第170話 『 神払聖羅は逃げない 』
今話で第3部2章『神払聖羅は逃げたい』は終わりです。次話から第3章『聖なる夜に温もりを』です。個人的に楽しみですww
【 side聖羅 】
―― 23 ――
――深く空気を吸えば、吐く息は白く、蒼天に昇る。
「ふぅぅ――」
地面を踏みしめる感触は上々。体も、よく動く。自分が調子良いことは、感覚で分かった。
神経が研ぎ澄まされていく感覚に、聖羅は上唇を舐めた。その仕草は、あの天使が自分が上機嫌な時によくやる仕草だった。
過去を消すのでなく、受け入れる。
「見てて、イザベラ」
聖羅は初めて漆黒の天使の名前を呼んだ。
憑依されていた時も、目覚めた時も、聖羅はイザベラの名前を一度たりとも口にしたことはなかった。それは単純に、あの天使に畏怖していたからだ。嫌悪と憎悪が、イザベラの名前を声にするのを躊躇わせていた。
けれど、もうその必要はない。
自分には、頼れる友達がいる。寄り添ってくれる友達がいる。――見守ってくれる、相棒が居てくれる。
ならば、思う存分やろうではないか。
自分に、走ることの楽しさを教えてくれた、友達と一緒に。
「準備はいい? 聖羅」
名前を呼んだのは、ライトブラウンの髪を束ねる少女――朋絵だ。
「はい。いつでも、スタートできますよ、朋絵さん」
自分も彼女を親しみを込めて名前を呼べば、朋絵はにやりと笑った。
数メートル後ろからは陸人が男子部員と一緒に見守ってくれていて、ゴール先には颯太が待っていた。
「それじゃあ、いくよ」
「――はい」
じり、と朋絵の足が地面を擦り上げて、聖羅はスターティングブロックに足を掛けた。
カチャ、カチャ、と金具が音を鳴らして、聖羅は一番強く蹴れるポイントを確かめる。ここ、と決めれば、全身に力入れる――のではなく、深く、それでいて静かに息を吐いた。
――余計な力は入れるな。足先の神経と、周囲の音に意識を集中させろ。
颯太のアドバイスを反芻して、聖羅は朋絵の掛け声を待った。
もう、顔は振り向けない。合図が鳴れば、あとは一直線に駆け抜けるのみ。
そして、その時は来る。
「よーい……」
朋絵の掛け声に、聖羅は足にグッと力を込める。
パンッ‼ とスタータが快音を鳴らした、その瞬間。
「――シ!」
強く呼気を吐くと同時、足に溜めた力を思い切り解放する。スターティングブロックを蹴った力はそのまま、前進する力となって風を切った。
「ハッ――ハッ――ハッ」
足がよく動く。腕もよく振れてる。自分の呼吸する音が聞こえて、このグランドで走った中では最上のコンディションだった。
20メートル過ぎて、聖羅の足は少しずつ加速を始める。
――神払の走りは爆発的に加速するんじゃなくて、車やバイクみたいに、徐々に加速していくのが長所だ。だから、前半は離されても気にしなくていい。中盤から加速することを意識して、そこまでは体力を温存しろ。
颯太に言われた通り、この1週間は限られた時間の中でそれを意識して走り続けた。そして、体というのは不思議なもので、自分が自分ではなかった期間も、その走りが体に染みついていた。
本当に、彼女はどれほど練習していたのだろう。
目を塞いでいたから、暗闇からイザベラと同じ景色を見るのが嫌だったから、聖羅はずっと背き続けていた。だからこそ、今彼女と同じ景色を見ているからこそ思い知らされてしまった――イザベラという、用意周到で努力家という才能に。
イザベラがこの体に遺していった努力の成果に、聖羅は走りながら脱帽した。
でも。
「――私は、貴方を越える!」
50メートル過ぎて、速度は落ちるどころか加速していく。
一歩、一歩、地面を踏み込む感触に、心が躍っていく。
頬を撫でる風は冷たい。白い吐息が瞬く間に見えなくなって、息が段々苦しくなってくる。一秒にも満たずに前後に振る腕は、疲労で筋肉が強張り始めた。
苦しいのは、嫌いだ。
痛いのはもっと嫌だし、なるべく平穏に過ごしていたい。できれば人と関りたくないし、周囲から注目を浴びのは避けたい。
きっかけさえなければ絶対に入らなかった部活で、聖羅は自分の望む世界と真逆の世界にいた。
ここは、結果を出せば注目を浴びて、結果を出すために今みたく苦しい時間が何度も訪れる。人との関りだって、否応なく持ってしまう。
でも、どうしてだろうか。
自分が望まなかった真逆の世界が、今は狂おしいほどに楽しいと思った。
あと30メートルを切った。
足はまだまだ加速する。息が上がることさえも、この苦しささえも、楽しいと感じた。
20メートルを過ぎた。
――あぁ。私、ずっと自分は何もできないって、そう勝手に決めつけてたんだな。
臆病なのを理由に、外の世界に足を踏み入れるのをずっと躊躇っていた。
でも、きっかけさえあれば、意外と外の世界は好奇なもので溢れていた。
それを教えてくれたのは友達で。そこに導いてくれたのは、やっぱり好きにはなれない漆黒の天使で。
10メートルを過ぎた。
――ありがとう。イザベラ。
これはきっと、最初で最後の感謝だ。臆病な自分を、この世界に連れてきてくれた天使への。
イザベラの存在は一生忘れることはないけれど、もう二度と、感謝はしない。
だから、この走りを彼女への手向けとして――
「ゴール!」
颯太の声が聞こえて、聖羅はゴールラインを駆け抜ける。最後の最後まで全力で走り抜けたから、勢いを殺すのにさらに10メートル先まで走った。
