16 謎、運命のルーレット回して
少し離れた場所では、エレオノーラとセラフィナが営業を終えた屋台の片づけをしている。エレオノーラが会計用の台に置いた食器を布で拭き、それを受け取ったセラフィナが種類ごとに重ねて箱へ収めていく姿は、ここ数日ですっかり見慣れたものになっていた。
今日も店は繁盛したらしい。用意したカレーはほぼ売り切れ、菓子パンを入れていた籠にもほとんど何も残っていない。二人だけで店を任せても問題なさそうだと安心した矢先に、その二人の過去へつながりかねない話が出てきたのだから、どうにも間が悪い。
「その仲介人がアルセニア王国との交易に関わっていたのは、いつごろなんです?」
「詳しい時期までは、わたしも聞いていません。ただ、アルセニア王国が滅びる以前、外国との交易を行っていた商会で働いていた人物だそうです。その商会の取引先の一つに、アルセニア王国があったと」
「なるほど……」
外国との交易をしていた商会なら、アルセニア王国と取引していたこと自体は、それほど不自然ではない。これだけなら偶然で片づけることもできるだろう。
問題は、もう一つの話だった。
「それで、ベルニエ男爵が最近調べてるっていう女性。本当に『顔にひどい火傷の痕があって、最近市場で商売を始めた若い女』なんですよね?」
「はい。名前までは分かっていないようですが……」
ミレーユさんも俺の視線を追うように屋台を見たあと、小さく息を吐いた。
「どう考えても、エレオノーラさんですよね」
「でしょうね」
火傷の痕がある若い女性というだけなら、ほかにもいるかもしれない。しかし、最近になってこの市場で商売を始めたという条件まで加われば、別人だと考えるほうが難しい。
「男爵のこと、前に聞いたときは、単純にミレーユさんへ目をつけてたんだと思ってました」
「わたしもそうでした。何度も受付へ来られて、そのたびに食事や屋敷での仕事へ誘われましたから」
以前ミレーユさんが盗賊にさらわれたとき、その話は聞いている。本人が迷惑に感じるようになり、最後のほうは男爵が来るとほかの受付嬢に対応を代わってもらっていたはずだ。
当時は、相手にされなかったことで無理やりさらわせようとしたのではないかと考えた。だから今回、捕まった盗賊の証言からその男爵へつながったこと自体には、それほど驚きはない。
むしろ気になるのは、その先だった。
「でも、そうなると変ですね」
「何がです?」
「ミレーユさんを誘ってた男が、今度はエレオノーラを探してる。それに、依頼を仲介した人間は、昔アルセニアと取引してた商会にいたんでしょう。口説いてたことだけで考えると、つながりが見えない」
ミレーユさんも屋台のほうへ目を向けてから、ゆっくり頷いた。
「食事に誘われたほかには、どんな話をしてたんです?」
「仕事が終わる時間を聞かれたこともありました。あとは……普通の世間話だったと思いますが」
「今思い返してみて、普通の誘いとはちょっと違ったなって話はありません?」
すぐには答えが返ってこなかった。
ミレーユさんは何度か首を傾げながら記憶をたどっていたが、やがて「あっ」と小さく声を上げた。
「仕事のことは、よく聞かれました」
「仕事?」
「はい。普段はどんな依頼を担当しているのかとか、受付嬢は昔の依頼記録を見ることがあるのかとか……。そのころは会話を続けるために、わたしの仕事に興味があるふりをしているだけだと思っていました」
それだけなら、確かに不自然とまでは言えない。
気になっている女性の仕事について話題を振る男はいくらでもいるだろう。ところが今の状況を知ったうえで聞くと、意味が違って聞こえる。
「昔の依頼記録、か……」
「タケシ様?」
「ミレーユさん。さらわれる少し前に、昔の依頼を調べたりしませんでした?」
俺がそう尋ねると、ミレーユさんは目を見開いた。
「……しました」
「どんな?」
