11 続けて病院回もどうかと思います
皮膚科を出た俺たちは、近くの耳鼻咽喉科へ向かった。
セラフィナは歩きながら、何度も喉へ手を当てていた。表情は普段と変わらないように見えるが、やはり気になるのだろう。
「喉を調べるから、少し苦しい検査があるかもしれない。無理なら、先生にちゃんと伝えような」
彼女は何を心配しているのかという顔で頷き、得意そうに胸を張った。
さすが元近衛騎士、と思ったのは、そこまでだった。
* * *
受付で自費診療を希望し、必要な記入事項を確認した。セラフィナは声を出せないので、本人の了承を得て俺が説明を手伝う。
喉を火傷したのは、エレオノーラと同じ十年前。それ以来、声はほとんど出ない。飲食はできているが、当時の治療記録はない。
《ヒール》や《キュア》を試したことは、そのまま書けない。治療歴があるが詳細を説明できる記録がないと伝え、現在の症状を中心に記入した。
診察室へ入ると、医師は俺の説明を聞くだけでなく、セラフィナ自身にも質問してくれた。頷きや首振りで答えられるよう確かめ、口の中を診たあと、細い器具を用意する。
「声帯の状態を見たいので、鼻から細いカメラを入れて、喉の奥を確認しましょう」
セラフィナが動きを止めた。
管を見つめ、自分の鼻を指さして俺を見る。
「そう。鼻から入れるんだって」
さっきまでの余裕が、見事に消えた。
「嫌なら、先生に手順をもう一度聞こうか?」
首を振った。だが、視線は内視鏡から離れない。
エレオノーラが、そっと彼女の手へ触れた。
「側におりますから。少しずつ、調べていただきましょう」
医師から処置と検査の説明を受け、セラフィナは覚悟を決めたように椅子へ座り直した。
鼻の中へ処置をしてから、内視鏡が入っていく。彼女は肘掛けを握り、じっと耐えていた。
剣を持つ相手には平然と向き合えそうなのに、今は少し涙目だ。怖いものは人それぞれなんだなと思い、俺は茶化さず、近くで見守った。
モニターに喉の奥が映ったが、素人の俺には、どこがどう傷ついているのかわからない。
「声を出すつもりで、あー、としてみてください」
「……ぁ……っ……」
掠れた息が漏れた。医師は何度か動きを確かめ、画像を記録してから内視鏡を抜いた。
セラフィナが大きく息を吐き、鼻を押さえた。
「よく頑張ったな」
俺が声をかけると、恨めしそうにこちらを見る。
「俺が入れたんじゃないからな」
ようやく冗談を言う余裕も戻ってきたらしい。彼女は不満そうに眉を寄せながら、エレオノーラから渡された紙で目元を拭いた。
* * *
「傷痕と思われる変化が見られますね」
医師は画像を示しながら説明した。
「声を出すには、声帯が動いて、空気を受けて振動する必要があります。火傷のあとに残った傷痕が、その働きを妨げている可能性があります。ただ、今の診察だけで原因のすべてを確定することはできません」
「詳しく調べてもらうことはできますか?」
「喉頭や音声障害を専門に診る病院へ紹介できます。傷痕の範囲や、声帯の動きなどを、さらに調べてもらったほうがよいでしょう」
俺は一番聞きたかったことを尋ねた。
「治る可能性はありますか?」
セラフィナの手が止まった。エレオノーラも真剣な顔で医師を見ている。
「改善できるかどうか、治療を検討する余地はあると思います。ただし、火傷を負う前の声へ必ず戻るとは言えません。まずは詳しい検査が必要です」
絶対に治ると言われたわけではない。
それでも、もう何もできないと決まったわけでもなかった。
「手術になるんでしょうか?」
「検査結果によります。手術や、その後の音声訓練を含めて検討する可能性があります。傷痕の範囲や状態によっては、一度の処置で終わらず、段階的な治療が必要になることもあります」
セラフィナは喉へ手を添えたまま、説明を聞いていた。日本の道具にはあれほど驚いていたのに、この話だけは、一言も聞き逃したくないような顔をしている。
「紹介をお願いします」
俺が答えると、医師は頷き、紹介状を用意すると言った。
そこで、健康保険について改めて確認された。
「全額自己負担での受診なんですよね。専門的な検査や、入院を伴う手術となると、診察だけとは費用が大きく違います。紹介先で方針が決まったら、治療費も確認してください」
「かなり、かかるんでしょうか」
「ここでは見積もれませんが、長い入院や複数回の手術が必要なら、総額が数百万円規模になる可能性もあります。今の段階で、この方がそうなると決まったわけではありません」
数百万円という言葉に、俺は黙った。
エレオノーラが、その反応を見て顔を曇らせた。
「タケシ様。とても高額なのですね」
「安くはないな。でも、まず検査を受けて、できることを確かめよう。まだ総額も決まっていないんだから」
セラフィナも金の話だと察したらしく、不安そうに俺を見て首を振った。
「遠慮するなって言うだけじゃ、気になるよな。それでも、調べる前に諦めるのはやめよう。治療を受けるかどうかは、お前が説明を聞いて決めればいい」
彼女は唇を噛み、目を伏せた。
エレオノーラが、そっとその手を握る。
「セラフィナ。あなたは、もう一度話したいでしょう?」
彼女の動きが止まった。
「わたくしも、あなたの声を聞きたいです。今は、方法があるか確かめてみませんか」
セラフィナはしばらく彼女を見つめ、握られた手をゆっくり握り返した。そして、小さく頷いた。
「……よし。まずは検査だな」
俺が言うと、目元に浮かんだ涙を拭い、今度ははっきりと頷いた。
「声が戻ったら、どれだけ喋るか楽しみだ」
「覚悟しておかれたほうがよいですよ」
エレオノーラが真顔で答えたので、セラフィナは慌てて彼女の肩を揺すった。
こんなやり取りに、いつか声まで加わるのだろうか。
まだ、できると決まったわけではない。それでも、その可能性を想像できるだけで、ここへ来た意味はあった。
* * *
会計を済ませ、紹介状を受け取って外へ出た。
セラフィナは封筒を何度も眺め、それから胸元へ大切そうに抱えた。俺へ向き直り、深く頭を下げる。
「顔を上げてくれ。仲間だって言っただろ」
肩へ軽く触れると、彼女は顔を上げ、何か言おうとした。
「……ぁ……」
今は、掠れた息しか出ない。
「そのうち、ちゃんと聞かせてくれよ。お前の声」
セラフィナは俺を見つめ、嬉しそうに笑った。
帰る途中で形成外科へ電話し、エレオノーラの診察について相談した。翌日の初診枠を案内してもらえたので、必要なものと自費での受診について確認し、予約を取る。
こちらの治療にも、どれだけ費用がかかるかわからない。
「……また、金稼ぎか」
「何かおっしゃいましたか?」
「一週間働いて、ようやく一息つけると思ってたんだけどな」
エレオノーラが申し訳なさそうにしたので、俺は首を振った。
「嫌だって話じゃないよ。今度は三人で、できることを考えよう」
奴隷から解放するためには、金貨十八枚を新たに稼いだ。次は、治療のための金だ。
家へ向かう道を歩きながら、俺は前に売ったパンとカレーのことを思い出していた。




