第35話
窓から差す光を感じて、目を覚ます。
いつの間にか、ベッドの上にいた。久しぶりにベッドで寝たせいか、身体の調子がいいような気がした。上半身を起こすと、椅子に座って、シーツの上に顔を伏せて寝ているハルカがいた。ずっと看病してくれたようだった。
いつもは起こされる側で、彼女の寝顔を見るのは初めてのことだったかもしれない。
「んんん……。あれ? もう朝……?」
彼女は寝ぼけているようで目をこすりながら、辺りを見まわしていた。
「おはよう。今日はいつもと立場が逆だな」
手を大きく上げて彼女は伸びをすると、こちらを見つめてきた。
「元気が出てきたみたいね。本当によかったわ。昨日はいつ死んでもおかしくない顔してたから」
昨日のことははっきり覚えていない。嫌な気持ちではあったが、具体的なことがらは思い出せない。それほどまで弱っていたということなのだろう。
「食事の準備をするから、休んでて。今度は家から食材持ってくるから、おいしい朝食をごちそうしてあげる」
ハルカは乱れた髪はそのままで、家から出て行ってしまった。その姿を見送ってから、ベッドを下りて自分の足で立ってみた。体重をかけると、まだ全身に痛みが走る。だが、我慢できないわけではない。
そのまま歩いて、テーブルの近くにある椅子に座った。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
ハルカの作った朝食を食べ終えた。ふわふわなやわらかいパンに、煮豆スープ、温められたミルク。昨日の夕食はあまり覚えていたんかったが、朝食はそれよりおいしく感じた。
彼女は使い終えた食器を洗っている。その後ろ姿を見ているだけで、平穏を感じ、自分の身に起きた出来事を忘れそうになる。
「ハルカ、今日のうちに村を出るよ」
「え?」
彼女は手を止めてこちらを見た。その目は悲しみに満ちていた。リクトはハジクシミに来る前から決めていた。すぐにこの村から去ることを。
「そっか。行っちゃうんだ」
洗い物をすませた彼女はタオルで手を拭いてから正面に立った。彼女はそれを覚っていたのか、そう言っただけだった。
「村を出る前に、ジョウに会いたいんだ。手を貸してくれないか」
彼女はうなずいた。何か準備をした方がいい、と彼女は言う。家の中を見渡しても持っていく必要のないものばかりだったので、リクトは首を横に振った。
先に家を出ていて欲しいといわれて、リクトは家から外に出た。起きた時は晴れていた空が、今は雲が覆ってしまい薄暗くなっていた。冷たい風がリクトをなでるが、夜ほど寒くない。質素なズボンと麻のシャツはこの冬空のしたでは似合わないと感じた。
少しして自宅からハルカが出てきた。彼女は肩から鞄をさげていた。食材を持ってきたときのものだろう。
彼女はリクトの前を歩き、行き先を教えてくれる。村の面々から向けられる視線が昨日とはまるで違い、細い針のように突き刺さってくる。彼女が先導してくれなかったら、何をされるかわからなかった。
長の家に近い畑までやってきて、ハルカが足を止めた。この辺りにジョウがいるのかと辺りを見まわす。
「ジョウ! こっち来て!」
彼女の高い声が一帯に響く。離れた場所で土をいじっている青年が立ち上がる。こちらに気付いた様子で、駆け寄ってくる。
リクトよりがっしりとした体形で、四角い顔をした人物。ブラウンの短い髪に、黒い瞳。彼がジョウに違いなかった。
「おはようハルカ。……と、リクトじゃないか。昨日は色々とあったらしいな」
幼い頃から一緒に育ってきた彼は、リクトのことについて深く聞いてはこなかった。
「ジョウ、できれば2人だけで話したいことがあるんだ」
「2人……ああ、わかった。こっちの小屋に来てくれ」
少し離れた場所に農具をしまう小屋があり、ジョウはそこを指差した。2人で歩いて行き、小屋の中に入った。
中は風が防げるだけだが、少し暖かく感じた。あまり広くないため、男2人では少し狭かった。
「ハルカには聞かれたくない話か……」
リクトはうなずく。
「通行手形を買ったのは、ジョウだったよな。どうやって手に入れたのか、聞いていいか?」
「ん? 変なことを聞くな。まあ、いいけど。あれは定期的にハジクシミへやってくる商人から買い付けたんだ。偽物を掴まされたらいやだったからな、きちんと確認したぜ。あれは間違いなく本物――」
そこまで言って、ジョウは言葉を止めた。口を押え、何度もまばたきをした。顔をリクトにむけて、全身を眺めていた。
「もしかして……偽物だった……のか?」
「わからない。でも、そう言われた」
彼は何度も首を動かしており、見るからに動揺していた。
「お、俺は……偽物を渡したのか?」
リクトは首を横に振った。
「きっと、本物だ。僕も確認した。でも、ジョウを信じていたはずなのに、疑ってしまった・こうして直接話を聞かないと安心できなかった」
ジョウはリクトの手をとり、袖をまくり上げた。それを見て、彼は顔をしかめた。すぐに、シャツの袖を戻した。
「いや、お前は俺を信じられなくて当然だ。なんで、真っ先に俺を疑わなかった? ここに来た時、俺を探してぶん殴ることもできたはずだ」
「いや、そんなことはできないよ。僕は恐かったんだ。もし、ジョウに偽物を渡したと言われるのが……。でも、ハルカに会って少し落ち着くことができた。やっぱり、ジョウは僕が信じるジョウだったよ」
彼が力強く手を握ってくる。何かに耐えるように、身体を震わせていた。
「お前、ハジクシミから出て行くのか?」
「そのつもりだ」
「すまん……」
温かな雫がてのひらに落ちた。
村にある井戸までやってきた。
ハジクシミから王都に行くときにみんなに見送られた場所だ。今は、ハルカとジョウしかいない。リクトにとってはそれで充分だった。
「リクト……お前を悪役にしちまって、本当に悪いと思う」
「別に、自分の意志だよ」
俯き手を握りしめるジョウの肩に手を乗せる。その手を彼が握ってくる。それだけで彼の気持ちが伝わってくる気がした。
「すぐに出るんだよね。ここにいても、居心地悪いもんね。はい、これ」
ハルカが肩にかけていた鞄をリクトの肩にかけてきた。その鞄は膨れた見た目より軽く、何が入っているのかわからなかった。
「食べ物と服。家から出るときに、準備してって言っても、何も持たずに出て行ったから驚いたよ。だから、以前に着ていた服と、何日分かの食料」
「ありがとう」
この村には持っていくものが何もないと思っていたが、そうではなかったらしい。彼女が口を開いて笑顔を見せる。それにつられて、リクトも少し笑顔になってしまう。
「リクト、今は難しいと思うけど、いつか、帰って来いよ。村の連中には何とか言っておく。もし、お前を追って兵士が来たら、知らん顔しておくぜ。いくら何でも、いきなり焼き討ちになんてしないだろうしな」
「絶対に帰ってきてね! 大人が何を言ったのか予想できるけど、ここはリクトの故郷なんだから。私たちは待ってるから」
後ろ髪を引かれた。ここを離れずに、和解できれば、今まで通りに暮らせるのではないか。そんな誘惑があった。その思いをぐっとこらえて我慢する。
一歩踏み出してから、振り向いて手を振る。
「いつかまた、帰ってくるよ」
2人もこちらに向けて手を振ってくれた。
思い残すこともなくなり、リクトは村を後にした。