「別の街の冒険者ギルドから照会があったんです。ある商会が過去にどのような護衛依頼を出していたのか確認してほしいという内容でした。ずいぶん古い記録でしたので、資料室から探し出して……」
「それ、いつごろ?」
「さらわれる十日ほど前だったと思います」
俺とミレーユさんは、しばらく黙って顔を見合わせた。
それだけで事件と結びつけるのは早い。
だが、もしベルニエ男爵がミレーユさん自身ではなく、彼女が仕事で何を見たのか知りたくて近づいていたとしたら、これまでの出来事の見え方がかなり変わってくる。
「男爵がしつこくなったのって、その前とあと、どっちです?」
「……少し待ってください」
ミレーユさんは真剣な顔で考え始めた。
「最初にお会いしたのがいつだったか、正確には覚えていません。でも、何度もわたしのところへ来るようになったのは……たぶん、その記録を調べたあとです」
「だったら、確認したほうがいいですね」
「古い護衛依頼を、ですか?」
「はい。特にアルセニア王国に関係するものがないか」
ミレーユさんも同じ結論に至ったらしく、すぐに頷いた。
「ギルドへ戻れば確認できます。以前わたしが調べた記録ですから、どこに保管されているかも分かります」
「じゃあ、お願いします。俺もあとで行きます」
「タケシ様にも見ていただけるよう、上司へ相談します。誘拐事件を調べている衛兵にも、今のお話は伝えておいたほうがよさそうです」
「それと、エレオノーラのことを聞き回ってる人間についても。明日の営業をどうするか、二人と話しておきたいので」
「分かりました。店の場所も含めて伝えます」
俺が礼を言うと、ミレーユさんは少し不思議そうに俺を見た。
「先に二人を家へ送ってくるんですね?」
「はい。さすがに、エレオノーラが調べられてるって分かった以上、何も話さずに置いておくわけにはいかないでしょう」
ミレーユさんは納得したように頷いたものの、その視線は心配そうにエレオノーラへ向けられていた。
彼女は知らない。
ベルニエ男爵の仲介人が関わっていたアルセニア王国と、そこで帳面を閉じているエレオノーラがどういう関係なのかを。
俺が勝手に話していいことではない以上、今はそれでいい。
* * *
屋台の片づけを終えた二人を日本へ連れ帰ると、俺はリビングのテーブルで事情を説明した。
ベルニエ男爵がミレーユさんの誘拐を盗賊へ依頼した可能性が極めて高くなったこと、その仲介人が以前アルセニア王国と交易していた商会に所属していたこと。そして何より、その男爵が今度はエレオノーラらしき女性について調べていることを伝えると、さすがに二人の表情も変わった。
「わたくしのことを……?」
「ああ。名前までは知られてないみたいだけど、『顔にひどい火傷の痕がある若い女で、最近市場で商売を始めた』って聞き回ってるらしい」
エレオノーラは自分の頬へ触れることこそしなかったものの、わずかに目を伏せた。自分の火傷痕が人目を引くことは、本人が誰よりもよく分かっている。最近は客の視線にも少しずつ慣れてきたとはいえ、それを手がかりに何者かが自分を探しているとなれば、意味はまるで違う。
「ベルニエ男爵という名前に覚えは?」
「いいえ。少なくとも、わたくしが王宮にいたころにお会いした記憶はありません」
エレオノーラが答えたので、俺はセラフィナにも視線を向けた。彼女も首を横に振ったが、その顔はすでに近衛騎士だったころを思わせる険しいものに変わっている。
そして、嫌な予感はすぐに当たった。
セラフィナはテーブルの上に置いてあった紙を引き寄せると、迷いなく『明日から姫様は店に出さない』と書き、それを俺とエレオノーラの間へ置いた。さらにエレオノーラを指さしたあと、今いる家の床を何度か指で示す。
「日本に残れって?」
大きく頷くセラフィナに、エレオノーラは困ったような笑みを浮かべた。
「セラフィナ、心配してくれるのは分かりますが、それではお店を始めた意味がなくなってしまいます。まだその方が何を考えているのかも分からないのでしょう?」
