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第75話 溶けた連中

外縁都市の荷継ぎ場で、三日間の日雇いの仕事に入った。


日当は四千円。港際の街より二百円安い。前払いは一切ない。


身元証明の札は要らなかった。運ばれてくる荷の数を数えるだけの作業に、国家の認証は必要とされないからだ。


作業場の屋根は高く、庇(ひさし)が深く張り出していた。


日の光が差し込むのは入口から三尺ほどで、その先は古びた板張りの薄暗い影になっている。


トラックや配送車輌が入れるのは、この荷継ぎ場までだった。


この先の山道には、車輌へ電力を送るための給電レールが敷かれていないからだ。


北の山あいの集落へ送り出される物資は、すべてここで車輌から下ろされ、頑丈な背負子(しょいこ)と牛の背中へと積み替えられる。


だからこそ、ここを「荷継ぎ場」と呼ぶのだ。



   ◆◆◆



朝の作業のあいだに、私は帳場に積まれていた送り状を三十枚ほど精査した。


読むのは、荷物の品名や数量の中身ではない。


用紙の一番端にある【行き先】の欄と、【経由地】の記入欄の文字だけを丹念に追う。


港の帳場で六年間にわたって叩き込まれてきたのは、まさにこの技術だった。


書かれている文字の意味を漫然と信じるのではなく、整然と並んだ数字や記号の配列の中から、たったひとつだけ法則から外れている異常な不一致を探し出す。


先月ぶんの送り状の控えの綴りも、同じ事務棚に並んでいた。帳場の男は、私がそれをめくっていても咎めようとはしなかった。


先月の綴りでは、北へ向かう経由地の欄に、二つの異なる集落の地名が交互に規則正しく現れていた。


だが——今月の綴りには、片方の地名しか出てこない。


日付を追って先へ見ていくと、もう一方の地名は、きっかり五日前の記録を最後に完全に途絶えていた。


記入欄そのものは、いまも印刷されて残っている。


ただ、その集落を経由して北へ送り出される荷物が、一件も存在しないだけだった。


「……北へ抜ける道は、一本になってしまったんですか」


帳場の初老の男は、手元の算盤を弾く指を止めず、顔も上げずに答えた。


「もともとは二本ありましたよ。ですが……片方は、いま通れません」


「いつから通れなくなったんですか」


「五日前」


日数の数字を口にするときだけ、男の口調が事務的に短くなった。


「理由は、何ですか」


「うちのような末端の荷継ぎ場には、理由を説明する紙なんて回ってきませんよ」


私は、五日前の最後の一口の送り状へとページを戻した。


先月からの記録をはじめから見直すと、その山道を北へ運ばれていった物資は、米や塩、そして家庭用医薬品の箱がほとんどだった。


だが——五日前に通った最後の一口だけが、太い麻縄と、木製の杭と、防水の天幕という、生身の人間が口にしない資材ばかりだった。


「……この最後の一口は、どなたの荷物ですか」


帳場の男が、初めて算盤から顔を上げた。


「役所です」


そして、すぐに視線を帳簿へと落とした。


「役所が運べと言ってきた荷物は、うちの帳場では断れませんからね」



   ◆◆◆



荷継ぎ場の裏手の空き地に、古びた木箱の山がうず高く積まれていた。


土地の老人が一人、地面に腰を下ろし、解体された木箱の板から錆びた釘を一本ずつ丁寧に抜いていた。


抜いた釘は、両膝の間に置いた空き缶の中へ放り込む。


曲がってしまった釘は、平らな石の上で金槌で叩いて真っ直ぐに伸ばしてから缶へ収める。


釘を一本抜いて放り込むたびに、空き缶の底が高い金属音を立てて鳴った。


釘が缶の中に溜まるにつれて、その金属音は次第に鈍く、低く湿った音へと変わっていった。


昼休みの時間、二人の人足がその木箱の陰で煙草を吸いながら、小声で囁き合っていた。


