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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第四十章
1639/1735

時報を告げる

 これまでの遺恨を全て水に流す。流し切れずとも、互いに呑み込み、傷が癒えるまでかさぶたをはがすような行いはしない。


それが降伏に向けた唯一の条件であり、以後、必ずや重く用いることを此処に誓いましょう。具体的には、早速にはなりますがエリポスへの遠征にイエネーオスにも同行していただきたいと考えています。


 彼の地は敵は多く、味方は少ない。

 幾度も私に屈辱を与え、事あるごとに父上で無いと力不足だと示してまいりました。


 ですが、全ては私怨。

 此度の一事に関係は無し。

 唯一関係ある私怨は我が愛弟クイリッタを屠った一件のみ。


 イエネーオス様。貴方の力が必要なのです。父祖から受け継ぎ、アレッシアの神々が授けられたその力、今一度元老院のために振るってはいただけないでしょうか。



 そのような手紙を丹精込めて書き上げ、マシディリは捕虜と諸部族兵に託した。


 少し鼻をすすり、冷えた手をすり合わせて息を吹きかける。


「イエネーオスさえ引き抜ければ、スィーパス軍の行動は読みやすくなりますね」


 フィロラードの頬は紅潮していた。

 無論、寒さの所為かもしれない。それでも、声は弾んでいるようにも聞こえた。


「厳しいとは思うよ。『二言のある漢になりたいと思ったことは、一度も無い』。そう言っていたからね」


「責任感に縛られていませんか?」

 フィロラードが言う。


「昔、父上のために死ねるかとレピナに問われたそうだね」

「いや。その時は」


 フィロラードが防寒具に口元を埋める。

 冗談だよ、と笑いながら、マシディリは両手のひらをしっかりとフィロラードから見えるようにした。正中線もしっかりと開く。


「形は違うけど、フィロラードも自分の言葉に責任を持っている。そうでしょう?

 それに、スィーパスには講和を勧めたフィラエを処断した件もあるからね。本格的に調略を仕掛けようとも、優秀な者をあの場には送り込めないよ。できるのは手紙だけ。ただでさえ人材が減らされたからね」


 東方。

 エリポス。


 今もティツィアーノの軍備増強は続いている。


 予想通りビュザノンテンへの攻撃は行われていないが、逆に言えばティツィアーノの軍事的な行動は成功が最終行動のままと言うことだ。周囲も、ビュザノンテンを落とす可能性よりも落とせない場合の危険を理解していると言う話でもある。


「なら、イエネーオスが既に降伏している体で手紙を送った方が良かったのではありませんか?」

「どうだろうね。こっちでも不信感は与えられると思うよ。街に籠り続けることの危険もスィーパスは考えるだろうし、野戦での決戦に持ち込めるんじゃないかな」


 どちらも持久戦は望んでいない。

 それが冬場の大規模軍事行動だ。


「戸を閉めようか」

 火を起こし続けるだけでもいけない。

 故に今は窓を開放していたのだが、寒いのは寒いのだ。


「マシディリ様は座っていてください」

 フィロラードが真っ先に板を手に取る。


「動かないと私も寒いよ」

 肩を竦め、マシディリも立ち上がった。


 しっかりと板を止めている間に、兵が火鉢と火元を持ってくる。生真面目で力強い聞き馴染みのある足音も近づいてきた。


「マシディリ様」

 スペンレセである。


「シニストラ様からの連絡と輸送隊が到着いたしました。それから、アビィティロからの手紙もあります」


「アビィティロから」

 思わず明るい声が出てしまった。


 一度咳ばらいを行い、書類の束を受け取る。真っ先に取り出すのはアビィティロからの報告だ。輸送隊の差配についてはスペンレセや連れてきた護民官上がりに任せているからと言う理由もある。


