12 まさかの三連続病院回!
耳鼻咽喉科から家へ戻るころには、日が暮れていた。
服や靴を買い、食事をして、皮膚科と耳鼻咽喉科を回ったのだから、さすがに俺も疲れた。二人も、身体以上に頭が疲れているようだった。
「今日は、家にあるもので簡単に済ませよう」
「わたくしは何でも構いません」
セラフィナも頷いたが、台所へ立つ俺を見て、少し手伝うと身振りで申し出た。野菜を切るところだけ頼み、ご飯と味噌汁、肉と野菜の炒め物を用意する。
三人で食べ始めると、自然と今日の検査が話題になった。
「あのカメラ、相当嫌だったんだな」
セラフィナは箸を置き、自分の鼻を指さした。それから両手を大きく広げ、どれほど恐ろしいものが入ってきたか訴える。
「そんなに太くなかっただろ」
激しく首を振られた。
「見てたから。そこまで大きかったら、そもそも鼻に入らないって」
エレオノーラが笑いを堪えていた。
「変わりませんね、セラフィナは。話すときも、いつも身振りが大きくて」
「本当は、かなり喋るんだっけ?」
「かなり、という程度ではございません」
セラフィナが慌てて手を振ったが、エレオノーラは真剣な顔で続けた。
「朝、わたくしを起こしに来るところから始まります。『姫様、おはようございます。本日はよいお天気ですよ。ですが午後から雲が出るそうです。ところで昨日のスープなのですが』という具合に、まだわたくしが半分眠っていても、お構いなしです」
「朝一番から、それ?」
「着替えの間も、廊下を歩いている間もです。訓練から戻れば、相手の踏み込みや剣の癖について話していたかと思うと、次には厨房の新しい焼き菓子の話をしています」
「夜になれば、静かになる?」
「わたくしが眠るまで喋っています」
「一日中じゃん」
「一日中です」
二人でセラフィナを見ると、本人は少し気まずそうに目を逸らした。
「自覚はあるんだな」
耳が赤くなった。
「一度、本を読んでいる横でずっと話していましたので、少し静かにしてほしいとお願いしたことがあります」
「それで、静かになった?」
「三分ほどは」
俺は箸を止めた。
「そのあと、紙に何か書き始めたので、ようやく静かになったと思ったのですが……『姫様、これならお話ししてもよろしいですか』と、話したいことを書いた紙を見せてきました」
「喋る許可を、筆談で取りに来たの?」
「はい」
たまらず笑うと、セラフィナは顔を真っ赤にし、エレオノーラへ両手を振った。これ以上話すな、ということらしい。
「まだございますよ。食事のときも――」
口を塞ごうとするセラフィナから顔を離し、エレオノーラが笑った。
だが、笑いが落ち着いたあと、その表情が少し寂しそうになった。
「以前は、もう少し静かにしてくれればと思うこともありました。けれど、聞こえなくなってしまうと……あれほど寂しいとは思いませんでした」
セラフィナの手が止まった。
「また聞けるのでしたら、朝から晩まででも構いません。あなたの声を、もう一度聞きたいです」
彼女はしばらくエレオノーラを見つめ、照れ隠しのように腕を軽く叩いた。
「照れてる?」
俺が聞くと、なぜか俺の腕まで叩かれた。
「俺は関係ないだろ」
三人で笑い、また食事へ戻った。
いつか、この身振りのすべてに言葉がつくのだろうか。その日を想像すると、少し楽しみだった。
* * *
翌日、予約しておいた形成外科を受診した。
今回診てもらうのは、エレオノーラだ。自費診療について確認し、昨日の診察で聞いたことや、腕と脚の動かしにくさを伝えた。
身体の傷痕も確かめる必要があると言われたので、俺は本人に確認し、着替えを伴う診察の間は外で待った。セラフィナも、付き添いが必要なとき以外は俺と待合へ出た。
呼び戻されると、着替えを終えたエレオノーラが座っていた。膝の上で重ねた手に、少し力が入っている。
「かなり広い範囲に、火傷の傷痕が残っていますね」
医師は、顔だけでなく、腕や脚、背中の状態も説明した。
「特に関節の近くでは、皮膚が引きつれて動きを妨げています。見た目の問題と、動かしやすさの問題を分けて、治療を考えたほうがよいと思います」
