第169話 『 答え合わせと友達と 』
今週は毎日1話の更新の予定です。そういつつ我慢できずに2話更新するんだろうなww
【 side颯太 】
―― 22 ――
「俺がアリシアと神払を走らせた理由は、神払に走ることの楽しさを知ってほしかったからだ」
アリシアは、競技として走る自分たちにはない感性を持っていた。だからこそ、颯太はアリシアを今日の特訓の鍵としたのだ。聖羅に走ることの楽しさを覚えてもらう為に。
「口で言うより、体感してもらう方が良いと思ってさ。だから、今日はアリシアと一緒に走ってもらった」
「なるほど。やっと、宮地くんの考えが分かりました」
聖羅が納得と顎を引けば、陸人からは嘆息された。
「お前はもう少し、分かりやすく相手に伝えた方が良いぞ」
「うぐ。……そりゃ、全部言わなかったのは悪いとは思ってる」
陸人の指摘にバツが悪い顔をすれば、珍しいとまで言われて少し腹がった。
だが、趣旨を全て明かしてしまっては意味がない。
颯太も、何処まで言えばいいのか分からず、苦悩の末に、聖羅に自力で答えを見つけて欲しいと思ったのだ。
「自分が口下手なのは理解してる。その上で、どうしても神払には自分の力で走ることの楽しさを知ってほしかったんだよ」
「どうしてですか?」
それは聖羅の純粋な疑問なのだろう。手の込んだやり方に疑問を覚える聖羅に、颯太は真紅の瞳を見つめながら言った。
「神払。ずっと速く走らないきゃいけないって固執してただろ。というより、イザベラを追い越さないと、ってそんなこと思ってたんじゃないかな」
「そ、それは……」
やはり颯太の思案は正しかったのだろう。視線を泳がせる聖羅に、颯太はだからと継ぐと、
「神払には、純粋に走ることの楽しさを味わってほしかった。でも、それは俺は教えられない」
「なんでですか。私は、宮地くんに沢山のことを教わってます」
「俺がアドバイスできるのはあくまで速く走る為のコツとレースへの取り組みかたであって、楽しさを教えたことはないだろ?」
「い、言われてみればそうですけど……」
口で言ったところで、それを本人が実際に体感しなければ無為意味だと思った。
走ることの楽しさ。それを肌で、心から感じてほしかった。そうじゃない限り、聖羅は永遠にイザベラの枷に縛られていた気がしたから。
だからこそ、颯太はアリシアに懸けたのだ。
「アリシアは、本当になんでも楽しそうにやるんだ。勉強も、家事も……走ることだって。そんなアリシアと走れば、神払にも走ることの楽しさを知ってもらえる気がしたんだよ」
「そうだったんですね」
納得と手を叩くアリシアに、颯太は口元を緩める。
やはり、気付いていないというか無意識なのだろう。アリシアは、自然と人を巻き込む力がある。おそらく颯太が一番アリシアに巻き込まれているが、それに不快感を覚えたことはない。むしろその逆で、彼女からは多くを学ばせてもらった。――その一つが、走ることの楽しさだった。
「俺は、アリシアと一緒に走るまでは楽しい、なんて感情は一切なかった。走ることが全てで、結果を出さなきゃって必死になってたよ。丁度、今の神払みたいにな」
自嘲しながら言えば、朋絵と陸人が苦笑した。アリシアももう過去を知っているから、颯太の言葉の意味は理解しているように金色の双眸を細くする。
唯一、聖羅だけは颯太の言葉に固唾を飲んでいて。
「レースに勝つこと、それは選手にとっては一番重要視しなきゃいけないことかもしれない。その為に俺たちは毎日練習するし、自己ベストを越えようと必死になる。けどさ、それだと周りが見えなくなってくるんだよ。速く走らなきゃいけないって自分の思想に縛られて、いつの間にかスランプになる」
「スランプ」
と小声で呟けば、聖羅は目を丸くした。
