第31話
水が滴る音が聞こえる。錆びたような鉄の臭い、何かが腐敗した臭い。ひどく寒く、体中の筋肉が強張るのがわかる。
目の前は鉄格子。視線を動かせば以前使われたものや、まだ使われていない禍々しい道具があった。その中には暖炉のように燃えさかる火を内包したものが置かれていた。暖をとるものとは様子が違う。何のためのものか用途はわからない。
また、ここに戻ってきてしまった。そうリクトは思った。
「おや、お久しぶりですね。今度こそ戦果をあげられたのかと思いましたが、酷い有様ですね」
尋問官の青い目がリクトの身体を舐めるように見回す。帝国兵にやられた痣に、王国兵から受けた痣、火傷もある。その様子を、尋問官は楽しんでいるように見えた。
「通行手形の偽造だけだったのに、今度は、命令違反、敵前逃亡、それに、今度はスパイ容疑までついたらしいですね。どうしたら、そこまで罪状を増やせるのか、教えてほしいくらいですよ」
尋問官は嬉しそうに目を細めていた。
こうして、尋問官の話を聞いているだけなのだが、すでに尋問は始まっていた。
両腕を背後で結び合わせ、その手を縄で吊るしている。もちろん、身体は一切地面に触れていない。リクトの全体重を両肩で支えなくてはならないため、引き延ばされ引きちぎれる寸前までいっていた。声も出せないほどの痛み。気温は低いというのに、肌には球ような汗が浮かび上がっている。
今、生きているだけで、死ぬ以上の苦しみを受けているようだった。
「ん? 声が聞こえませんね。俺は教えてほしいと、言っているのですよ」
バシーンと大きな音を立てて、尋問官が手に持っている水牛の革で作られた鞭が打ち込まれる。その痛みにリクトの喉の奥から小さい悲鳴がでた。それは、ほとんど聞こえないほど小さなものだった。
「まあ、いいです。次の質問をします。敵地から生還できたのは、帝国の兵士からスパイになるように言われて助かったのですか? それとも、最初から王国を裏切ったスパイだったのですか?」
どちらも違う。それを声に出そうとするが、痛みで喉からまともな言葉が出ない。答えられないということは、また、鞭で打たれることになる。このやりとりが十数回も行われた。
「そうですか。そこまで口が堅いなら、しかたありませんね」
次に尋問官が手にとったのは、何の変哲もない麻の糸だった。それをリクトの前に垂らして見せた。何が起こるかわからなかったが、ひどい使われ方をすることはわかった。
尋問官はウキウキと身体を揺らしながら、吊り上げられているリクトの腕に麻糸を巻き付ける。そしてそれを、引っ張る。右手を引いたら、次は左手を、尋問官はリズムよく引っ張っていく。すると、麻糸は少しずつ食いこむと、皮膚を削り始めた。
痛みもあるが、その不快感。じわじわと肉が削れていくのがわかる。破れた皮膚から血が滲んで垂れるのがわかる。どんどんくい込んでくる。筋肉の繊維を一本一本切り離していく。そのたびに激痛が走る。
ある程度進めてから、麻糸を止めて、腕を開放する。次は違う箇所。同じことを続けられる。肉が削られる感触が絶え間なく襲ってくる。激痛と苦痛、不快感に恐怖。すべてが、リクトに襲いかかってくる。
両手足を麻糸で削られてから、縄が下げられて、足が床につく。全体重を支えていた腕が楽になる。それと同時に手が震えはじめて、止まらなくなる。
吊られる激痛がおさまると、次は今まで受けてきた鞭の痛み、麻糸で削られた肉が激しく痛みはじめる。楽な姿勢になったというのに、リクトの呼吸は荒くなり、休むことを許さない。
「さあ、弁解してください。どうやって、生き延びたのですか?」
「……ファスト」
リクトは力をふりしぼって、ようやくその名前を口にすることができた。
「……彼女は……ぶじ……か……」
尋問官は何を考えるように、顎に手を当てる。視線を斜め上に向けて、何かを思い出そうとしていた。少し間があって、尋問官は手を叩いた。
「ああ、あの、一緒にいたマナ人間のことですか?」
「……そうだ……」
「さあ、俺は知りません。あんなものに、興味はありません。が、お前は気になるというのですね。なるほど、なるほど。生きていれば会えるかもしれません。まぁ、いつ会えるか俺は知りませんけど」
尋問官は軽やかなステップを踏みながら、暖炉のようなものの近くへと向かっていく。彼は分厚い手袋をはめると、細長い鉄製の棒を手に取った。そして燃え盛る炉に棒を突っ込んだ。
鉄が焼ける臭いが漂ってくる。リクトはこれから行われるであろうことが予測できてしまった。
手で吊られている状態では、その様子が見えない。じっと、次の尋問を待つことしかできない。
「さて、お前は処刑されてもおかしくない罪状があります。ですが、まだ処刑されていません。それは何故だと思いますか?」
「……知らない」
リクトはじっと身体に力を入れて、身構えた。だが、まだこない。
「お前には自白してもらいたいことがあります。それは、スパイとして何をしてきたか……です」
「……スパイ……じゃない……だから……答えられない……」
苦しくて、息がつまるが、やっとのことで喉から声を絞り出す。
「スパイは皆、同じことを言うのです」
「!! があぁぁぁぁぁッ!」
突き刺すような痛みに、肉の焦げる臭い。その後に、皮膚がずるりと溶ける感触。自分の背中に焼きごてが当てられているということを知った。
抵抗はできない。身体をねじるようにして、逃げようとするが、縄で吊られているためにそれはかなわない。
焼きごてが離れたというのに、痛みが全くひかない。じわじわと焼かれる感じが続いていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
呼吸を繰り返すことによって、痛みを紛らわす。呼吸を意識することで、痛む傷を無視しようとする。
「さて、いかがです? つい、何をやっていたか話したくなりましたよね?」
「……何を……」
「自白です。お前はスパイとしてどんな活動をしていたか、話したくなってきた。違いますか?」
リクトは奥歯を噛み締めた。
「……嘘の……自白……をしろと……」
「まさか。嘘だなんて。お前の口から出た言葉です。嘘かどうかは、俺は関与しません」
尋問官はリクトの顔が見える場所まで移動すると、覗きこんできた。彼が望むことがわかってきた。自分から犯行を言わせたいのだ。それが真実か嘘は関係ない。ただ、スパイであるということを、証言させたいだけなのだ。
「まだ言ってくれませんか。じゃあ、次の準備をしなくてはいけません」
リクトを覗きこむ尋問官の笑顔は心の底から、嘘偽りなく、楽しんでいるのだ。人を嬲り、もてあそぶことに喜びを感じている。おそらく、リクトが嘘を言わないことを知ったうえで、この尋問は行われている。
尋問官が視界から消えると、また鉄の焼ける臭いがしてくる。
「お前は押しつけられた方がいいですか? それとも、ねじられた方がいいですか?」
鼻歌を歌うように、気軽にリクトへ聞いてくる。そんなものは、答えようがない。どちらにしても、焼かれることには違いない。リクトはまた、身体を強ばらせて、次の尋問を待つしかなかった。
そして、真っ赤に焼かれた火ばさみで、腹の肉をつままれて、そのままねじられた。痛いのか、熱いのか、焼かれているのか、どれなのかわからなくなっていた。だが、確実に苦痛を受けていた。そして、遊ぶように、リクトの肉を抉っていた。