「全部、元に戻せますか?」
俺が尋ねると、医師は慎重に答えた。
「火傷を負う前と、まったく同じ皮膚にすることは難しいです。ただ、引きつれを和らげたり、傷痕を目立ちにくくしたりする治療を検討できるところはあります」
完全に治るとは言われなかった。それでも、治療する意味がないという話ではなかった。
「まずは日常生活で困っているところを確かめたいですね。どの動きで痛むか、どこまで腕や脚を動かせるか。必要な検査もして、優先順位を考えましょう」
エレオノーラが、袖を上げ、腕を動かしてみせた。途中で引きつれる感覚があるらしく、少し顔をしかめる。
医師はその動きを確かめ、本人へ生活の様子を尋ねていた。
「治療が広い範囲に及ぶ場合、一度ですべて終えることはできません。手術が必要かどうかも含めて、段階的に方針を決めます」
俺はすぐにお願いしようとしたが、エレオノーラに先回りされた。
「タケシ様。費用のことも、お聞きしなければ」
「……そうだったな」
今の診察だけでは総額は出せない。検査の結果、手術の内容、入院の有無や回数によって違うという説明だった。
セラフィナも専門病院で検査を受ける。そこへエレオノーラの治療が加われば、どれほどの金額になるのか、まだわからない。
その日は、今後の検査と相談の予定を確認して帰った。
できることはある。ただ、すぐにすべてが解決するわけではない。
帰り道、エレオノーラは自分の左手を見つめていた。俺が声をかけると、顔を上げ、小さく笑う。
「今より、動かしやすくなるかもしれないのですね」
「うん。顔だけじゃなくて、普段の暮らしを楽にすることから考えよう」
彼女は静かに頷いた。
* * *
その夜、夕食を終えても、俺たちはテーブルを囲んでいた。
「二人の治療となると、まとまった金が必要になる。まだ総額はわからないけど、俺の貯金だけで全部済ませるつもりだと、生活や仕事の維持が厳しくなるかもしれない」
エレオノーラが申し訳なさそうにした。
「それでしたら、わたくしは後回しでも――」
「その相談をしたいんじゃないよ。必要な治療を受けられるように、どうやって稼ぐか考えよう」
セラフィナが自分を指さし、働くような仕草をした。
「もちろん、二人にも手伝ってもらいたい。一人より三人でできることを探そう」
まず、俺は本業の個人タクシーを続ける。
《先読み》と《直感》は、客を探すときに役立つ。安全に走れることは、それ以上に大事だ。能力を使えるところで使いながら、普段の経験も合わせて営業する。
ただ、どれだけ客を見つけても、運ぶ時間や休む時間は必要になる。売上を全部治療費へ回すのではなく、生活費や燃料、車の維持費、税金の分は残すつもりだった。
「タクシーとは、通りを走っていた、馬のいない馬車のようなものですね?」
「だいたい合ってる。人を目的地へ運んで、料金をもらう仕事だよ」
エレオノーラが頷いた。
「二人は、こちらより異世界で仕事をするほうが、今は動きやすいと思う。ただ、魔物と戦って稼ぐのは、当面やめておこう」
セラフィナが少し意外そうにした。
「お前の剣の腕は頼りになる。でも、エレオノーラを守りながら戦うより、安全な仕事を一緒に考えたい。治療のために、新しい怪我を増やすのも嫌だしな」
彼女はエレオノーラを見て、ゆっくり頷いた。
「そこで、商売なんだけど」
俺は、一週間の金策でやったことを二人へ説明した。
日本で仕入れた菓子パンを売ったこと。それだけでなく、カレーという料理も売り、商会や宿からまとめ注文を受けたこと。
「故郷の食べ物が、あちらでは珍しいものになるのですね」
「そう。実際に売れたから、何も知らずに始めるより見通しはある。ただ、毎日同じ数が売れるとは限らないから、少しずつ試そう」
パンは仕入れて運び、カレーは作り方を教える。最初は俺も一緒にやり、二人で回せる段取りを考えるつもりだった。
「エレオノーラは、座って注文や会計を担当するのはどうかな。セラフィナが調理と運搬。仕込みの量も、長時間働かなくて済むところから始めよう」
