第03話 不合格
不合格通知は、五日後に届いた。
紙の通知だ。ダイモンを持たない者への連絡は、いまでも紙で来る。
国家がわざわざ、私のような人間のために製紙工場と郵便夫の雇用を維持してくれているのだ。
郵便夫は週に二度、この急な坂を自転車で息を切らして上がってくる。
集合住宅の受箱は建物の外壁に嵌め込まれた鉄の枠で、名札の差し込み欄はほとんどが空だった。名前をわざわざ物理的に書いておく必要のある部屋が、もうこの街区にはそれだけしかない。
私の欄の紙は、西日に灼けて縁から茶色く変色していた。
封筒は薄く、粗悪な紙が指の腹にざらついた。
工業用漂白剤の甘い薬品臭がする。この匂いのする封筒から、よい報せを受け取った記憶は一度もない。
親指で封を切った。
定型文は、見飽きるほど同じだった。
〈厳正なる選考の結果、貴殿の採用を見送ることと相成りました〉
末尾に、理由の欄がある。
〈理由コード〇〇三——人格検定基準を満たさないため〉
十六年も見続けていると、この赤いゴム印の文字は、もはや意味ある文章というより、毎朝の天気に近くなる。
今日は雨、明日も雨。
傘の持ち合わせなど、とうの昔からどこにもない。
◆◆◆
同じ日の夜、遺産回線の公営端末に、短信が一通届いていた。
端末は街区の辻に立つ公営端末のなかにある。この界隈には二台きりで、日の落ちる頃には、たいてい誰かが先に立って順番を待っている。
その夜は、私の前に三人が並んでいた。
前の順番の老人は、分厚い受話器を耳に押し当てたまま、相手の言葉にただ深く頷き続けていた。喋っているのは回線の向こうの合成音声だけだ。
私の番が来た。端末の内側は、昼のあいだに浴びた日差しの熱をまだ孕んでいて、機械油と、錆びた金属と、見知らぬ他人の掌の汗の匂いが混ざり合って籠もっていた。
テンキーは押し込むたびに、指の重さのぶんだけ鈍く沈んで戻ってくる。四隅の角が丸く削れ、よく使う数字ほど指先の摩擦で窪みが深くなっていた。
暗証番号を打ち込むと、小さな表示窓に緑のドット文字が浮かび上がった。
黒地に、横二十字。縦に八行。それだけが、この旧式回線が私に与えてくれる世界の総面積だ。
受信箱に、新着が一通。
養母からだった。
〈さくらは見ましたか。
からだに気をつけて。
母〉
窓の上から三行だけが淡く埋まり、下の五行は冷たい黒のまま残されていた。
養母は年に三度か四度、決まってこういう短い便りを寄越す。
春と、盆と、年の暮れ。
私が返信を出しても出さなくても、便りの文字数は変わらない。
三行より長い手紙を書けば、そのぶん互いの距離が縮まってしまうとでも恐れているかのように、養母はいつも、きっかり三行で手紙を終える。
本文が二行。署名の「母」が一行。
それで、すべてが完結している。
返信ボタンを選び、擦り減ったテンキーの上に人差し指を置いた。
置いたまま、数秒間、指先を動かせなかった。
背後で、待ちきれない次の人間が硝子を指の関節でコンと叩いた。
私は無言で端末を離れた。
試験に落ちたその夜に届く「からだに気をつけて」に、どう返せば嘘にならずに済むのか、私はいまだに答えを持ち合わせていなかった。
◆◆◆
物部の家に引き取られたのは、六歳の春だと聞かされている。
それより前の記憶——書類の上では、政変のあとの大混乱で実親を亡くした子どもたちの公立保護施設にいたらしい——のことは、冷たい白い壁と、刺激の強い消毒液の匂いのほかに、何も頭に残っていない。
だから私の人生の最初の記憶は、物部の家の匂いだ。
