第128話 『 紡ぎ、結び――それが〝絆〟 』
えー。日曜日で終わると思ったら終わりませんでした。もう一話とエピローグがあと2話あります。誰か助けてください。
なにはともあれ、第2部フィナーレ前編だ! ――さぁ、ご覧あれ
―― 42 ――
「カハッ」
しなる鞭が頬を叩いて、口が張り裂けて鉄の味がした。
「凄いわ。ソウタくん。貴方怪我してるのに、そんなに耐えられるなんて」
「言った……だろッ。アリシアへの所へは、行かせない……ッ」
壁に背を打ち付けられれば視界が火花を散らしたように明滅した。痛みで頭がどうにかなりそうで、颯太はただ脳裏に守るべき少女を思い浮かべて耐えた。
苦しさに喘ぐ颯太に、イザベラは一度暴力を引っ込めると感動したような瞳を受けてきた。
「ねぇ、ソウタくん。やっぱり私のものにないなさいよ。そうすれば、こんな苦痛も終わる。私のものになれば、貴方の欲望を全部受け入れてあげる」
「いや……だ」
「どうしてすぐ否定するの? 魅力的な提案じゃない。この世に二つとない、美の体現者である私を独り占めできるのよ――この世界の男の子なら、喉から手がでるほど素敵な提案だと思うんだけど」
「そこに、愛情なんてものないだろッ。あるのは、お前に支配される未来だけだ」
「支配なんてしない。本気で愛してあげる。私、これでも本当にソウタくんのこと気に入ってるの。ね、だから。私の所有物になってよ」
「……それも、アリシアを消すための……口実か?」
「――――」
もはや、イザベラの言葉を信じる気はなかった。その胸中に隠れている闇を、颯太は受け入れてあげることはできなかった。
「約束したんだ……アリシアを、幸せにするって。自分に、誓ったんだ。アリシアを、悲しませないって。その〝未来〟をお前が奪おうとするなら、俺は、何度だってお前から取り返す!」
「バカみたい。あんな奴にそこまで心酔するなんて。どうやったらそんな思考に陥れるの? なんで、そうやって、貴方も私まで拒絶しようとするのよ」
「イザベラ……」
それは初めて聞いた、イザベラの悲痛だったような気がした。
けれどそれはすぐに、闇に覆い尽くされて。
「もう押し問答も飽きたわ。貴方は消さないつもりだったけれど――私の邪魔するから消す」
「グハッ!」
伏せた顔が上がると、真紅の瞳が冷酷さを増した。慌てて立ち上がろうとするもイザベラに左肩を蹴っ飛ばされて、傷口が開く激痛に嗚咽を溢した。
「消えなさない。ミヤジ・ソウタ」
ゆっくりと伸びていく手が、颯太の首を締めんとする。
――ごめん。アリシア。またキミを、守れなかった。
脳裏に破顔する天使を思い浮かべながら、颯太は胸裏で彼女に謝罪した。
守れないまま、自分は死ぬ。死を、覚悟した――その瞬間だった。
遠くから足音が聞こえてきた。
それは段々とこちらに向かってきていて。扉の前でぴたりと止まった。
そのまま、扉は勢いよく開かれて――
「ソウタさん!」
白銀の天使が死を覚悟した颯太の元に、駆けつけた――。
******************
「あら。まさか自分から来てくれるなんて、アリシア」
「――ッ! ……あなたは、イザベラ?」
白銀の天使の呼びかけに、漆黒の天使は嫣然と微笑んだ。
「そうよ。覚えててくれて嬉しいわ」
再会を祝福する紫の天使――イザベラ。しかし、白銀の天使――アリシアは困惑した。
「どうして、イザベラが地球にいるの? どうやって、此処へ来れたの」
「それは教えられないわね。でも。一つ言えるのは……目的があって地球へ来たの」
「目的?」
「そう。とっても大事な目的。その過程で、こんな副産物も手に入れられたわ」
「――ッ!」
