10 病院の雰囲気や匂いが苦手です
翌朝、リビングへ行くと、エレオノーラとセラフィナはすでに起きていた。
二人とも、昨日買ってきた部屋着を身につけている。ひとまず寝るには足りたが、これから外へ出るなら、靴も含めて本人たちに合うものを揃えたい。
「今日は、二人の服を買いに行こう。そのあと、病院で傷を診てもらう」
エレオノーラが頷き、セラフィナも袖を引っ張って自分の服を確かめた。
「その前に、一つ約束。特にセラフィナ」
彼女が自分を指さしたので、俺は壊れたテレビへ目を向けた。
「知らないものを見ても、攻撃しないこと。剣も置いていく」
途端に不安そうな顔になった。
「日本では、剣を持ったまま街を歩けないんだ。護衛したいのはわかるけど、まず俺に聞いてくれ」
エレオノーラにも説得され、ようやく頷いた。武器を持たずに出かけるのは、騎士にとって相当心細いのだろう。
外へ出るため、二人は昨日受け取った自分たちの服へ着替えた。剣は家に残し、俺たちは近くの衣料品店へ向かった。
* * *
「タケシ様、あれは?」
「車」
「あちらの箱は、何をするものですか?」
「自動販売機。金を入れると飲み物が買える」
家を出た途端、質問が続いた。セラフィナも何か見つけるたび俺の袖を引き、指をさす。
車を目で追い、自動ドアが開くと足を止める。信号が変わって大勢の人が歩き始めれば、今度はその仕組みが気になるらしい。
普段なら十分ほどの道を、倍以上かけて歩いた。
店へ着くと、二人は並んでいる服の多さに圧倒された。
「これが、すべて衣服なのですか?」
「そう。気に入ったのを選んで、サイズが合うか試してみよう」
エレオノーラは困ったように売り場を眺めていた。王女なら服に慣れているかと思ったが、自分で店へ来て既製品を選ぶ経験は、ほとんどなかったらしい。
一方、セラフィナは動きやすそうなシャツとパンツをすぐに見つけた。
「せっかくだから、ほかの服も試してみれば?」
なぜ、と顔に書いてあった。
エレオノーラに勧められ、渋々スカートとワンピースも手に取る。試着すると、普段の騎士らしい格好とは印象が変わり、俺は思わず頷いた。
「二人とも似合ってるよ」
「おかしくございませんか?」
「全然。歩きにくくないか、傷が擦れて痛くないかも確かめてな」
エレオノーラは裾を見下ろし、セラフィナは鏡の前で腕を動かした。服の伸縮性が気に入ったのか、最後には満足そうに頷いている。
何着か決めたあと、俺は下着売り場の手前で足を止めた。
「あとは、二人で店員さんに相談して選んできてくれ。俺はあそこで待ってるから」
「タケシ様は、ご一緒ではないのですか?」
「サイズのこともあるし、店員さんに聞いたほうがいいよ」
昨日、風呂場の声を意識して一人で赤くなったばかりだ。その翌日に下着選びへ付き合うのは、さすがに勘弁してほしい。
エレオノーラも察したらしく、少し照れた顔でセラフィナと売り場へ向かった。
戻ってきた二人は、それぞれ袋を持っていた。親切に相談に乗ってもらえたと言うので、俺は安心して会計を済ませた。
靴も実際に履いて選び、二人とも歩きやすいスニーカーを買った。これで当面の着替えは揃った。
* * *
昼を過ぎたので、近くのファミリーレストランへ入った。
タブレットで注文する仕組みを説明すると、エレオノーラが熱心に画面を見た。
「この板が、厨房へ知らせてくれるのですね。これも、デンキですか?」
「そうだよ」
「……便利なのですね」
写真を見ながら料理を選び、しばらく待っていると、店の奥から電子音がした。
猫の顔をした配膳ロボットが、料理を載せて近づいてくる。
セラフィナが椅子から立ちかけ、反射的に腰へ手を伸ばした。
「待て。あれは料理を運ぶ機械だから」
俺の声で止まったものの、空振りした手を見てから、恨めしそうにこちらを向く。
「剣を置いてきて正解だったな……」
エレオノーラが口元を押さえて笑った。
ロボットがテーブルへ来ても、セラフィナは身体を強張らせている。料理を取って帰らせると、その背中をいつまでも目で追っていた。
「猫だぞ。かわいいだろ?」
即座に首を振られた。
信用ならない日本の魔物が、一種類増えたらしい。
食事は二人とも気に入った。エレオノーラはハンバーグを少しずつ味わい、セラフィナは肉料理を勢いよく平らげる。
ドリンクバーも、一度使い方を教えると、二杯目からは二人で取りに行けた。知らないものを斬る前に確かめるという約束も、今のところ守られている。
* * *
午後は、朝のうちに診療時間を確認しておいた皮膚科へ向かった。
受付では健康保険の確認を求められたが、エレオノーラに日本の保険証やマイナンバーカードがあるはずもない。自費での診察を希望すると、問診票を渡された。
名前、生年月日、住所、連絡先。
俺は住所の欄で手を止めた。
「……ここ、どうすればいいんだ」
受付へ、日本へ来たばかりで今は自分の家に滞在していると説明した。すると、この医院では現在の滞在先と、連絡の取れる番号を記入すればよいと言われた。
住所は俺の家、電話番号は俺の携帯。生年月日は暦が違うので、その場で勝手に日付を作らず、本人の年齢を伝えて受付に確認した。
診察を受けるための記入はできても、日本で長く暮らすための身分や手続きが解決したわけではない。その辺は、別に考える必要がありそうだった。
セラフィナが自分を指さして問診票を示したので、彼女の受診でも同じように受付へ確認すると伝えた。
ほどなくエレオノーラの名前が呼ばれ、了承を得て俺も説明役として診察室へ入った。
「十年ほど前の火傷です。当時の治療については、詳しい記録がありません。身体にも痕があるんですが、まず顔の傷について相談したくて」
医師はエレオノーラにも痛みや痒みを確かめ、傷痕を診ていった。必要なところへ触れる前には声をかけてくれたので、緊張していた彼女も少しずつ落ち着いたようだった。
「先生、これは治せますか?」
俺が尋ねると、医師はすぐには断言しなかった。
「火傷を負う前と、まったく同じ状態へ戻すという意味では、簡単ではありません。ただ、傷痕の状態によっては、見た目や症状を改善する治療を検討できます。熱傷後の瘢痕を扱う形成外科で、詳しく相談されるとよいと思います」
「形成外科ですか」
「はい。傷痕だけでなく、引きつれや動かしにくさも含めて診てもらえます」
病院へ来ればすぐ治るという話ではなかった。わかっていたつもりでも、少し肩が落ちた。
診察室を出たあと、エレオノーラが俺を見上げた。
「そのようなお顔をなさらないでください。簡単に治るとは、わたくしも思っておりません」
「顔に出てた?」
「少しだけ。ですが、こうして方法を探してくださることが、嬉しいのです」
「まだ、終わってないよ。次に相談するところが見つかったんだから」
彼女は静かに頷いた。
会計を済ませ、勧められた形成外科の連絡先を控えた。診察だけの費用は払えたが、今後の治療まで同じように済むとは限らない。
待っていたセラフィナへ説明すると、彼女はエレオノーラの手を握り、少し安心したように息を吐いた。
「次は、お前の番だ」
セラフィナが自分を指さした。
「耳鼻咽喉科で、声が出ない理由を詳しく調べてもらおう」
彼女は喉へ手を当て、少し緊張した顔をした。それでも、俺が歩き出すと、すぐに力強く頷いてついてきた。