当然、セラフィナがそれで引き下がるはずもなく、今度は『分からないから危険』と書き足して紙をこちらへ向けてきた。
言いたいことは分かるし、俺だって危険がないと思っているわけではない。実際にミレーユさんはさらわれているのだから、護衛がいるというだけで安心して店を続けられる話でもなかった。
「明日の店をどうするかは、もう少し調べてから決めよう。少なくとも今夜は二人ともここにいるんだから安全だし、俺はこれからミレーユさんと冒険者ギルドの記録を確認してくる。衛兵にも市場で聞き回ってる連中の話を伝えてもらうよう頼んであるから、その返事も聞いてくるよ」
そう説明した途端、セラフィナが椅子から立ち上がった。
何も言えないはずなのに、その勢いだけで「自分も行く」と言っているのが分かる。
「セラフィナはここにいてくれ」
俺が先回りして言うと、案の定、彼女は眉を吊り上げた。すぐに自分を指さし、続いて俺を指さしてから腰の剣を抜くような仕草をする。
「護衛してくれるのはありがたいけど、今日は冒険者ギルドへ書類を見に行くだけだ。それに、ミレーユさんは二人の本当の身分を知らないんだから、アルセニア王国の話が出た途端にセラフィナまで真剣に調べ始めたら、さすがに不自然だろ」
それを聞くとセラフィナも反論できなくなったらしく、しばらく俺を睨んでいたものの、やがて諦めたように椅子へ腰を下ろした。
ただし、納得したわけではない。
紙を引き寄せると、『危険を感じたら逃げる』『一人で男爵の屋敷へ行かない』『仲介人を見つけても追わない』と立て続けに書き、その一つ一つを指で叩きながら俺に確認させてくる。最初の二つまでは素直に頷いていた俺も、三つ目まで来たところでさすがに苦笑してしまった。
「分かったって。今日は本当に記録を見るだけだよ。というか、お前は俺の母ちゃんか」
その言葉にセラフィナは一瞬きょとんとしたが、すぐに紙の余白へ何かを書き足した。
『姫様の護衛なので、あなたの母ではない』
「そこを真面目に否定してるんじゃないんだよ」
エレオノーラが耐えきれなくなったように笑い、セラフィナは何がおかしいのか分からないという顔をする。声が出ないぶん静かなはずなのに、こういうときのセラフィナは三人の中で一番うるさい。
「とにかく、行ってくる。何か分かったら、戻ってから二人にも話すよ」
そう言って立ち上がると、セラフィナがまた俺の服を引いた。
まだ何かあるのかと思って振り返ると、今度はさっきまでとは違い、紙には短く一言だけ書かれていた。
『必ず帰る』
その顔を見る限り、今度は冗談ではなかった。
「ああ。ちゃんと帰ってくるよ」
俺が答えると、セラフィナはようやく服から手を離した。
* * *
異世界へ戻って冒険者ギルドへ向かうと、いつもの受付にミレーユさんの姿はなかった。ほかの受付嬢に名前を伝えると、話は通っていたらしく、奥の資料室へ案内してもらえた。
ミレーユさんはすでに棚から何冊もの記録簿を引っ張り出し、机の上へ並べているところだった。
「タケシ様、見つかりました」
「早かったですね」
「以前一度調べた記録ですから、大体の場所は覚えていました。こちらです」
彼女は俺が腰を下ろす前に、閲覧の範囲についても説明してくれた。
「上司から、誘拐事件の調査に協力してくださっている方として、今回の商会に関する記録を一緒に確認してよいと許可をいただきました。ただし、関係のない依頼や個人の情報はお見せできません。記録簿を外へ持ち出すこともできませんので」
「分かりました。必要なところだけで大丈夫です」
開かれた記録には、依頼を出した商会の名前、護衛する荷物、目的地、必要人数、報酬などが細かく記されている。
「この商会が、例の仲介人が働いていたところ?」
「はい。間違いありません」
「前にミレーユさんが調べたのも?」
「この商会です」
