コウテン
時間で圧をかけるためのプラントゥム遠征からの完全休養。
一見すると、折角の利益を打ち消してしまうような行動だが、そうでは無い。軍団の移動には時間がかかるのだ。大軍と成れば成るほどかかり、軍団の練度が低ければ低いほどかかってしまう。今回の軍団の練度が低いとは言えないが、二万を超える大軍ではあるのだ。
故に、マシディリが完全休養から出陣に際する儀式の諸々を済ませて移動を開始しても、軍団の集結には十二分に間に合うのである。
快晴の下、各神殿が威勢の良い神託を発表する。
待っていましたと言わんばかりに、マシディリも各神殿に盛大に祈りを捧げ、アレッシアを盛り上げてから半島を南下を開始した。マシディリと共に行くのは、ヴィエレらの居残り部隊である。
何故彼らなのか。
答えは明快。第三軍団と入れ替わりで守備に就くためである。
即ち、ディファ・マルティーマに入るころには、マシディリの周りを最精鋭軍団たる第三軍団と歴戦の高官であるヴィエレが固める形となるのだ。
従って、ディファ・マルティーマに入る際も、盛大な儀式と成る。
曇天を吹き飛ばすような歓喜だ。多くが出迎え、父が保護したありとあらゆる文化が自身こそはと存在を主張し、多くの者が割れんばかりの声を挙げる。
まるで、纏わりつく見えない何かを声で吹き飛ばし、かき消したいかのように。
声に潜むモノに気づかないふりをし、マシディリは悠然と振る舞った。覇者たる風体でディファ・マルティーマを練り歩くと、翌日には軍議を開く。
方針は基本的に決まっていた。変えるつもりも無い。戦略をアビィティロと共有し、アルモニアやファリチェ、パラティゾと後方支援の計算を終えた作戦だ。今はただ、準備のために指示を出すのみである。
「しばらくは荒れると観天師が言っております」
軍議後、廊下でマシディリに追いついてきたのはルベルクス・ディアクロス。
血縁上は何の繋がりも無いが、家族としての関係性では従兄弟と言える間柄だ。だが、どちらかと言えば使者として見せた豪胆さを買われ、他の高官に頼まれた形だろう。
「ええ。ヴィエレからも聞いています」
「荒天の海では、あの特殊船は使えないのではありませんか?」
乗り込む者達が拒絶していないのだから公の場では言うべきでは無い。
そう言った言い訳を用意しての言葉か、とマシディリは推し量る。
「もとより一度しか使えませんよ。晴天であっても、衝角の一撃を受けてしまえば砂が流出し、いずれは軽くなりますから。その間に相手の船を乗っ取らないといけません」
カルド島で作成した秘密兵器。
それが、ルベルクスの言う『特殊船』だ。
設計思想は、ジュラメントの防壁と同じである。壁、今回では船体が衝撃を吸収し、砂が補填する仕組み。大きな違いは船は浮かばねばならないことと、海では流れ出してしまうこと。
作成できた船の数は、多くは無い。
ただし、桁違いの財力を端的に示す、分かる者への強すぎるけん制にもなる船だ。
尤も、ウェラテヌスにとっても凱旋式の開催を迷ってまで貯めていた財を放出することになってしまっているのだが。
「操船は非常に難しいと多くの者が考えております」
ルベルクスが言う。
「その通りですね。ですが、重いからこそ安定感があります。重心も高くありません。荒天でこそ敵の船との性能差が現れ、水夫の練度を埋めることができます。それに、水夫の練度を隠すこともできますから」
熟練の水夫を抱えるが忠誠心に不安の残るティツィアーノ。
熟練の水夫を奪われ、水夫の練度に不安が残るマシディリ。
互いにエスピラの教えを受けている男だ。
当然、決着は陸上でと思考する。マシディリの最精鋭第三軍団も、ティツィアーノの最大戦力である第四軍団も、海上では利点が大きく削られてしまうのだ。
海戦で機動力と成るのは、水夫。
隊列を成すのも水夫。
水夫の質こそが海戦の重要な要素の一つでありつつも、精鋭の兵よりも水夫の方が補充が効くのも事実である。
何よりも、マシディリはエリポスに行くにあたり第三軍団を船に乗せなければいけないが、ティツィアーノはその限りでは無いのだ。
即ち、ティツィアーノからしてみれば質の劣る兵と低い命の優先順位で質の高く命の優先順位の高いモノたちを屠れる好機である。船さえ壊せば、第三軍団と戦う必要は無い。水夫の忠誠心が低いのなら、海戦が終われば消えた方が都合が良い。
