第111話 通報
〔Kの記録〕
保安省の用箋が、一枚ある。
上端に、受信の時刻が入っている。深夜だ。この省の受信印には、分まで入る。
件名は一行。
〈北部方面における捜索対象の所在確認について(緊急)〉
差出は、随伴中の試験運用官。宛先は、保安省特務課経由、情報局。
一枚しかない。付紙も、継ぎもない。
二年と少し、動かなかった一つの決定が、この一枚で動く。
◆◆◆
本文は、事実の欄が三項だけだ。
〈一 本日、北部方面某区域において、捜索対象を至近において視認した。前回の視認と同一人と認める〉
〈二 当該区域において、当職の祓いは応を得なかった〉
〈三 当該区域を出るまでの間、当職の携行装備は、指向を保てなかった〉
三項のうち、二つ目だけが、公文書の語彙ではない。
一と三は、どの省の様式にも収まる。二は収まらない。
それでも、二は消されずに上がっている。
消せば、一と三の理由が消えるからだ。
事実の欄の下に、結論が一行。
〈以上により、対象の所在を確認したものと認める〉
その下に、区域の記載がある。
方位と、峠の名と、谷筋の名で書いてあった。座標はない。
確認したと書いてあるのは、区域だ。
一人の男が、どこの何という家にいるかは、この紙のどこにも書かれていない。
◆◆◆
用箋の下半分は、情報局の付紙だ。
細い字。行の間が広い。
〈当局は、右を当局の網による確定として扱い得ない。差出は当省の随伴官であり、当局の観測設備によるものではない〉
その下に、二行目が続くはずの空きがある。
二行目は、書かれていない。
かわりに、同じ手の字が、少し下から始まっている。
〈ただし、所在の確定は当局の所掌だ〉
〈所掌に属する事項につき、現に上がった一次情報を当局が受理しない場合、当該不受理の理由を文書により明示する必要が生ずる〉
〈当該理由は、現時点において存在しない〉
二年前、情報局は自分でこう書いた。所在の確定は当局の所掌だ、と。
所掌だと書いた以上、上がってきたものを黙って捨てることはできない。捨てるなら、捨てた理由を書かねばならない。
理由がない。
だから受ける。
〈よって当局は、右を確定として受理する〉
この付紙には、書き直しが一箇所ある。
〈受理せざるを得ない〉の五字が、朱の線で消してある。
傍らに、〈受理する〉と書き直してある。
同じ手だ。
消したほうの字のほうが、線が深い。
◆◆◆
次の紙が、綴りの二枚目にとじてある。
起案用紙だ。
いちばん上の欄に、番号だけが打ってあった紙だ。用紙の隅が、指の当たった形に何度も折れている。
その欄より下が、埋まっている。
〈件名 新型系統の限定的運用試験に係る機材の搬入及び現地展開について〉
〈標記につき、所在確定の通報があったため、実施要領第二項に基づき、別命により搬入を行う〉
決定は、二行だった。
〈本権限の行使は、対象の所在につき当局の通報があった場合に限る〉
〈通報のない間、機材の搬入及び現地への展開を行わない〉
通報があった。
だから、搬入する。
条文を破ったのではない。条文のとおりに、条文が終わった。
止めていたものは、鍵ではなかった。条件だった。
条件は、満たされるために書かれている。
◆◆◆
三枚目は、随伴の編成だ。
〈北部方面特務随伴 編成及び装備〉
編成の欄に、人数と職種が並ぶ。試験運用官の名は、他の欄と同じ様式で、姓と官職だけが入っている。
装備の欄に、二行ある。
〈試験機材 廠より現地へ直送〉
〈携行装備 随伴先の規格による。ただし本件については、この限りでない〉
ただし書きは、この一行だけだ。
二年前、この官の携行装備は、記録を残さない旧式に限られていた。
その限りでない、と書いてあった。
決裁の欄に、印影がひとつ。
文字は、二字。
石上。
上申3、回議1、決裁1。通報から5日。
この一枚には、押し直した跡がない。
◆◆◆
四枚目は、写しだ。情報局から検定庁へ回った照会の控えだ。
〈北部方面某区域における認証応答の状況について(照会)〉
回答が、その下に一行。
〈当該区域は、改定後の閾値による上申の対象外だ。応答の不成立に係る記録なし〉
記録なし。
二年前、この方面の四十一件は二件になった。
いまは、当該区域について記録がない。
記録のない区域へ、機材が入る。
入る側は、そこで何が起きているかを、一件も知らないまま入る。
◆◆◆
綴りの最後に、一枚だけ、様式の違う紙がある。
罫がない。
〈評定の求め 議題 新型系統の全面運用への移行の可否〉
日付と、開会の刻限だけが書いてあった。
議題の下に、対象の欄がある。
まだ、埋まっていない。
1名が、1つの区域になった。
区域は、紙の上で人よりも大きい。大きいものを扱う紙は、上へ行く。
上へ行った紙が、次にどこへ回るかは、この綴りには書かれていない。
入っているのは、開会の刻限だけだ。
〔Kの記録 ここまで〕