そこで、事件とのつながりが一段濃くなった。
ミレーユさんが誘拐される十日ほど前に調べた商会と、盗賊へ誘拐を伝えた仲介人がかつて勤めていた商会が同じだったのだ。
「依頼の内容は、ほとんど商隊の護衛ですね」
ミレーユさんが記録をめくりながら説明してくれる。
「目的地は……アルセニア王国が多いですね。荷物は穀物、油、布、それから農具や調理器具などの金属製品となっています」
「一見すると普通ですね」
「はい。ただ、改めて確認すると、少し気になるところがあります」
ミレーユさんは同じ時期の護衛依頼から、荷車の数と護衛人数、報酬だけを紙へ書き出した。依頼主や参加者の名前は伏せ、比較に必要な数字だけを並べていく。
「別の商会では、荷車八台に対して護衛が六人です。ところが、例の商会は荷車五台しかないのに、護衛を十五人も雇っています。それも、一定以上の戦闘経験を持つ冒険者という条件まで付けて」
「荷物の量に対して、ずいぶん多いな……」
何件か続けて確認したが、同じ傾向だった。
荷車四台で十二人、六台で十六人。ほかの商会と比べても明らかに護衛の人数が多く、そのうえ一人あたりの報酬まで高い。
最近得た《暗算》のおかげで数字を見比べるのは以前よりずっと楽になっており、細かく書いて計算しなくても相場との差がすぐに分かる。
「これ、一人あたりの報酬も普通より五割くらい高くないですか?」
「……本当ですね」
ミレーユさんも記録と書き出した数字を見比べて驚いた。
「昔はアルセニア方面の治安が悪かったとか?」
「多少の危険はあったと思いますが、それなら同じ道を使っているほかの商会も護衛を増やしているはずです」
「ですよね」
さらに記録を確認していくと、今度は経路にも違いが見つかった。
通常の商隊は大きな街道を通り、いくつかの街と関所を経由してアルセニア王国へ向かっている。それに対して例の商会は、途中からわざわざ街道を外れ、小さな村しかない遠回りの道を選んでいた。
俺が地名だけでは位置関係をつかめずにいると、ミレーユさんが棚から周辺の古い地図を持ってきて広げてくれた。記録にある地名を一つずつ確かめ、二つの経路を指でたどってみる。
《地図》を意識すると、今見た街や村の位置関係を頭の中で整理しやすくなった。知らない道が勝手に分かるわけではないが、紙に描かれた街道と迂回路を比べるだけなら十分だった。
「こっちの道、近道じゃないですよね?」
「はい。むしろ一日近く余計にかかると思います」
「なのに、毎回こっちを使ってる?」
「そうなっていますね」
二人で確認してみると、遠回りする理由はますます分からない。ただ、一つだけ大きな違いがあった。
「この道……関所が一つ少ないですね」
ミレーユさんの指が地図の上で止まった。
「荷物をあまり調べられたくなかった、とか?」
「可能性はあります。ただ、それだけで不正な取引だったと決めつけることはできません」
「もちろん。ただ、怪しくはなってきたな」
俺はもう一度、依頼内容に書かれている荷物へ目を落とした。
穀物、油、布、農具、調理器具。
どれも普通の商品だ。
それなのに、通常よりはるかに多い護衛を高い報酬で雇い、わざわざ遠回りして関所の少ない道を通る。
「この依頼、いつまで続いてるんです?」
「確認してみます」
ミレーユさんが古い記録を順番にめくっていくと、同じような依頼が何年か続いたあと、ある時期を境に突然なくなっていた。
「これが最後です」
「アルセニア王国が滅びるどのくらい前?」
「三か月ほど前ですね」
俺は思わず記録を見直した。
またアルセニア王国だ。
「最後の依頼だけ、何か変わったところは?」
二人で記録を確認すると、依頼結果の欄に短い追記があった。
「途中で護衛契約を終了……?」
ミレーユさんが読み上げる。
「目的地に着く前に?」
「はい。国境より少し手前で商会側から契約を終了され、冒険者たちはそこで引き返したようです」
