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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第四十章
1635/1739

ミーラ・デ・ソリカリア損耗戦 Ⅰ

「脱走。滑走。一瞬暗転闇の中」


 最後の忠勤か暴走か。


 井戸の中にヘステイラの死体を見つける。高級娼婦として、そしてマルテレスの愛人として華やかな世界を生きてきた彼女にとって、暗く狭い井戸の中は屈辱的な死に方かも知れない。


 引き上げたのが最愛の男の息子であると言うのは、せめてもの慰めか。

 それとも、愛した男が別の女に産ませた子であると言うのは屈辱の上塗りになるのか。


 確かなことは、ソリエンスは何の感情も見せずに引き上げつつも荷台には絹を敷いてくれていたことだけである。


「スィーパスの妻は此処にもいませんでしたか」

「自慢の戦利品を隠さずにどこに置く」

 ソリエンスがばっさりと切り捨てるように言った。


「ティポウル・デ・ムダン。東からの迫ると川が段々。穀倉地帯で湿地帯。守って良いが大軍では地面がぬかるむ悪地かな。かなかな」


「イエネーオスの提案ですか?」

「ヒュント」

 ずびし、とソリエンスが丁寧に閉じられた棺を指さした。


「抵抗の地。諸部族の血。アゲラータの失策を巻き返す渾身の一策」

「元から、現地部族は信用ならないとしていた訳ですか」


 息を吐く。

 白い息が、前よりも濃く見えた。


 息が透明になることで視界を閉じていた幕が上がる。じと、としたソリエンスの目が見えた。問わずとも、黙り続ける性分では無いことはマシディリも良く知っている。


「アグニッシモは悪餓鬼?」

 ミーラ・デ・ソリカリアの戦いの指揮を執らせたことを言っているのだろう。


「気遣いをしている訳では無いよ。弟に悲しい顔をしていて欲しくないだけさ。贔屓だね」

「贔屓か恥知らずめ」


 ソリエンスの目がヴィルフェットとフィロラードにも行く。

 断言している言い方だが喧嘩を売っている訳では無い。二人も理解しているのか、どこか受け流すような「はいはい」と言った声が聞こえそうな視線だけ返してきた。


「私と関りが深い人が多いけど、この遠征にいる高官は基本的には期待と実力だけで選ばれているよ。第三軍団がいるから説得力は低いかもしれないけどね」


「安心感心。関係性重視で実力実務実績後回しでは「(ごみ)め」と言うところでした。……父上は、塵?」


「ソリエンス」

 低い声で返す。

 しかし、ソリエンスに変化した様子は無い。


「スィーパスはクイリッタのようになるはずもなく、アスフォスやプノパリアはアグニッシモやスペランツァに大きく劣る。劣等生めが!」


 声は大きくしているが、ソリエンスは真顔のままだ。目をやや大きく開いたことも、冗談を言うための動作にしか見えない。


「フラシ遠征での起用かい?」

「おじさんの意見を捻じ曲げてでも使った父上は愚か者。アグニッシモはマシディリ様の想定を逸脱しないで力を示した賢き者。この差が私は悲しい」


 かなしいー! とソリエンスが叫んだ。抑揚は無い。

 返事と言わんばかりに上がった赤い光に、口を閉じて視線を動かしたことの方が表情の変化があるぐらいだ。


 そして、赤い光は一度では無い。

 何度か。長短を合わせ。今回の遠征で唯一単独への警戒として割いている調子で繰り返される。


 マシディリも頬を引き締め、小さく口を開いた。


「イエネーオス」

 その襲撃。

 数は二千から三千の間。千単位でしか刻んでいないのだ。それ以上は報告を待つしかない。


 この場にいるのは、ヴィルフェット隊とフィロラード隊の千六百。マシディリとソリエンスが引き連れてきた二百の護衛。アルム隊四百名。ルスフリ率いるタルキウス騎兵五十。


 今は冬だ。

 野営であっても野ざらしは避けたいとマシディリは思っている。故に、多くの者は陣地の設営に入っているのだ。


「撤退を具申します」

 一定の間隔かつ大股で近づいてきたのはヴィルフェット。


「此処で戦う価値がありません。勝っても我らが得る物は少なく、撤退する形で敗北となったとしても大局に影響は出ないでしょう。既にスィーパスが西側、それこそティポウル・デ・ムダン方面に行った後です。