愉快そうに口角を上げるイザベラに、アリシアは固唾を飲んで拳を硬く握った。
それはイザベラによって傷つけられた、颯太を見たからだ。
キッ、とアリシアは問い質すように視線を鋭くした。
「ソウタさんに、何をしたの」
「ちょっと遊んでただけよ。ね、ソウタくん」
同意を求めてくるイザベラに、颯太は無視してアリシアに叫んだ。
「アリシア! 逃げろ! こいつの狙いはアリシアだ! こいつは、キミを消す為に地球に来たんだ!」
「つまらないことしないで頂戴」
冷然とした声音が颯太を非難し、容赦なく体を地面に叩きつけられた。
「グハッ!」
「ソウタさん! やめてイザベラ!」
イザベラの暴力にアリシアが悲痛の声を上げて訴えかける。しかし、イザベラは決して頷くことはない。
「嫌よ。だって、この子も私を見捨てたんだから。私を好きにならない奴は要らない」
「そんな暴力で、誰が貴方を好きになるって言うのよ⁉」
「ハッ。この前まで自分の感情がコントロールできずに自分の殻に閉じ籠ってた愚者が、大口叩くようになったじゃない」
「――ッ。それは……」
「アリシア……こいつの話に、耳を傾けるなッ」
「貴方は黙ってて」
「カハッ!」
「ソウタさん⁉」
痛みに揺らぐ視界に、涙を浮かべるアリシアの姿が映った。
「あなたの狙いは私でしょ!」
「えぇそうよ。私の標的は貴方ただ一人」
「なら、ソウタさんを解放して!」
「それが天使にものを頼む態度?」
「くっ!」
冷酷な双眸でそう問いかけて、アリシアは頬を硬くする。
「……お願い、します。ソウタさんを、解放してください」
服を握り締めながら、アリシアはイザベラへ懇願した。
屈辱、そんなように歪んだアリシアの顔に、イザベラは満更でもなさそうに吐息する。
「あなたが、憎んでいるのは私でしょう。なら、私を傷付ければいい」
「フッ。まさか、貴方からそんな風にお願いされるなんてね。――面白いわ」
アリシアの言葉に、イザベラの口角が不気味に上がった。
「丁度いいわ。今日まで時間かけさせてもらった分。たっぷりお礼させてもらわないとね」
そう言って、イザベラは颯太を抑えていた足をどけた。
それからゆっくり、イザベラは己の手に持つ鞭をしならせながらアリシアへにじり寄っていく。
いっそうイザベラが凶悪に微笑み、腕がゆらりと上がった。
「じっくりと、貴方をいたぶってあげる」
「あうッ」
ヒュンッ、と風を切る音がすれば、鞭がしなりアリシアの頬を叩いた。
「ずっと待ってたの。貴方を、直接いたぶれる時を。私はずっと待ってたのよ」
「そんなに、私が憎いですか」
「えぇ。とても。だって、貴方は私から全部奪っていったんだから」
そんな覚え、アリシアにはなかった。けれど、イザベラは確かにアリシアを嫌悪していた。否、いまもなお、憎悪している。
「今から、貴方の全部を奪ってあげるわ」
そう言って、イザベラの視線はアリシアの腫れた頬に落ちた。
「どう? 痛いでしょ」
「こんなの……ッ……ソウタさんが受けた痛みに比べたら、痛くない」
「じゃあもっと強くしてあげるわね」
いたぶることを愉しむイザベラに、アリシアは赤くなった頬を気にもせず唾棄する。
じゃあ、とイザベラがもう一度鞭を振るって、今度はアリシアの反対の頬が千切れた。
「ねぇ。苦しいでしょ。どうして自分がこんな目に遭ってるんだろうって、嘆きたくなるでしょ」
「……こんなのッ……ソウタさんが受けた苦しみに比べたら、痛くも痒くもない」
またアリシアが鼻で笑い飛ばせば、イザベラは不快気に舌を打つ。
「さっきまでめそめそしてた奴が、強がるのも大概にしないさいよ」
「いつッ……強がらなきゃ、いけない時があるの」