「護衛が必要だから十五人も雇ったのに、一番大事そうな国境の手前で全員帰した?」
「記録上は、そうなっています」
おかしな話だった。
少なくとも、この依頼へ参加した冒険者たちは、そこから先の輸送に同行していない。荷物が実際にどこまで運ばれたのか、冒険者ギルドの記録では確認できなかった。
「このときの冒険者、まだ生きてます?」
「十年以上前ですから、引退された方や亡くなった方も多いですが……」
参加者名簿を確認していたミレーユさんの指が、一人の名前で止まった。
「この方なら、まだ現役です。この街を拠点にしています」
「話を聞けそうですか?」
「ギルドへ来たときにお願いしてみます。ただ、次にいつ来るかまでは分かりません」
「それでも十分です」
そこまで確認したところで、俺は改めてミレーユさんへ尋ねた。
「男爵がしつこく声をかけてきたとき、こういう古い依頼について何か聞かれたこと、本当にありません?」
今度は材料がある。
ミレーユさんも過去の会話を一つずつ思い返しているようだった。
「直接、この商会の名前を出されたことはありません。でも……一度だけ、『昔の依頼を調べる仕事は面白いですか』と聞かれたことがあります」
「それ、記録を調べたあと?」
「はい。たしか数日後です」
「そのときは何て?」
「面白いかどうかではなく仕事ですから、と答えました。そのあと、何か珍しい依頼でも見つけたのかと聞かれたので、ギルドの記録について外部の方には話せませんと……」
そこでミレーユさんの言葉が止まった。
「……あの方、わたしを口説いていたわけではなかったのでしょうか」
「少なくとも、それだけじゃなかった可能性はありそうですね」
最初は世間話を装って近づき、ミレーユさんが何を調べたのか探る。しかし本人に警戒され、ほかの受付嬢へ対応を代わられるようになったことで、直接話を聞くことが難しくなった。
そして、その後に誘拐が起きた。
「盗賊には、殺せじゃなくて、さらえって依頼だったんですよね」
「そう聞いています」
「だったら……何を知ってるのか聞き出すつもりだったのかもしれない」
ミレーユさんは黙って記録へ目を落とした。
もちろん、まだ推測にすぎない。
ベルニエ男爵が本当にミレーユさんへ好意を持っていた可能性だって否定はできないし、この護衛依頼と誘拐が直接つながっている証拠もない。
それでも、これまで別々に見えていた出来事が、少しずつ同じ方向を向き始めていた。
「この商会の名前と印、それから運んでいた荷物を書いてもらえます?」
「二人にも見せるのですか?」
「はい。二人ともいろいろあったみたいだから、昔どこかで見たことがあるかもしれない」
嘘ではない。
ただ、どこで見た可能性があるのかまでは言わなかった。
ミレーユさんは上司へ確認してから、商会の名前と印、申告されていた品目だけを一枚の紙へ写してくれた。冒険者たちの名前や詳しい報酬は含めず、関係者へ見覚えを尋ねるために使うこと、ほかへ広めないことを確かめてから俺へ渡す。
「それと、市場の件も衛兵へ伝えました。明日から巡回の際に、お店の区画へも立ち寄ってくださるそうです。聞き回っている者についても、引き続き確認するとのことでした」
「助かります」
「ギルドでも、エレオノーラさんとセラフィナさんから助けを求められたら、すぐ衛兵へつなぐよう職員に伝えてあります。何かあったときは、店の道具を守ろうとせず、お二人でこちらへ来てください」
俺は頷き、その話も二人へ伝えると約束して、紙を折り畳んだ。
* * *
日本へ戻ったときには、二人ともまだリビングにいた。
エレオノーラは今日の売上帳を見直しており、セラフィナはテーブルに肘をつきながら時計を気にしていたらしい。俺が部屋へ入った瞬間に立ち上がると、まっすぐこちらへ近づいてきた。
「ただいま。ちゃんと帰ってきたぞ」
