第19話
薄暗い部屋を水槽の光を頼りにリクトは歩いていく。足元は暗くてほとんど見えない。もし、段差があれば足を躓いてしまうだろう。
先を行くマーズスは赤色に光る水槽の前で足を止める。それに合わせて、リクトも足を止めた。急にマーズスは振り返ってリクトを見る。水槽の淡い光が顔に刻まれた皺に影を作り、まるで悪魔のように見えた。
「貴様、これが何かわかるかのぉ?」
水槽に満たされた溶液が赤色という他に、特に違いを見いだせない。
リクトは目を凝らして水槽を覗くが、その中には先ほどと同じマナ人間が浸かっているだけであった。リクトは無言を答えとした。
「こいつは改造マナ人間じゃ。溶液に薬を入れてやることで、マナ人間の機能を向上させておるんじゃよ」
次に、マーズスは水槽の横に備え付けられていた棚から瓶を取り出す。暗くてよくは見えなかったが、棚には数多くの薬品が収められていた。
「ここにあるものを組み合わせて、マナ人間を改造するんじゃ。最初は成果が上がらなくての、苦戦したものじゃ。鉱石、薬草、香辛料に、動物の肉、骨、内臓、糞……何でも試した。『マナ人間の素』を弄りたおしたこと持ったのぉ」
マーズスは薬品の入った瓶に視線を落とす。
「いずれも失敗じゃった」
急に、マーズスはリクトに顔を近づけて、凄惨に笑ってみせた。
「じゃが! 使う薬が悪いと気づいたのじゃ。やはり、人の姿かたちを似せたモノには、同じ人の姿をしたモノを使うべきじゃった、と」
マーズスに気迫に、リクトは気圧されて身構える。それから、ごくりと息を呑んだ。その先の言葉が予想できたからだ。
「人間じゃよ。やはり、人間こそ霊長の頂点に立つ存在! 効果は抜群じゃった! この粉末を見るんじゃ。これは腸を乾燥してすり潰したものでな、主にマナ人間の寿命を延ばすのじゃ! 他の薬草も混ぜることでより長生きするのじゃよ」
マーズスは嬉々として話を続ける。自慢の玩具を見せびらかす子供のように、無邪気であり邪悪を内包したような笑みを浮かべてはしゃいでいた。
次にマーズスは別の瓶を取り出した。その中にはドロドロに溶けた赤いジャムのようなものが詰まっている。一見すると果実のジャムに見えるが、あまりにも赤黒い。どう見ても、果実や野草の類ではなかった。
「これはじゃな、心臓を煮詰めたものでな、主にマナを増強する効能があるんじゃよ。新鮮な心臓であればあるほど効果が出た。じゃから、処刑されて間もない罪人のものを拝借したのぉ。そして、こいつが――」
「もういい! 沢山だ!」
マーズスがピンク色の白子のようなモノが入った瓶を取り出そうとした時に、リクトは叫んでいた。すぐにマーズスの手を掴み、瓶を手に取るのを止めさせた。
「あんた! 何を考えてるんだ! 人の命を何だと思ってるんだ!」
「ふん、そんなものに興味はない」
マーズスは真顔でそんな言葉を吐き捨てた。掴まれていた腕を振り払って、別の瓶を取り出す。その中には小さな何かが蹲った状態で入れられていた。
「こいつが一番必要じゃった。こいつを混ぜてやると、マナ人間に自我が生まれるのじゃよ。わかるじゃろ? 改造マナ人間が特別である理由がのぉ」
「こ、これは――」
「わかるかのぉ。人間の胎児じゃ。こいつが本当に手に入れるのが難しくてな。ただで作れるくせに、とんでもない大金をせびりよる。何という強欲か」
マーズスはその胎児の入った瓶を恍惚の表情で見つめながら、頬ずりまでして見せた。その様子に総毛立つリクトは、頭の中の整理がつかず、何もできず立ちつくしていた。
「1体目はこれの量が少なくて、自我が薄弱だった。2体目はよくできたが、少々我が強かった。3体目は投与しすぎたようでな、頭が弱くなってしまった。次の分量を決めかねておるのじゃよ」
マーズスが語る内容はリクトに心当たりがあった。1体目、2体目、3体目それは、つい先ほどまで共にいたモノだった。
リクトはその場で膝をつき、口を押える。さっき食べたパンと豆のスープが胃からせり上がってくる。我慢ができなくなり、そのまま吐き出してしまった。
「全く、どうしたというのじゃ。奴らから貰った食事ではなかったかのぉ」
そんなリクトをマーズスはじっと見下ろしていた。
一通り吐き出したリクトは立ち上がり、今度こそマーズスの胸倉を掴み上げた。
「罪悪感はないのか!」
「そんなものは、神を崇める奴の勝手な言い分だ。芋虫を踏み潰してそんなものを感じたことがあるのか?」
リクトは奥歯を噛み締め、掴んでいたマーズスをさらに高く持ち上げた。その何も感じていないと言わんばかりの様子が、気に入らなかった。吐き出した後だというのに、胃のむかつきがおさまらない。
「あんたは、何のためにこんな非道な事をしてるんだ! 何故、こんな事をした!」
掴み上げられたマーズスは真顔で苦しそうなそぶりは一切しない。すでに答えは決まっていると言わんばかりに、一切の躊躇なくマーズスは口を開いた。
「マナ人間を殺す為のマナ人間じゃ」
マーズスはそう言い切った。
リクトは何も反論できなかった。つい最近、その実用性を証明してみせた。マーズスのやってきたことは正しいと言っているのと同義だった。リクトは愕然としながら、手を離した。
「わかったか? 貴様が接してきたモノはそういうモノじゃ」
マーズスはそう言って胸元をなおした。
呆然とするリクトをよそに、マーズスは胎児が入った瓶を棚に収めた。
「儂はここでやることがあるでの、気が落ち着いたら出ていった方がええ」
リクトは力なくマーズスに背を向けると、そのまま歩き始める。暗く足元が見えないというのに、気にすることもなく、呆然とした様子で、出口へ向けて向かっていった。
おぼつかない足で、リクトは棚と黒板の部屋までやって来た。そして、壁を背にして体重を預けた。
気分のすぐれないリクトは右手で顔を覆うと、呼吸を整えるように大きく息を吸う。今まで見てきたものが現実だとは思いたくなかったが、見てきた景色、嗅いだ臭い、肌に触れた空気がそれを許さない。
「リクト、どうかした? 顔色が悪い」
リクトの様子を見に来たファストが声をかけてきた。
気を取られていたリクトの身体は跳ね、身構えてしまう。ファストのこちらを覗く紫の瞳に、視線を外してしまった。
「リクト?」
リクトはしまったと思うが、確実にファストを避けていた。どうしても、隠し部屋であったことが頭から離れない。再生するマナ人間、胎児を使った改造、それが目の前にある。どうしても忌避してしまう。
「すまない。少し疲れているようだ」
「まだ、起きたばかり」
こちらに向けられる視線、リクトはどうしてもそれを正面から受けることができない。
「……そうだな。もうひと眠りさせてくれ」
「……そう」
リクトの様子でおおよそ察しているのか、ファストは言及してこなかった。
リクトはおぼつかない足取りで、ファストたちと同じ部屋のベッドへと進んでいく。目が覚めたら、きっと以前と同じように付き合えると信じながらベッドに倒れ込んだ。