自己都合、他己都合
「我らは戦争を望まない者である。故に、アレッシアに与することはできない」
テレセヘナの使者が、顎をやや高くしながら言い切った。
此処は山中。テレセヘナを遠望するマシディリの陣地。
物資の供給に応じた都市は、ほぼ無いと言って差し支えなかった。一部の山が剥げているのは、アレッシアの軍事訓練の所為だ。威圧でもある。狩猟でもあった。第三軍団で施したように、生き物を中央に追い立て、狩り、腹を満たしたのである。
だが、肉や草は集められても穀物は昨日尽きた。
エリポス諸都市がマシディリ達にもたらしたのは、百人分にも満たない量。馬を使って仰々しく、されど中身はさもしい物が細々と届けられたのみ。
ただし、商人は別。
マシディリの足元を見て消えていった者達を知っている情報通は、目の前の使者が滑稽に思えるほどにマシディリに通じているのだ。
エリポスでの出来事だとは思えない。野蛮人は野蛮人だ。だから奴隷として売られることになる。そんな話をエリポス人がしていることもマシディリは聞いていた。
そんな彼らでも十分な物資を持ってこないのは、ティツィアーノにも通じているからか、エリポス人の顔色を見たからか。
情報を持ってきているのは、マシディリが重視するモノは何かを知っているからか。
あるいは、ユクルセーダを始めとするエスピラ以来の経路を使いたい他国の入れ知恵か。
「だが、我らは汝らの手を払いのけるほどの冷酷漢でも無い。諸君らが対話を行うと言うのであれば、場所は用意しよう。幸いなことに我らは戦いを望まない者の集まり。暗殺の危険はどこよりも低いと断言しよう」
またしても堂々と、使者が馬鹿げたことを言う。
先の戦争でどれだけの人が亡くなったか。ディティキ周辺の戦いでどれほどの人が死んだか。その地域に居た者はどうなったのか。
自分に酔うかのように、完全な他人が、自分のために泣いている。
さらには譲り合えば終わる話だとまで言ってきた。
許すのが人の情であり、その上で規則に則って裁くのが法治である、と。そこまで争いたいのなら、一騎討ちだけをすれば良い。そう高らかに歌い上げて。
連れてこられた兵も苦労しているであろう。不運だ。この戦いは、マシディリのわがままである、と。
ずっと、誰も何も言わないと見て使者がどんどん熱く語りだした。
その間にも若き高官達は表情を険しくするか冷たくするか。ソリエンスなどは使者に見えない位置で何回あくびをマシディリに見せつけられるかと言う遊びまで始めた始末である。それによって困った顔をしたアルムが使者に目をつけられ、詰められることもあった。
それほどまでに気持ち良く語り、否、自分の意見ばかりを押し付けた使者が、ようやく一息をつく。具体的には、腰に下げていた山羊の膀胱に手を伸ばし、ごくごくと液体を飲み始めた。
「時に」
その頃合いを見て、マシディリは半笑いで凛々しい声を出す。
「犯罪がなぜ起こるのか、と言う話は御存じですか?」
まるで雑談をするかのように。
そうして、使者が膀胱を下げるかどうかの時にマシディリは続けた。
「ある者は言いました。それは、『機会』『理由』『後押し』があってこそだ、と。
盗みであれば、相手の監視が行き届いていないと言う機会、自らは飢えていると言う理由、誰にも見られることの無いと言う後押しで起こるそうです。
畑の横領であれば曖昧な基準と言う機会、自分方が土地が小さい、より多くの土地が欲しいと言う理由、川の流れが変わったと言う後押し。
殺人であれば護衛が少ないと言う機会、恨んでいると言う理由、味方が多く法を捻じ曲げられると言う後押し。
さて。タランステレス。
この軍団は飢えている。腹もだが、女にも。半島では徹底して略奪を禁止し、エリポスに渡ってからは籠城戦。功績も挙げられていない。略奪の伴う戦闘を望んでいるよ。
そして、略奪は正当な報酬だ。どこの国も明確な制限を設け続けることはできていない。兵に報酬が払えなければ、兵は従わないし、下手をすれば高官が討ち取られるなんてこともありうるしね」
使者の顔が一気に険しくなる。
「こちらは武装をしていない。そのような者に攻め込むのか」
使者の拳は固く握りしめられ、腕も伸びていた。顎もしっかり引かれ首が見えない。一方で浮いているのは踵では無く、つま先だ。
「守りを固めている者と固めていない者。君なら、どちらに攻め込む?」
「戦う意思がある者と平和を愛する者だ」
「君の見方はそうなのだろうね。でも、私の見方は違う。
私の戦友を失う可能性が高い場所と、失う可能性の低い場所だ。
機会だよ。好機、と言った方が良いかな。
そこに、自衛の手段の弱い国がいる。私達は物資が欲しい。誰もがやっていることだ。そして、口はうるさいが自分達が何かをするわけでは無いのがエリポスだと言うことも多くの者が知っている。エリポスを恨む者も多い。エリポスの弱体化を望む国も。