そう言ったのに、セラフィナは返事代わりに俺の腕を取り、怪我がないか確かめるように肩から手首まで眺めた。それだけでは足りないのか背中まで確認しようとするので、さすがに俺も苦笑する。
「だから書類を見に行っただけだって。男爵の屋敷にも行ってないし、仲介人を追いかけてもない。お前に言われたことは全部守ったよ」
それを聞いてようやく手を離したものの、セラフィナはまだ不満そうで、テーブルへ戻るなり紙に『遅い』と書いてこちらへ向けた。
「二時間くらいだろ」
すると『遅い』の下へ線を二本も引かれた。
「強調しても二時間は二時間だからな」
さらに三本目を引こうとするので、エレオノーラが笑いながら止める。
「セラフィナ、そのくらいにしてあげなさい。タケシ様もお疲れでしょう」
助かったと思って椅子へ座ると、セラフィナはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、エレオノーラに促されてようやく自分の席へ戻った。
声が出ないから静かなはずなのに、やはりこの家で一番騒がしいのはセラフィナなのかもしれない。
「それでタケシ様、何か分かったのですか?」
「ああ。ちょっと二人にも確認したいことがある」
俺はミレーユさんに書いてもらった紙をテーブルへ広げ、商会の名前と印を二人に見せた。
エレオノーラはしばらく眺めていたものの、やがて申し訳なさそうに首を横に振る。
「わたくしには覚えがありません。王宮へ出入りしていた大きな商会なら、いくつか名前を存じておりますが……」
「まあ、全部の商会を王女が知ってるわけないよな」
ところが、隣に座るセラフィナは違った。
紙を手に取ったまま商会の印をじっと見つめている。やがて眉間に皺を寄せると、俺からペンを借り、少し迷いながら『見たことがある』と書いた。
「どこで?」
セラフィナはすぐには答えず、昔の記憶を探るようにしばらく考え込んだあと、『王宮』と書き、その下に『兵の倉庫』と付け加えた。
「兵士が使う物を置いてた倉庫?」
俺が確認すると、セラフィナは頷く。
「わたくしは覚えていません」
エレオノーラが不思議そうに言うと、セラフィナは当然だという顔で『姫様が行く場所ではない』と書き足した。
「そりゃそうか。王女様が軍の倉庫をうろうろすることはないよな」
エレオノーラは少し恥ずかしそうに笑ったが、セラフィナはまだ紙から目を離していなかった。
「この印がついた荷物、中身まで覚えてる?」
俺が尋ねると、セラフィナは少しずつ記憶を確かめるように、『剣』『鏃』『防具』と書いていった。
そこで俺は、ギルドの記録に書かれていた内容を思い出した。
「おかしいな。冒険者ギルドに残ってた護衛依頼では、この商会が運んでた金属製品は農具とか調理器具ってことになってたぞ」
エレオノーラの表情が変わる。
「では、実際には武器を運んでいたということでしょうか?」
「まだ断定はできない。でも、同じ商会の印がついた箱に剣や鏃が入ってたなら、その可能性はあるだろうな」
さらに俺が、ほかの荷物として穀物、油、布も記録されていたと伝えると、セラフィナはすぐに頷いた。どれも同じ商会から軍の倉庫へ運び込まれていた覚えがあるらしく、食料や油は兵士たちが使い、布も装備の補修などに回されていたという。
表向きは民間の交易品として運びながら、実際には軍へ納めていた。
それ自体にどんな意味があったのかは、まだ分からない。国が正式な記録に残したくない形で物資を買っていた可能性だってあるし、商会側だけが荷物の内容を偽っていた可能性もある。
「この商会から荷物が来なくなった時期って覚えてる?」
俺が聞くと、セラフィナはかなり長いこと考え込んだ。紙へ何かを書きかけては消し、エレオノーラに当時の出来事を確認しながら記憶を整理していく。やがて指を三本立てたので、俺が「三年?」と尋ねると首を振り、「三か月くらい?」と聞き直したところで頷いた。
「王国が滅びる三か月くらい前に、来なくなった?」
