第72話 二つの筆
〔Kの記録〕
回議の紙が、一枚ある。
件名は一行。
〈新型系統の限定的運用試験に係る実施要件について〉
一枚で足りなかった意見は、下へ紙を継いで書いてある。
継ぎ目は、紙縒りで丁寧に綴じてある。
付紙は四枚。継ぎ足した全体は、もとの一枚の三倍以上ある。
四枚は、それぞれ紙の色が違う。継ぐたびに、手近な在庫から取ったのだろう。
付紙の意見は、いずれも手書きの筆だ。
二つの手が、交互に書いている。
三枚目の右下に、湯呑みの輪の跡がある。
茶渋の輪は二つ。少しずれて、重なっている。
細い手が情報局。太い手が防衛省だ。
紙の上では、情報局が自分を〈当局〉と書き、防衛省が自分を〈当省〉と書く。相手を指すときだけ、〈貴局〉〈貴省〉になる。
自分を何と書いているかで、その行がどちらの手のものか分かる。
争っているのは、一つの兵器をこれから使ってよいかどうかだ。
◆◆◆
一枚目は、情報局の起案だ。
〈標記について、下記のとおり実施の要件を確認したく、合議を仰ぐ〉
要件の前に、事実の欄がある。三項ある。
〈一 既往の試験は一回である。実施日、区域、編成、機材、いずれも記録がある〉
〈二 当該試験における発射は三。着弾を確認。対象の停止は確認されていない〉
〈三 試験実施以後、本日に至るまで、対象の所在が当局の網により確定した例はない。したがって、所在確定の通報は一度も発していない〉
発射3、着弾3、停止0。
決め手は、三つ目だけだ。
対象の所在が確定していない——この一行が本当かどうかを、この綴りの中では確かめられない。
確かめられるのは、当局の網の外にいる者だけだ。
その下に、実施要領の引き写しが一行ある。第二項だ。
〈試験機材の搬入は、対象の所在確定の後、別命による〉
引き写しの脇から、結論が続く。
〈所在の確定は当局の所掌である。確定の通報のない間、機材の搬入の要件は満たされない〉
〈すなわち当該期間中、本権限は行使され得ない〉
〈行使され得ない権限については、行使の可否をその都度当局へ照会する形に改めることを求める〉
要領は、機材の搬入を所在確定の後に置いている。
所在を確定するのは情報局だ。まだ確定していないと情報局が書けば、防衛省の機材は動かせない。
権限は、防衛省のものだ。
動かす条件のほうが、初めから情報局の側にある。
◆◆◆
付紙の一枚目から、防衛省が書いている。
太い字だ。払いの撥ねが長い。
〈当省は、本試験の継続を要すると認める〉
〈本試験により、当該系統が思兼系の干渉を受けないことが、初めて実地に確認された。既存の装備で同じ確認を得た例はない〉
〈確認が一例にとどまることは、試験を続けるべき理由である〉
同じ付紙の下半分で、技術廠が所見を述べている。
〈発射から着弾までの全区間について、計測記録を回収した。欠測はない〉
〈ただし、対象が試験区域を出たのちの挙動については、記録がない〉
〈記録がないのは、対象が装置を持たないためである〉
防衛省が持ち出したのは、実績が1件あるという事実だ。
1件しかないことを、防衛省は不足と読み、情報局は根拠の薄さと読む。
同じ1が、二つの意見の根拠になっている。
◆◆◆
付紙の二枚目で、情報局が返している。
こちらも手書き。細い字だ。行の間が広い。
〈確認されたのは、当該系統が干渉を受けないことである〉
〈対象を捕捉し得ることではない〉
〈発射三のうち、対象を停止させたものはない〉
〈捕捉に寄与しない手段の反復は、捜査を進めず、当該区域に別の損失を招く〉
損失の内訳が、四項に分けて並んでいる。
〈イ 着弾の痕は残る。土に残り、木に残る。当該区域の住民は、これを見る〉
〈ロ 見た者は、他の者に話す。当該区域は認証網が希薄であり、話は当局の網を通らずに伝わる〉
〈ハ 伝わる経路は当局の管理に属さない。話の中身を、当局は事後にも確認できない〉