陽に灼けた畳と、乾いた杉板と、台所で煮立つ煮干しの出汁の匂い。
物部の家は、郊外の緩やかな丘の上の町にあった。
生身の人間らしい暮らしを看板にした町だった。
電柱には〈この町は、手で育てます〉という標語の看板が掲げてあった。雨風に晒され、ペンキの赤はほとんど褪せていたが。
通りには個人経営の八百屋と、人間の手で刈る理髪店と、養母のやっていた手習いの書道塾があった。
都心の富裕層がわざわざ高い金を払って買いに来るような「不便」が、その町には最初から日常として揃っていた。
格好をつけて言えばそうなるが、要するに、電子網に馴染めない古い暮らしの信奉者たちが寄り集まって、坂の上に立て籠もっていたのだ。
養父は水道局の裁定人だった。機械の下した水利の判断に、人間としての責任の証として印鑑を捺すだけの仕事だ。
法的な責任というものは、いまでも人間にしか背負えない数少ない荷物のひとつであり、養父はそれを四十年、一言の不満も漏らさず黙って担ぎ続けた。
養母は自宅の一間で、近所の子どもたちに筆と鉛筆の持ち方を教えていた。
手書きの文字は、あの時代すでに、一部の特権的な習い事の王様だった。
ブレのない真っ直ぐな線の引ける子どもは、それだけで「人間の側の血統」だと持て囃された。
二人には実の子がいなかった。
親族の遠縁で、親を政変で亡くした不憫な子ども——それが、周囲と二人に与えられていた私の公式の来歴だ。
「あなたのご両親はね、政変の年の混乱で亡くなったのよ」
と、養母は穏やかに言った。
「あなたは赤ちゃんの頃に重い脳の病気をして、大きな開頭手術をして、奇跡的に治ったんですって。政変の年には、もうすっかり元気だったって聞いているわ。だから、なにも心配いらないの」
心配いらないの、が養母の決まり文句だった。
手術の話は、それきり家庭の中で二度と話題に上ることもなかった。
◆◆◆
町の理髪店で、初めて頭を刈ってもらった日の感触を、私はいまでも鮮明に覚えている。
客用の椅子はビニール革が裂け、肘掛けの隙間から黄色い詰め物の綿が覗いていた。腰を下ろすと、機械油と石鹸と、摩擦熱で焼けた金属鋏の匂いが鼻を突いた。
主人は鋏を手に持ったまま、私の背後に音もなく回った。
バリカンの唸りがふいに止まり、主人の太い二本の指が、私の後頭部の生え際から皮膚に触れ、ゆっくりと横へ滑った。
爪の先ではない。指の腹の、確かな圧力だ。
その指の圧が移動していく軌道に沿って、私の頭皮の細い産毛が先にざわりとそよいだ。
他人の指のほうが、私の頭の骨の歪みを、私自身よりも正確に把握している——その知覚の奇妙な順序に、首筋から背骨全体へ向けて、粟立つような鳥肌が立った。
「……ん。これは随分と大きな手術の痕だねえ」
正面の合わせ鏡の中で、養母が膝の上の雑誌から顔を上げた。
「赤ん坊のとき、脳の病気で切ったのだそうです」
「そうかい。綺麗に治ってよかったなあ、坊主」
主人は指を離し、何事もなかったかのように鋏を持ち直した。
乾いた金属の刃が、チキチキとリズミカルに鳴った。それで、すべては終わりだった。
頭の傷は、私にとって謎ですらなかった。
答えと一緒にあらかじめ手渡された過去は、記憶ですらない。ただの便利な既成事実だ。
私はその説明を、靴の正しい履き方や箸の持ち方と同じ記憶の棚にしまい込んで、忘れた。
頭の傷の説明は、棚にしまえた。
だが、不合格の理由だけは、どこにもしまえない。
同じ赤い理由コードが、人生の節目ごとに、何度でも私の元へ届く。
その最初の一通が届いたのは、八歳の秋だった。