至近距離から容赦なく鞭を振るって、アリシアの口が千切れて血を流した。
それでも、アリシアの瞳は、イザベラに屈してはいなかった。
「人間に堕ち果てた堕天使がッ! 調子に乗るなよ!」
「かはッ」
怒りに感情が昂ったイザベラが、アリシアの腹へ膝蹴りを入れた。その威力にアリシアは堪らず涎を垂らして、鈍痛に呻いて、その場に崩れた。
「私はずぅーっと。貴方が憎くて仕方がなかった。私よりも少し先に生まれたくらいで、神の恩恵を多く貰った貴方が。才能を持っているのにそれを怖がる貴方が。周りと同じことをしてるだけなのに、なのに、貴方の方が私より周りから愛されていた」
「――カハッ」
その場に崩れ落ちるアリシアと目線を合わせたイザベラは、アリシアの前髪を乱暴に引っ張り上げた。腫れて、千切れて、血と唾液でボロボロになったアリシアを、イザベラは汚物でも見るかのような軽蔑の視線を送る。
「そんな汚い顔なのに、まだ貴方は誰かから愛されている――どうして?」
「そんなの……知らない」
イザベラの問いかけに、アリシアは肩で息をしながら首を振った。
「でも、分かることもある」
「じゃあ教えて。私と貴方の違いを」
ボロボロだというのに、アリシアの目は、死んではいなかった。
――アリシア。キミは……。
それは、颯太がいつも見ていた、アリシアの姿だった。
どんな困難でも、決して諦めず立ち向かって、傷つき迷いながらも進んでいく――天使の姿だった。
「貴方は、愛を一方的に奪おうとしてる。でも、それは本当の愛じゃない」
アリシアの心からの叫びが、颯太の耳朶を震わせる。
「イザベラ。愛っていうのは、始めからないの」
「何を言ってるの。分からないわ」
アリシアの言葉に無理解だとイザベラは首をいやいやと振る。アリシアは、構わず続けた。
「愛は、お互いを信頼しあって芽生えるもの。それを大切に育んでいくから――愛が生まれるの」
「違う! 愛は一方的に肥大化するものよ! それを奪い取るものなの!」
「だから、貴方はいつも誰から愛されなかったんじゃないの?」
憐れむような金色の双眸に、イザベラの頬が引き攣った。
「お互いを想い合って、信じあって、そうやって、愛が生まれていく。そうして―〝絆〟が生まれるんだ!」
「――アリシア」
アリシアの言葉に、颯太の胸が高鳴った。
彼女との絆は、引き裂かれてしまったと思った。でも、違った。
「絆は一方的には結ばれない。結び合う相手との絆があるから、強くて硬い糸が作れるの! あなたは誰も信じってこなかったから、だから誰の愛も、誰かと絆を結ぶことはできなかった!」
「――やめろ」
傷だらけの顔で、アリシアは叫ぶ。
「私はずっと、傷つくのが怖かった。だから一度自分の殻に塞ぎこんでしまった。でも、そんな殻を抉じ開けてくれた友達がいた!」
「……やめろ」
「こんな弱い私でも信じてくれて、絆を結んでくれた――ソウタさんが居てくれた!」
「やめろっ」
「だから、あなたには屈しない! 絶対に、あなたにソウタさんを奪わせはしない!」
決意を胸に刻んで、アリシアは叫んだ。
「アリシア。キミは、飛べたんだな」
一人の人間として成長を果たしたアリシアには、大きな翼が見えた。
天使から人になって迷っていたアリシアはもういなかった。いま、颯太の目の前にいるのは、天使であり、人である――少女・アリシアだった。
「イザベラ! あなたがどれほど私とソウタさんの絆を引き裂こうとしても、私たちは何度も絆を結び直す! 私たちの絆は――誰にも解けさせはしないッ!」
「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ――――――――――――ッ⁉」