「少し嫉妬しますね」

 スペンレセが言う。

 目じりを下げ、口角は上げていたが声は少し低くなっていた。

 マシディリも、ひとまずは微笑みをスペンレセに向ける。


「嫉妬してもらえるとは嬉しいですね。それだけ私に魅力があると言うことなのでしょう?」

 下手なりに頑張った冗談をまずは一つ。

 それから、表情そのままに手紙を揺らした。


「アビィティロには東方を任せていますからね。私がいない場所の情報はやはり知りたい情報ですよ。フロン・ティリドやプラントゥムの情報も、それこそ暗記するようには読んでいたしね。それに、何より、アビィティロは相婿。特別だよ」


 特別扱いの否定はしない。

 同時に、スペンレセに西方を任せていたことも匂わせる。スペンレセだって、マシディリからの信頼をかぎ取れないほど鼻の利かない猟犬では無いのだ。


 何より、アビィティロの実力を知らない者は伝令部隊出身者にはいない。自ずと隊長格に担ぎ上げたのは彼ら自身だ。忠誠心の高さと野心の乏しさも周知の事実。


「アビィティロは何と?」

 スペンレセの声が常通りのモノになる。口調はやや早く。気恥ずかしさだろうか。


「少し待ってね」

 最初の一枚は、要点のみの理由の少ない手紙だ。

 二枚目三枚目に詳しい情報が記載されているのがアビィティロの手紙の特徴である。


「グランディ・ロッホ奪還とテラノイズの撃破がエリポスにも伝わり始めた可能性が高い、と見ているね。遠征の刻限を伝えて来てくれているよ。同時に、スィーパス討伐が出来そうならば敢行すべきだ、とも、ね」


 好機を逃してはならない。

 その一語は、マシディリにとっても重い言葉だ。必ず果たさねばとも思う。


 好機と判断できたのなら、だ。

 今は、イエネーオスの動きによって決断すべき好機だと思いきれていない面も拭いきれていない。


「それから」

 一度、唇を湿らせる。

 かなり乾燥していたようだ。今もすぐに乾いてしまった気がする。


「デオクシアはリングアの護送に失敗したよ。アフロポリネイオから引っ張り出せたらしいけど、リングアの意思で逃げられたらしいね。そのデオクシアはリングア護送の実行部隊をアレッシアに亡命させてきたそうだ。本人は、未だにアフロポリネイオで踏ん張ろうとしているらしい」


 リングア争奪戦。

 エリポスで行われていた戦いだ。


 リングア自身の価値はさておき、マシディリへの接近を示すにもティツィアーノへの交渉の札にするのにも役立つ立ち位置に居たのである。同時に、所有するアフロポリネイオとドーリスの喧嘩の種の一つでもあった。


「最後に、エリポスで明確に味方してくれる者は少ないから、第三軍団を除いて一万あるいは一万五千までしか兵力は連れていけないでしょう、とも言っているよ。第七軍団を引き抜ければ一番話は簡単だったのだけどねえ」


 西方の抑えは必要だ。

 スィーパス征討の結果に関わらず、これだけの荒廃具合である。そろそろ統治も安定させねばならないと言う事情もあった。


 故に、信頼できる戦力をマシディリの手元に固めきることはできず、されどもティツィアーノに勝てると言う信頼の置ける戦力を用いなければならない。


(どうするかな)

 さすが、と小さくアルビタが呟いた。目を向ければ、アビィティロ、と口が動いている。


(アビィティロ)

 なるほど。

 リングアの脱走を伝えられつつも、マシディリは既に他のことを思考せざるを得なくなっていた。スペンレセの嫉妬も霧散し、アビィティロの報告に基づいて思考を動かしているようである。


(どうしましょうかね)

 視線を虚空へと戻す。


 コクウィウム、エキュス、ルベルクスは確定としたい。

 此処で五千とし、もう一個軍団を作成するのが良いか。連携を考えれば、バゲータは入れておいた方が良いか? いや、これは政治的な判断に近く、今は排除すべきか。


「父上は、なんと?」


 マシディリを思考の海から引き揚げたのは、フィロラードの遠慮がちな声であった。

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