の滅亡へつながる糸の端を掴めるような気がした。


 ただ、その前に明日も店は開くし、俺も仕事をしなければならない。


 エレオノーラとセラフィナにとって、過去を調べることは大切だ。それでも、ようやく手に入れた今の生活まで、過去に飲み込ませる必要はない。


 俺はそう思いながら、テーブルの上に残された商会の印をもう一度見つめた。


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