〈ニ 伝わった話は、対象に呼び名をつける。呼び名のついた対象は、当局の符牒と一致しなくなる〉
その下に、二行ある。
〈以上により、当該手段は捜査を進めず、当局の管理し得ない話だけを区域に残す〉
〈残った話を、当局は数えられない〉
イからニは、痕・話・経路・呼び名の順に並んでいる。
四項のどこにも、住民の被害は数えていない。
数えてあるのは、当局が把握できなくなる話の量だけだ。
◆◆◆
付紙の三枚目は、ふたたび防衛省だ。
同じ手だ。前の付紙より、字の跡が深い。二箇所、裏にも跡がある。
〈停止は本試験の目的ではない〉
実施要領の第五項が、そのまま引かれている。
〈着弾後の対象の状態にかかわらず、計測記録の回収を優先する〉
〈目的は計測であり、計測は完了している。所期の目的を果たした試験を、捕捉の失敗として評価することはできない〉
〈対象の所在が確定しないことは、貴局の所掌における不足である。当省の権限に条件を加える理由にはならない〉
この二行は、要領の文面どおりだ。
計測が目的と書いてある以上、外したことは失敗の欄に入らない。
裏まで跡の残った二箇所は、この二行だ。
◆◆◆
付紙の四枚目が、情報局の最後の意見だ。
〈第五日の合議文書にいう限定的運用試験の限定が、区域の限定のみを指すのであれば、回数は限定されていないことになる〉
〈回数の限定を受けない権限を、条件節ひとつで与えた例は、当局の記録にない〉
〈記録にない読み方をするのであれば、その読み方を先に文書へ明記されたい〉
〈明記されるまでの間は、狭いほうの読みによる〉
〈限定的運用試験〉。文書にあるのは、この七文字だけだ。
区域を限る読みなら、回数は限られない。回数も限る読みなら、二度目には新しい決裁が要る。
どちらの読みに前例があるかは、記録を見なければ言えない。
その記録は、情報局にある。
◆◆◆
決裁の欄は、付紙をすべて畳んだ下にある。
決定は、二行。
〈本権限の行使は、対象の所在につき当局の通報があった場合に限る〉
〈通報のない間、機材の搬入及び現地への展開を行わない〉
凍結という語は、この紙のどこにも使われていない。
この決定が止めたのは、運搬だ。
撃ってよいかどうかには、一行も触れていない。運ばれない機材は、廠の棚にあるのと同じだ。
そして、いつ運んでよいかを書く欄は、情報局の側にある。
合議の欄に、防衛省の印がある。
意見の欄には、一字だけ書いてある。
〈了〉
決裁の欄には、朱の印がひとつ。
その上に、官姓名が活字で刷ってある。
情報局長、賀茂千早。
この一枚には、押し直した跡がない。
◆◆◆
綴りの下に、もう一枚ある。
起案用紙だ。
いちばん上の欄に、番号だけが打ってある。防衛省の連番の、次の番号だ。
ほかの欄には、まだ何も入っていない。
用紙の隅が、何度も指の当たった形に折れている。
通報が一度あれば、この欄は埋まる。
◆◆◆
回議の写しの背に、添付の控えが一枚綴じてある。
〈起源児童に係る照会の経過〉
照会の日と、照会語と、回答が、縦に並んでいる。
回答の欄は、ほとんどが〈該当なし〉だ。
そのうち二行だけ、書きぶりが違う。
〈保全区分に該当。閲覧には別途の手続を要す〉
同じ一行が、日を置いて、二度ある。
区分の名は、控えのどこにも書かれていない。
〈起源児童〉は、この事案が対象につけた符牒だ。名前で呼ばないために作られた語だ。
同じ符牒で二度照会し、二度とも、回答は同じ一行だった。
止めているものの名を、情報局は書けていない。
書かなかったのか、書く権限がなかったのか。
控えの裏に、鉛筆の書き込みがある。
細い字だ。筆圧が軽く、紙の裏に跡がない。
〈当職の権限では、右の紙を読めない〉
〈読める者に、読ませるべきである〉
〔Kの記録 ここまで〕