るつぼと化している集団を、維持するためにも。
マシディリに情報を流していると疑われないためにも。
マシディリからの調略、噂による協力体制の崩壊を防ぐためにも。
「情報漏洩であれば、こちらもオグルノと言う不安要素があります。アレも本当に連れて行くのですか?」
ルベルクスも、水夫を利用する手は思いついているようだ。
「正直は美徳ですよ、ルベルクス。直言できる人は出来る限り傍にいてほしいですからね」
「マシディリ様」
ルベルクスが低い声を出す。
無論、マシディリとしても誤魔化したつもりは無い。本当に貴重だと思っているのだ。厳しい処罰を下していかなければならない状況、現実としてテラノイズやイエネーオスと言った主犯では無い者を処して行っているのなら猶更である。
「オグルノは連れて行きます。彼が裏切らないのなら非常に有用な戦力になりますし、裏切ったら裏切ったで利用できますからね」
外に出る。
今日も雨だ。風もある。
その中で、訓練担当の兵は外を走っていた。ディファ・マルティーマ各地の大衆浴場もいつもより多くの湯けむりをたてている。板を使った簡易的な屋根も、大衆浴場と宿を繋いでいた。
「ルベルクス。正直は美徳ですよ」
言いながら、マシディリは兵の方へと歩みを進める。
ルベルクスも着いてきた。
「本当に言いたいことは、違うのではありませんか?」
横目でルベルクスを見る。
ルベルクスは、周囲の兵にも目をやったようだ。此処にいる第三軍団の兵は教官役だけ。後は比較的歴の浅い兵。雨の中と言う滑る状況での軍事訓練を施されている最中である。
「言って、構いません」
堂々とマシディリが言う。
多くの者の視線も集まった。ルベルクスの口も一度固く締められる。しかし、視線がそうさせたのか。はっきりと上下の唇が離れた。
「季節外れの嵐です。私も含め、異母兄上や第十軍団、第十一軍団の兵も申しております。
行かぬ方が良いのでは無いか、と。
炎の予言は誰もが知っております。この荒天は、神々がマシディリ様を止めるために起こしているのでは無いか、と。多くの者が考えております。過ぎた言葉を申せば、第三軍団も心のどこかでは思っているのではありませんか?」
だって、とマシディリは第三軍団の兵に水を向ける。
私はマシディリ様の命令に従うだけです、と目を閉じて返ってきた。ルベルクスの言葉に対して、肯定も否定も無い。
対し、マシディリも微笑みを深くする。
「ええ。私も、この荒天は神々の意思だと思っています」
そして、両手を大きく広げた。
大地を圧し潰せるような曇天も、川を作り出すような雨も、やってくるであろう人を吹き飛ばせる風さえも受け入れるように。
「神々は、私に『この嵐に紛れて進め』と仰せなのだ。
この嵐で有利になるのはどちらだ。
それは、海上戦力に劣るこちらだ。
監視能力の低下に苦しむのはどちらだ。
それは、ティツィアーノだ。
戦力を分散させねばならないのはどちらだ。
それも、迎え撃つ側だ。
神々は私に加護を与えてくださった。父祖が届けてくださった。
神々の御許に居て、最も交渉能力があるのは誰ですか?
父上、エスピラ・ウェラテヌスです。
神々の御許にいるアスピデアウスの有力者は誰ですか?
一番手は、エスヴァンネ・アスピデアウス。次点でサルトゥーラ・カッサリア。
神々の御許にいるウェラテヌスの二番手は誰ですか?
我が愛弟、凶刃に倒れたクイリッタだ!
クイリッタがエスヴァンネ様とサルトゥーラ様に舌戦で負けるモノか。説き伏せられるのは、味方へと変えられるのは父上とクイリッタがいるウェラテヌスだけ。
この荒天が神々からの恵みで無くて何と言う!」
声を張り上げ、全員に聞かせ。
そして、ゆっくりと手を前に出す。ルベルクスに差し出すように。
「好機は逃さない。それが、運命の女神の信奉者の生きざまですよ。
さあ、ルベルクス。
共に行きましょう。神々の加護と共に」
ルベルクスの膝が曲がる。手が、マシディリの手に乗っかった。
「ユーティフィティア神の加護を願って」
正義の女神ユーティフィティア。
それは、ルベルクスが信奉する神であり、サジェッツァが信奉する神でもある。




