第43話 読めない
第三射は、私たちが深い草むらの中で息を殺して潜んでいる最中に飛来した。
明石さんの右腕の外側を、目に見えないマイクロ波の熱線が直撃した。
音は、何ひとつしなかった。
「……ッ!」
明石さんは悲鳴すら上げられなかった。
口を大きく開けたまま、肺の中の空気を一気に吸い込み、あまりの激痛に喉の奥を凍りつかせて硬直した。
作業着の厚手の袖が、一瞬にして右腕の生身の皮膚へと焼きついた。
布地の下で、男の腕の皮膚が赤黒く変色し、肉が内側から沸騰して水ぶくれが膨れ上がっていくのが、焦げた生地を透かして見えた。
鼻を強く突く、肉と脂の焦げる凄惨な匂い。
草の焼けた匂いなどではない。生きた人間の肉体が、熱線で直接焼き爛れたときの、耐えがたい異臭だった。
「明石さん……ッ! 明石さん!!」
私は息を呑み、血の気が一気に引くのを感じた。
ただのかすり傷などではない。衣服の繊維が熱線で焼き焦げ、皮膚の表層から真皮にかけて激しくただれた、広範囲の重い熱傷だった。
「……は、走れ……昊……ッ」
明石さんは脂汗を滝のように流しながら、左手で爛れた右腕の付け根を必死に圧迫した。
とても立ち上がって走れるような状態ではなかった。
だが、男が走ると言うのだから、ここで止まるわけにはいかない。
私は明石さんの無事な左腕を力任せに自分の肩に担ぎ上げ、強引に立たせて山道から斜面へと転がり込んだ。
「木陰へ入ります! 早く……ッ!」
樹木が生い茂る森の奥深くへ逃げ込めば、直線の射線を通すことはできない。
マイクロ波の熱線は、曲がることができないのだ。
太い木の幹に当たれば、樹皮の表面が熱を吸い取って、奥にいる私たちの肉体までは届かない。
私たちは無我夢中で走った。
太い幹を選び、露出した木の根を飛び越え、垂れ下がる枝をくぐり抜け、次から次へと巨木の裏側へと身を隠した。
走りながら、私は全身の神経を頭蓋骨の奥へと集中させ、敵の気配を探り続けた。
地上を撃ってくる狙撃手の律動は、やはり存在しない。
だが——その代わりに、頭上の空から、まったく別の知覚が降り注いでいた。
高い木々の梢の上。
姿も羽音も見えないまま、冷酷な【視線】だけが、私たちの上空をゆっくりと円を描いて旋回していた。
自動配送車の整った律動とも、駅の改札の前の電磁波の乱れとも違う。
もっと小さく、もっと無機質で単純な計算。
たった一機だけで閉じた、独立した観測ドローンの計算だった。
——機械の、目だ。
撃ち手を担う生身の人間は地上のどこかに身を潜め、沈黙を守っている。
そして、私たちを見つけ出すための機械の目だけが、空の上で静かに獲物を追尾していたのだ。
◆◆◆
私たちは深い森の奥まで逃げ延び、樹齢何百年という巨木の根元に、明石さんを滑り込ませるように座らせた。
明石さんは肩で激しい息を繰り返し、顔面を土気色に変えていた。
「明石さん、腕を見せてください……ッ!」
私は鞄から小刀を取り出し、焼きついた作業着の右袖を慎重に切り裂いた。
布地を皮膚から剥がすたびに、明石さんは下顎を激しく震わせ、喉の奥から苦悶の呻きを漏らした。
露出した右腕の皮膚は、広範囲にわたって赤黒く腫れ上がっていた。
熱線で焼き焦げた表皮の下から、無数の水ぶくれが破れ、黄濁した体液と血がじっとりと滲み出している。
私の手記に書き連ねてきたどんな悪夢よりも、生々しい肉体の破壊。
手が震えた。触れることすら躊躇われるほどの凄惨な火傷。
だが私は震える手を無理やり抑え込み、水筒の残りの冷水をガーゼに浸して、爛れた皮膚の上にそっと当てた。
「……あ、後でいい……手当てなど……後で……ッ」
