↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
72/112

第72話 二つの筆

〔Kの記録〕


回議の紙が、一枚ある。


件名は一行。


〈新型系統の限定的運用試験に係る実施要件について〉


一枚で足りなかった意見は、下へ紙を継いで書いてある。


継ぎ目は、紙縒りで丁寧に綴じてある。


付紙は四枚。継ぎ足した全体は、もとの一枚の三倍以上ある。


四枚は、それぞれ紙の色が違う。継ぐたびに、手近な在庫から取ったのだろう。


付紙の意見は、いずれも手書きの筆だ。


二つの手が、交互に書いている。


三枚目の右下に、湯呑みの輪の跡がある。


茶渋の輪は二つ。少しずれて、重なっている。


細い手が情報局。太い手が防衛省だ。


紙の上では、情報局が自分を〈当局〉と書き、防衛省が自分を〈当省〉と書く。相手を指すときだけ、〈貴局〉〈貴省〉になる。


自分を何と書いているかで、その行がどちらの手のものか分かる。


争っているのは、一つの兵器をこれから使ってよいかどうかだ。



   ◆◆◆



一枚目は、情報局の起案だ。


〈標記について、下記のとおり実施の要件を確認したく、合議を仰ぐ〉


要件の前に、事実の欄がある。三項ある。


〈一 既往の試験は一回である。実施日、区域、編成、機材、いずれも記録がある〉


〈二 当該試験における発射は三。着弾を確認。対象の停止は確認されていない〉


〈三 試験実施以後、本日に至るまで、対象の所在が当局の網により確定した例はない。したがって、所在確定の通報は一度も発していない〉


発射3、着弾3、停止0。


決め手は、三つ目だけだ。


対象の所在が確定していない——この一行が本当かどうかを、この綴りの中では確かめられない。


確かめられるのは、当局の網の外にいる者だけだ。


その下に、実施要領の引き写しが一行ある。第二項だ。


〈試験機材の搬入は、対象の所在確定の後、別命による〉


引き写しの脇から、結論が続く。


〈所在の確定は当局の所掌である。確定の通報のない間、機材の搬入の要件は満たされない〉


〈すなわち当該期間中、本権限は行使され得ない〉


〈行使され得ない権限については、行使の可否をその都度当局へ照会する形に改めることを求める〉


要領は、機材の搬入を所在確定の後に置いている。


所在を確定するのは情報局だ。まだ確定していないと情報局が書けば、防衛省の機材は動かせない。


権限は、防衛省のものだ。


動かす条件のほうが、初めから情報局の側にある。



   ◆◆◆



付紙の一枚目から、防衛省が書いている。


太い字だ。払いの撥ねが長い。


〈当省は、本試験の継続を要すると認める〉


〈本試験により、当該系統が思兼系の干渉を受けないことが、初めて実地に確認された。既存の装備で同じ確認を得た例はない〉


〈確認が一例にとどまることは、試験を続けるべき理由である〉


同じ付紙の下半分で、技術廠が所見を述べている。


〈発射から着弾までの全区間について、計測記録を回収した。欠測はない〉


〈ただし、対象が試験区域を出たのちの挙動については、記録がない〉


〈記録がないのは、対象が装置を持たないためである〉


防衛省が持ち出したのは、実績が1件あるという事実だ。


1件しかないことを、防衛省は不足と読み、情報局は根拠の薄さと読む。


同じ1が、二つの意見の根拠になっている。



   ◆◆◆



付紙の二枚目で、情報局が返している。


こちらも手書き。細い字だ。行の間が広い。


〈確認されたのは、当該系統が干渉を受けないことである〉


〈対象を捕捉し得ることではない〉


〈発射三のうち、対象を停止させたものはない〉


〈捕捉に寄与しない手段の反復は、捜査を進めず、当該区域に別の損失を招く〉


損失の内訳が、四項に分けて並んでいる。


〈イ 着弾の痕は残る。土に残り、木に残る。当該区域の住民は、これを見る〉


〈ロ 見た者は、他の者に話す。当該区域は認証網が希薄であり、話は当局の網を通らずに伝わる〉


〈ハ 伝わる経路は当局の管理に属さない。話の中身を、当局は事後にも確認できない〉


