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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第四十二章
1731/1733

マタリヤクラドスの戦い Ⅲ

「下りたね」

 あの時は私も下りたよ。先んじた方が良いしね、とマシディリは静かにこぼした。


 スペランツァの攻撃は失敗する。ほぼほぼ。そう取り決めていた。敵が待ち構えているのなら、無理攻めをするつもりは無い。平野でならば、こちらが有利なのだから。


 くわぁ、とアグニッシモが大あくびをする。

 口が閉じた瞬間、獰猛な色が瞳に宿っていた。


 マシディリも小さく息を吐き、体内を切り替える。とはいえ、ティツィアーノはこれ以上は下りてこないとも思っていた。刃を交える戦いは此処までだろう。

 とは言え、油断や緩みが見えればティツィアーノは攻めてくる。そう言う男だ。油断は禁物であり、気を引き締めてことに当たらねばならないのである。


「兄上」

 そのような決意を固めた兄弟を呼び止める声。この声もまた兄弟から。

 末弟セアデラ・ウェラテヌス。その首は、下がっていた。


「兄上が正しかったです」

 声もやや小さく、力ない。


「追撃に関してかい?」

「はい」


 視線が下に言ったまま、セアデラが首肯する。

 アグニッシモの厳しい視線がセアデラに向けられた。


 マシディリは顔の横まで手を挙げ、アグニッシモを見ずにアグニッシモに対して手を横に倒す。手の甲を向けたままだ。アグニッシモも小さな金属音を立てて少しばかり戻ってくれた。


「失敗する確信があれば止めているよ。許可したのは私だ。責任の所在は私が八のセアデラが一。残りは皆で分け合う形かな」

「ですが、兄上。厳しい言葉で兄上に迫ったのは私です」


「誰にでも失敗はあるよ、セアデラ。失敗しない方が良いし、失敗が致命傷になることもあるけどね。

 でもね、セアデラ。失敗をしないのと同じかそれ以上に失敗からどう立ち直るかも大事だよ」


「肝に銘じておきます」

「じゃあ、早速大量の松明の準備を頼むよ。逃げようとした敵を照らすために、ね」


 セアデラの肩に手を置き、それから第三軍団に整列をかける。

 陣の外、やや坂になっている場所ではスペランツァらによる挑発染みた攻撃が続いていた。


 隊列を崩し、鎧を脱ぎ、あるいは倒した敵兵からの剥ぎ取りを目の前で行って。ティツィアーノ側の一部がうるさければ、はぎ取った戦利品を投げ返してもいる。挑発の言葉も着けているだろう。


「我慢強いね」

 流石はティツィアーノ。

 そう呟いて、ゆっくりと軍旗を上げさせた。


「ラエテル。あそこに、エリポスに来た時には味方だった者達の死体があるだろう?」


 それは、陣地前に討ち捨てられたままの肉塊。

 鎧ははぎ取られず、武器もそのまま。踏みつけられた後は敵によってのみ。


「私の失敗の代償だよ」

「僕達の決断の重さだね」


 がんばります、とラエテルが両手の拳を小さく握りしめる。ふんす、と鼻から息も吐きだしていた。


(まあ、あまり心配はいらないか)


 割と図太いところもある子だ。

 アグリコーラの長い午後でも寝ていたし、先のクイリッタ暗殺後の動乱期にも熟睡していた証言もある。しっかりとした睡眠が取れるのも非常に大事な才能だ。


 一方で、だからこそしっかりと見ておかないと、と言う気持ちにもなる。愛妻の気持ちも分かるのだ。無論、マシディリから見た現状としては愛息もそんな母の心配を悟っているようである。


「さて。では、陣の外。簡易防御陣地群の外に出ましょうか」


 マシディリの言葉が白い光となって打ちあがる。

 一万人の足音が一つの足音となり、ゆっくりと開く扉を通って外に出た。


 第一列左翼アビィティロ、右翼アピス。

 第二列左翼ルカンダニエ。右翼マンティンディ。

 第三列左翼グロブス。右翼マシディリ。


 堂々たる最強の布陣。

 されど陣外。

 なれどティツィアーノは動かず。


 マシディリがひとまず最前列に行って、様子見を行う時間があっても、先に整列を終わらせていた推定第四軍団は自陣に籠ったままスペランツァからの挑発を見ていた。


(騒いだだけで落ちる訳ではありませんが)