ようやく足が止まれば、聖羅はその場で膝に手を置いて荒い呼吸を繰り返す。
全力で走ったから、視界がチカチカと明滅を繰り返した。
「はぁ……はぁ……はぁ」
暫く視線が砂場に釘付けになって、動こうにも体が思うように動かない。
荒く、短い呼吸から深呼吸に切り替えれば、ようやく息も整った。
顔を上げれば颯太がランニングウォッチを見ながら聖羅の方へ近づいてきていて、聖羅も気持ちが逸るように足を動かした。
早くタイムを見たい、という強い思いが、自分の体を颯太に引き寄せていく。
聖羅が近づいて来るのを視認した颯太が、その口角を吊り上げた。
「み、宮地くん。その……タイムは、どうでしたか?」
心臓の鼓動は、ドクドクと走り切った余韻と緊張で五月蠅い。
声音を震わせる聖羅に、颯太はもう一度手に持つランニングウォッチに視線を落とす。
それから、颯太はゆっくりと手を上げれば、
「記録――更新だ」
くるっと手をひっくり返して記録を見せた颯太が、ニッ、と笑いながら言った。
その記録は、聖羅自身の自己ベストではない。イザベラの記録を含めた、最速タイムだった。
「よしッ‼」
聖羅は、喜びを噛みしめるようにガッツポーズした。
そして、あまりに感極まって――目の前の少年に飛びついた。
「やった! やりましたよ宮地くん‼ 私、イザベラを越えられました!」
聖羅はついに、イザベラを乗り越えることができたのだ。それだけじゃない、自分の力で、新しい可能性を開くことができた。臆病な自分を、変えることができたのだと、そんな確かな実感を手に入れられた。
抱きついてぴょんぴょんとその場を跳ねていれば、嬉しさに無我夢中で聖羅は颯太の動揺に気付かない。
「あ、あの……神払。記録更新できたのが嬉しいのは分かったから、だから、早く離れてくれないか……周囲の男子からの嫉妬の視線と、女子の圧の籠った視線を俺をどん底に落としかねない」
「……あ」
と苦し気に呻く颯太の言葉にようやく意識が現実に戻ってきて、さらりととんでもない事をしてしまった事に気付く。
慌てて拘束を解けば、聖羅は流れるように頭を地面に擦りつけた。
「ごめんなさい調子乗りました! 私あまりに嬉しくて⁉ 宮地くんがカノジョ持ちなのしてったのにこんな寝取りみたいな真似を⁉ ――死にます」
「いや死ななくていいから⁉ というか謝るなら普通にごめんだけでいいから! 周りの視線が俺を下衆野郎って言ってるから早く顔上げてくれ!」
記録更新の悦びはどこへやら。今は他人の恋人に抱きついてしまったことへの罪悪感が勝り、聖羅は冷や汗を流す颯太にそう促されておずおずと顔を上げた。
そんな二人の一幕を、遠くから小走りで駆け寄ってくる朋絵と陸人が呆れながら見ていた。
「颯太また女の子に土下座させてるー」
「またってなんだ! 俺は一回もさせてねえよ!」
「しかも、しっかりと抱きつかれてたな。これは浮気の証拠ですよ」
「アリシアには言うな! 絶対だ!」
「それもう完全に浮気してる男が言う台詞じゃん」
「浮気じゃなくて事故だ事故!」
二人の登場で途端に賑やかになった空気に、聖羅は思わずくすりと笑ってしまった。
「いやー。それにしてもすごかったね、聖羅。タイムはどうだったの?」
「ん。あぁ、見ろ、記録更新だ」
「うそマジ! 凄いじゃん!」
「おぉ。本当だ。しっかり過去最速出してる」
颯太が自分のように自慢げに聖羅のタイムを朋絵と陸人に見つけて、二人も表示されたタイムに感嘆の声を上げた。
「タイム更新した女の子に土下座させるって……颯太ってすごい鬼畜だね」
「どうせあれだろ。こんなじゃまだまだ足りないとか言ったんだろ」
「憶測飛び交い過ぎてゾッとするからやめろ。土下座は神払が止める間もなく始めたことだ」
挑発的な笑みを浮かべる二人に、颯太はやれやれと肩を落とす。
それから、颯太は呆ける聖羅に振り返ると、
「神払も、いつまでもその状態維持してないで、早く立ってくれ」
ほら、と颯太が手を差し伸べた。
その手に右手が自然と惹き寄せられて、握ろうとした――瞬間だった。
ぴたりと手が止まって、聖羅は伸びた手を引っ込めた。その行動に颯太は眉根を寄せたが、すぐに聖羅の意図を察して差し伸ばした手を降ろしていく。
微笑む颯太に見守られながら、聖羅はゆっくりと、自分の力で立ち上がった。
それは紛れもなく、聖羅が成長した証で――。
「宮地くん」
「ん。なんだ」
伏せた瞳。ゆっくりと瞼を開けて真紅の双眸で颯太を捉えれば、聖羅の言葉を待ってくれていた。
彼とならば――颯太たちとなら、何処までも走れる気がした。
だから、その気持ちを、伝えよう。
「私、まだまだ走れます!」
「あぁ。とことんまで付き合うよ」
そんな聖羅の高らかな声音に、颯太は相棒として強く応えてくれた――。
―― Fin ――
第3章は颯太のお誕生日がメインになります。4章からついに朋絵と陸人編だぁぁぁぁ!!
いや、ぶっちゃけるとまた予定より大幅に遅れております。何故かって? そんなの第2章書きすぎたからに決まってるからだぁぁぁ!!??
そんなわけで今後も天メソの応援宜しくお願いします!
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