今度ははっきりと頷いた。
冒険者ギルドに残っていた最後の護衛依頼と、ほぼ同じ時期だった。
俺がそのことを伝えると、エレオノーラも驚いたようにセラフィナを見る。セラフィナ自身も偶然とは思えなかったらしく、さらに記憶をたどったあと、荷物が来なくなってから軍では物資が不足し始め、特に食料と矢が足りなくなったと書いた。新しい矢が入ってこないため、訓練で使ったものまで拾い集め、傷んでいないものを選んで再利用したこともあったらしい。
「……わたくしも、少しだけ覚えています」
それまで紙を見つめていたエレオノーラが、ぽつりと言った。
「王国が攻め込まれる少し前、父上や兄上たちが何度も会議を開いていました。わたくしたちには詳しいことを話していただけませんでしたが、一度だけ、食料と武器の備蓄が予定より少ないという話を耳にしたことがあります」
「それが、この商会からの荷物が止まったあとだった可能性があるわけか」
「はい。今になって考えれば、時期は近かったように思います」
俺は椅子の背にもたれ、ここまでに分かったことを頭の中で整理した。
ベルニエ男爵は、ミレーユさんが古い護衛依頼を調べたあと、冒険者ギルドへ何度も現れて彼女へ接触している。表向きは気のあるような態度を取りながら、昔の依頼記録についても探りを入れていた。やがてミレーユさんが嫌がってほかの受付嬢に対応を代わってもらうようになり、その後、盗賊による誘拐が起きた。
そして、ミレーユさんが調べていたのは、ベルニエ男爵と盗賊の間に入った仲介人が昔所属していた商会の護衛記録だった。
その商会はアルセニア王国へ大量の物資を運んでおり、普通の商隊としては不自然なほど多くの護衛を高額で雇い、関所の少ない道を選んでいた。記録上は農具や調理器具となっていた荷物の中には、実際には剣や鏃などの武器が含まれていた可能性が高い。
さらに、王国が滅びる三か月ほど前に、その輸送は突然途絶えている。
まだ分からないことのほうが多い。
だが、ミレーユさんの誘拐とアルセニア王国の滅亡が、まったく無関係だとはもう思えなかった。
「明日、店は休みましょう」
エレオノーラの言葉に、俺は顔を上げた。
「怖い?」
「……怖くないと言えば嘘になります。でも、それだけではありません。もしこの件が本当にアルセニア王国と関係しているのであれば、わたくしも――」
そこまで言ったところで、俺は二人に、衛兵とギルドへ相談した結果を伝えた。
明日は市場の巡回で屋台へ立ち寄ってもらえること。怪しい者に声をかけられたり、追われたりした場合は店を閉め、二人で冒険者ギルドへ避難すること。ギルドでは職員が事情を把握しており、ミレーユさんがいなくても衛兵へつないでもらえることを、一つずつ説明する。
「それで絶対に安全だとは言えないけど、二人だけで何とかしろって話にはしない。明日の朝は俺も巡回の衛兵に会って、夕方には必ず迎えに来る。何か変わったことがあれば、その日は営業をやめて、ギルドで待っていてくれ」
セラフィナは腕を組んで聞いていたが、巡回してもらえることと、逃げ込む先があることを確かめると、紙を引き寄せた。少し考えてから、大きく『店は開ける』と書く。
「え?」
今度はエレオノーラが驚く番だった。
「お前、さっきはエレオノーラを店に出さないって言ってなかった?」
セラフィナは一瞬固まったものの、すぐに紙を裏返して先ほどの発言そのものをなかったことにしようとした。
「いや、裏返しても覚えてるからな」
俺が笑うと、セラフィナは少し気まずそうな顔をしながら新しい紙を引き寄せた。
そこからは筆談だけでは追いつかないと思ったのか、まずエレオノーラを指さし、次に自分を指さす。そのあと屋台で鍋をかき混ぜる仕草をし、最後に硬貨を数えるように指を動かした。
「……店を続けて、治療費を稼ぐ?」
頷く。
さらにセラフィナは自分の胸を叩いてから剣を抜く仕草をし、エレオノーラの前へ立つ。