「もしかして、私ってスランプだったんですか⁉」
「……今気づいたんだね」
驚愕する聖羅に、朋絵と陸人が顔を引き攣らせた。
ただ、颯太だけは難しい顔をした。
「神払がスランプなのかは分からない。記録で見てもタイムが伸びてないのは明確だけど、俺はずっと、神払の意思の問題だと思ってたから」
「意思の問題、ですか」
聖羅が復唱しながら眉根を寄せれば、朋絵たちもはて、と疑問符を浮かべた。
4人が揃って首を捻ったので、颯太はコホン、と咳払いしてから言った。
「イザベラの方が速い、って皆はそう思ってるのかもしれないけど、俺は違うと思ってる」
「なんでさ」
「簡単だ。結局、イザベラも神払の体で走ってたからだよ」
そこで一度言葉を区切ると、颯太はアリシアと名前を呼びながら視線を向けた。
「憑依されても、天使としての身体能力がその体に影響することはないんだよね?」
そう問いかければ、アリシアは唇に指を当てて呻った。
「詳しいことは私もよく分かりませんが。颯太のいま言った通りだと思いますよ。そもそも、地球に居る天使が力を行使できるのはごく一部ですから」
「俺はアムネトが平気で力を使うのを見たけど」
「彼は聖大天使ですからね。それくらいは余裕でできますよ」
颯太もその話は初めて知った。朋絵たちはよく分からないと首を傾げていたが。
「アムネトは颯太さんの前で平気でやったそうですが、力を使うのって結構体力がいるはずです。イザベラは純大天使ではありましたが、私ほど神様の恩恵は多く貰っていませんし、憑依を解いてソウタさんを襲ったということは、神払さんに憑依したままでは思うように力を制御できなかったのでしょうね」
「でも、彼女は私の体を凄く馴染みやすいと言ってましたよ?」
聖羅が挙手すれば、アリシアは眼鏡を掛けていないのにくいっ、と上げる素振りをした。
「それはおそらく、魂と肉体の定着率だと思います。肉体の機能とは魂があってこそ。体を器とするならば、その器にはすでにカンバラさんという魂が定着している。そこに別の魂が入って制御しようとしても、既に専用の魂があるからそれ以外の命令は受け付けません。ただ、イザベラの魂はカンバラさんの体と余程相性が良かったのでしょう。器はイザベラをカンバラさんだと認識して、結果、イザベラの意思通りに動いてしまったんだと思います」
アリシアの圧巻の説明に、4人が感嘆の吐息を溢した。
「あたし、アーちゃんが先生に見えた! 何言ってるのか全然理解できないけど!」
「俺もだ朋絵!」
「アリシアが難しい言葉をすらすらと言えるようなった。これが成長かぁ」
「皆さん失礼過ぎませんか⁉ 特にソウタさん!」
褒めたはずなのにアリシアはぷりぷりと怒ってしまった。とりあえずごめん、と謝りながら、颯太は逸れつつあった話題を元に戻した。
「アリシアの説明の通り、イザベラは聖羅の体だけで今までのタイムを出していたんだと思う。特別な力はなにも使ってない。速く走ろうと、あいつも努力してたんだ。その努力はイザベラが消えても、ちゃんと神払の体に刻まれてるはずなんだ。それは、本人が一番自覚してるだろ?」
「……はい」
聖羅が躊躇いがちに肯定したのは、やはり本人が一番イザベラの努力を実感している、ということなのだろう。
体を奪った相手だ。願うなら、何も残さず、そして記憶からも消えて欲しいはずだ。
それでもイザベラは、聖羅の体に遺していってしまった――自分がこの世界で努力したという証を。
それは本来であれば、聖羅が手にするものだったはずで――。
「神払の気持ちは、俺は神払じゃないから理解することはできない。それに、俺はお前ほど、イザベラを恨み切れてない」
「私だって、彼女に憎しみだけを向けているわけではありません。彼女の、強気な姿勢は、見習うものがありましたし、羨ましかったですから」