アリシアの眦に、イザベラは全てを拒絶するような絶叫を上げた。
「なんで、どうしてたの⁉ あれだけ絶望を与えたのにッ、何もかもうまくいっていたはずなのにッ! なのになのになのになんで⁉ どうして私は貴方に負けるの⁉」
拒絶に頭を抱え、無理解だと血走った眼を走らせるイザベラ。
そんなイザベラに、アリシアは立ち上がり堂々と言い切った。
「傷ついても、苦しくても立ち上がる。それが人間よ。あなたは、そんな人間の強さを過信したの。だから、負けるの!」
人を愚かだと嘲り、人を無能だと罵った天使が、人としての弱さも醜さも受け入れた天使に負けた。
それはまさしく、陽と陰の在り方だった。
眩しく、太陽のごとく輝く少女に、暗く、憎悪に燃える天使が絶叫する。
「お前なんかが絆を語るな! お前なんかが私を見下すな! お前なんかが勝ち誇るな!」
「――――」
その罵声すらも、アリシアは受け入れる。
真っ直ぐ見据える瞳に、その凶暴は受け入れ難い屈辱に魂を震わせた。
「そんな目で私を見るなぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――ッ‼」
「――ッ⁉」
その狂者が、自身の爪の鋭利さを増させた。
怒り狂ったまま、イザベラはアリシアの命を消そうと凶爪を振りかざした――
「アリシア――ッ!」
叫び、颯太はアリシアを突き飛ばす。その刹那、颯太はアリシアの驚愕した顔をハッキリと捉えた。まるで、世界がスローモーションにでもなったかのような感覚だった。
――これ以上、アリシアは傷付けさせはしない。
そんな決意に体が呼応したのかは分からない。けれど、芋虫のように這いつくばっていた体はありったけの力を振り絞り、床を蹴りあげた。
瞬間の跳躍。それで、充分だった。それで天使たちとの距離は十分に埋まって、颯太の手はアリシアを突き飛ばせた。
そして、漆黒の天使が怒りに委ねた爪撃は――颯太の背中を抉り取った。
「カハッ」
戦慄に目を剥く少女が見えて、背中は鋭い痛みと火傷したような熱さを感じた。
鮮血の飛沫が宙を舞って、それが崩れ落ちる颯太と同じように床を赤く染め上げた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ‼」
地面に倒れると、アリシアが顔を悲壮に歪めながら足を血の海に置いた。
「ソウタさん⁉ ソウタさん⁉」
声を震わせながらアリシアが颯太の体を抱きしめてきて、大きな雫が顔を濡らした。
――あぁ。これ、ヤバイやつだ。
自分の命の源がどんどん体から流れていく感覚に、さすがの颯太もマズいと直感した。
「お願い! 死なないで! ソウタさん!」
目の前でアリシアが泣いていて、それを拭いたいのに、腕が上がらなかった。
「イザベラ! 私は、私は! あなたを絶対に許さない!」
涙を流しながら、アリシアは燃え滾るような怒りを露わにしていて、いつもの可愛い顔を憎しみで覆い尽くしていた。
「絶対に! あなただけは、死んでも許さない!」
アリシアの怒りが、大気を震わせる。それは比喩ではなく、現実に可視化されていた。
「なに、なんの……なのよこれ」
ガタリ、ガタリッ、と音を立てて教室の机と椅子が揺れた。突如起きた怪奇現象に、イザベラは困惑する。
――これか。アムネトがずっと恐れいたことは。
颯太が困惑することなく状況を即座に理解できたのは、おそらく正常な判断能力が低下していたからだ。
途切れる寸前の意識が眼前の光景だけに意識を充てて、他の事を思考する力など残っていなかった。だから、颯太は眼前の事態のみに意識を集中させることができた。
「ソウタさんを傷付けた、あなただけは絶対に許さない! この世界から、消してやる!」