明石さんは左手で地面の赤土を爪が折れるほど強く掴み、激痛に耐えながら絞り出すように言った。
「後にできるような怪我じゃありません! 熱線で服まで焼け焦げて、皮膚がこんなに深くただれてるんですよ!?」
私が声を荒らげると、明石さんは目を上げた。
痛みで焦点が激しく揺れていたが、その瞳の奥には、冷徹な統計屋の光が確かに残っていた。
「……三発、撃たれた」
明石さんは荒い息の合間に、事実だけを淡々と数え上げた。
「発射音がない。照準の電磁ノイズもない。そして何よりも……都市の知能ネットワークを経由した『合意の律動』が、ただの一度も走っていない」
「思兼の兵器ではない、ということですか」
「思兼の兵器は、単体では絶対に引き金を引かん」
明石さんは言った。
「一台の配送車も、一つの改札ゲートも、国家のすべての端末は、巨大な街の合意形成の粒としてしか機能せん。……撃つ前に、必ず都市知能の合意の波形が走る。——だが、それがない」
「機械ではないのだとすれば……」
「——人だ」
明石さんが言った。
「生身の人間が、自らの肩に兵器を担ぎ、自らの肉体の目で照準を合わせ、自らの指で引き金を引いているんだ」
判定アルゴリズムでも、国家の法制度でもない。
体温と悪意を持った生身の人間が、私を殺すために引き金に指をかけている。
国家は私を排除するために、最新鋭の人工知能ではなく、歴史上で最も古い「人間の殺意」を選んだのだ。
機械のアルゴリズムなら、その行動パターンを先読みすることができる。
だが——狂気に駆られた生身の人間の殺意だけは、どんな数式を使っても読み切ることはできない。
◆◆◆
「……でも、空を飛んでいる『目』は、機械です」
私が言うと、明石さんが眉を上げた。
「上空に、小型の観測ドローンが一機います。姿は見えませんが、微弱な電磁の律動があります」
「射手の目か……」
明石さんは痛む腕を抱え、立ち上がろうとした。
「あの観測ドローンが生きている限り、俺たちの位置は筒抜けだ。木陰を選んで、さらに奥へ——」
その瞬間だった。
頭上を旋回していた不可視の視線が、スッと垂直に降下してきた。
冷酷な焦点が絞り込まれ、私たちが身を潜めている巨木の真上に、ピタリと据わった。
——見つかった。
思考するよりも先に、私の身体がその絶対的な死の照準を察知した。
この機械の目の向こう側で、地上の狙撃手が引き金に指をかけている。
私は明石さんの襟首を掴み、巨木の幹の裏側へと力任せに引き倒した。
そして倒れ込みながら、頭上の見えないドローンに向けて、全身の視線を鋭く睨み返した。
——止まれ。
あの夜、狭い擁壁の路地で、二台の自動配送車を挟み撃ちにしたときと、寸分違わぬ同一の生体意志の衝撃波。
その瞬間——頭上の視線の波形が、グニャリと音を立てて歪んだ。
ドローンの照準の焦点が激しく散乱し、一度大きく膨張して、まったく見当違いの方向へと流れていった。
私たちの真横、わずか数十センチの場所で、土煙を上げて地面が白く爆発した。
外れた熱線の一撃が、誰もいない斜面の木々を薙ぎ払い、激しい白煙を立ち上らせていた。
巨木の裏側で、私は息を呑みながら、自分の右の手のひらを見つめた。
あの夜と同じ現象が、いま、私の肉体の中で起きている。
あの夜は、起きた結果を後から頭で数えた。
だがいまは——自分自身の意志で、敵の機械をハッキングして狂わせたのだという確信が、確かにあった。
◆◆◆
私はもう一度、上空のあの不可視の視線に向けて、自らの意識の手を伸ばした。
手、という言葉でしか表現できない。私の生身の指先は、作業着のポケットの中にあった。