「――――」
それでもイザベラの存在を飲み込み切れないのは、やはり許容できぬ怒りなのだろう。
聖羅は、一生イザベラを許すつもりはない。おそらく、イザベラが心を入れ替えて贖罪しても、聖羅は許さない。それほど、聖羅には恐怖心が強く刻まれているはずだから。
その恐怖心と、先に言葉にしたイザベラへの憧れ。そしてそんな彼女を追い越さねばという使命感が、聖羅の足の重枷になっていた。
神払、と声に出せば、沈んだ顔が颯太を見つめた。
「俺はさ、心の強さが、速さにも影響するって思ってるんだ」
「心の、強さ……」
聖羅が颯太の言葉を復唱すれば、彼女は目を伏せた。
「私は、弱いですもんね」
自嘲するように言う聖羅に、颯太は「違う」と即座に否定した。
「神払が弱い、って言ってる訳じゃないんだ。俺は、神払は強いって信じてるから」
「いったい、私のどこを見てそう感じるんですか?」
懐疑的な目を向ける聖羅は、どこまでも自分の力を過小評価していた。
本人に自覚がないのなら、気がせねばならない。それが、友達の役目だと思った。
「神払はずっと、自分は臆病って言ってるけど、そんなやつならイザベラの憑依から抜け出すことはできなかったはずだ。俺はアリシアが居たから、イザベラにも立ち向かえた。でも、神払は一人で、ずっとイザベラと戦ってただろ」
孤独だったはずだ。それでも、聖羅は諦めなかった。だからこそ、今ここにいる。
息を呑む聖羅に、颯太は言う。
「神払は、心の芯は誰よりも強い。自分が臆病な事もちゃんと自覚して、それでも前を向いて努力してる」
「――ッ」
声にもならない叫びが聞こえた気がした。聖羅の紅い瞳が、大きく揺らぐ。
「前を向くために、イザベラに勝つために、走るって決めたんだろ。でも、それが結果的に神払の足枷になってたんだ。追い越さなきゃいけないって、そう思ってたんだろ?」
「――宮地くんは、全部気付いてたんですね」
「似てるからな。神払は、昔の俺と」
昔の颯太は、自分とばかり戦っていた。速くなろうと藻掻き続けて、がむしゃら……というより無茶を繰り返し続けた。
結果的にはそれが全国優勝という称号を与えたが、そんな真似を聖羅にはしてほしくなかった。
それが颯太らしからぬ方法だと、朋絵たちには苦笑されているが。
「俺は、神払には記録のことよりもまず、走ることの楽しさを覚えてほしかったんだ。俺がいうのもすごく似合わないとは思うけどさ、でも、走ることって、面白いだろ」
「――――」
手を広げて言えば、聖羅は今日のことを思い出すように目を閉じた。
「自分の足で走って、色んな景色を見る。川や森の音と、風に背中を押される感覚。色んな人の声が聞こえて、皆と一緒に走ればそれを共有できる」
それは、陸上という競技においては、不要なものなのかもしれない。
陸上とは一分一秒、一ミリを競う世界だ。自分の肉体だけが唯一の武器で、研鑽を積み結果を出すのが選手の最たる務め。加えて、味方はいない。自分だって、敵なのだ。
競技とは孤独の世界。だからこそ、颯太は聖羅に教えたかった。
走ることの楽しさを。
「今日、皆と走って、神払はどう感じた?」
穏やかな声音で問いかければ、ゆっくりと瞼を開けた聖羅が、微笑みを浮かべた。
「すごく楽しかったです」
それが、颯太が聞きたかった言葉だった。
そして、聖羅は感慨に耽りながら続けた。
「皆さんと一緒に公園の景色を見て、楽しく話ながら走るのは、心が弾みました。アリシアさんとの競争は、負けるかもしれないって思って怖かった瞬間もありましたけど、でも、楽しそうに走るアリシアさんのおかげで、新しい可能性に出会うことができました」
「うん」
聖羅の感想に、颯太は穏やかに微笑んで耳を傾けていた。アリシアも嬉し気に笑みを溢ながら聖羅を見つめている。
