栄転の罠
『現在外に出ているドーリス人の如何なる行動も、連帯責任を問うことはしない。また、彼らの如何なる行動も、エスピラ・ウェラテヌスと先々代の間で結ばれた条約に基づいて判断するのみであり、以後の法が遡って適用されることは無い』
この約の肝は、ドーリス臨時国王ヘルモラオス自ら原文を記載したことだろう。
エスピラの名を先に出したのだ。自身を下にする態度であり、交渉役のルベルクスが否定しづらいところを突くモノであり、なおかつマシディリらによる穏当なドーリス乗っ取りへのけん制である。
(流石ですね)
でも、今のマシディリはルベルクスに一任しても何の不安も抱かない。それだけの成果をルベルクスは出し続けたのだ。
故に、マシディリはこの約を即座に受け容れ、ルベルクス隊が行っている家族への見張りを解除するようにとの命令も下した。
引き時である。
この先もずっとヘルモラオスによる統治を認めるのか、将来的に甥であるコウルスを入れるのかは未定。両方を睨みながらと言う展開だ。だからこそ、上下関係の構築と同時に敵対心を和らげる策も必要となってくる。
即ち、次の策。
マシディリは、ディファ・マルティーマに受け入れているドーリス人亡命者の受け入れについての打診を内々で始めるようにとルベルクスに手紙を書いた。ヘルモラオスの義父にも親書を送る。奥方への贈り物、家門に属する孫への絹衣も添えた。
一年ほどは入れるつもりは無い。ヘルモラオスがマシディリの目論見を挫くためにと動こうとしても、亡命者は前宰相アンティパトロスの政敵と言うだけでは無いのだ。当然、今のドーリスの上層部と対立した者もいる。その中にはマシディリの下で前の地位よりも良い待遇を得ている者もいるのだ。
条件の引継ぎを絶対条件とすれば、反発は必至。
宥めていく中で時間がかかれば、兵の減少とそれに基づく奴隷の反乱、あるいは離脱は起こりうる。
ドーリスとはそのような国だ。ドーリス人の鍛え上げられた肉体は奴隷を制御するのに使っている。そのドーリス人が減れば、奴隷を抑えるにも一苦労。
だからこそ、亡命者が欲しくなる。
ドーリス人だからだけでは無い。彼らに着いてくる奴隷も魅力の一つ。彼の者らの奴隷を制御するのはアレッシアであれば、人手が増えるだけになるのだから。そうして人を入れさせ、ゆっくりとアレッシアの文化を流入させる。それもマシディリの狙い。
他国から人を受け容れさせ、元居た国ではと嘯き、じっくりと侵略を開始する。これもまた常套手段であり戦争だ。
アフロポリネイオも、共通財貨の浸透のためと称して援助を取り決めている。一方で実際に輸送できるかは海上封鎖が何時解かれるかが肝であり、東方諸部族からの木材や石の輸送も同じく他のエリポス船が邪魔している、と民にこぼした。
夏を迎え、アフロポリネイオ市街が日陰の少ない場所ばかりになっていても、マシディリは構わない。
神殿は神聖な場所として真っ先に建て直しの対象にすることで民の立ち入りも制限させている。我慢にも限界はあるはずだ。
無論、調略の手はカナロイアにも伸ばし続けている。
「マシディリ様。トリアト・ポリアティスから使者が到着いたしました」
「裏口へ。人目に付かないように案内してください」
「は」
レグラーレが静かに離れていく。
ポリアティス家は王妃派に属している大商人の家門だ。トリアトの父が王妃の叔父と学友であり、その伝手で販路を拡大。王妃を輩出した家門も、ポリアティス家からの『感謝』を使って当時の王太子妃競争を優位に進めた経緯がある。
しかし、出発点は個人的な信頼関係であり、王妃の嫁ぎ先はあのカクラティスだ。
カクラティスの政策の初期段階こそポリアティスの財は重要であったが、カクラティスはその比重を徐々にウェラテヌスに傾け、生じた利の分配先の多くもウェラテヌスとなった。
不満はあっただろう。
しかしながら、そう言う事情だから、と王妃側から説明させたのがカクラティス。恨みをウェラテヌス、外にいるアレッシア人に向けつつ、王妃派の人間はポリアティスに政治的な権威を握らせないことで自分達のみがポリアティスの財を政治的な工作に用いることができていた。その状態を維持していた。
その歪みを、突いたのである。
「トリアト様は、新しい販路確保のためにカナロイアを一時的に離れることを決断されました。初期投資としてポリアティスの財を持っていくこと、管理権限を握ることにも成功しております。移設先は、ティツィアーノ様とも親しくない街を選ぶつもりであり、既に候補を見繕いました」
過剰なほどに身を隠したエリポス人がそう告げ、一枚の紙を差し出してきた。
