第39話
王都セントロタスの地下を流れる下水道。その中に四角く切り取ったような部屋があった。
その部屋の片隅にある寝台、そこにリクトは横たわっていた。
リクトはゆっくりと瞳を開いた。もう二度と覚めることのない、目を覚ました。目覚めたばかりの視界は霞み、ここはどこなのかわからなかった。
視界がはっきりしてくると、ここが工作室であることがわかってきた。
棚に収納されているのは、ボルトやネジ、金槌、釘、鋸、巨大な鋏。他にも人間のものと思われる頭蓋骨や、どこの部位かわからない骨などが並べられている。ここにもマナの木の実が収納されていた。
リクトは指を動かしてみる。1本しかなかったはずの指が5本も動いた。不思議な感覚で痛みがない。指はリクトの思い通りに動いた。まるで指が生えてきたかのような違和感があった。
次に、身体を起こそうとする。全身の皮を剥がされ、まともに動くこともできなかったはずなのに、上半身がイメージ通りに起き上がった。
リクトは、自分の体に何が起こったのか理解できなかった。ここはもしかしたら死後の世界というものかもしれない。そう、漠然と思っていた。
「お、なんと、成功してしまったではないか」
若い女性の声が聞こえる。
凛とした澄んだ声だ。声が聞こえた方向に視線を向けると、そこにはくたびれた黒い上着にサイズが大きくて似合わないシャツを着た人物がいた。
彼女は伸び放題になった黒髪の隙間からこちらを覗いている。その顔は整っており、長すぎる髪を除けば美人であるだろう。
「まさか、本当に成功してしまうとは……と、聞いているか? 意識はあるか?」
彼女は手を伸ばすと顔の前で手を振った。その様子から何がしたいのか察して視線を彼女に向けた。彼女は少し驚いた様子だったが、すぐさまガッツポーズと取った。
「よし、まずは名前を教えてくれ。できれば、簡単なプロフィールをつけてくればなおいい」
彼女はそういうがリクトには歯がない。まともに喋ることなどできるはずもない。
口の中を動かしてみても指と同様に生えてきているわけではないようだ。どうせ、出すことはできないと、腹をくくっていたリクトは声を出してみる。
「リクト……」
声が出た。聞き取れないような音ではない。以前、口から出ていた声がそのまま出ていた。つい、右手で口を押えてしまう。ありえないと、呆然としてしまった。
「貴様はリクトというのか。どうした、もっと喋って教えてくれ。声を取り戻せたんだ、記憶もあるのだろう?」
リクトは信じられなかった。声だけではない、記憶もはっきりと思い出せる。
どこで生まれて、どこで育って、どうしてこうなったか。鮮明に思い出すことができる。以前は忘れていたことまで覚えていた。
「リクト・レリジューム。昔はどこか貴族の屋敷に住んでいた。幼い頃にそこを離れて母と共にハジクシミで暮らす事になった。そこで、畑仕事、家畜の飼育、狩猟をして生活していた」
自分の記憶が偽物なのか、本物なのか区別できない。だが、確かに頭は憶えていた。今話したことを詳細に思い出せる。
そんなリクトの様子を見ていて、女性は眉を寄せてじっと見つめていた。
「何歳かな?」
「16歳」
「好きな食べ物は?」
「煮豆のスープ」
「嫌いな食べ物は?」
「石のように硬いパン」
女性は満足した様子でリクトから視線を離した。女性は小躍りするようにリズムを取りながら、その辺りを歩いていた。
「喜べ。貴様はマナ人間として蘇った」
何を言っているかわからず眉をひそめた。女性は「試しに立ってみろ」言ってきたので、その通りに寝台から下りて立ち上がった。
足の骨は折れているはずなのに、地面に足をつけて2本の足で立つことができた。少しふわふわする感じがあるが、何の問題もない。
「貴様の足の骨はバッキバキに折れていた。今でも折れている。だが、マナ人間となった今、骨など必要ない。身体の中をめぐるマナが貴様を動かしているのだ。人間という枷は外されたのだよ」
身体を動かしてみると、以前より調子がいい。今なら何でもできそうな気がする。もしかしたら空も飛べるのではないかと思うぐらいだ。
身体を動かしながら身体の各部を見ている。全身に包帯が巻かれており、肌はほとんど露出していない。指を触るとボルトが入っているのか、ごつごつとした手触りがあった。
「残念ながら、外見は変わっていない。皮が剥けた肌も、抜けてしまった歯も、失った右眼も、そのままだ。見苦しくないように、包帯で隠させてもらった。見ていて気持ちのいいものではなかったからな」
