第05話 行李
十八の春のことは、手短に書く。
大学に行くつもりだった。
行けると思い上がっていたわけではない。
ただ、受ける前から諦めることだけを、自分に許したくなかった。
入試は五つ受けた。
試験会場はどこも、受付の列が二つに分かれていた。
ひとつは何も手渡さずにゲートを通過する列で、そちらは淀みなく進んでいく。
もうひとつは紙の受験票を差し出す列で、係員が手元の台帳と番号を突き合わせ、私の顔を一度まじまじと見つめ、それから鉛筆で機械的にチェックをつけた。
その列に並んだのは、どの会場でも、私を入れて二人か三人きりだった。
学科の試験の出来は、悪くなかったはずだ。
だが当時の大学入試とは、学力の試験である前に、国家による人格等級の厳密な足切り審査だった。
◆◆◆
五つの合否通知の封筒は、三週間かけてぽつりぽつりと届いた。
郵便夫は週に二度しか、あの急な坂を上がってこない。
一通ずつ、長い間隔を置いて、同じ薄さの茶封筒が郵便受けに落ちていた。
ほかの受験生たちには、結果はその日のうちに電子網経由で届く。
端末の画面を見て、泣き、あるいは喜び、翌日にはもう次の人生を歩み始めている。
私の紙は、遅い。
世間がとうに忘れ去った不合格を、私は何日も遅れて一人で封を切り、噛み締めていた。
五枚とも、すべて同じ赤い理由コードが印字されていた。
判の捺された位置まで、五枚とも寸分違わなかった。
「おまえのせいじゃない」
と、養父は言った。
最初の封筒のときも、三通目のときも、最後の五通目のときも、まったく同じ言葉を、まったく同じ静かな優しさで。
あれは紛れもない本心だったと、いまでも信じている。
だが言われるたびに、私の心の奥底には同じ冷たい問いだけが沈殿した。
私のせいでないなら、一体誰のせいなのか。
世間の誰も、神盾の誤審だとは言わない。
神盾は、決して間違えないからだ。
誰のせいでもない。
誰のせいでもないまま、私は高校を出て、就職の面接に落ち続け、電子配給を受け取る端末を持てないまま、旧市街のどん詰まりへと流れ着いた。
家を追い出されたのではない。
世界の中で自分の居場所がひとつずつ綺麗に消えていって、最後まで消え残った場所が、たまたまここだったというだけだ。
◆◆◆
物部の家を出た朝の感触を、私はいまでも鮮明に覚えている。
二〇四四年の春だった。
手荷物は、ボストンバッグひとつ。
都会に出て、体を使って食う。
それだけを決めていた。
台所ではいつものように味噌汁の鍋が煮立っていて、私はそれを一杯も飲まずに玄関の靴を履いた。
三和土には前の晩に打ち水がしてあって、朝の底冷えがまだ靴底を通して足の裏に伝わってきた。
上がり框の上に立ち、養母は何度か言葉を発しようと唇を動かし、そのたびに、言葉の代わりに私の鞄の肩紐の位置を直した。
肩紐には、直すべき乱れなど、どこにもなかったのだが。
養母の細い指先が、紐の縫い目を二度そっとなぞり、それから静かに離れた。
「行ってきます」
と、私は言った。
行ってまいります、でも、さようなら、でもなく。
毎朝学校へ向かうときに言ってきたのと同じ言葉を、同じ声の調子で。
それがあの家と両親への、十八歳の私にできる精いっぱいの礼儀だった。
養母は深く頷いた。
それだけだった。
玄関の引き戸を開けて出るとき、居間の大黒柱の脇にある、小さな木の額が視界をかすめた。
物部の家の居間には、あの町のどの家もそうしているように、子どもの書いた自慢の作品を飾る場所があった。
養母の手習い塾の生徒たちの書き初めが、季節ごとに入れ替えられて飾られていた。
あの旅立ちの春、額の中に収まっていたのは「山」という力強い一字だった。
墨を途中で継ぎ足した筆の跡が二箇所あり、二画目の払いが半紙の右端で小さく掠れている。
七歳か八歳の子どもの、伸びやかな筆跡だった。
私は十二年間、あの家に暮らした。
だが、あの額の中に私の書いた文字が飾られたことは、ただの一度もない。
恨み言を言うために書いているのではない。
あの二人ほど善良で実直な人間を、私はいまの人生でも他に知らない。
ただ、善良な人間たちが集まり、誰ひとりとして悪意を持たず、誰ひとり間違った行いをしないまま、ひとりの子どもの書いたすべてのものが、家庭のどこにも飾られなくなる。
そういう恐ろしい排除が、この世界ではごく自然に起きるのだと、それだけはここに書き残しておかなければならない。
百パーセントという完全無欠の数字は、そういう無慈悲な静けさをもって、人間の家のなかに棲みつく。
◆◆◆
公社の不合格通知も、あの紙箱の底に入れた。
読まれなかった文章の墓場に、新しい墓標がひとつ増えた。
それから何日か経った早朝、私は公営端末の公営端末まで歩いた。
朝の早い時間なら、端末の前に待つ人の列はない。
硝子の内側は夜よりも冷え切っていて、テンキーのすり鉢状の窪みに前の晩の湿気が薄く残っていた。
冷えた人差し指で押し込むと、ボタンの沈み込みが夜よりも固く感じられた。
返信ボタンを選び、私はこう打ち込んだ。
〈さくらは見ました。
げんきです〉
たった二行。
三行を超えないのは、幼い頃に養母から教わった大切な作法だ。
送信のキーを押すと、端末の画面は一秒で、〈送信完了〉と淡く表示した。
表示窓の下の六行は、冷たい黒のままだった。
この国で私の書く言葉を疑わずに受け取ってくれるのは、この遺産回線の古い機械と、あの机の上の帳面だけだ。
明日も朝四時半に、埠頭の守衛所の前に並ぶ。
物部の家の押し入れの奥深くで、あの何冊もの綴り方を封じ込めた行李は、いまだ固く閉じられたままだ。