――止めないと。俺が。
怒りに囚われるアリシアを、救えるのは颯太だけだった。でも、もう体に力が入らなかった。
――約束、したんだ。アムネトと。
必ずアリシアを守ると、必ず、自分がアリシアを暴走させはしないと。
もう、約束を破りたくなかった。
それに、こんなアリシアは嫌だった。
「あり……しあ」
声を振り絞り、少女の名前を呼ぶ。けれど、小さすぎたのか、激怒する少女は振り向いてはくれなかった。
――そんな顔、しないでくれ。
自分の為に怒ってくれいるのだと分かる。でも、アリシアは怒ってる顔なんかより、笑顔のほうが何百倍も素敵な子だ。
「アリ――シアッ!」
「――ッ」
アリシアの笑顔の為に、颯太は声を振り絞る。
そして声が届いたのか、アリシアはハッと我に返ったように目を見開くと、その涙で濡れた瞳を落とした。
「ソウタさん!」
「良かった。戻ってきてくれて」
大気の揺れが収まり、颯太は安堵の息を吐く。そんな颯太に、アリシアは悲痛に声を上げる。
「怪我してるんですッ! もう喋らないでください!」
「それは、無理かな……」
はは、と弱り切った笑いを溢せば、アリシアはどうして、と眉根を寄せた。
「お願い! もう何も言わないで! すぐ助けを呼ぶから!」
「いや、これ無理かも……もう、意識が……やばい」
自分の状態は、一番理解していた。この命の源がどぼどぼと零れる感覚は、おそらく死ぬ。
だから、この意識が途切れる前に、言いたいことがあった。
「アリ……シア」
「お願いだから、もう喋らないで!」
止めてと、そう言われても、颯太は止めない。
いまの想いを、全部アリシアに告げるまでは、終われない。
「嬉しかった。もう一度、俺を信じてくれて……」
「当たり前じゃないですか。だって、あなたを愛してるんですから」
「うん。知ってる。だから、俺も、言わせてくれ」
「――――」
力を振り絞っても上がらなかった腕が、なぜか伸びていく。不思議な感覚に浸ったまま、颯太は何でもいいか、と胸中で笑った。
そして、手の平で、最愛のアリシアの頬を撫でた。
「俺も、アリシアをずっと愛してる。この想いは、変わらない」
「――っ」
いつまでも色褪せぬ想いに、最期の熱を込めて――
「いつも一緒にいてくれて、ありがとう――アリシア」
その言葉に、大粒の涙が頬を伝って、落ちていく。
言いたいことは伝えられて、安堵したのか、眠くなった。
――少し、寝るか。
頬に落ちる涙の感覚すらもう伝わらず、意識が落ちていく――
「ソウタさん。ソウタさん。ソウタさん。お願い。お願いだから、返事してください」
抱きかかえる少年に何度言っても、返事はなかった。
悲しみに暮れるアリシアに、漆黒の天使は嗤った。
「なに、ソウタくん死んじゃったの」
「ソウタさん。お願いだから、返事をしてください」
「その子は貴方を庇って死んだんだから、貴方のせいよね」
「もっと、沢山お話しましょうよ」
狂者の非難を無視して、アリシアは颯太に語りかけ続けた。
自分が無視されていることに、耐え難い屈辱を覚え、イザベラは頬を痙攣させる。
「私もその子お気に入りだったの。貴方を消した後で私の恋人にしようとしたのに……まぁいいわ。これで、邪魔者はいなくなった」
再び、イザベラが爪を立てた。
「ようやく。貴方を消せる。貴方を消せば、今度こそ、皆は私のことを見てくれる!」
「もっと、二人で美味しいもの沢山食べましょう」
ゆっくりと近づいてくるイザベラを、アリシアは目もくれず颯太に語りつづけた。
「文化祭、一緒に回ろうって約束したじゃないですか。嘘吐いたんですか。私の為に頑張ったんなら、私を楽しませてくれないと嫌です。私の傍に、あなたがいないと意味がないじゃないですか」