アルビタが受け取り、マシディリに持ってくる。
一瞥。
マシディリは葦ペンを引っ張り出すと、二カ所だけ名前を消した。とんとん、と少し考え込むように葦ペンを机の上で叩き、もう一カ所も消す。
「私の調略が入った場所も消させてもらいます」
「は」
「貴重な情報です。いわば、人質、とでも言いましょうかね。無論、アレッシア人ですので、人質を取られても行動に影響はありませんが」
区切り、立ち上がる。
紙を首を垂れる使者の前に置いた。
「カナロイアにあるポリアティスの蔵をアレッシア軍が襲わないことをお約束いたします。もちろん、移動が確認され次第、になりますが。きちんと、エテ・スリア・ピラティリスなどのティツィアーノからも離れた場所に移動してくださいね」
「日付の、方は」
使者の声が震える。
ああ、とマシディリはどちらとも取れない声を出し、再び机に戻った。パピルス紙を手に、確認するように眺める。
無言の時間だ。
使者の汗は、少し増えたようにも思える。
「アレッシアで言う、七番目の月の内に最初の行動を。日付までは指定しませんよ。ご自由に書き足してください」
そして、日付の欠けた誓約書を差し出す。
青くなった顔を安堵で血色良くしながら、ありがとうございます、と使者が頭を地面にこすりつけた。
「新しい行動とその成果への罪は、その」
使者が口ごもる。
「問いませんよ」
マシディリはやさしく告げ、使者の肩に手を乗せた。
湿っている。べちゃりと音がしそうな程だ。それでも、親し気にゆっくりと撫でまわした。使者の体はますます硬くなる。
「王妃派からの信頼を得られたまま離脱できるのなら、良いことではありませんか」
きわめてやさしい声を出して。
マシディリは、使者を送り返した。
二日後、カナロイアの人事が伝わってくる。
王妃派の二人の人物が将軍となり、残存するカナロイア軍を率いてスペランツァらが一時期陣を築いた最終防衛線へ向けて動き出したとの報だ。
これで、王妃派は軍事力を手にしたことになる。
一方で王太子妃派、ユリアンナは第一軍団を削っているため兵力が少ない。
権力と軍事力を手に入れた王妃派が一気に有利に立った。
訳では、無い。
ユリアンナの策略だ。敢えて出世させたのである。
争っていた中で、栄転の話が出ればついつい手を伸ばしてしまうモノ。欲していた地位の一つだ。派閥の利にもなる役職でもある。敵対していた派閥から上げますと言われても、ひとまずは手が伸びてしまうのが人間。
しかし、同時期にカナロイアの民の口に上がったのは、カナロイアでマレウスの葬儀を行おうとしたと言う話である。マレウスは今回の戦争を引き起こした張本人で、『極めて野蛮な方法で』政権転覆を果たしたのだ、と。
物語を描かせるのだ。
軍事力を手にした王妃派。これは事実。
次に、同じ時期に進んでいた異国の者の葬儀を執り行う話。此処も事実。
ただ、普通に考えれば、マレウスの葬儀を、まさか次兄を弑逆されている王太子妃が認めるはずが無い。つまり、マレウスの葬儀の許可を出したのは王妃であり、ティツィアーノへの攻撃と言う形で止めたのはマシディリであり王太子妃の長兄。
王妃派が将軍をつけ、軍事力を手にしたのはマレウスと同じ『野蛮な方法で』主導権を握るためでは無いか、と。
此処まで睨まれれば、最終防衛線まで出張った二将は一歩も下がることができない。二人が連れて行った、二人にとって信頼できる高官達も同じこと。下げる訳にはいかないのだ。弁明のためとはいえカナロイア市街に人を送れば、噂はより濃くなる。やはり、と。自分の考えた陰謀論を強く信じたいのだ。
こうして、王妃派は軍事力を大きく下げることになる。
将軍になれる人物と言うことは政治的にも要職にあった人物と言うことであり、そのような者達も無為に失ったことになった。
それも、失脚では無く、栄光を掴んだ結果で。
「王妃の老いた父親を暗殺します? 今なら、王妃派が将軍を呼び戻す口実のために殺した、一発逆転を狙った策、として罪を擦り付けられると思いますが」
不利になれば喧嘩の一つや二つ起こるでしょう。権力欲がある者なら猶更。
そのように、スペランツァが蝋燭一つしかない天幕で静かに言う。
「ユリアンナに任せるかな。私は、王妃派の会計係の方を飛ばしていきたいからね」
フォマルハウトの扱いに関してはユリアンナの方が長けているはずだ。
彼の帰還をどう演出するか。恐らくは、外に出た二人の将軍を不安要素としたいはずである。
そう考え、地図に目を落とす。
ティツィアーノの最近の軍事行動は、ほぼ全軍で移動して陣を作り、拡張していくと言う行動であった。