〈ニ 伝わった話は、対象に呼び名をつける。呼び名のついた対象は、当局の符牒と一致しなくなる〉


その下に、二行ある。


〈以上により、当該手段は捜査を進めず、当局の管理し得ない話だけを区域に残す〉


〈残った話を、当局は数えられない〉


イからニは、痕・話・経路・呼び名の順に並んでいる。


四項のどこにも、住民の被害は数えていない。


数えてあるのは、当局が把握できなくなる話の量だけだ。



   ◆◆◆



付紙の三枚目は、ふたたび防衛省だ。


同じ手だ。前の付紙より、字の跡が深い。二箇所、裏にも跡がある。


〈停止は本試験の目的ではない〉


実施要領の第五項が、そのまま引かれている。


〈着弾後の対象の状態にかかわらず、計測記録の回収を優先する〉


〈目的は計測であり、計測は完了している。所期の目的を果たした試験を、捕捉の失敗として評価することはできない〉


〈対象の所在が確定しないことは、貴局の所掌における不足である。当省の権限に条件を加える理由にはならない〉


この二行は、要領の文面どおりだ。


計測が目的と書いてある以上、外したことは失敗の欄に入らない。


裏まで跡の残った二箇所は、この二行だ。



   ◆◆◆



付紙の四枚目が、情報局の最後の意見だ。


〈第五日の合議文書にいう限定的運用試験の限定が、区域の限定のみを指すのであれば、回数は限定されていないことになる〉


〈回数の限定を受けない権限を、条件節ひとつで与えた例は、当局の記録にない〉


〈記録にない読み方をするのであれば、その読み方を先に文書へ明記されたい〉


〈明記されるまでの間は、狭いほうの読みによる〉


〈限定的運用試験〉。文書にあるのは、この七文字だけだ。


区域を限る読みなら、回数は限られない。回数も限る読みなら、二度目には新しい決裁が要る。


どちらの読みに前例があるかは、記録を見なければ言えない。


その記録は、情報局にある。



   ◆◆◆



決裁の欄は、付紙をすべて畳んだ下にある。


決定は、二行。


〈本権限の行使は、対象の所在につき当局の通報があった場合に限る〉


〈通報のない間、機材の搬入及び現地への展開を行わない〉


凍結という語は、この紙のどこにも使われていない。


この決定が止めたのは、運搬だ。


撃ってよいかどうかには、一行も触れていない。運ばれない機材は、廠の棚にあるのと同じだ。


そして、いつ運んでよいかを書く欄は、情報局の側にある。


合議の欄に、防衛省の印がある。


意見の欄には、一字だけ書いてある。


〈了〉


決裁の欄には、朱の印がひとつ。


その上に、官姓名が活字で刷ってある。


情報局長、賀茂千早。


この一枚には、押し直した跡がない。



   ◆◆◆



綴りの下に、もう一枚ある。


起案用紙だ。


いちばん上の欄に、番号だけが打ってある。防衛省の連番の、次の番号だ。


ほかの欄には、まだ何も入っていない。


用紙の隅が、何度も指の当たった形に折れている。


通報が一度あれば、この欄は埋まる。



   ◆◆◆



回議の写しの背に、添付の控えが一枚綴じてある。


〈起源児童に係る照会の経過〉


照会の日と、照会語と、回答が、縦に並んでいる。


回答の欄は、ほとんどが〈該当なし〉だ。


そのうち二行だけ、書きぶりが違う。


〈保全区分に該当。閲覧には別途の手続を要す〉


同じ一行が、日を置いて、二度ある。


区分の名は、控えのどこにも書かれていない。


〈起源児童〉は、この事案が対象につけた符牒だ。名前で呼ばないために作られた語だ。


同じ符牒で二度照会し、二度とも、回答は同じ一行だった。


止めているものの名を、情報局は書けていない。


書かなかったのか、書く権限がなかったのか。


控えの裏に、鉛筆の書き込みがある。


細い字だ。筆圧が軽く、紙の裏に跡がない。


〈当職の権限では、右の紙を読めない〉


〈読める者に、読ませるべきである〉


〔Kの記録 ここまで〕

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。