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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第四十章
1642/1734

政情な夫婦

「私は、ただ、父とマルテレス様の意向に従っただけであり、決して、クーシフォス様と離縁したかった訳ではございません」


 マシディリは、クーシフォスに目を向けた。サビナがマシディリを窺うような視線を向けているのも肌で感づいている。



「情はあります。子の顔が浮かぶこともあります。しかしながら、マシディリ様。家門の意向によってと彼女が申されるのであれば、こちらとしても家門の意向によって処刑を要求いたします。


 今のオピーマの当主は私。スィーパスではありません。スィーパスには何の権限もなく、むしろ苦労を掛けられております。


 そうであるならば、家門として彼女を処罰することこそがオピーマの面子を保つことにも繋がり、他の者の安全にもつながり、子供達の安全にもつながると信じております」



「フィチリタ様を娶られたことは、これ以上ないほど家門として面目を保つ良い婚姻であったと愚考いたします」

 ヴィルフェットが淡々と言う。


 サビナの視線はヴィルフェットには向かなかった。とはいえ、マシディリからも切れている。下向きだ。うつむいて、じっとしている。


「申し訳ありませんが、私は非才な身。父上のような武勇は持たず、人を引き付ける魅力も及びません。しかしながら、フィチリタ様と言う太陽を妻に迎えることができました。彼女を守るためにも、子の母親と言う一大勢力になりかねない存在を許しておくことはできません。彼女が下手な行動をとれば、チアーラ様の面目を潰すことにもなってしまいましょう。それは、到底許されることではありません。


 全ては私の非才から発生したモノではありますが、だからこそ、温情によって許されるべきでは無いと断言いたします」


 サビナの顔が上がる。

 視線はクーシフォスに。開きかけた口は、ただ何も言わずに閉じられた。弱さや嘆くような視線は一変、怒気に変わっていたようにも見える。


「サビナ様。言いたいことがあるのなら、遠慮なく言っておくことをお勧めいたします」

 マシディリは静かに言った。


 前に出たままのヴィルフェットが一歩下がる。クーシフォスもソリエンスも居並ぶ高官と並列だ。


「呑み込んだ言葉ですので」

 サビナの声は、震えていた。

 拳も膝の上。硬く握られ、小さな震えと共にまた上下の唇が離れる。


「何を言っても罰さないのであれば」

 小さな声は、誰かが断罪の言葉を発していればかき消されていただろう。


 ただ、現実はスペンレセが冷たく見下し、ヒブリットが目を閉じている状況。声は、誰の耳にもはっきりと届いていた。


「一言だけなら、その言葉によって罰することは無いと父祖と神々に誓いましょう」


 では、とサビナがマシディリに対して顔を上げた。

 強き視線は、しかし二秒と持たずにまた下がっていく。


「ウェラテヌスの妻にたぶらかされたのか、と、言いかけました」

「はは。一言で良かったですね」

 即座に軽く笑い飛ばす。


 目に見えてわかるほどにサビナが固まった。クーシフォスの口がもう一度締め直され、重心も踵に行っている。ソリエンスの重心は両足の中心にあるまま。ヴィルフェットの左手は、マシディリから隠れるように太腿の側面へと消えていった。


「先ほどの言葉は謝ります。ですが、私は決してフィチリタ様に器量で勝るとも思えませんし、ウェラテヌスに家格で勝る家門など無いとも誰よりも知っております。アレッシア人なのです。ウェラテヌスのことは尊敬しております。建国五門の皆々様は神に等しき方であり、そのような方々と親しく交わっていたマルテレス様はやはり英雄の中の英雄。平民の希望の光だったのです。


 そのような方々と父を始めとする家門の決定は、絶対です。私は、私の意思とは関係なく、誰あっても私と同じ決断をしたと断言できます。このような決定で、私のような立場にいれば、果たして逆らえる者がおりましょうか」


「べルティーナ」

 考えるよりも先に、低い声が愛妻の名を告げた。


 一瞬開いた口は、何も言わず、ただ閉じられることも無く。サビナの顔が横に揺れた。目も、盛大に泳いでいる。顔が下がったのは目の動きを隠すためか。



「べルティーナ様は、べる、べルティーナ様は、すさまじいお方です。私とは違います。


 私も子供達のことは愛しておりました。今も愛しております。あって、抱きしめて、母はいつまでも愛していると伝えたいと思っています。あの子たちのことを思って、私は今まで耐えてきたのです。あの子たちをもう一度抱きしめたいから、耐えて耐えて耐えて、今日の機会をうかがっていたのです。マシディリ様も良くお分かりでしょう。親が、どれだけ子を愛しているのかを。私も親のはしくれ。子供達こそが大事なのです。


 私もその点ではべルティーナ様と何も変わりません。べルティーナ様と私は同じです。


 ですが、私もべルティーナ様も奴隷の結婚ではありません。


 政治的な意図を持った活動で無ければならず、当時オピーマに逆らっていたのはクーシフォスで、当主はマルテレス様。家門の決定に逆らえる者などおりません。逆らったとて、あの状況でどうすれば良かったのでしょうか」



「チアーラは私の勧告を無視してコウルスと貴方の娘の婚約の維持を選びました。自身の不利益になると知っても、フィチリタは貴方の子供達とも親しくしています」


「私はあなたとは違う!」

 金切り声だ。

 ソリエンスからため息が聞こえてくるほどで、アグニッシモは腰の剣に手をかけている。


「知っていますよ」

 その中にあって、マシディリはあくまでも穏やかに声を続けた。


「ですので、私は貴方の行動を責めるつもりはありません。サビナ、貴方の行動は、アレッシア人としては至極当たり前の行動でした。そこに責められる要素などはありません。が」


 区切り、体を前に出す。足は開いたまま。つま先も合わせて外に向けて。

 ただ、と声を少々伸ばした。


「もっと早く来られたはず、とも、思ってしまうのです」


 ゆっくりと左手の指を折っていく。


 別に何かを数えている訳では無い。が、サビナは自身がアレッシア陣営に走り込む機会を数えているのだと思ったことだろう。


 慌てた目が、遂に止まる。

 目がより黒々となり、完全に腰が落ちるようにして背が上がった。完全に座り込んでしまい、動けない縦深となっている。


「身重だったのよ」

 サビナからこぼれた声は、乾いた笑いに近いモノ。


「その子は?」

 小さく、真顔で、マシディリ自身唇が震えそうになっているのを自覚しながら聞き返した。

 対してサビナは先よりもはっきりと口を大きく開いている。


「さあ。今頃死んでいるかも知れないわ。だってあの人、何時私を殴ってもおかしくない人だったもの。そうよ。そう。フィラエを殺しているし、自分の祖父の最後の希望だった葬式だって碌なのを行わなかったような人でなしよ。自分の子だって私の子でもあったら殺していてもおかしくはないわ。クーシフォスとは違うもの!」


 眉尻は下がり、声は大きく、目は据わりきっている。

 両手はだらりと垂れて先が地面に着き、尻はへばりつくように地面へ。


(呆れた)


 ため息が出る。

 びくり、とサビナが震えた。


 先程までの容態はどこへやら。すぐに手が前に出て、頭をしっかりと地面に着けてきた。


「スィーパスは残虐なの! 自分が上に立つためなら、弟達も利用した人よ。アゲラータの虐殺だって、喜んでいたわ。私がどうにかできるはずが無かったの。」


 だから、助けて、と涙声でサビナが結んだ。

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