「亡骸に何を言ってもムダよ」
「死んでない。まだ、ソウタさんは生きてる」
「もう目瞑ってるでしょ。血もこんなに流してるし、うん。死んでるわね」
「ソウタさんはまだ生きてる」
イザベラの言葉を、アリシアは嗚咽を溢しながら否定する。
この不毛なやり取りに飽き飽きとしたのか。イザベラは大仰にため息を吐くと、
「分からずやね。そんなにソウタくんに会いたいなら、私が会わせてあげるわよ」
「――――」
そしてイザベラの視線がより一層鋭くなると、彼女は爪の隙間からアリシアを睥睨して、
「あの世で仲良く再会してくるんだな! ――クソ天使!」
その狂爪が、アリシアの命までも奪い取ろうと――
「もうこれ以上、天使を侮辱するな、イザベラ」
「――ッ⁉」
その直後だった。アリシアと颯太の前に、ひらりと羽が舞ったのは。
その声音は静かに、しかし確かな怒りの炎を揺らめかせていた。
狂爪を受けたのは――緑の天使。
その緑の天使に、ふ、と颯太の口角がわずかに上がった。
「来るのが、遅すぎだよ――アムネト」
「ソウタさん⁉」
混濁の意識。そこから目覚めれば、颯太は目上で狂爪を抑える天使に嫌味を吐いた。
天使――アムネトは、颯太の嫌味に舌打ちすると、
「来ただけでも感謝しろ、と言いたいが、今回は口を噤むざるを得ないな。このありさまを見れば」
「――アムネトッ!」
突如参上した純大天使に、イザベラは分かりやすく顔色を悪くした。それから距離を一歩取れば、
「なぜ、お前が此処にいる⁉ 天界にいるはずじゃ……ッ」
「俺を侮るな。お前が何か企んでいることは薄々感付いていた。周囲の天使たちにも、随分と根回したようだな。おかげで、地球へ来るのも手間取った」
「くっ⁉」
吐息するアムネトが肩を落とし、イザベラの緻密な策略に唇を噛む。それから、アムネトはボロボロになった二人を一瞥すると、
「随分と、人間に干渉したようだな。それも非合理に。貴様ッ。どれほど我ら天使を貶めれば気が済む」
その声音が激情に震えていて、顔が鬼のような形相になる。
鬼気迫るアムネトに、イザベラの頬が硬くなる。
「ちがっ。これは……そう! こいつらが私を侮辱してきたの! だから、天使として当然の罰を与えただけで……」
分かりやすく言い訳をするイザベラに、アムネトはいっそう強く睨んだ。
「……っ」
これが、聖大天使の重圧だ。言い逃れる慈悲を与えぬアムネトの圧に、イザベラは口を開けたまま声が止まった。
「これ以上、我らの世界を穢すな――イザベラ」
そして、アムネトは冷酷にイザベラへ言い放つ。
「貴様はもう、天使ではない――醜く、愚かな〝悪魔〟だ」
「違う! 私は悪魔なんかじゃない⁉ 純大天使・イザベラだ!」
アムネトの言葉を、イザベラは声を張り上げて否定した。
「……イザベラ」
颯太はそれが、まるで悪戯っ子の悪あがきに見えた。
「私は偉いの! 私は慈悲深いの! 美しくて可愛い私なのに! それなのに誰も私のことを見向きもしてくれなかった! 誰も私のことを正当に評価してくれなかった!」
「それは貴様が、自分の世界にだけ閉じ籠って周囲を見ようともしなかったからだ」
「違うッ! 皆を背けた! 皆、そいつばかりを見てた! そいつと同じ努力をしたのに、なのに皆が見たのは神に愛されたそいつだけ!」
「アリシア様が周囲の羨望を集められたのは神様の恩恵を多く貰っているからではない。皆、アリシアの志に感化されたから付き従い、尊敬したのだ」
アムネトは、イザベラの叫びを真正面から受け止めた。そして、断言する。
「貴様はただ、アリシア様が羨ましかったのだろう」
