第33話
王都セントロタスから逃げ出してから3日。
王都からの追手と出会うことなく、エナプリゾン公爵領とカルボゲムマ公爵領の境界に辿り着いた。ここを乗り越えればハジクシミへの障害はなくなる。
境界には、木製の柵が作られていた。随分前に作られたものなのか、植物の蔓などが伸びて絡まっている。それでも、人間を阻むのには充分なものだった。
人間なら越えることは難しいが、今はマナ重機の乗っている。越えるのに労力は必要なかった。マナライフルを柵に向け、弾丸を発射する。柵はあっけなく吹き飛び、その役目を果たせなくなった。
壊れた柵を乗り越える。あっけなくカルボゲムマ公爵領へ入ることができた。
ここを出るときは苦労をした。手形を偽物扱いされて牢屋に放り込まれた。自力では越えることができなかった境界を、今はあっさりと越えてしまった。リクトは少し笑ってしまった。
「どうしたの?」
「いや、昔を思い出しただけだ」
あれからまだ2か月程度しか経っていない。あのときとは立場も、目的も、変わってしまった。
※
途中、カルボゲムマ公爵領の名も知らない村でファストに買い物を頼んだ。傷を隠すための衣類と食料だった。空腹はかなりの問題で、ずいぶんと長い間ろくな食べ物を口にしていなかった。
ファストは改造マナ人間だが、外見はマナ人間と変わらない。村に行って無事に買い物を果たしてきてくれた。こんなことすらひとりでできないことに心苦しさを感じた。
それから、2日後、ついにハジクシミが見える場所までやって来た。遠くから見た故郷は前と変わらない。故郷を囲む森は葉を落として、ずいぶんと寂しくなっていた。
もう冬は近い。
何の成果もあげられなかったことが悔やまれる。リクトは最後の役割を果たそうと考えていた。
「あの村が、リクトの故郷なの?」
ファストは操縦席で村の外観をじっと眺めている。面白いものでもないのに目を離そうとしない。
「私の故郷は、王都になるのかな?」
「きっと、そうなるな」
マナ人間研究機関の隠し部屋で生まれたのであれば、そうなるのだろう。きっと故郷というものの考えかたが今までなかったに違いない。それが、今は故郷を感じているのだろう。
「もう、帰れないかもな。本当によかったのか」
「うん。私も居場所はもうないから」
彼女を巻き込んでしまったことは、今でもよかったのかわからない。でも、彼女がいいと言うのなら、リクトからもう言えることはない。
操縦席の扉を開く。外から冷たい風が入ってくる。暖房設備はなかったが、直接風があたると、一層寒く感じた。
「……ファストは――」
何と言ったらいいかわからなくなる。一緒に行くか、ここに残ってもらうか、判断ができない。一緒に行けばきっと辛い目に遭うことは間違いないだろう。ここに残ってもらうのは彼女をひとりにしてしまうことで、寂しい思いをさせるかもしれない。
「……ここで待っていてくれ」
「わかった。きっと、リクトひとりで行った方がいいよ」
こちらの心境を覚ってくれたようで、申し訳ない気持ちになる。
リクトは操縦席を出た。
「扉を閉めるぞ」
「いってらっしゃい」
操縦席の扉を閉めて、リクトは赤いマナ重機から飛び降りた。懐かしの故郷に向けて歩き始めた。
ずっと操縦席に座っていたために忘れていたが、足を使って歩くのは大変だった。リクトが考えていたより傷が痛む。冷たい風に吹かれているせいもあるのかもしれない。
足を進めても村との距離が縮まらない。マナ重機を遠くに置きすぎたということもある。マナ重機で来たことを村のみんなに秘密にしたいと、心の中で思っていたのだろう。痛みのせいで、思ったより足が動かなかった。
村が近づいてくる。畑と牧場以外には特に目立つものはない。王都と比べるまでもなく、貧相な村だ。
人が住む家や、農具をいれる物置、家畜を飼育する小屋。木造の建物がまばらにある。その程度だが、リクトにとっては、なつかしい風景だ。
村に到着すると、鍬をもって作業をしている小太りな男性がいた。彼はこちらを向いて手を振ってきた。リクトは彼のことを憶えている。男性とは一回りくらい歳が離れており、以前は収穫した小麦を分けてくれていた。
「おーい、リクトじゃないか? 帰ってきたんだな」
彼は鍬をかついでこちらに近づいてくる。お互いの顔がはっきりとわかる距離まで寄ってきた。
「やっぱり、リクトだ。大変だっただろ。すぐに長に報告してくるからな。一度、家に戻って休むといい」
男性はリクトを残して駆け出して畑から出て行ってしまった。残されたリクトは男性が言った通り、自宅を目指す。
工芸品を売却できず、金も持っていないことをどう伝えるか考えながら、歩いていた。自然と、人通りの少ない道を選んで歩いていた。後ろめたさがあり、今は人に出会いたくなかった。
自宅に到着して、久しぶりに目にする家を見上げる。今までここに住んでいたのが嘘のように、自宅は古く、ボロボロだった。
出発して以来、開けていなかった扉を開ける。ふわりと、薬草の独特な匂いがしてくる。住んでいた時にはこんな匂いがしていたことに、気付かなかった。
家の中は出て行った時と全く変わっていない。あまり時間が経っていないということもあるが、誰かの手が入っていることがわかった。きっと、ハルカが手入れをしてくれていたのだろう。
木製の椅子に腰かけると、身体から力が抜けていくのがわかる。故郷に帰ってきて緊張の糸が途切れたようだった。リクトは身体を椅子にあずけると、目を閉じた。
目を開けると、日が傾いていた。窓の外はうっすらと暗くなってきている。少しの間、眠っていたようだ。顔を横に振り、眠気を振り払う。
椅子から立ち上がると、足に力が入らずに、倒れそうになった。椅子をつかむことで耐えることができた。自分の身体が傷だらけのことを思い出した。再び立ち上がろうと力を入れると、なんとか立つことができた。
そこに、扉をノックする音が聞こえてきた。
「おい、リクト、いるのか」
リクトはゆっくりと扉に近づいて扉を開けた。そこには、長身の男が立っていた。彼は大きな牧場を所持しており、この村の中ではかなりの発言権を持っている。長にも気に入られている人物だ。
「いたか。灯りももつけてないから、いないのかと思ったぞ。それより、長がお呼びだ。準備が出来たら、長の家に来てくれ」
リクトは頷いて答えた。
「ああ、灯りがないのか。このランタンを貸してやるよ。後で返してくれよ」
男性が灯りがついたままのランタンを差し出してきたので、それを受け取る。その際、リクトの指を見たのか、男性は目を見開いてすぐに手を引っ込めた。
「……何があったか知らないが、とにかく、長の家まで来てくれ」
男性は逃げるように自宅から去っていった。
受け取ったランタンを見る。特に必要なものではなかったと、あらためて気づく。準備することもないので、灯りを持ったまま家を出た。
村の中を歩いていると、スープのいい香りがしてきた。そろそろ夕飯の時間だ。お腹が鳴って空腹であることを思い出した。ずっと、温かい食べ物を口にしていない。お腹を押さえながら、長の家を目指す。
自宅に肉が干してあったので、それを食べればよかった。