「宮地くんの言う通りです。私、ずっと彼女を追い越さなきゃいけない、って思ってたんです。そうじゃないと、宮地くんたちと本当の友達になれない気がして。迷惑ばかりかける自分が、どうしようもなく、嫌いだったんです」
「迷惑なんて俺たちは思ってないよ。俺は神払の相棒なんだし、それに陸上部のマネージャーだ。選手に付き合うのが、俺の仕事だから」
そう言えば、朋絵も手を挙げた。
「あたしもマネージャだからね。颯太よりもマネ歴長いし、今颯太が言った通り、選手に付き合うのがあたしたちの仕事。だから、遠慮なんてしなくていいんだよ」
朋絵の次は、陸人が言った。
「俺は神払さんと同じ選手だからな。細かいアドバイスは苦手だけど、でも、一緒に走ることなら喜んで走るよ。俺の練習にもなるし」
にしし、と笑う陸人。
全員が神払の背中を押す中で、唯一部活メンバーではないアリシアだけが、何を言おうか戸惑っていた。
「ええとですね。私はソウタさんたちと比べて協力できることは少ないかもしれませんが、でも、もし困ったり、悩んだりすることがあったらいつでも話相手になりますよ!」
これでいいでしょうか、とアリシアに視線を送られて、颯太はいいよ、と微笑んだ。
この場にいる4人が全員、聖羅の味方だ。
「……皆さん」
その全員の意思表示を聞いて、聖羅の込み上げる感情を堪えるように声を震わせた。
目尻に浮かぶ涙を必死に堪えている聖羅に、颯太はふ、と吐息すると、
「神払は、ずっと一人だったって前に言ったけど、もう一人じゃない。俺たちがいる。俺たちは友達だろ、だから背負い込んだり悩んだりすることがあったら気にせず言ってくれ。俺たちは誰もお前を見捨てないし、蔑ろになんかしない。それに――俺はお前の相棒だから」
この関係の始まりがイザベラであっても、今颯太と一緒に目標に向かって走っているのは〝神払聖羅〟だ。颯太が聖羅の相棒であることに変わりはない。
嗚咽を堪える少女に向かって、颯太は問いかけた。
「これでも、まだ何か不安か?」
顔を伏せたまま、聖羅はゆるゆると首を振った。
「まだ、自分は一人ぼっちだと思うか?」
もう一度、聖羅は首を振る。
「まだ、イザベラの事が怖いか?」
「…………」
「そこは素直なんなだ」
首がぴたりと止まって、小さく頷いた聖羅に颯太は思わず苦笑してしまった。
「でも、もうあいつの影に、縛らてはないよな?」
「――――」
コクリと、聖羅はしっかりと頷いてくれた。それだけで、颯太はもう十分だった。
そして、颯太は最後に一つ、聖羅に訊いた。
「俺と一緒に……いや、俺たちと一緒に、走り続けてくれるか?」
その問いかけに、聖羅からの返答はなかった。
数秒、沈黙の時が流れて、颯太はジッと待つ。
顔を伏せた聖羅から鼻水を啜る音が聞こえて、颯太は思わず笑ってしまった。
だって、顔を上げた聖羅が、目を真っ赤にして、美女とは思えぬ有様になっていたから。
そんな聖羅が、大きな声で言った。
「もちろんです! 私も、宮地くんたちと一緒に、もっとたくさん走りたいでしゅ!」
その声は涙でガラガラで、普段叫ばないからか上擦っていた。おまけに最後は盛大に噛んだ。
朋絵と陸人が我慢しきれず吹いてしまって、アリシアはそれを叱責している。
大事な場面だからこそしっかり決めたかったのだろう。失敗してしまった聖羅は恥ずかしそうに顔を赤くしていた。それでも手で顔を覆わず、ぷるぷると震えながら必死に羞恥に耐えていた。お世辞にも、格好いいとは言えない。
けれど、
「あぁ。もっとたくさん、思う存分走ろう」
そんな聖羅が、颯太には恰好よく見えたのだった。
―― Fin ――
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