「違う! そんなやつ羨ましくもなんともない! 目障りだっただけ!」
「ならば何故、いつもアリシア様を遠くから眺めていた」
「――ッ」
言葉を噤むイザベラ。それに、アムネトは訴えかけるように続けた。
「私は見ていたぞ。ずっと、お前がアリシア様を遠くから見ていたことを。ずっと、私たちの輪に入りたそうにしているのを、私は見てきていたぞ」
アムネトの声音からは、寂寥めいたものを感じた。
「なのに何故お前は、輪に入らず、アリシア様を恨み――処刑させたのだ」
「それが、私が皆から見てもらうための唯一の方法だったからよ」
「そんな方法などなくとも、お前を認めてくれる者はいつか現れたはずだ。お前が、本当にそれを望んでいれば、必ず!」
「いつ来るかなんて不確定な未来なんて要らない! 私はすぐ認めて欲しかった! 私はずっと認められたかった! ――その全てを裏切ったのは、お前たちだろッ!」
イザベラの叫びが、颯太の胸に残る。
イザベラの怒りは、悲しみから来ているものだと分かった。
誰からも愛されないまま、イザベラの魂はアリシアへの憎悪で歪んでしまった。
その歪みに気付けぬまま、イザベラは罪に手を染めたのだろう。
彼女は、誰から奪うことが己の救いになってしまったのだ。
そんな過ちを、アムネトは赦さなかった。
「私はお前に、慈悲など与えるつもりはない。私怨ではなく――天界の者として、貴様に正当な罰を与える」
毅然とした目つきがそう告げた瞬間。空間が捻じれる。その捻じれは地球と天界を繋ぐもので、アムネトがイザベラを連行しようとしているのを颯太は理解した。
「アムネト……イザベラは、ずっと悲しんでたんだ」
彼女の行いに怒りは当然はある。でも、颯太はイザベラの在り方に同情した。
どうにか、イザベラの心を救ってあげたかった。
けれど、アムネトは厳然とした目を颯太に向けた。
「それがなんだ。如何な理由があろうと、イザベラはもう天界の法に叛いた。その意味を貴様を知ってるだろ。私たちの世界の事情も、貴様はもう、理解しているだろう」
知っている。それで、アリシアは処刑されたのだ。
それは悲劇であり、そしてまた、颯太の知らないところで悲劇が起きようとしている。
それを黙って見過ごせるほど、颯太は人間として完成していなかった。
「知ってるさッ。でも、今まであいつに、誰も寄り添おうとはしなかった。それが今と、そしてアリシアの悲劇を生んだんなら、その責任は天界にだってあるはずだ」
「貴様はまた、そうやって暴論を振りかざすのか」
ウミワタリの日。颯太はそうやってアリシアを救った。同じ奇跡が二度、起こるとは思っていない。
それでも、颯太は――
「俺は、イザベラがアリシアにしたことは絶対に許せない。でもこの世界で、イザベラは楽しそうに笑ってた。あの笑顔は、本物だ。お前は、イザベラが心の底で笑ってるのを、見たことがあるのかよ」
「それは……」
「誰だって、間違いは犯す。それを許さない世界があるなら、そんな世界、ぶっ壊れればいい。天界に住んでる天使が、自分たちと同じ存在を正しく裁けないなら、魂を導く資格なんてないだろ」
「「ソウタさん(くん)……」」
「人間は、そうやって過ちを繰り返しながら生きてる。慈愛に満ちる天使なら、過ちを裁くんじゃなく、赦すことだってできるだろッ」
アムネトに、颯太は必死になって訴えかける。
こんなにも傷つけられて、アリシアとの絆を引き裂かれようとして、それでもイザベラを救いたいと思う自分は、本当に馬鹿なのだろう。
けれど、イザベラを見殺しになんて颯太にはできない。
だって、彼女と過ごした二カ月が楽しかったのは、紛れもなく事実なのだから。
「お前、言ったよな。もう二度と、アリシアのような悲劇は起こさせないって」