包帯が絡まっているとはいえ、身体を触ると女性の言った通りだと理解できた。腕も押さえてみたが、骨は折れたままのようで、柔らかく間接を無視した方向に曲げることもできた。
ふと、腸がはみ出ていたことを思い出し、腹を触ってみると、何かが詰まっている感触がした。
「そこには、マナの木の実を詰めてある。これが、成功の秘訣だったのだろうな。そこは個人的に許せないところだが、なければ蘇らせることはできなかっただろう」
マナの木の実。
マナの大樹から落ちてくるマナ人間の素になるもの。
それが、体内に入ることでマナ人間と同質の特性を得たことになったのだろう。
痛みも、臭いも、寒さも感じない。これが、マナ人間が感じていた世界。人間だったころの記憶がある分、気味が悪かった。
「満足だ。貴様にもう用はない。どこへなりとも行くがいい。さて、次の作業に移ろう。まずは今回のデータを――」
「待ってくれ。どうして、僕を蘇らせた? 何が目的だ」
先ほどまで上機嫌だった女性はリクトの声で不機嫌になったように目を鋭くさせた。
「貴様の死体の状態がよかった。まだ、意識があるかのように新鮮だったからな、実験に使わせてもらった。ああ、これを悪事に使うつもりはない。ただの知的好奇心だ。安心してくれ」
リクトは信用できないと視線を送る。それを見た女性は肩をすくめるだけで、それ以上答えるつもりは無いようだった。
「こんなところで、何をしているんだ? マナ人間を使って実験とか、しているのか?」
「私はここで、マナ人間を人工的に作り上げようとしているのだ。マナ工学研究者と名乗っている。自称だがね。マナ人間を使うことはあるよ。死体だけだ。生きている物に興味はない。安心したかね」
女性から嘘をついている様子は感じられなった。もしかしたら、嘘を全く感じさせないようにしているだけかもしれないが、今の言葉は信じられると思った。
「あなたには蘇らせてくれた恩がある。だけど、僕には生きる理由も場所も希望もない。何もないんだ」
全てを失った。もう、リクトには何も残されていない。故郷も、家族も、友人も、共に生きた仲間さえも、何もない。あるとすれば、死ぬこと程度だった。
「まあ、下水道に捨てられていたんだ。それくらい予想はついていた」
女性はリクトとは反対側の隅に移動すると、何かを覆っていた布を取り払った。そこには、薄い青色の髪をした女性が手足を投げ出した状態で座っていた。その顔に、リクトは見覚えがあった。
「ふむ。やはり、反応があったか。貴様の近くに捨てられていたからな。何かあるかと思って持ってきた」
リクトは彼女に近づいて顔を確認する。
目に生気はなく、俯いたまま動かないが、間違いなく共に生きてきた仲間であるファストだった。
彼女には全く生気がなく、見た目は死んでいるようにしか見えない。だが、マナ人間に生まれ変わったせいか、彼女から微量のマナを感じる。それは、彼女が生きているという証拠だった。
「そこのマナ人間は縫合しておいた。全身がばらばらだったから、繋ぐのに苦労した」
彼女の体をよく見るとところどころ糸で縫い合わせてあった。腕、足、首。至ることろが縫い付けてある。それを見ていたらとても悲しくなって抱き締めていた。
「なに、貴様が生きる理由を作りたかっただけだ。感謝はいらない」
女性は興味を失ったようで、2人に背中を向けて棚を漁り始めた。その背中を見て、感謝せずにはいられなかった。
リクトはファストを抱き上げると、下水道に向けて歩き出した。それに気づいたのか、女性は再びリクトたちに向き直った。
「何もないと言っていたが、行くあてはあるのか?」
「心当たりがある。王都を逃げ出すところまでだが、下水道をつたって行ける」
「そうか、なら、これをやろう。暇つぶしに作ったものだから左眼しか開いてないし、ずいぶんとひび割れてしまったがな」
女性はリクトに向けて白い皿のようなものを投げて渡した。それを受け取って見てみると、仮面の様に見えた。木の表面を白く塗ってあるもので、左側だけ穴が開いている。不格好なものだが、身につけるだけなら、何も問題はなかった。リクトは仮面を被ると、また歩き出した。
「ありがとう。何から何までしてくれて」
女性は「礼はいらん」と呟くと、また2人に背中を見せた。リクトはお辞儀をしてから、下水道へ向かって歩き出した。この恩は忘れることはできないと胸に刻んだ。