「……地下の連中のところへ行くのは、無駄足にしかならんぞ」


「あの、溶けた連中か」


「ああ。頭が溶けてても、あいつら、抜け道の図面だけはしっかり持ってるからな」



   ◆◆◆



夕暮れ時、仮宿の軒下へ戻ると、明石さんが土壁に背中を預けて座っていた。


由良は、そのすぐ隣で菅笠の顎紐を静かに結び直していた。


手入れされた菅笠だったが、この五日間の山歩きで二つの峠を越える途中で、古い紐が切れてしまっていたのだ。


私は、荷継ぎ場で見つけた送り状の事実を明石さんに伝えた。


「北へ抜ける二本の道のうち、一本が五日前に完全に封鎖されました。最後に運ばれたのは、国家の役所の荷物です」


「……撒いたな」


明石さんは、無事な左手で自らの膝をトンと叩いた。


「あの三週間前の短信の警告通りだ。北の境界域に、非思兼系の工業軍用ダストを増強散布すると来ていた。散布された帯域の道は、完全に通行止めになる」


「通れなくなるのは、荷物だけですか」


「生身の人間も通れん。無理に通ろうとしても、向こうの監視レーダーからはこちらの姿が丸見えになり、だが昊、君の耳には敵の電磁波の音が一切聞こえなくなる」


——私の、耳の死角。


「運ばれた役所の荷物は、太い縄と、杭と、天幕でした」


「検問所の柵を立てるための資材だな」


明石さんの声が、一段と低く沈んだ。


「ダストを散布した境界線の手前に、新たな検問線を張る。……国家が立てる柵というものは、いつだって人間を追い詰めて止めるためのものだ」


「街道を通らない、裏山の抜け道の図面が要りますね」


「表の街道の地図なら、町の市でいくらでも買える」


明石さんは、ゆっくりと首を振った。


「だが……いくら地図を買ったところで、指名手配された俺たちは表の街道を歩くことはできん」



   ◆◆◆



由良が、手入れを終えた菅笠を静かに膝の上に置いた。


そして自らの白い麻の衣の胸元から、一枚の薄い紙の札を取り出した。


「……今朝、町の宿でこの札を出しましたところ、宿の番頭さんに突き返されてしまいました」


「看取りの家の、従事者札ですか」


「はい。次の家へ移りますまでの、預かりの身分でございました」


由良は、木札の裏面を見せた。


裏面は、何の公印も捺されないまま、真っ白な空白のままだった。


「次の家へ、移りませんでしたね」


「はい」


「この札の有効期限は、いつまでだったんですか」


「三日間でございます」


「その三日間は……」


「白い看取りの家を出立いたしました日から数えて、とうに過ぎ去っております」


由良は膝の上に札を置いたまま、じっとその文字を見つめていた。


文字の読めない彼女が、自らの身分を証明していたはずの文字を、ただ静かに見つめ続けていた。


「白い看取りの家におりました頃は……この札をお見せすれば、どこの町の検問でも通していただけました」


「どこの町でも、ですか」


「はい。温かい寝床も、井戸の水も、すべて無償で分けていただけました」


由良は、札を膝の上で真っ直ぐに整えた。



「……私はもう、どこの家の者でもなくなってしまいました」



そう静かに告げると、由良はその札を再び懐の合わせの奥深くへと大切にしまい込んだ。


「……捨てないのですか」


「この紙には、私の名前が書いてあるそうでございますので」


由良は、衣の上から自らの胸元をそっと押さえた。


「火で焼き捨てるには……私には、まだ地上のお名前がございますから」


私は、言葉を探した。


「……僕と、同じになりましたね」


「はい」


由良は、花が咲くように少しだけ微笑んだ。



「……ようございます」



明石さんが、鼻から短く息を吐いた。



   ◆◆◆



「……明石さん。昼間、荷継ぎ場の人足たちが言っていた【溶けた連中】というのは、一体何者なんですか」