理由と後押しはあったよ、タランステレス。
機会は、君達が作ってくれた。感謝を。ありがとう、タランステレス」
「下郎が!」
「飢えた貧者に救いの手を差し伸べないテレセヘナ人の自己紹介かい? あれだけ憂いてくれていたのに、自分がする施しは無いと言うのは、まともな偽善者が可哀想だよ」
「同盟国が黙っていないぞ」
「亡国の前に兵が来ると良いですね」
「貴様!」
使者は無傷で送り返す。
テレセヘナ劫掠戦。
それは、『戦』と付けるのも傲慢な一方的な展開となった。
鬱憤。不安。疲弊。恐怖。不満。
あらゆる苦痛から解放されるだけの褒美が目の前に垂らされた兵は、マシディリの設置した最低限の区画割だけを考えながら街に我先にと雪崩れ込んだのである。
「テレセヘナの高官の多くは服毒自殺をしたようです」
レグラーレが報告を上げてきた。
そうかい、と返しながら、マシディリは神殿へと足を踏み入れる。文書も保管されている場所だ。その中で信頼できる者を方々に放ちながら、自分は議事録があるであろう場所へ。
「戦時体制下の法、ね」
誰かが破るからこそ厳しくなった法もある。実情に合わないモノも、だ。
平和を愛するだの、争いを望まないだのと言っておきながら、厳しい統制を敷き、それでいて高官は裕福な暮らしをしていたのである。最も、国を背負う責務を思えば過分な褒美とは言えず、だから滅びた、悪徳だ、などと言うのは結果ありき、憎しみありきで無いと言い放てない程度の贅沢だ。冷静な判断のために必要な優越感と言い換えられるかもしれない。
(なるほど)
悲鳴と歓喜。
住民と兵の声を遠くに聞きながら、マシディリは頭を回転させる。
テレセヘナの高官の多くが死んだのは、ある意味ではやりやすい。マシディリが法を施行できるのだ。即ち、テレセヘナの支配者と成れるのである。
一方で、縛り過ぎるのも良くない。
細かな法の多くを一気に廃止し、民には分かりやすく伝える。一方でテレセヘナの知識人階級には現実に即した法の制定を任せ、彼らの国と言う認識を持たせるつもりだ。
民に寛容なマシディリと、やはり縛ろうとするテレセヘナの政治家。
負の感情はどちらに向くか。
当然、後者である。
「ルベルクスとバゲータに伝令。老人は間引け。テレセヘナの物資は足りなくなる。此処の民には少しでも長生きしてもらって、アレッシア軍の無慈悲とアレッシア人の慈悲を伝えてもらわないといけませんからね」
適齢期の男女はどうせ減る。子供も減ってしまう。
それが兵と言うモノだ。
だからこそ、喧騒に紛れて老人を殺すのである。
エリポス諸都市からの非難は、やはり避けられなかった。
同時に、秘密裏に送られてくる物資も増える。物資が増えれば、兵も落ち着きを取り戻す。落ち着きを取り戻せば、破壊したテレセヘナの簡易的な復興も兵の訓練と称して実行させた。
壊したのは、アレッシア兵だ。
だが、修繕したアレッシア人に感謝を告げない者もいない。それが、どういう感情からであれ、だ。
そして、マシディリの興味もそこには無い。
欲しい情報はティツィアーノの動向。エリポスからの救援要請は届いているはずだが、目立った動きの話は無い。むしろ北方、メガロバシラスへと帰って行ったような話ばかりだ。
(さて)
ならば、どうするか。
このまま陸路で東に進み続ける、と言うのが多くの者の見立てだ。慌てて防備を固めている都市や、同盟の確認をジャンドゥールやアフロポリネイオに飛ばしている者達が多いのも順路沿いの諸都市。ジャンドゥールから使者が来るなんて話も聞いている。
(さて)
ならば、北側の湖を越え、山を越え、プロレステンシアを狙ってしまおうか。
レステンシア。それは父エスピラが殲滅させた都市。その前はアレッシアに協力した同盟の中心都市であるが、対立した結果消えた国の名。
その残党の多くが集まった街であり、プロレステンシアなんて挑発的な名前は俗称だ。いや、蔑称かもしれない。元々レステンシアだったのだろう、と言う、乗っ取られた都市だ。
彼らはアレッシアが嫌いである。同時に、彼らが最も嫌うアレッシア人はエスピラ・ウェラテヌスだ。ティツィアーノと最初期から連絡を取り合うような使者が行き来していたことも、マシディリは把握している。
「引っ張り出してしまいましょうか」
湖側からの侵攻と成れば、プロレステンシアの北東に出る。両脇を山地に囲まれた場所だ。
自然、敵の行軍経路も絞れる。音と光による工夫もしやすい場所だ。
練度に劣る兵が手元に多くとも、問題ない。ティツィアーノに見透かされても大丈夫。
音と光は、敵を欺くのみならず、味方の士気を上げるのにも使えるのだから。