「計算や帳簿でしたら、お役に立てると思います」
エレオノーラの顔が明るくなった。セラフィナも、腕まくりするような仕草をしている。
「ただ、いきなり売るのは駄目なんだ。前の許可は一日限りだったから。ミレーユさんに、継続して商売するための許可や、場所のことを相談しよう」
彼女はパンもカレーも知っている。売った記録があれば次の申請にも使えると言っていたし、商売の続け方についても話していた。
「そのミレーユ様にも、随分助けていただいたのですね」
「うん。今度、二人を紹介したい」
王族だったことまで明かす必要はない。自由になった仲間として会ってもらえばいい。
セラフィナの担当を決めると、彼女は嬉しそうに胸を張った。
「見たことのない道具があっても、斬るなよ」
すぐ睨まれた。
「テレビを壊した実績があるから、念のため」
エレオノーラが笑い、少し張り詰めていた空気が緩んだ。
* * *
「それと、日本にいる時間に試せそうなこともある。動画を撮って、公開するんだ」
俺はスマホでYouTubeを開き、料理や旅行の動画を見せた。多くの人に見てもらえるようになれば収入につながる場合もあるが、始めたらすぐ金になるわけではないと説明する。
「まずはパンとカレーの商売を軸にして、動画は試してみるくらいかな。二人が日本の料理を覚えたり、初めての食べ物を味わったりするところは、見たい人もいるかもしれない」
「わたくしたちの姿を、大勢の方が見るのですか?」
エレオノーラが、頬の傷へ手を添えた。
俺はスマホを少し下げた。
「顔を映すのが嫌なら、手元だけでもいい。撮ってほしいことと、撮られたくないことを、二人で決めてくれればいいよ」
本人にとっては、長い間背負ってきた傷だ。気にするなと言って済ませられる話ではなかった。
「公開する前には、必ず一緒に見よう。やめたくなったら、やめればいい。治療費のために、無理して出る必要はない」
エレオノーラは考え込んだ。すると、セラフィナが彼女の手を握り、自分とスマホを指さしたあと、二人を交互に示した。
「一緒にやってみようって?」
力強く頷いた。
エレオノーラは彼女を見つめ、少し困ったように笑った。
「あなたは、いつもそうですね。わたくしが迷うと、先に一歩踏み出してしまうのですから」
セラフィナは得意そうに胸を張った。
「わたくしも、まず撮ってみたいです。自分で見て、それから顔を出すか決めてもよろしいですか?」
「もちろん」
俺は頷いた。
当面の方針は決まった。俺は東京で営業し、異世界では三人で食品販売を始める。検査や治療の予定に合わせ、身体に無理のない範囲で進めていく。
動画は、収入を当てにする前に、三人で楽しめるものを試してみる。
「では、最初は何を撮るのでしょう?」
エレオノーラに聞かれ、俺は少し考えた。
「二人が気になる食べ物を選んで、感想を教えてもらうとか。炭酸飲料なんて、飲んだことないだろ?」
セラフィナが首を傾げた。
「口の中で、細かい泡が弾ける飲み物だよ。刺激があるから、最初は少しだけ。嫌なら飲まなくていい」
露骨に怪しむ顔になったので、俺は笑った。
「その顔だけでも、十分おもしろいけどな」
セラフィナが少し椅子を引いた。エレオノーラは笑いながら、彼女の腕へ軽く触れる。
「わたくしも一緒に試しますから。今度は、怖がるかどうか競争にしませんか?」
途端にセラフィナが姿勢を戻した。怖がらないと言いたいのか、勢いよく胸を張る。
「鼻のカメラのときも、その顔だったぞ」
俺の肩が叩かれた。
今は身振りだけだが、声が戻れば、きっと賑やかになる。
「……きっと、セラフィナには口で勝てる気がしないな」
セラフィナは当然だと言うように頷き、エレオノーラが声を上げて笑った。
必要な金額も、治療がどこまでできるかも、まだ決まっていない。それでも、明日やることは見えてきた。
まずはミレーユさんに相談して、商売を始める準備をしよう。
自分でもびっくり病院回三連続。
次回はさすがに違いますよ!
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