伸ばしたのは、私の頭蓋骨の奥深く、名前すら知らない未知の神経器官だった。
不可視の電磁の視線に、私の生体意志が直接触れた。
触れた瞬間——後頭部のあの古い手術痕が、万力で内側からギリギリと絞り上げられるような激痛を放った。
視線の波形は、容易には屈しなかった。
押し込めば撓み、力を緩めれば元の座標へと戻ろうとする。
完全な制御の方法など分からない。
だが、私がその視線を力づくで歪ませているあいだ、上空のドローンは私たちを完全に見失っていた。
五秒。十秒。
限界だった。
私は意識の手をパッと離した。
その瞬間、視界の端で白い光が激しく弾け飛び、私の鼻の穴から生温かい液体がツゥーッと垂れ落ちてきた。
手の甲で乱暴に拭うと、黒ずんだ鮮血の筋がべっとりと残った。
後頭部から眉間にかけて、鉄の杭を打ち込まれたような激しい頭痛が突き抜けていた。
脳の奥底を、内側から見知らぬ他人の指で乱暴に押し広げられているかのような激痛。
「……昊、いま、一体何をした……?」
明石さんが目を丸くして私を見つめていた。火傷の激痛すら忘れたような、戦慄の表情だった。
「上の観測機の照準が完全に逸れて、撃ち損じたぞ。……君が、あの機械を狂わせたのか」
「……以前にも、一度だけあります」
私は鼻血を袖で拭いながら答えた。
「街の中で、二台の配送車に挟み撃ちにされたときです。あのときは、後から気づきました」
「今日は……」
「撃たれる最中に、自分で意図してやりました」
明石さんは何かを言おうとして、口を噤んだ。
わずか二つの標本データだけで軽々しく結論を出すことを拒む、統計屋特有の沈黙だった。
代わりに、男は木々の隙間から空を見上げた。
ドローンの視線の気配は遠ざかり、焦点の狂ったまま、尾根の向こうの空へと不格好に流れていっていた。
「……行くぞ、昊。あの機械の目が正気に戻る前に、ここを脱出する」
◆◆◆
私たちは再び歩き始めた。
重傷を負った明石さんの歩行速度は、先ほどの半分以下に落ちていた。
焼け爛れた右腕を少しでも揺らさないよう、身体を左側に不自然に傾け、脂汗を垂らしながら足を引きずって歩く。
私は明石さんの革鞄と金属缶を両手に抱え、男の身体を支えながら進んだ。
歩きながら、私は自らの両の手のひらを何度も見つめ直した。
何ひとつ変わったところのない、港の日雇い労働者の、泥に汚れた手。
十六年間、国家のすべての知能機械から「おまえは偽物だ」と弾かれ続けてきたこの手が、今日、軍用のドローンを自らの意志で狂わせたのだ。
そして、体温を持った生身の人間が、私を本気で撃ち殺そうとしてきた。
知能機械から逃げるべきなのか、それとも人間から逃げるべきなのか。
その答えを、私はまだ心の中で決められずにいた。
山道が、急な下り坂へと切り替わった。
私たちはついに、急峻な尾根を越えたのだ。
斜面を下りながら、谷の底を見下ろした。
深い霧の向こう側に、粗末な木の屋根が六つ、寄り添うように並んでいた。
その屋根の煙突から、青白い煙が細く立ち上っていた。
石油やガスの煙ではない。生身の人間が薪を燃やして暮らしている、生活の火の匂い。
——集落だ。
関口さんの手書き地図に記されていた、あの未接続地帯の集落が、確かにそこに存在していた。
だが、その集落へ向けて一歩を踏み出そうとした瞬間、私たちの足がピタリと止まった。
明石さんも息を呑み、動かなくなった。
斜面のはるか下——私たちが命からがら駆け抜けてきた、あの山裾の白い着弾痕のすぐ真横に。
全身を黒い防護服で包んだ、ひとりの不気味な人影が、静かに佇んでいた。