 ドーリス人部隊を始めとするエリポス人諸部族部隊は簡易防御陣地群まで攻め寄せ、追い返された。守るために動いたとはいえ、ティツィアーノがこのまま動かないのなら、使い捨ての威力偵察に利用されたとエリポス人に思われても仕方がない。


 この戦いで最も名誉を失ったのはドーリス人だ。そして、ティツィアーノがこのままならドーリス人に名誉を回復する機会を与えなかったことになる。


 何よりも、先の戦いでティツィアーノは簡易防御陣地群を名乗り、そして前に出たことでマシディリも戦いに乗る形になった。今回はマシディリが簡易防御陣地群を名乗り、前に出ている。


 確かに、先の戦いと違いマシディリは簡易防御陣地群に籠って戦いもした。

 しかしながら、先の戦いではティツィアーノは戦闘想定区域内に留まり、仕掛けを施した場所での野戦としていたのである。


 なるほど。

 父、エスピラ・ウェラテヌスの戦い方としてはティツィアーノの方が近いかもしれない。しかし、判断するのは人だ。どちらに名乗ってほしいか。エスピラ・ウェラテヌスと言う肥大化した英雄の名前を継ぐのはどちらであってほしいのか。


 それは、明白だ。

 簡易防御陣地群を活かした上に、より男気を見せた方。即ち、マシディリ・ウェラテヌスに、と。元からの正統後継者に、と成る。


(それは、『私の』ですよ)


「エリポス人捕虜の処刑でも行って挑発しましょうか」

「もうじき夏となります。より直接戦闘より交渉が大事になってくる場面でそのような行いは悪手かと」


 アビィティロが止めて来た。

 冗談ですよ、と言って、マシディリは最後尾に戻る。


 そこからは、ただの睨み合い。

 第三軍団は不動を貫き、音一つ立てない。

 一方でティツィアーノ側はスペランツァの挑発に乗ってしまった部隊が動く様子がちらちらと見えたが、本隊は動かず。


 夕刻を迎え、陽が傾き、影が伸びる。


 赤い世界でもマシディリとティツィアーノは睨み合ったまま。間にいるスペランツァが何度かだれきった様子や大あくびを見せても下りてはこない。騎兵も使ってこない。


 やがて、陽が落ち切る。

 暗くなった戦場を、セアデラら会戦の口火を切った者達が松明で照らし始めた。


(今になって思えば、焼き立てのパンを作り投げ込ませるのも面白かったかもしれませんね)


 そんなことを考えながら、睨み合いを続ける。

 先に動いたのはティツィアーノ。とはいっても、夜。星明りを頼りにするようにゆっくりと引いていく敵軍を、松明を持った味方がゆるゆると追走していった。もちろん、攻撃はしない。


 そうして、完全に敵が陣に戻っていったのを確認してからマシディリと第三軍団も陣に戻る。スペランツァも引きつつ、交代で寝ずの番。


 その後も見張りを続けたが、ティツィアーノから最早恒例となりつつある威勢の良い手紙は発せられた様子は無かった。小競り合いの一つ、良くあること。会戦では無かった。そうしたいのだろうし、それこそがティツィアーノが敗北と感じている証拠。


「マレウスの葬儀をしたいと言って、王妃派に受け入れ工作をしてもらいつつも父上の行動で動けなかった、と言うのがカナロイアから見た結果になりますので、父上の大勝利ですね」


 後日、ラエテルが軍議の場で明るく言った。


「『大』では無いかな」

「少々利のある小勝利」

 マシディリの発言の後に、ソリエンスが小さく言った。


「大小の利があれば大勝利か」

 アグニッシモも、一言。


「は? 馬鹿なの。阿保なの。どっちなの。大きな利益や戦果があれば大勝利じゃん」

「こいつっ」

「打てば響く」


 すぐにソリエンスに返され、アグニッシモが拳を震わせる。

 陣内にはあたたかな笑みが溢れた。


 潮目の変わる勝利。此処から始まる大反撃。


 そのようなことを謳う兵が増えたのも、この日からであった。

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