光の聖女と突然の婚約
アザレアがティンタジェル公爵家の一員となってから、4年の歳月が流れた。
孤児院にいた頃の栄養が足りないような痩せた体はどこへやら、アザレアは公爵家の者としての教養や食事を経て、見違えるほど気品のある美しい少女へと成長していた。神殿で行っている聖女の力の訓練も順調で、彼女は国1番の癒し手と言われるまでになっていた。
「アザレア、神官から話は聞いてるよ。やっぱりアザレアはティンタジェル家の、いや、この国の宝だね。」
「ありがとうございます、カステル兄さん」
美しい庭園で、次期当主として立派に成長した兄・カステルが、誇らしげにアザレアの頭を撫でる。平民育ちの自分をいつも気にかけ、やや過保護だが守ってくれるカステルの存在が、アザレアはたまらなく嬉しかった。
そして、後ろの方にある日陰のテラスでは、日傘をさしたメイドを控えさせたリリアが、いつものように可憐な微笑みを浮かべていた。
「毎日のようにお姉様の噂を聞きますわ。お姉様を見るたびに、私の病の苦しさもすうっと引いていくようです。」
「リリィ……!」
アザレアは小走りでテラスへと向かい、リリアの前に屈み込んだ。
驚くべきことに、リリアの体には最近、信じられないような変化が起きていた。
あの日出会った時はメイドの補助なしでは動けなかったはずが、ここ二年ほどで、驚くほど活動的になっていたのだ。
かつての青白い顔には少しだが血色が戻り、最近ではメイドの補助を受けずに自分の足でしっかりと歩いて屋敷を移動するようになっていた。4年前でもすでに美しかったリリアだが、歳を重ねる毎に魅力を増していた。
神殿の神官たちも「聖女様の神聖な光が妹君の病を癒やしているのでしょう」と口々に称賛していた。
「今日も外に出てきて大丈夫? 無理はしちゃダメよ」
「とても天気が良くて、無理を言って出てきてしまいましたわ。本当にお姉様のおかげか最近は体が軽くて仕方がありませんの。お姉様のお顔が見れてよかったですわ。」
首を少し傾げて、はにかむように笑うリリア。その仕草に、アザレアの胸はぎゅっと締め付けられる。なんて良い子なのだろう。私の力がリリィの病を癒やせているなら、神様、私はどんな厳しい訓練にも耐えてみせます。
アザレアは嬉しくなって、リリアの手を取ろうとした。その指先がリリアのドレスの長い袖口に触れた瞬間。
「ーーっ!」
リリアが、短く息を呑んで小さく身を引いた。心なしか顔が一瞬だけ痛みに歪んだように見えた。
「リリィ? どうしたの?」
「……何でもありませんわお姉様。少し疲れてしまっただけで」
リリアはすぐに天使の笑みを浮かべ、引いた手をそっと隠すように後ろに回した。
「リリア、あまり無理をするな。部屋に戻って休みなさい」
いつの間にか近づいてきていたカステルが少し焦ったようにリリアに告げた。その目は、リリアが後ろに回したその袖の先を、まるで痛々しいものを見るかのように見ている。
「はい、カステル兄様。そういたしますわ」
リリアは静かに一礼し、ゆっくりと部屋へ戻っていく。カステルはいつもリリアの体調を誰よりも心配しているから、疲れを心配したのだろう。無垢なアザレアはそう思い込んでいた。
そして、そんな幸福に満ちた日常は、王宮からのひとつの手紙による通達によって一変する。
「――ティンタジェル公爵令嬢リリアとの婚約を白紙とし、新たに、聖女アザレアを第一王太子アダムの婚約者とする」
父から告げられた国の冷酷な決定に、アザレアは頭を殴られたような衝撃を受けた。
次期国王であるアダム・ルミナス殿下。彼とリリアは、幼い頃からの婚約者同士だったはずだ。それが、アザレアが聖女だからという理由だけで、無理やり替えられてしまったのだ。
「そんな……っ、だってリリィは……! アダム殿下をずっと……」
アダム王太子の話をする時のリリアは、いつもの大人しい一面をどこに置いてきたのか、息を吸うことを忘れているのではないかと疑うほど幸せそうに話すのだ。
自分がこの家に来なければ。自分が聖女でなければ、大好きな妹の幸せを奪うことなんてなかったのに。アザレアはただ、自分の存在が、聖女としての自分が妹の運命を狂わせてしまったことを悔やみ涙を流した。
アザレアは血の気の引いた顔のまま、逃げるようにリリアの部屋へと向かい、誠心誠意の言葉で妹に謝ろうとした。
どんなに罵られてもいい。そう覚悟して部屋に入ったアザレアを待っていたのは、いつもの優しいリリアの微笑みだった。
「お姉様、おめでとうございます。アダム殿下はとても聡明で民のことを考える素晴らしいお方ですから、きっとお姉様をお幸せにしてくださいますわ」
「リリィ……怒ってもいいのよ?私、あなたの婚約者を奪ってしまったのだから……」
アザレアが消え入りそうな声で問うと、リリアは困ったように眉を下げて、アザレアの涙を優しく拭った。
「怒るだなんて、そんな滅相もない。お姉様が来たその日から覚悟はしていましたわ。身体の弱かった私には王妃なんて荷が重すぎるお役目でしたもの……。国を照らす光となるお方の隣が、優しいお姉様で本当に良かった……。私、本当に心から祝福しておりますわ」
どこまでも純粋で、姉想いの言葉。
アザレアは堪えきれずに涙をこぼし、「ありがとうリリィ……!」と愛しい妹を強く抱きしめた。
だから、アザレアには何も見えていなかった。
抱きしめられたリリアの体が、一瞬だけビクッと激しく強張ったことも。アザレアの背中に回されたリリアの指先が、彼女の白いドレスの生地を、引きちぎらんばかりの力でぎゅっと握りしめていたことも。
「お姉様。私、お姉様のことが世界で一番大好きです」
耳元で囁かれる妹の声は、どこまでも甘く、愛らしい不思議な魔力を帯びているような安心感を与えてくる。
アザレアはリリアのためにも、立派な聖女になってみせる。その決意の裏で、リリアの部屋の片隅にぽつんと一冊の少し涙の滲んで波打った手記が置いてあることなど、無垢な聖女が知る由もなかった。
次回は明日8月5日の18時に投稿予定です!
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