私が尋ねると、明石さんは手元の白湯の湯呑みを静かに置いた。


「……産霊派(むすひは)のことだ」


「むすひ……」


「本人たちはそう自称している。だが街の連中は、蔑みと恐れを込めて【溶けた連中】と呼んでいる」


「どんな人たちなんですか」


「生身の人間の頭と頭を、直接ネットワークで繋ぎ合わせる連中だ」


明石さんは、左手の人差し指で自らの首の後ろのうなじを指し示した。


「首筋に通信端子(コネクタ)を埋め込んだ信者たちが、何十人という単位で、一斉に意識を接続する。個々の意識の境界線を完全に溶かし去って、ひとつの巨大な集合意識になる。……まあ、本人たちの教義の上ではな」


「意識を、ひとつに……」


「そうすれば、知能機械による個人の格付け判定も、人間としての孤独も、すべて綺麗に消滅するんだそうだ」


明石さんは指を下ろした。


「政変の動乱のとき、あの【湾岸事変】を引き起こした過激派の前身組織だよ」


「学校の歴史で習いました」


「習っただろうな。『知能機械の通信凍結が三千人を死に至らしめた』という、国家の公式の歴史だ」


「だが……通信が凍結される前に、一体誰がその接続実験を始めたのかという本当の歴史がある」


明石さんは、湯呑みの底で板敷きを二度軽く叩いて鳴らした。


「三千百十七人。あれで、この国は今の形になった。……で、いまは半分だけ非合法だ」


「半分」


「捕まえはする。裁判にはしない」


「なぜですか」


「公判を開けば、誰が始めたかを一から読み上げることになる」


明石さんは、湯呑みを自らの膝の横へと置いた。


「そんな事実を法廷で読み上げれば……国家が掲げる美しい安全の標語のほうが、根底から崩壊してしまうからな」



   ◆◆◆



その産霊派の潜伏場所を、荷継ぎ場のあの帳場の男は正確に知っていた。


こちらから尋ねたわけではなかった。


三日間の日雇い仕事を終え、賃金の紙幣を受け取るとき、男のほうから静かに切り出してきたのだ。


「……お客さんたち、表の街道を通らない、北への秘密の抜け道図が要るんでしょう」


男は算盤の木製の珠を、右から左へと静かに払った。


「この市の裏手に、古い地下計算場があります。政変の前は、この街一帯の電算処理をあそこで一手に回していました」


「いまは、どうなっているんですか」


「中枢の巨大施設に処理が集約されましたからね。だから、いまは地下全体がもぬけの殻です」


男は、紙で包まれた日当の千円札を三つ、板の上に並べた。


「私自身は、あんな不気味な地下へ足を踏み入れたことはありません。潜入した連中の噂話も、半分は出鱈目のホラ話でしょう」


「残りの半分は」


「あいつらが持っている北への抜け道図だけは、間違いなく本物だ……という点ですよ」



   ◆◆◆



市の裏手の薄暗い路地を進むと、その建物は外見からはただの巨大な廃倉庫にしか見えなかった。


壁には窓がひとつもなく、高い位置に換気用の頑丈な金属格子がズラリと並んでいるだけだった。


正面の分厚い鉄扉には、錆びた南京錠がぶら下がっていた。


だが、錠前はぶら下がっているだけだった。掛け金の金具が、受け口から完全に外されている。


建物の裏手に回り込むと、夏草の生い茂る地面に、ぽっかりと四角い地下への入口が開いていた。


苔むしたコンクリートの階段が、外の光の届かない漆黒の闇の底へと、どこまでも真っ直ぐに下りていた。


その地下の奥底から、生ぬるい風が吹き上がってきた。


地上の空気よりも温かく、そして奇妙に湿り気を帯びていた。


そして——その風は、確かに絶え間なく動いていた。


風が地下で自律的に動くためには、その暗闇の底に、大気を激しく送り出し続ける巨大な何かが実在しなければならなかった。

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