「護衛は自分がするって?」
今度は得意そうに頷いた。
ただ、そのあと紙へ『危険なら、店を捨ててギルドへ行く』と書き足したので、無理をして戦うつもりではないらしい。俺がいないあいだの逃げ方まで考えたうえで、営業を続けたいということだった。
「最初からそう言えばいいのに」
セラフィナはむっとした顔で俺を見る。
「いや、喋れないのは分かってる。ごめんごめん」
謝りながら笑ってしまうと、セラフィナは俺を軽く睨んだあと、紙へ何かを書いてこちらへ突きつけた。
『タケシも働く』
「なんで俺まで怒られてるんだよ。明日は普通にタクシーの仕事するよ。店の準備と巡回を確認したら、日本へ戻るからな」
するとセラフィナは満足したらしく、今度はエレオノーラのほうへ紙を向け、その下に『姫様も働く』と書き足した。
エレオノーラはそれを見つめていたが、やがて小さく笑った。
「そうですね。わたくしたちは、そのためにお店を始めたのでした。調べていただくあいだ、わたくしたちもできることを続けましょう」
過去のことが気にならないはずはない。
滅びた国に何があったのか、自分たちが知らなかったところで何が行われていたのか、それを知りたい気持ちは二人とも強いだろう。
それでも、今の二人には今の生活がある。
エレオノーラの火傷を治療するには、これからも何度も病院へ通わなければならない。セラフィナの喉だって、医者からは何度か手術が必要になる可能性があると言われている。
だから店を始めた。
過去を調べるために、今を全部止める必要はない。ただし、危険があると分かったなら、そのときは迷わず止める。その線だけは、三人でもう一度確かめた。
「じゃあ、明日も店は開ける。ただし、エレオノーラのことを探ってくる人間がいたら、無理に相手をしないこと。二人でギルドへ行って、職員かミレーユさんに知らせる。俺への報告は迎えに来たときでいいから、先に安全な場所へ移動してくれ。店にいなければ、ギルドへ迎えに行く」
二人が頷いたので、最後にセラフィナへ念を押した。
「それと、怪しいからっていきなり斬るなよ」
最後の一言を付け加えると、セラフィナは露骨に不満そうな顔をした。
そして少し考えてから、
『どこまでなら斬っていい?』
と書いた。
「一ミリも斬るな」
今度は、
『峰打ち』
と書く。
「剣の形からして普通に痛いだろ」
『鞘』
「それも駄目」
セラフィナは腕を組み、ずいぶん難しい問題を出されたような顔で考え始めた。
「なんでそこまで殴りたいんだよ。襲われたときにエレオノーラを守るのは別だけど、怪しいってだけで先に手を出すなって話だからな」
俺が呆れると、エレオノーラが隣でくすくす笑っている。
しばらくしてセラフィナは何か思いついたように顔を上げ、紙へ一言だけ書いた。
『威圧』
「……まあ、それくらいなら」
俺が許可すると、満足そうに頷く。
「セラフィナ、あまりお客様を怖がらせてはいけませんよ」
エレオノーラに注意されると、今度は少しだけ不満そうな顔をしたものの、最終的には素直に頷いた。
さっきまでアルセニア王国の滅亡に関わるかもしれない話をしていたのに、気がつけば明日の店をどうするかという話に戻っている。
でも、それでいいのだと思う。
ベルニエ男爵が何を隠しているのかは調べる。
ミレーユさんをさらわせた理由も、エレオノーラを探している理由も突き止める。
ただ、そのために二人の生活まで相手に奪わせるつもりはない。
俺はテーブルに置かれた紙をもう一度見た。
例の商会が最後に出した護衛依頼へ参加した冒険者の一人が、今もこの街で活動している。
十年以上前、十五人もの護衛を連れてアルセニア王国へ向かいながら、国境の手前で突然契約を打ち切られた商隊。
そのとき、何があったのか。
そして、護衛を帰したあと、その荷物はどこへ運ばれたのか。次に調べるべきことは、もう決まっていた。
タイトルに深い意味はありません