 此処でイエネーオスが勝って、またこちらに出てきてくれるのなら儲けもの。

 大軍を引き連れ大軍の行軍で湿地帯を沼地に変えられて街に籠られる方が厄介かと、愚考いたしました」


 尤もだ。

 マシディリも頷く。ヴィルフェットも一度首を動かし、さらに口を開いた。


「万が一にでも兄上が討たれる、あるいは傷をつけられるだけでもこちらは大損害です。勝利の益は少なく、敗戦の確立は残り続けています。ソリエンス、フィロラード、そして私が討たれることにも大きな影響が出てしまうとも愚考いたしました。

 この陣地がヒュントの防衛思想に基づいて作られていることも、迎え撃つこちらを不利にしています」


 声は、フィロラードに対してが一番向けられていた。

 そのフィロラードは首元の防寒具をしっかりと掴み、口を埋めている。


「フィロラード」

 手では連れてきていた被庇護者に周囲の状況確認をするように指示を出して。


「言いたいことがあるのなら遠慮なく言ってくれた方が嬉しいよ」

 声はやさしく義弟に告げた。

 フィロラードの目が、真っ直ぐにマシディリにやってくる。


「敗戦直後だと言う状況と数から、敵はイエネーオスに従っている精鋭だと思われます。ヒュントの防衛思想なら私も理解していますので、此処であの一隊を削ることができれば、非常に価値のある戦いになると思いました」


 だから、撤退には部分的に反対です、とフィロラードが言う。

 口が再び防寒具に隠れそうになる時はあったが、言い終わるまでも言い終わってからもしっかりと防寒具の外に出続けていた。


「どちらも一理あるね」

 陣の各所から、黒い光が打ちあがる。

 警戒を促す光。伏兵を伝えるモノ。


「既に包囲。ディグ・ナラダス?」

 ソリエンスの目が動く。


「見せるための伏兵ですか」

 マシディリは静かに呟いた。


 問題は、その数。

 周囲に居ると言うことは、そもそも多いのだ。恐らくは戦意の無い者達や戦う力の低い者達を使って包囲に似た形を作っただけ。突けば崩れるのだろう。


 が、違った場合の損害が大きすぎる。


 黙って立っているだけならば良い。人がいるように見せかけるだけで十分。

 そのようにイエネーオスが声を掛け、攻撃してきたら逃げれば良いと言っていれば事は簡単だ。厄介なのは、マシディリ達が攻撃してきたからと傍観のはずだった者達が敵に回ること。攻撃を受けたからと必死に抵抗されること。伏兵が本当の兵数になることだ。


 敗戦直後のやぶれかぶれ状態なら、あり得てしまう。


「申し訳ありません。意見を翻します」

 ヴィルフェットが言う。


「五陣の防御の内、二陣目までは最初から捨てるつもりで三陣目以降から持ちこたえましょう。第七軍団には少し機動してもらうことにはなりますが、敵襲撃部隊を南西から引き込めれば第七軍団がイエネーオスの真後ろに展開できるだけの空間を作ることができます。

 そうなれば挟み撃ち。一転して不利になるのはイエネーオスだと、愚考いたしました」


 ヒュントの防衛思想は、攻撃的な防衛。

 丸まりながらも針を外に出す針鼠のように。攻めてくる敵に確実に針を刺しながらも撤退していく戦い方。

 フィロラードも理解しているが、イエネーオスの方が知っているはずである。


 だが、やらざるを得ない。


「フィロラード。第二陣で臨時防衛の姿勢を。ヴィルフェットは三陣目の本格稼働へ。ソリエンスは最奥にヘステイラとヒュントの死体を運び込んでおくように」


 死体があれば形を持つ葬儀が行える。

 そして、葬儀を行った者が引き継ぐ者であるのは、古今東西に通じる道理だ。


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