「――――」
「だったら、実現してくれよ――天使が、悲劇が起きない世界を」
真っ直ぐに、颯太はアムネトを見つめる。
そんな颯太の想いに、アムネトは暫く難しい顔をしたまま、やがて何か観念したように「ハァァ」と大仰にため息を吐くと、
「約束はできん。――だが、努力はしよう」
「ッ! 本当か!」
アムネトの返事に、颯太は顔を上げた。そんな颯太に呆れたのかは分からないが、少女がくすっと笑った気がした。
一方の無理難題を押し付けられたアムネトは、颯太に向かって呆れた目を向けた。
「本当に貴様は、天使に甘いな」
そう嘆息してから、アムネトは捻じれた空間に視線を移動させた。
「貴様の望みに応える為にも、まずはイザベラを天界へ連れ戻さなくてはな――連れて行け」
「「ハッ」」
アムネトが在空間に向かって挙げた手を振り押すと――そこから二体の天使が姿を現わした。
「な、何するの⁉ 放しなさいないよ!」
天使たちは現れるや否や、颯太たちには目もくれずイザベラを拘束した。腕を掴まれたイザベラは必死に抵抗するも、その抗力は無意味に終わる。
「イザベラ。これで貴様の野望は完全に潰えた。我ら天使と神様を侮辱したこと、そして人間を利用し傷を負わせた罪。決して軽くないぞ」
「黙れ! 私は悪くない! 私は、なにも悪くないんだ!」
力一杯抵抗しながら、イザベラは犬歯を剝きだして吠えた。
「イザベラ!」
引きずり込まれていくイザベラに、颯太は彼女の名を呼んだ。
イザベラは、一瞬目を見開いて、それから颯太を見た。
「……なによ」
警戒するイザベラに、颯太は言う。
「お前が、ちゃんと自分の罪と向き合って、そして罪を償ったら、また俺に会いに来てくれ」
「なっ。馬鹿なの⁉ 私は、貴方を陥れようとしたのよ⁉」
「だからだ。お前が自分と向き合えたら、その時、俺と、アリシアに謝りにきてくれ」
それが何年。何十年掛かるかは分からない。
でも、もしイザベラが自分の罪と、そして悲しみと向き合えたら――
「その時は俺たち――友達になろう」
だって颯太は、天使が好きだから。
例えお人好しだと馬鹿にされても、天使が楽しそうに笑っているのが好きだから、だから、颯太はイザベラのことだって、きっと好きになれる気がした。
そんな想いを馳せる颯太に、イザベラは呆気に取られた後、可笑しそうに笑った。
「貴方って、本当にお人好し。でも、そうね。もしその時が来たら、いいわ。――貴方に会いにきてあげる」
「あぁ。待ってる」
その微笑みがいつも向けられた微笑みだったのは、颯太だけにしか分からなかった。
颯太にだけ向けられた、天使の微笑み。
「じゃあね、ソウタくん――今までありがとう」
そんな別れを告げて、イザベラは亜空間へ消えていった。
シン、とそれまでの激動が嘘だったかのように、教室は静まり返った。
「終わった……んだよな」
「はい。終りましたよ。ソウタさん」
穏やかな声音がそう肯定してくれた。
その声音に、緊張の糸がついに解けた。
「よか……った……」
今度こそ、力を使い切った。
「ソウタさん⁉ ソウタさん! ソウタさん!」
意識が、遠のいていく中で、アリシアの叫び声が聞こえた。
「――ト! ――く! ――を!」
――そんな顔をしないでくれ。アリシア。少し、眠るだけだから。
起きたら今度こそ、文化祭を一緒に回ろう。
声もなくそう約束した。
今度こそ、颯太の意識は完全に途切れた――――。
―― Fin ――
きょ、今日までに終わらなかった⁉ ということで明日もあります。
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